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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第二章 境の隣の神の山
82/102

敗走

 クニマロやハンナが言っていた。北竟大帝ら魔群の集った中心には――さる御方とやらがいると。そしてその人物は三郎太の故郷を、日本を知っているのかもしれないと。


「茨木童子……!」


 だが、三郎太はそれがまさか日本中に名を知られた鬼の一人であるとは思いもしなかった。


「馬鹿な! 茨木童子だと! 貴様は八百年も昔に討たれている……はず……」


 三郎太はそこまで言って口を噤んだ。

 大江山に居を構えた鬼の一団。繰り返し都を脅かす魔の正体はそれと安倍清明に看破され、源頼光とその四天王が遣わされた結果、鬼の首魁酒呑童子は討ち取られ、配下の鬼も悉く討たれたと言う。だが、その中に、茨木童子の名はあったであろうか。


「貴様、まさかあの戦いを生き延びたとでも言うのか。そして年月をさすらい、魔人と成り果ててこの地に流れ着いたか!」

「気づいたようですね。そして、そこまで察しがつくのなら私の能力も理解できたでしょう」


 渡辺綱、茨木童子最大の敵となる彼は嵯峨帝の血を引く源氏の男として武蔵国に生まれ、やがて摂津に遷り、頼光四天王筆頭としてその武勇を振るった剛勇の士である。

 綱は一条戻橋において美女に化けた茨木童子と戦い、その腕を斬り落として返り討ちにした。しかし彼が屋敷に持ち帰った鬼の腕は、彼の義母に化けた茨木童子によって取り返されている。


 この伝承を聞いた時、三郎太は全く不可解な話であると首をひねった。

 音に聞こえた頼光四天王、その筆頭たる渡辺綱ほどの武人が、一度戦った鬼の気配も分からないとはどういうことか。それも鬼の襲撃は予想されていたのにも関わらず。

 かつての三郎太は、鬼であると知っていても義母と聞けば迎えずにはいられないほどに孝の心が深いのが渡辺綱という武士であると判断したが――。


「それが、貴様の魔人たる所以か」

「そう。私の能力は人の認識をずらすこと……。一条戻橋においても彼の屋敷においても、私の見た目は少しも変わっていなかった。私を無力な市井の女であると、義母であると勘違いしたのは全て私に認識を狂わされていたから」

「その力で連合に入り込み、万民を騙し続け、世界を滅ぼす計画などと、児戯にも等しい謀り事を企てたのか」

「ええ。この国は少しばかり総統の権限が強すぎるのでは? 今のような善人ではあるけれど凡庸な人間が為政者であると、私のような悪い鬼に騙されて簡単に国を滅ぼしてしまうことになりますよ。これでは紂・桀を笑えません。まぁ、此方の世界の人間にとっては知る由もないことですが」


 三郎太は立ち上がると、柄をぎゅっと握りしめながら瞑目した。


――茨木童子が生きていた。この世界にあって世界を滅ぼさんとしている。……それがどうした。何一つとして俺のすることに変わりはない。俺は武士だ。秩序の敵をただ斬るのみ。姿が見えているのならば鬼であれ悪霊であれ、斬ってみせる!


 覚悟を決めて目を開ける。しかし三郎太は直ちに踏み出すことはしなかった。

 ただ一つ、聞いておかなければならないことがあったからである。


「……マリアは、如何いかがした」


 北竟大帝は善樹を目の仇にしていた。計画が始動したとなればもはや彼は生きてはいないかもしれない。しかし、マリアはどうであろうか。幸運で勘の良い彼女ならば、騎士団に連れていかれたと言えども……。


「国家に叛逆した謀叛人の運命なんて……どの世界でも同じでしょう?」

「――ッ!!!」


 一瞬の内に三郎太の視界が赤に染まった。

 無音の気勢を吐くとともに、両眼を見開いて猛然と駆けだした。


――斬る!


 三郎太の心中を満たすのはただその一念。そのために必要な動作は修練を積んだ体が覚えている。


 迎え撃つ茨木童子は鉄棒を下段に構えて不動。

 両者の距離は広く、魔法を使えば間合いに入るより先に一撃を加えることが出来るがそうはしなかった。

 三郎太が必殺の間合いに飛び込み、茨木童子の頸を断たんと跳躍しかけた瞬間、茨木童子は素早く半歩下がり、下段から脇構へ、そして八相の構えへと遷った。さらには続けざまに簡易的な認識阻害の能力を行使した。

 これは先ほどの攻防でも見せた技だった。飛び込む三郎太に認識阻害を仕掛けて間合いを誤らせる。その隙をついて反撃に移るのである。

 先ほどとは異なり茨木童子は鉄棒を手にしている。八相の構えから振り下ろされた鉄棒は容易く三郎太の頭蓋を粉砕するであろう。

 これで三郎太の運命が決したかに見えた時、三郎太の業が冴え渡った。


 跳躍の為に踏み出した足は大地を強く踏みしめて離れることは無く、体は僅かに沈みながら前傾へと移り、刃はいっそ無造作に見えるほど自然体のまま振り下ろされた。

 これぞ切落きりおとし――一刀が対手の一閃を防ぐ守りの一手になるとともに必殺の一撃ともなる一刀流の神髄であった。


 しかし、振り下ろされた逆安珍さかさあんちんが鉄棒と交わったその刹那――なんともあっけない始末であった。カキンと小さく音が鳴るや、逆安珍は脆くも砕けて二つに折れたのである。


「ッ!」


 瞬間、逆安珍を手放してましらのごとく飛びずさり、脇差を抜いて守りに遷ったのは三郎太の天稟てんぴんのなせる業だった。しかし、


「…………」


 三郎太は言葉を失い、構えを取ったまま呆然と立ちすくんだ。

 奇縁により手に入れて以来、戦うことは数えきれず、しかして刃こぼれ一つせず敵を屠り続けたのが逆安珍であった。それが、あまりにもあっけなく、砕け散ってしまった。


「私がこの世界に迷い込んだ時、一つの噂が流行していました」


 鉄棒一振り空気を鳴らしてアウロラは語った。


「西方の荒野に三神の子が一人舞い降りた。行く先々で不思議な能力を使い病を治し、迷える者の苦しみを取り除いたと。その聖人は大衆の祈りを一身に受けましたが、最期は信頼していた友人によって売られ、三神の十字架に掛けられて串刺しにされた。――この鉄棒はその時彼を刺し貫いた槍を溶かして作られています。すなわち、『その信仰を破壊する』ことがこの鉄棒の能力。鬼丸・蜘蛛切でしたっけ、貴方たちは刀というものに随分と入れ込みますから」

「…………」

「あぁ……その顔が見たかった。弓箭を失い、刀を砕かれ、無力な絶望に落とされたその顔が……」


 アウロラは聖女という偽の顔も、魔群の統領という立場もなく、真に欲望の叶った魔人の一人として恍惚の表情を浮かべていた。


「あとは計画を進めるだけ。男と女、生と死、天と地、人と魔……あらゆる陰と陽を一ヵ所に集結させ、世界の秩序と境界を破壊する。現出した原始の混沌に此方と彼方の境界はなく、二つの世界は一つとなる。そして私はヤマトへ復讐を果たす。彼らが鬼、土蜘蛛と蔑んだ者たちと共に!」


 蛇切逆安珍へびきりさかさあんちんを失った今、三郎太にはもはやその下卑た笑みに抗する術は無い。だが彼を襲った衝撃はこれだけではなかった。


「おめでとう。念願が叶ったのねお姫様。だったら、ねぇ、次は私の番でしょ?」


 その甘くドロリとした声色に、三郎太は耳を疑った。そして弾かれるように顔を上げた。

 だが、三郎太を襲った衝撃はこれまでの岩をも砕く波濤のようなそれとは違っていた。

 来るべきものが来たと、諦観にも似た心持で腐毒のような現実を受け入れた。


「久しぶりだね。おにーさん。私、ずっと会いたかった。こうしてお話がしたかった」

「エリーか……」


 紅と蒼、二人の対照的な騎士を伴って現れたのは紛れもなく狂気と歪みの少女エリーであった。

 身なりこそなんの変哲もない村娘のようであったが、土気色の顔はどうしようもなく現実を隠し切れておらず、顔の右半分や体のあちこちに巻かれた包帯は今も真新しい血を染み込ませて赤と茶色のコントラストを描いているざまだった。


「私、三郎太さんと沢山お話がしたいな。あなたに殺されて本当に痛くて苦しくて、でも次に目を覚ましたらおじさまの顔があって、動けるようになったのはほんの最近。ここまで来るのはとてもあっという間だったけれど、貴方の事は夢にまで見て、いつになったら会えるのか、ほんとうに待ち遠しかったの。――ねえ、だから今度こそ私のモノになってよ三郎太さん」


 ぼこり、ぼこりと三郎太の周囲で土が盛り上がった。

 腐りかけの腕がそこら中から飛び出した。そして大地の縁に指をかけると、力を込めて己の全身を白日の下に晒した。そのいずれもが、騎士の恰好をしていた。


――嗚呼、やはりこの娘はどうしようもなく壊れている。


「……エリー、今からでも遅くはない、地獄へ戻れ」

「ううん。イヤ。私はあなたとずっと一緒にいたいもの」

「……左様か」


 三郎太は、静かに己の心の折れる音を聞いた。

 遂に因果が巡ってきたのだと、悟った。

 武士に同朋を皆殺しにされ、恨みを抱えた鬼が武士を憎んで武士おれに一矢報いた。

 俺に殺されたものが、黄泉帰りを果たして俺を殺そうと言う。

 逆安珍という無二の相棒を失った今、三郎太はその運命を受け入れようとした。


 しかしその一方で、別の思いが心を動かしているのも事実であった。

 すなわち、意地を通そう、この道を遂げようと言う心である。

 一瞬にして表情から諦めも絶望もかき消えた。初志貫徹。秩序を守る。そのために前へ出ると言う単純至極な覚悟であった。


――この死にざまが、俺の価値を決める。


 そして、その価値が後の世の秩序の守護者と民草を導くと、三郎太は信じていた。


――いざ。


 三郎太はほぞを固めて前へ踏み出そうとして――できなかった。


「ッ!?」


 突然、目の前に白毛の獣が飛び出し道を遮った。

 現れたのは巨大な白鹿ハリマである。そしてその上に跨っているのは言わずもがなティアナであった。


「ティアナ! なぜ戻って来た!」

「お前は黙っていろ」

「――!」


 いつものように大声を上げた三郎太は、ティアナの一言に委縮して次の言葉を発することが出来なかった。ティアナの声色が、これまで聞いたことがないほど、毅然として、どこか冷たさを帯びていたからであった。


「おやおや太祖、殊勝だねぇ。返事を聞かせにわざわざ戻ってきてくれたのかな。折角ここには役者がそろっているわけだし、僕達にとって嬉しい返事だといいんだけど」


 北竟大帝が沈黙を破っておどけたように言った。


「ああそうさ、返事を聞かせに来てやったぞ」

 

 ティアナは当たり前だというようにそう返す。魔群の中にどよめきが走った。ティアナの態度は堂々自信あり気な様子で、とても魔群を相手に一合戦をしに戻ってきたようには見えなかったからである。

 崖っぷちに立った三郎太ニンゲンに裏切りという新たな絶望を見せてくれるかと、邪な妄想を働かせたものもあった。


「北竟大帝、お前の言葉を聞いて私は少し考えてみたんだ。魔人とは欲望に生きるもの……ならば私の欲望とは何なのかとね。

 お前の言う通り、私は戦いが大好きだ。槍を担いで単身強敵を討ち取るのも、軍勢を率いて大軍を突き崩すのも、そしてその果てに敵を足下に跪かせるのも、どれもたまらなく好きなんだ。そしてその反対に、政治なんてのははっきり言って大嫌いだった。顔も知らない有象無象の民の生活を想い農工商を振興する……何て退屈なことなのか。恵みをもたらしたところでほとんどの民はそれが当たり前だというふうに過ごしている。反面、生活が少しでも悪くなれば恥も外聞もなく為政者を責めるのだ。全く甲斐の無いことだとおもったよ。

 ことに手を焼いたのは開拓さ。最近のそれとは別だぞ、西方は土地がやせていて、竜種の棲みつく荒野でさえも、オアシスがあるのなら拓いて街にしていた。竜種と全面対決にならないように計らいながら、民の生活を守り向上させる……骨の折れる仕事だったよ」


「魔人にも向き不向きがある。君という魔人にとって欲望に反するそれは苦痛であったろう。察するに余りあるよ」


 三郎太は歯を食いしばって恐怖に耐えていた。

 最早、目の前にいるのはティアナではなかった。何がそうさせたのか、太祖が舞い戻っていた。


「戦争は過ぎれば国家を滅ぼす。内政を怠れば言わずもがな。私は大好きなことは我慢して控え、大嫌いなことは我慢して励んだんだ」

「…………」

「分からないか北竟大帝。こんなことをな、首都の大路で言ってみろ。大笑いされた挙句に言われるだろうさ、『それが人生だ』とな」

「ティアナ……」

「…………」


 不穏な風向きを察して魔群たちが殺気立った。

 それを威圧するように、太祖の背後に幾何学模様の魔法陣が二つ浮かび上がった。


「全員よく聞け、魔人わたしの起源を教えてやる! 私は愛した男を幸せにしてやりたくて魔人になった女だ! そして愛する家族のために戦った魔人だ!」


「キェェェェ!」


 英雄の気迫にあてられて、魔群の中から双頭の怪鳥が四羽飛び出した。


「この男は確かにロクデナシだがな、お前らのようなはぐれ者が虐めていい道理は無い! なのにそれを目の前で見せられれば、どうしようもなく腹が立つ!」


 魔法陣より光線が発せられ、全ての怪鳥が撃ち落された。

 それを合図に、魔群の進撃が始まった。

 太祖の魔法陣の破壊力はすさまじい、しかし継戦能力に難がある。この数を相手に戦えるのかと三郎太が懸念した直後であった。

 不意に、知っている暖かさが両脇を通り抜けた。

 神々しさを纏った二羽の紅白の鳥が宙に舞い上がると、進撃を始めた魔群の中に横一文字炎の壁が立ち上がった。先鋒を走っていた魔群の一団は退くことが出来なくなり孤立した。

 そして――


「我は雷公の旡」

「雷母の威声を以て五行六甲の兵を成し」

「百邪を斬断し」

「万精を駆逐せん!」


「「「「急急如律令」」」」


――退魔の呪文が響き渡る。突如迸った閃光がやんだ時、取り残された魔群は残さず雷に打たれて炭と化していた。


「よっし決まった! ひゅーっ、太祖さんもかっくいー」


 浅葱色の少女が踊るようなステップで前に立ち。


「よっ、三郎太さん久しぶり、元気してたか。なんちゃって」


 濡羽色の少女が三郎太の肩に手を置いておどけて見せた。


「ちょっと二人とも、締まらないじゃない! まだ気を抜けば全員あの世行きだってわかってるの!?」


 朱色の少女が眉間にしわを寄せてぷりぷりと怒り。


「ヒツ、ホウ。ご苦労様でした。甲から乙へと移りなさい。みんなも油断なく、打ち合わせの通りにね」


 栗色の少女は毅然としてよどみなく指示を飛ばしていた。


「お主らは……」


 どれほど会いたかったか。

 心を奪い取られては敵わぬと、あの日逃げ出すように彼女達のもとを去ったのは三郎太の方であったのに、今は、絶望の淵で彼女たちに遭えた喜びが、驚きをゆうに塗りつぶしているのである。


「危なくなったら呼べって言ったのに。いつまでたっても呼んでくれないんだから、ばか」

「マツリ……」


「おい、感動の再開もそれまでだ。惚気ている場合じゃないぞ。さっさとそいつを連れて逃げろ」

「あいあいさー!」

「待て! 逃げるだと!? 何処へ!? それにティアナ、こやつらの事を知っておるのか!」

「うるさいぞ。お前は黙っていろと言っただろ」


 間の抜けた返事をするスミレを押しのけて、三郎太が太祖に食って掛かったが、にべもなく一蹴された。そしてその間に、ヒツ、ホウの二羽が起こした炎の壁は掻き消えていた。

 煙の向こうで、アウロラ、北竟大帝、エリーが微笑を浮かべている。


「あっ! もう消えちゃった」

「ヒツとホウのやつもうちょって頑張れよ!」

「ちっ! 言わんこっちゃない!」


 太祖が歯噛みするがどうしようもない。遮るもののない今、犠牲なく撤退などできるはずがないことは太祖の経験が知っている。無論、こうなった以上、太祖は殿しんがりを勤めるつもりだった。

 しかしそこへ――。


「この身は外道、この身は天魔。勇者の一人も救えぬ故に、どうか力をお貸しくだされィ! 護り給え『方便浄土』!」


 一声聞けば剛毅とわかる、野太い声を響かせながら、黒い影が宙より大地へ舞い降りた。

 瞬間、とばりのように薄く輝く結界が三郎太達の前に現れる。

 声の主は結界の向こうに立っていた。


「善樹!」

「おお! 壮健ですかな御武家殿!」


 その声を聴いた瞬間、三郎太の両目から激情と共に涙があふれ出た。

 そして心の奥に、確かな灯が輝いたのを感じた。


――嗚呼! 俺は愚か者だ、史上類を見ぬ愚物だ! 諦観だと!? 因果を、運命を受け入れるだと!? たわけ! この身、この志、この道は俺一人のものではないではないか! この俺に、時を越えて使命を託した先人を何故忘れていた!


「善樹! 善樹!」


 三郎太は結界に取り付いて善樹の名を呼ばわった。

 子供のように叫ぶ様に仕方がないと思ったのか、善樹は困った顔をして振り返った。

 その姿に、三郎太は息を呑んだ。

 善樹はいつものような裹頭かとう姿ではなかった。ボロボロの法衣を纏っているだけである。

 そして、その体は、黄泉帰りを果たしたエリーのように土気色だった。瞳は白濁しており、頬の肉は腐り落ちて、黄色くなった歯がむき出しになっていた。


「御坊……その姿は……」

「嗤われませい! そして唾棄し、決して懐かしむことなく、憎むべき悪鬼として心に留め置かれよ!」


 嗤う事など、唾棄することなどできるはずがない。

 快活に笑う善樹は、三郎太が忌むべき姿に成り果てていた。だが、嫌悪感は少しも湧かないのである。むしろ、困ったように三郎太に笑いかける姿は故郷の兄や父のようで、三郎太は安心感すら覚えるのである。


「御坊違うのだ! これは俺の因果だ! お主がそのような姿になってまですることではない! お主も僧であるのならば、俺の背後に居れ! 俺が、武士が守るべき秩序に、お主もいてくれ! 善樹!」


「……くっ、三郎太さん、行きますっ!」

「あいつの思いを、汲んでやれよ!」

「子供じゃないんだから!」


 クヌギの号令のもと、アザミとマツリが三郎太の両脇を抱えて後ろに跳ぶ。

 スミレも退魔の符をばらまきながら、それに続いた。


「お前は本当に嫌な奴だよ。できればもう少し語り合いたかった。さらばだ」


 最後に残った太祖も、善樹の背中にそう言い残すと、三郎太達の跡を追い、振り返ることは無かった。





 ぱちぱちぱち、と、乾いた拍手が沈黙の中に響いた。

 酷く冷めた顔をした北竟大帝が、その音の主であった。


「途中までよくできた演目だったんだが、急に不快な結末を迎えたね」

「ほほう。それは何故にござろう。未熟の勇者を逃がし、一軍を率いさせて決戦に参陣させるは計画通りではありませなんだかな?」


 善樹は、おどけたようにそう言った。魔群も怯む北竟大帝の憎悪を一身に浴びても、怖気づいた様子はどこにも無かった。


「君だよ、君。ねぇ、どうして生きているんだい、善樹。これはルークス君に聞いた方が早いかなぁ?」

「ッ! ふざけんな……俺は確かにてめえの本体を殺したぜ……! 嘘じゃねぇ!」


 北竟大帝に睨みつけられたルークスは冷汗を流しながら弁明する。


「確かにあの洞窟に隠れていた爺は首を狩って消し炭にしたはずだ。天狗衆最後の生き残り善樹は老いた体を延命させながら、木の葉と土くれで人形をつくって俺たちを翻弄し続けた。そうだろう北竟大帝! これはお前も言ったことだ! そしてその魔法の根幹は確かにあの爺だったはず!」

「ぐぁっはっはっは! 北竟大帝! その若造を責めるのはお門違いというものだ! これはひとえに貴様の失態であるのだからな! 貴様の宿命を言い当ててやろう! 貴様はいつも欲望の叶う最善の選択の一歩前までたどり着きながら、必ずそこで選択を誤る魔人だ!」


 瞬間、北竟大帝の袖口から息子ナリが飛び出して善樹の喉に絡みついた。


「煩わしいなぁ。その口を閉じておくれよ」

「がっはっは! 無駄よ無駄! 喉を封じれば喋れぬと思うたか! この体はそのようには作っておらぬ! さぁ、浅ましい本性を現してみよ」


 善樹の腹が膨れては縮み、そのたび善樹の大音声が辺り一面に響いた。


「善樹ゥ……!」


 北竟大帝の表情が憤怒に染まった。それはかつて善鸞に見せた表情であった。


「おちついて、おじさま。彼は楽しんでいるだけよ」


 傍らのエリーが、この場に不釣り合いなほど蕩けるような甘い声で北竟大帝に囁いた。


「あぁ、すまないね。よかった。エリーは賢い子だ。あのクズの言葉は君には届かないようだね」

「いかにもいかにも、お嬢は正しい。拙僧は今楽しくて仕方がない。待ち望んだ瞬間を、万全の状況で迎えられるのだから!」


 善樹はなお笑う。その声に、狂気が混じりつつあることに、この場ではアウロラだけが気づいていた。そして、気づいていながら、アウロラはそれを指摘できなかった。アウロラだけではない、戦力において圧倒的に優位に立つはずの魔群は今、善樹一人に圧倒されていた。


「教えてやろう、北竟大帝! 貴様がにっくきかな偽りの大聖女に与したがために、集団に必然的に生まれる枷に捕らわれて、ただ忠義を示すなどという気まぐれの為に洞窟の御仁を直接殺しに出向かなかったこと、それが貴様最大の敗因であることを!」

「まさか、お前……」


 北竟大帝の顔が、僅かに青ざめた。


「がっはっは! あの洞窟にて拙僧の意識を乗せた式神を操っていたのは、我が師にして善知識たる善鸞の死体を用いた肉人形なり! 遥か昔、西行法師の成し遂げた悪行を、聞きかじりの知識にまかせて再現したのがあの体よ! そして肉人形を操りたるは正しくこの善樹なり。さらに教えて進ぜよう! 善樹の体は実に情けないことに凡庸で使い物になり申さぬゆえ、すでに善樹本人の体はこの頭のみ。他は全て天狗衆の死体にて賄いそうろう! ぐぁっはっは!」


 天を仰いで哄笑する善樹に、居合わせた魔群は、ただ一人を除いて全員おぞけだった。

 それほどまでに、善樹の狂気は深かった。


「さぁ、さぁ! 参れよ北竟大帝! 娘の仇がここに居るぞ! 来ぬのならば、新しい娘も攫っていってしまおうか!」

「善樹ゥゥゥゥ!」


 北竟大帝の右腕が翡翠色に輝いた。息子ナリを引き寄せると同時に目にも留まらぬ速さで駆けだした北竟大帝は、一瞬の内に善樹の懐に潜り込み、輝く右腕で善鸞の腹部を貫いた。

 背骨を掴んだ腕が、背中から飛び出した。


「唵!」


 そしてほぼ同時に、善樹は両手を合わせて真言を発した。

 瞬間、善樹の五体が血しぶきをまき散らしながら爆散した。

 首だけになって宙に舞い上がった善樹は、眼下に魔群を見下ろして、叫んだ。


「勝ちましたぞ! 善知識!」


 この凄惨な光景を、恍惚の表情で見つめていた少女がいたことに、この場にいた誰一人として気づくことは無かった。





 神威山から真東へ、赤と黄の二頭の馬に曳かれた馬車が街道を風のような速さで走っていた。

 隣を並走するのはハリマである。


「蚩尤! マリアは、マリアは如何した!」

「だから……さっきも言ったけれど……」


 魔群の追撃を辛くもかわし、用意してあった馬車に乗り込んだ一行は一路崑崙を目指して街道を爆走していた。

 崑崙の巫女、太祖、馬車を守っていた蚩尤、そして引きずられるようにして山から降ろされ、有無を言わさず馬車に叩きこまれた清浜三郎太、都合七人の逃亡者たちである。


「何の為にお主を遣わせたのだと思っている! 捕らわれているのならば助けだしてくればよいだろう!」

「それが出来たらやってるよ! 首都は街中を騎士がうろついていてマリアの居場所も分からないのにどうやれっていうのさ! 俺の顔は割れてるし、サブローは今じゃ逆賊なんだよ!」」

「だからこそ、今助けなければあやつは殺される!」


 三郎太はフェルトの覆いが掛けられた荷台から這い出すと手綱を握っていたスミレに迫った。


「スミレ! 今すぐ道を引き返せ! 神威山へ行け!」

「ええ!? 無理無理! 戻ったって死んじゃうだけだよ」

「俺の言う事が聞けないか!」

「他の事なら聞いてあげるけどそれだけは無理! ダメ!」


「いい加減にしておけ、見苦しい」


 今にもスミレに掴みかからんとする三郎太に叱責を飛ばしたのは太祖である。


「勝ち目のないことが分かっているのに、怒っているフリだけをするのはやめてくれ。迷惑だ」

「何だと……」


 ゆらりと振り返った三郎太の顔面には恐ろしい怒気が張り付いていた。

 ティアナ・・・には決して見せたことのない表情だった。


「勝算ならある! 奴らは今勝ちに驕っている。まさか戻ってはくるまいと油断している隙を突く! そして増上慢の鼻っ先をへし折るのだ! 寡兵ならばそれが出来る! 北竟大帝と茨木童子を討ち、冤を雪いでマリアを救う!」

「はっ、敵は山中に砦を築き、辺りは見晴らしのいい平原。いったい何をどうしたら奇襲なんてものができるんだ? 生兵法にすら辿り着いていないぞ、失望させるな」

「臆病者め! ならば俺一人で行く!」

「だぁーっもう! 大人しくしててくれ頼むから! みんな三郎太さんに死んでほしくないんだって!」

「このばか! ばか! ばか!」

「バカサブロー! そんな簡単に死なせてもらえると思うなよ!」


 荷台からハリマへ飛び移ろうとする三郎太に、すかさずアザミとマツリ、蚩尤が跳び付いて押しとどめる。

 くんずほぐれつ、荷台はガタガタと揺れ車輪は軋み、スミレは必至の形相で手綱を操った。


「はぁー……。おい、合図でそいつから離れろよ。――3,2,1……はい」


 ぱっと三人が離れた瞬間、太祖の腕がすっと三郎太の襟をつかんで引き寄せた。そして太祖は三郎太の鳩尾に膝蹴りを見舞うと間髪入れずに喉に手をかけ支柱に叩きつけた。

 あっという間の早業に、三郎太はうめき声をあげる暇もなかった。


「少しの間の辛抱だ、三郎太。勝つときもあれば負けるときもあるだろう? 今は負け時なんだ、負け方を考えるのも将の務めだ。大人しく退いて、少し休め」

「マリアが捕らわれ善樹が討たれたのだぞ……! ここで動かずして何が将か、何が武士か!」

「二人を想うのならばなおのことだ。お前の矜持を曲げてでも二人の心を汲んでやれ。今は生きろ。地を這い泥を啜り、名誉を失ったとしても、最後にお前が勝つことが二人の望みのはずだ。少なくとも、お前がここでちっぽけなプライドと心中することを望んでる奴は一人としていない」

「ならば、ならば太祖……! 事が成らねばお主を斬るぞっ……!」


 締め上げられた三郎太は、そう言って意識を失った。

 太祖は、崩れ落ちた三郎太を優しく寝かせると、小さな声で囁いた。


「あぁ、煮るなり焼くなり好きにしろ。でもな三郎太、事が成らなかったとき、そんなときにはもう、私はお前の為に死んでいるだろうよ」



 この日、清浜三郎太の名によって世界中に檄文が発せられた。


「三神に追いやられた者よ。人に棲処を焼かれた者よ。同胞を殺された者よ。陽のあたる場所を求める者よ。その全てに告ぐ。今こそ決起の時。我もまた等しく諸君の同朋であるがゆえにめいなどというものは一つもない。ともに思い思いに人を喰らい、田畑を焼き払い、城壁を崩そうではないか。三神の侵略より以前、原始の混沌に世界を還し、人間に思い出させよう、我らこそがこの世界の主であったことを」


 そして同日、緊急総統指令第23号が行政府に発せられた。


「Ⅰ.大聖女殺害および国家への叛逆、外患誘致の罪により以下の者を指名手配する。

    名,三郎太

    姓,清浜

 Ⅰ-A.事態の特殊さを鑑みて、捕縛を優先する律の条文は停止する。見つけ次第ただちに処刑せよ。

 Ⅱ.清浜三郎太の与同者マリア・カーライルは聖女指定を剥奪したのち処刑せよ。

 Ⅲ.大聖女の遺言書は連合の全都市に公開し、万事その意に沿うようにせよ」


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