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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第二章 境の隣の神の山
83/102

正気の歌

「私は、今回のこの緊急指令をそのまま発布するのは絶対に反対です! 政府が法を守れないのならば、連合という脆い結合は簡単に崩れてしまう!」


 連合首都、内郭に包まれた都の中心部に居並ぶ政庁郡の、さらに中心に位置する大総統官邸では緊急閣議が開かれていた。

 議題は当然、清浜三郎太が起こした魔の反乱と大聖女殺害についてである。

 大総統を含め、円卓に座した大臣らの顔は一様に硬い。その中でも一層険しい顔を浮かべ、口角泡を飛ばしながら激論を交わすのは内務大臣エイブラハム・ブレナンであった。


「私は大総統閣下のことは勿論、大聖女枢機卿のことも尊敬しております。ただし、ことこれとそれとは全く別問題なのであります。まず、およそ一週間前に起きた大聖女殺害の真偽が未だ定まっておらぬこと。失礼ながら御遺体が確認されたとするならばともかく、現在証拠となり得るものは神威山より逃れてきた神意執行会クルセイダーズの証言のみ。これだけでは斯様な重大事を早急に認定するのはあまりに早計!」

「しかし、神意執行会の報告にあった大聖女を神威山で殺害したという清浜三郎太。彼はそれまで行方が分かりませんでしたが、昨日、檄文によって全国の魔に決起をよびかけているではありませんか。これで神意執行会の証言には信憑性があるとみてよいでしょう。だからこそマリア・カーライルの聖女指定剥奪も手続きが進んだわけで。

 魔を扇動して国家への攻撃を促すのはどの罪に当たるのか、前例がないので司法省でも見解が分かれておりますが、それでも追捕や討伐の対象となるのは明らかでしょう」


 巨体を揺らし、興奮気味に語る内務大臣を諫めるように司法大臣パオロ・ガリバルディが言った。


「清浜三郎太については司法大臣と同意見。事実認定はともかく、あの檄文が発せられた以上はいずれかの法を適用し、追捕ないしは討伐の対象とするより他に無い。

――それよりも、私が懸念しているのは聖女マリアのこと。現役の聖女から聖女指定を剥奪し、取り調べもなく処刑するなど聞いたことがない」

「今は聖女でありませんよ。既に教皇庁は彼女の聖女指定剥奪の手続きを済ませてあります。私も大教皇オケアヌス四世の名で署名いたしました。清浜三郎太が彼女にあてた手紙では彼女が教会の機能を麻痺させて初動を遅らせる手はずとなっていました。彼女の罪状はあきらかです」


 内務大臣の方を見ず、どこか侮蔑の含まれた平坦な声でそう言ったのは大教皇オケアヌス4世だった。

 大教皇は、交差させた自分の指を見つめていた。


「教皇庁殿、私はそれがおかしいと言っているのですよ。今回の件では随分と教皇庁の仕事ぶりが目立ちますなぁ。一週間前、大聖女殺害の一報が内務省に届くより先に、神意執行会は五番教会になだれ込んでその証拠・・とやらを押さえて居りましたが……本来その役目は内務省の指示のもと市中警備の騎士が行うものであるはず」

「状況は緊急を要しましたので。大聖女殺害など、まったく前代未聞」

「それだけではありませんぞ。内務省にその報告が届くよりも先に、大総統のもとに赴き、緊急総統指令の発布を提言したのも神意執行会と教皇庁でありましたな」

「大総統閣下はことのほか大聖女を信頼しておりましたので」

「此方を見て話したまえ! 何と取り繕おうと教皇庁の動きは法の手続きを無視した独断の越権行為に違いはない! 言ってみれば大聖女殺害に端を発し神意執行会と教皇庁が突っ走った先にあるのがこの状況! 不可解な点を解明せずして聖女マリアの処刑を……それも大聖女の遺言によれば内密に敢行するなど、まるで口封じではないか!」

「何を申される! まさか今回のことは教皇庁の陰謀とでも言いたいのですか! 清浜三郎太の檄文も、彼がマリアへ宛てた手紙も証拠として存在し、大聖女を襲った不幸は何人もの神意執行会の者が証言しているのです。にもかかわらず下らぬ陰謀論を……ここは大総統閣下の御前であり閣議の場ですぞ!」


 顔を赤くしてぷるぷると震えながら激昂する大教皇に対し、内務大臣は居丈高にふんぞり返って応じる。


「証拠の鑑定は教皇庁ではなく内務省の管轄にあり! そして事実関係の認定は司法省の管轄であり、仮に清浜三郎太の罪状および聖女マリアの関与が全て事実であったとしても、必ずしも極刑となるわけではない。そうだな司法省!」

「……えー、条文上はそうなっています。ただ、国家緊急事態が宣言されれば大総統に大きな権限が与えられるのも事実。この場合、必要性から取り調べや裁判を省略し、直ちに処刑ということも不可能というわけではありません」

「そのような必要性など何処にも無い。聖女マリアについては事件解決のための取り調べ最優先とし、清浜三郎太にはひとまず謀叛人として討伐令を発してその居所と目的を明らかにする。最大の懸念である都市を襲撃している魔獣に対しては教皇庁より魔獣討伐令を布告する。――大総統閣下。少々を語気を荒げて場を乱してしまいましたが、以上が政府が採るべき方針と提言いたします」

「結局、内務大臣は内務省の仕事が取られそうだから神意執行会が気にくわないだけなのでしょう! この期におよんで連合ではなく組織の防衛を最優先とするとは……いやはやなんとも」


 大教皇と内務大臣の激しい応酬がひと段落したとみて、気の弱そうな痩せぎすの男がおずおずと手を挙げた。


「あのー、運輸省から、よろしいでしょうか」


 視線が運輸大臣へと集まった


「えー、運輸大臣ローレンス・カニンガムです。先ほど内務大臣のお話にもありましたが、現在、首都および連合構成都市を攻撃中の魔獣について、報告が届きましたので発表させていただきます。お配りした資料の通り、魔獣の襲撃は都市そのものよりも街道に集中している傾向があります。東西南北全ての街道で被害が出ておりますが最も被害の大きいと思われるのは東方街道のバーデン=リュネ街道およびサンクレマン=ニーユ街道と思われます。二つの街道については報告が一つも入ってきておりません。街道沿いの都市からは勿論、此方から派遣した使者も一人も戻っておりません」


「どちらも新街道……連合の大動脈がやられたか……」


 内務大臣が深々と溜息をつく。


「はい。東方街道で比較的安全なのはニューエルメル=崑崙街道ですがこちらはもともと交通があまり多くありません。北方街道ではオレ=ドレグ街道が魔獣のしわざと見られる土砂崩れによって完全に封鎖されております。

 はっきり申しますと連合は危機にあります。都市間の交易はほぼ不可能と言ってよいでしょう。経済活動の停滞は勿論の事、大規模な農地を保有している都市はともかく、それがない新興の交易都市などでは食料不足が懸念されます。首都の食糧の貯蔵は十分ですが、それでも人口に対しての生産量には不安があります。この状況が長引くことになれば計画的な食糧配分も考慮しなければいけません。またこれは内務大臣が一番懸念されていることと思われますが……」


 運輸大臣の視線が内務大臣に向けられた。


「うむ。連合を連合たらしめている都市間の繋がりが途切れてしまえば、各都市の自立や地域同盟を誘発するおそれがある。これだけは避けねばならない。……ところで運輸省、西方街道はどうなっているのだ」

「はい。連合首都の西方は首都の衛星都市ばかりですが、西方街道はほとんど被害を受けておりません」

「全く奇妙な。しかしそれでは我らの混乱に乗じたヴォルフスの侵攻を招くことにはならないか」


「それはありません。ヴォルフスは今や内戦一歩手前、こちらに攻め込む余裕などないでしょう」


 内務大臣の問いかけに素早く反応したのは外務大臣ギー・レオン・バダンテールである。


「勿論、かといって混乱が長引くのはよろしくない。人心が乱れれば内務大臣の懸念通りの内憂外患が起きないとも限らない。だから私は元聖女マリアの処刑には賛成です。ただし、それは大聖女の遺言書通りにではなく、大々的に、公開の場で行うべきです。今、連合を結束させ早急に魔の脅威を打ち払うためには大聖女の弔い合戦という正義の御旗がいる。真偽のほどはどうあれ……つまるところ犠牲は一人で済むのです」

「財務省ですが、私も外務大臣に賛成です」

「オリガ女史、君までそんなことを言うのか!?」


 財務大臣オリガ・ユリエバの言葉は以外であると言うように、内務大臣は苦虫をかみつぶしたような顔をした。


「財務省では経済上の理由から内務大臣のおっしゃったように、都市と街道を襲撃している魔獣の討伐を最優先に進めるべきとの意見が多数派です。しかし空前の規模で発生したこの混乱に対応するには騎士や教会修道士だけでは到底足りません。開拓者を含め挙国一致で事にあたるには、やはりわかりやすい敵が必要です。こういう言い方が正しいのかはわかりませんが……内応者がいたというほうが、我々にとっても都合が良いのかもわかりません」

「オリガ女史! 君は自分が何を言っているのか分かって――」


 憤り、椅子を蹴って立ち上がった内務大臣の言葉を遮るように、大教皇は口を開いた。

 

「なるほど、一つの意見です。しかし大聖女は考えもなくあの遺言書を残したわけではないでしょう。私はやはり全て遺言書に従うべきと思います。『魔人清浜三郎太を必ず討滅すること』これは大々的にやればよろしい。いかにも連合の結束は確かなものになるでしょう。幸いにも新年祭の鎧割りで清浜三郎太の名前と異常性は知られておりますから、清浜三郎太と聞けば誰もがあの悪鬼を思い浮かべるでしょう。

 しかしマリアに関しては……私がこういえば白々しいかもしれませんが、確かに彼女には人望があり、聖女たるべきものが身に着けている天啓……ことに当たって真実に辿り着く性質を備えておりました。今にして思えばそれは魔人ならではの能力だったのでありましょうが……。なので、今ここでマリアの処刑を公開するのは、例えばどこかの誰かのように、いらぬ疑惑を抱く者が現れないとも限りませんし、余計に人心を乱す結果になるかもしれません。やはり速やかに、そして内密にマリアを処刑し、連合首都の中に魔人が潜んでいるという憂いを断ち、また同時にマリアの救出を試みようとする魔のやからを一網打尽にするのが最善の策でございましょう」

「私も大教皇様に賛成です。連合首都の守りは鉄壁ですが、それはあくまで外からの攻撃に対してのこと。騎士団においてでも、内部で反乱がおきた時にどう対処するかという議題はいつも紛糾するではありませんか。それなのにわざわざ内側に敵を生かしておくのは愚策です。それに、他の魔人によってマリアが救出されでもすれば、そのときこそ連合の面子はおしまいです」


 司法大臣までもがマリアの処刑に賛同し、いよいよ味方がいなくなった内務大臣は、顔を赤くしながら円卓を睨みまわした。

 内務大臣エイブラハム・ブレナンは既に七十に近い連合の重鎮である。先代の大総統のころから内務大臣を務めており、現在の内閣においては事実上の首班であった。

 髪は黒々とつやを保っており、髭は整えられて天を指している。背筋はしゃんとしているうえ、腹回りは肥えていて割腹が良い。

 まさに、老いて益々盛んなるべしという言葉を体現しているかのようだった。

 その内務大臣が怒気の走った顔で威圧的に睨んだのだから、他の大臣たちは皆押し黙ってしまった。


「もうよい」


 重苦しい雰囲気に満ちた閣議を救ったのは、これまで沈黙を貫いていた大総統の一言だった。

 齢四十を過ぎた大総統は、閉じていた眼をゆっくりと開き、一度円卓の大臣を眺めてから語り始めた。


「皆の忌憚のない意見を聞けて私は嬉しく思う。内務大臣の言動も真に国を想えばこそのものだ。他の大臣も同じだ。皆が国を想い、合理的で戦略的な提言をしてくれた。だからこそ、あえて私はこう言いたい。私は大聖女を信じるがゆえに、国家緊急事態宣言と緊急総統指令第23号を発布するのだと。

 大聖女のことは皆もよく知っているはずだ。彼女ほど誠実に国に尽し、三神を信じて人々を未来へ、希望へ導いた存在を私は知らない。私自身も彼女にどれだけ救われたかとても数えきれない。だから私は彼女を信じる。彼女の遺言を信じる。彼女が作り上げた神意執行会を信じる。この想いが連合を一つにまとめ、人々が魔に打ち克つための原動力になると、私は信じたい」


 静かに語る大総統を前に、大臣たちは一言も発しなかった。

 ただ、内務大臣だけが険しい表情で強く目を瞑り、悔しそうに膝を叩き、それから言葉を吐いた。


「……大きな賭けになりますぞ。実利ではなく、心を以て結束を図るということは、その心に嘘偽りやひずみがあったとき、反動が結束を何倍も上回る力で押し寄せてくるということを覚悟のうえでのことでございますな……?」

「勿論だ。私という人間の価値を懸けて、この決断をした」

「であるのならば! 私から言う事は一つもござらん! ほかに意見のある者が無ければ、これをもって閣議を終了する!」



 薄暗い地下牢の中に、マリアは居た。

 およそ一週間前、神意執行会クルセイダーズに捕縛され監獄に連れてこられて以降、マリアのもとに、外の情報が入ってくることは一度も無かった。マリアはなぜ自分が捕らえられたのかすらも知らないでいた。


――いっそ拷問でもしてくれればいいのに……


 決まった時間に食事を運んでくる牢番以外に誰にも会っていない。勿論牢番は一言も喋らないのでマリアは全く孤独の中にいた。


――五番教会のみんな、セシル、三郎太……みんなは無事でいてくれるといいけれど。


 かけがえのない友人達のことを思い出していると、不意に人恋しさが頭をもたげてきた。


「あっ、あーっ……ごほん。もしもーし。誰かいないのー! ちょっといい加減にしてほしいんだけどー! せめて私の嫌疑だけでもいいから聞かせてほしいんだけどー! もういっそ略式裁判の判決でもいいからさーっ!」


 久々に声を出したが意外にもすんなりといつもの調子で声が出た。

 監獄には相応しくない明るい声は、誰からも反応されること無く、虚しく反響して消えていった。

 この牢獄には対魔の結界という高度な魔法が仕掛けられている。魔法を使おうとすれば自動で結界が発動し、発動させようとした魔法とは真逆の力を働かせて打ち消してしまう仕組みである。

 このような結界をつくり、固定化できるのは大聖堂や魔法学校の教授陣の中でもごく一握りの人間に限られる。

 そんな貴重な牢獄に入れているだけあって、この一週間、マリアが脱獄のために付け入るスキも、力技でなんとかできるタイミングも皆無だった。

 故に今ここで少しばかり大きな声を上げたところで何の反応も帰ってこないのは当然の事であり、マリアもそれを知っていてやっているのだった。


「はぁーあ、ほんと退屈ねぇ……。ま、五番教会の事務アンド死霊魔術の調査なんていう激務から解放されたかと思えばいっか。いったいこの数か月で何本レポート書いたか数えきれないわ」


 おどけたようにそういって、マリアはごろんと横になった。そして天井を眺めながら。


――これはもうダメかな。


 と、静かに自身の運命を受け入れていた。

 最期はもう遠くはないだろう。少しばかり人生を振り返ってみようとマリアは目を閉じた。

 不思議と、初めに浮かんだのは大聖女アウロラの事だった。



 マリアがアウロラに出会ったのは四年前のことだった。

 大聖堂の聖女課程を履修しようとしたとき、彼女は既に聖女きっての秀才として、大聖堂に名を馳せていた。講義も一つだが持っていたので、マリアにとっては先生にあたる人物でもあったが、年齢が近く、気さくな性格からどちらかといえば先輩という認識の方が大きかった。

 マリアが下宿していた五番教会では後輩セシルの面倒ばかりを見ていたから、自分が甘えられる先輩という存在にあこがれていたというのもあるだろう。アウロラとマリアは急速に打ち解け、先輩と後輩もしくは友人という関係になっていた。


「聖女指定おめでとう。二年なんてあっという間ね」

「振り返ってみればそうですけど、やっている間は必死過ぎて、いつになったらこの勉強地獄から解放されるのかと途方に暮れてたんですよ」


 聖女課程を最短である二年で修め、聖女指定を受けた次の日。マリアとアウロラは行きつけの喫茶店で、二人だけの小さな祝賀会をしていた。


「それは二年で詰め込もうとすればそうなるわよ。理論上最短が二年ってだけで普通は四年くらいかけるものよ? まさか本当に宣言通り最短で取るなんて思いもしなかったわ」

「二年で指定を受けたうえ、すぐに大聖堂で講義を持った秀才さんが何を言ってるんですか」

「私は良いのよ。ほら、百年に一度の聖女きっての秀才とか、未来の大聖女とか呼ばれてたし」

「自分で言います? それ……」


 二人だけの時、アウロラは大体このような感じだった。

 公的な場や大聖堂で講義をしている姿は、たしかに大多数の人間が彼女に抱いている印象通り、慈愛に満ちた聖女であり敬虔な信徒であるが、今はどちらかと言えば姉御肌な気さくで適当な性格をしている。

 今も、とても行儀がいいとは言えない作法で、ケーキを口に放り込んでいる。


「他の人が見たらびっくりしますよ。こんな姿の大聖女」

「もう、どうしてあなたの祝賀会で私の小言を言われなきゃいけないのよ。それに表と裏は大切よ。オンとオフがなければ疲れっぱなしじゃない」

「えーそんなもんですかー」

「そんなものです。まぁでもマリアみたいに、いつでもどこでも誰とでも、素の自分で向き合えることには、少し憧れたりもするのよ」

「へー完璧な先輩でもそう思うことがあるんですね。私は特別意識してやっているわけじゃないですけど、思うに大切なのは開き直りじゃないですかね」

「……開き直った結果、私の講義で寝るのはやめてもらいたいものね。前の日が課題の鬼ローラ先生の講義だから多少は大目に見てあげたけど」

「たはは……その節はどうも……」


 マリアはバツが悪そうに笑いながら小さくなった。

 アウロラはそんな姿を見て肩を震わせて笑いつつ、「冗談よ。聖女指定を受けているのだからもう受講態度は関係ないわ」と言った。


「ところで話は変わるけど、研修の後の最初の赴任地はもう決まった?」

「ええ、ちょうど今朝です。ウェパロスという田舎町らしいですよ。……恥ずかしながら図書館に行って地図を確認しました」

「……まぁいいけれど、これからはしゃんとしなさいよ。貴女はもう聖女なんだから。魔から三神の拓かれたこの世界を守り、怯え惑う人を導く。そのために聖女はいるのよ」


 少し先生の顔になって、アウロラは言った。

 聖女の使命は、十分に分かっている。やるべきことも嫌というほど叩き込まれた。

 しかしそうは言っても、昨日の今日では実感がわかないのも事実だった。

 マリアは古ぼけた天井を見ながら考えた。聖女としての実感は、時間が与えてくれるものなのだろうか、それとも何か切っ掛けがいるのだろうか。


「……最初の赴任地――私にとっての新天地」

「誰にとってもよ。聖女指定を受けてからの最初の赴任地は誰にとっても特別よ」

「思い返せば、私たちは本当に狭い世界を生きていたんですね。私は魔法学校よりも教会や大聖堂にいることが多くて、周りは大体女の子ばっかりでしたし、聖女課程の履修者は当然女性だし……何というかこれはいわゆる世間知らずなのでは!? こんなんで田舎で聖女なんてできるのかしら!? 今更不安になってきた!」


 「ふおおおお」と奇声をあげながら立ち上がったマリアを、アウロラは苦笑しながらなだめる。


「まぁそれは否定しないけど、誰もが最初は未熟者よ。だから最初の赴任地では失敗もするし、挫折しそうになる。そして、その経験が忘れられない思い出になって貴女を聖女にするのよ」


 マリアは差し出された紅茶を口に含んで大きくため息をついた。

 それからしばらく、会話は途切れたが、やがてマリアが口を開いた。


「……先輩は、好きな人とかいるんですか?」

「――!? ゴホッ! ゴホッ!」


 不意打ちの質問に、アウロラが紅茶を吹き出しそうになり、慌てて飲み下そうとして、咳き込んだ。


「な、何よ突然……」

「いや、人生経験といえばやっぱそういうのなんじゃないですか? これから女の園を抜け出して、新たな世界に行かねばならない身としては興味のあるところで」

「ふふん、なるほどね」


 アウロラは気取ったようにハンカチで口元を拭うと、頬杖をついて懐かしむように壁を眺めた、そして言った。


「昔、愛した男ならいたわ」

「ブッ!」


 今度はマリアが吹き出す番だった。アウロラとは異なり、こらえきれなかったので豪快にアウロラの顔を直撃した。


「……何をするんですか、マリアさん」

「い、いや、だって。先輩私とそんなに年離れてないじゃないですか、もうちょっと甘酸っぱい思い出とか表現とかないんですか!?

 例えば……ひそかに好意を寄せていた年上の男性がいたけど思いを伝えられなかったとか、弟みたいに思っていた子が意外にも男らしくなっていてどきっとしたとか! 今のだとロクデナシと行きずりの関係を持ったことのある飲み屋のママみたいな言い方でしたよ!」

「や、やけに具体的ね……。まぁでもそうね。ロクデナシではあったわよ」

「え?」


 アウロラは、少し照れたようにそっぽを向きながら言った。

 マリアはそんな顔をするアウロラを初めてみたので、少しばかり面食らった。


「昼間から飲んだくれて、やることなすことなんでも雜だし金遣いも荒い。他の女に色目を使うことも日常茶飯事だったわ」

「……先輩いつのまにそんな壮絶な人生送ってたんですか。というか大分ひどいですねそいつ」

「それでも私はそいつの事が好きだったのよ。貴女も気を付けなさい、初めからロクデナシだと思っていると、ふとした拍子にコロリと落ちることになるわよ」


 マリアはいろいろとアウロラに聞きたことがあったし反論もしたかったが、やけに老成した態度で告げられたので、すんなりとそれを受け入れてしまった。


「ちなみに、その人のどんなところに先輩は落ちたんですか」

「背中……かしらね」

「背中?」

「ええ。男の人が一番格好良く見えるのはね、戦いに赴く、その瞬間なのよ」


 戦いに赴いたその人はどうなったのか。

 アウロラの横顔があまりに哀しかったから、それを聞くことはできなかった。



 それから研修を経てマリアはウェパロスに旅立った。ウェパロスで事件があり、連合首都に戻ってからは、お互いに忙しかったのもあり、アウロラとはほとんど顔を合わせていなかった。

 ただ一度だけ大図書館の中で、鉢合わせたことがあった。その時アウロラは確かにマリアの方を見た。しかし、何かに気付いたように驚いた顔をした後、アウロラは声を交わすことも無く、そそくさと行ってしまった。

 まるで何か隠し事をしているようだと、マリアは理由もなく思った。


 それからマリアの中にアウロラに対する違和感が芽生えた。いや、正確には大図書館で出会った前から、それは感じていた。

 魔との戦いを呼びかける姿は大聖堂の講堂などで見せた公的なアウロラの姿と寸分違わない。

 すました顔をしながらも内心に聖女としての熱い使命を燃やしているのがアウロラという聖女だったから、あのような少し扇動染みたことをしたとしても、驚きはしない。だけど、違和感だけがぬぐい切れなかった。

 何も変わっていないはずなのに、まるで別人のようだとマリアは思っていた。

 この違和感の正体をもう少し探ろうとした、その時だった。


「マリア・カーライル。出ろ!」


 聞きなれない男の声が静寂に包まれていた牢獄に響いた。


「何よ。もしかしてずっと近くにいたの? だったら返事くらいしてよね」

「……早く出るんだ!」


 狭い入り口を出て、背伸びをすると腰がバキバキとなった。

 腰と腕に結ばれた紐に引っ張られながら男の跡を追い、少しばかり歩いたところでマリアは立ち止まった。そして、呆れたように呟いた。


「……まったく、いつの間にこんなものを」


 牢獄を出て、ほんの数十歩。未だ地下の真っ暗闇の中に、巨大な十字架が松明に照らされて揺らめいていた。

 マリアは、十字架を前に、無数の悪意が自分を見つめていることに気付いた。


『さぁ悲劇が始まるぞ! 絶望の帳が下りるぞ!』

『この悲劇が勇者を堕とす! 光を翳らせ、闇を拡げる!』

『死が二人を分かつぞ! 二度と会えぬ! 言葉も交わせぬ! 思いも伝わらぬ! 永劫孤独の闇に堕ちるがいい!』


 日陰から、夜から、地獄の底から、百鬼夜行パンデモニウムが絶叫する。

 それは喜んでいるようで、また怒っているようにも聞こえた。


「マリア・カーライル。これより貴様の処刑を執行する」


 松明に照らされた獄吏の男はまだ若い青年だった。他に二人、処刑人である槍を持った男達がいる。

 その槍の装飾を、マリアは文献で見たことがあった。

 聖なるもの、邪なるもの、どちらであっても人に信じられている限り確実に殺す。かつて三神の子と呼ばれた聖人の命を奪った槍と同じ装飾である。

 目の前のそれが本物であるかどうかは確かめようがないが、自分を殺そうとする意思の強さにマリアは思わず苦笑した。


「そっか。近いとは思っていたけど、まさか、太陽も見れないなんてね。流石にちょっと堪えるかなー……」

「……ッ! ……最期に、何か、言い残したことがあるのなら……私が……」


 マリアが視線を向けると、青年は気まずそうに顔をそらして、絞り出すようにそう言った。


「オブライエン様、言葉を交わすなとの指示では……?」

「お前たちは黙っていろ! これは……この人は……!」


 青年の激昂が、牢獄を揺らした。処刑人が沈黙する。

 マリアは朗らかに笑うと、「ありがとう」と言った。


「そう……そうなのね。大丈夫よ、みんな」


 マリアはこれまで出会った全ての人の顔を思い出しながら、言った。


「大丈夫。大丈夫だから。心のままに、志の赴くところに、行きなさい」


 浮かんだ顔の一人一人に、優しく言い聞かせるように、マリアは言った。当然セシルの顔もあったし、その騒がしい友人も、神父の顔もあった。獄吏の青年や処刑人にすら、マリアは語り掛けた。


「そして喜んで、怒って、哀しんで、楽しみなさい。迷ってもいい、間違えてもいい、後悔だってすればいい。だけどその時覚えた感情は、決して忘れないで」


 そして、やはりと言うべきか、最後に浮かんだ顔は清浜三郎太の仏頂面だった。

 もしも、いつ聖女の自覚を得たのかと問われれば、マリアは自信をもって答えただろう。


 清浜三郎太との出会いが私を聖女にしたのだと。


――何が悲劇よ。何が絶望よ。子供ガキじゃないんだから、私もあいつも、そんなことでびびるわけがないでしょ。全部蹴っ飛ばして先に進んでやるんだから。

 私達が妬ましいのならそう言いなさい。素直になれば、貴方達のことだって抱きしめて、一緒に連れて行ってあげる。あいつもきっと同じことを言うわ。


 無数の悪意が、怯んだように雲散霧消していく。名残惜しそうに、困惑しながら、迷いながら消えていく。

 地下牢はいつまでも暗闇である。揺らめく松明を除いて光はどこにも無い。

 なのに、獄吏の青年も、二人の処刑人も、確かに地下牢一面に光が満ちたのを見た。


「その目の光……貴女は、もしかして、本当に――」


――ごめんなさいね、貴方が帰ってきたら新年祭のお祝いをするって言ったのに。まさか、私の方から約束を破ることになるなんて思いもしなかったわ。

 初めは私がいろいろ教えてあげなきゃ右も左もわかんなかったのに、いつの間にか私の前にいて、いつも背中ばかり見せてきて、聖女としては本当に悔しかったんだから。だから悪いけど今度は私が先に行くわよ。私の背中で、貴方を導いてあげる!


 マリアはいつものように、快活で、挑戦的な笑顔を浮かべ、力強く言った。


「大丈夫よ、さぁ行きなさい! 心の赴くままに、その道を行きなさい! だって、それこそが――」


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