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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第二章 境の隣の神の山
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茨姫

「魔獣・魔人を従えて世界に反乱か……剛毅な夢を見るものだなお前たちも」


 神威山の頂――湿原を望む場所に立てられた大きなテントの内側で、ティアナは退屈そうにそう言った。


 迎えにあがった。そう言って北竟大帝はティアナをここ神威山まで拉致したが、その台詞はどうやら慇懃無礼だけを目的としたものではなかったらしく、実際に北竟大帝はティアナを丁重にもてなしていた。


「夢……か、僕たちの計画はもはや夢には終わらない。先ほど話した通り、脚本は既に完成している。あとは役者を待つばかり。開演すれば平穏きゅうけいなど許さない、終焉おわりまで真っ逆さまさ」


 机を挟んでティアナに向かい合う北竟大帝は怪しげな色の茶をすすりながらそう言った。


「それはその役者がうまく踊ることが出来たらの話だろう。あの男は無理だぞ、そんなに器用じゃない」


 ティアナも、手探りで目の前のティーカップに手を伸ばしたが、臭いをかぐと顔をしかめて机の上に戻した。


「それに悪いが私も到底乗る気にはなれん。こっちはとっくに隠居の身、いまさら先頭に立って何かを考えたり実行したりなんて気力はこれっぽっちもない。それにそもそも『ヴォルフスを含む連合以西の争乱は太祖に一任したい』なんてふざけた申出は何だ。私はそういう投げっぱなしの指示が大っ嫌いなんだ。

 昔、私の次男が『南方の反徒、三都市のことは母上様にお任せしたい』なんて言って来たときはその場で折檻してやったくらいだ。人にものを頼むときはもう少し何をしてほしいか具体的に言え」

「くくく……それは御子息がお気の毒だ。貴女を信頼しているからこそ全権を任せたのだろうに」

「いい歳をして母親をこき使うなという話だ」


 お互いにくつくつと喉を鳴らして笑いあう。敵とも味方とも見えぬ奇妙な関係がそこに生まれていた。


「なに、難しい話ではないのだよ太祖。僕達の計画の舞台は連合だ。この地で彼方あちら此方こちらの世界、生と死をぶつけて秩序と境界を破壊し、世界を原始の混沌に還す。そのことに変わりはない。しかしそのあいだ西方地域が平穏であるのはどうにも面白くないじゃないか。混乱は世界を巻き込んで起きてもらわなくては。それに西方の安定が人心にとっての希望となってしまえば、混沌にとって悪い影響がでないとも限らない」

「だから、西方で大暴れをしてほしいと?」

「その通り、西方は静謐だ。連合では人と魔の争いが必然的に繰り返されてきたがヴォルフスは違う。君の治めた国は『魔』と『人』などという区別をしなかった。ただ国家の為に役に立つか否か、それだけを価値判断の基準とし、その結果、『魔』と『人』の奇妙な共存関係が生まれていた」


 ヴォルフスが開拓に乗り出したのはつい最近、現皇帝のフリードが即位してからである。

 フリードは連合の先進性の根本には開拓に代表される個々人の自由な気風があると見て、ヴォルフス国内でも開拓を奨励した。それは一面において新たな土地の開発とそれに伴う発展をもたらしたが、一方でこれまでヴォルフスに害を為さなかったために放置されていたり、むしろ国家に協力的であったために太祖より特権を得ていたコボルトのような魔獣・魔人の生活を脅かす結果をもたらしていた。


「だが、実のところそのような平穏は偽物だった。今ではヴォルフスも開拓に乗り出し、魔の居場所を奪いつつある。君の時代からずっと開拓に手を焼いていた西方の荒野では竜種と人との壮絶なせめぎあいが繰り返され、今にも暴発しそうになっている……この火種を使えば、君がもう一度舞台に上がることも不可能ではない。魔人太祖がもう一度立つときが来たのさ」

「はっはっは。何を言うのかと思えば」


 確かなヴォルフスの現実を語る北竟大帝の言葉を、太祖は一笑に付した。


「ああ、よく調べている。魔人ごときがそこまで国家を知っているとは思わなかった。いや、魔人だからこそ同朋の窮地を知っているのか? 

 しかし、そこまで知っているなら猶の事分からないな。自分で言うのもなんだが、私はヴォルフス建国の英雄で、今の皇帝は不出来だが私の血を引いているんだぞ。どうして私が自分の国を滅茶苦茶にしなきゃいけないんだ。そんな企みに私が乗るわけないだろう」


 太祖はおかしくてたまらないと言った様子で、腹を抱えて大笑した。

 折角の誘いを笑い飛ばされれば、流石の北竟大帝もその余裕の笑みを崩すかと思いきや、むしろ彼はその笑みをより深く、より邪悪なものにして太祖を見つめていた。


「あぁ、そうだとも、ティアナはこんな誘いには乗らない。だが魔人太祖はどうだ」

「あぁ、なんだって?」


 ふと、太祖の表情に影が奔った


「偽る必要も、隠す必要もない。なにせここにはいないんだ。魔人とは欲望に忠実なもの。どうしても何かを成し遂げようとする衝動に抗うことのできない生き物だ。君の欲望は何だい? 破壊すること、支配すること……覇道を征くことと言い換えてもいいかもしれない。もはや成立し、成熟した国の行く末に興味なんてないはずだ。ましてや自らを裏切り放逐した国だ、未練もないだろう。むしろ今は、もう一度初めから謀略を巡らし、戦争を起こし、僅かな手勢から国家を呑み込むまでの大戦略を歴史に打ち立てることの方がたまらなくそそられるだろう? 魔人太祖、これが君の欲望のはずだ。ティアナという虚飾を剥がせば、そこには今も衝動にかられ続ける太祖がいるはずだ!」

「…………馬鹿馬鹿しい」


ティアナは僅かな沈黙のあと、そう言うのが精いっぱいだった。


――違う、そんなものは私の欲望ではない。太祖わたしはそんなことを考えていない。


 確かにティアナは確信をもってそう断言することが出来た。

 しかし咄嗟に理路整然とした反論の言葉が浮かばなかったのは、つまるところ北竟大帝の言葉に、全く身に覚えがないわけではなかったからだ。


 ヴォルフスや連合の政情を耳にするたびに、こうすれば権力を手に入れられる、政府中枢に入り込める。ああすれば都市を落とせる、国家を併呑することができる――そんな事ばかりが頭に浮かぶのだ。

 そしてそのたびに、清浜三郎太が心の底の怯えをひた隠しにしながら、無理にでも太祖をティアナに引き戻そうとする。


「おい、神父に変わりはないか」

「おい、教会に来る子供たちの中に武芸の心得のある者はいないか」

「おい、今度蚩尤にヴォルフスの料理を教えてやれ」


そんな無様で不器用な姿に直面するたびに、この臆病な男を怖がらせないためにも、太祖のような考えは極力しないようにしよう。そうティアナは罪悪感と共に思うのだった。


だが今、清浜三郎太はいない。ただ一時の間いないのではない。南方に旅立ってから消息は知れず、今現在どこにいるかも定かではない。そして仮にこの変事を知り、急いで戻ってきたとしても、敵の本拠地たる神威山に単身乗り込んでくるとはまさか思えない。


「さあ太祖、この手を取れ。もう一度魔人として立ち上がるのだ。そして僕達と共に戦おう。傲慢な運命を打ち破るために」


 そしてもう一つ。北竟大帝の指摘に当らずとも遠からずと言った欲望が、確かにティアナにはあった。

 夜、隣に眠る三郎太に触れた時、ふと思うことがあったのだ。


――もし、次があるのなら……私は、この男と一緒に天下を……――


 ティアナが差し出された手に応じかけた、その時だった。


「北竟大帝! 南口に火の手が挙がったぞ!」


 突然、狒々のような毛むくじゃらの魔獣が、そう大声を張り上げながらテントの入り口を開いた。


「何、火? 敵襲か? 姫には伝えたのかい」

「当然だ。六番隊と屍兵の一部が向かっている。むしろ俺はまたお前が何か我らに知らせもせずに始めたのかと思っていたぞ」

「やれやれ、全く心外だ」


――おい、待て。もしや……


 ティアナの脳裏には天啓が下りたように一つの予想が浮かんでいた。北竟大帝の手を取るか否かなど、とうに彼方に置き去って、この予想が確信に変わるか否かに全精神を傾けていた。


――いや、そんなはずはない。無理だ。火だと? あいつに魔法は使えない。いきなり敵の本拠地に火をかけるなんて技は使えるはずがない。仮に火をかけ、陽動に成功したとして、この要塞にどうやって乗り込むつもりだ。誰か仲間を連れて? 無理だ、気づかれる。では一人で? まさか抜けられるはずがない!


 しかしティアナの脳裏に浮かんだ予想はティアナ自身の思考に反して確信に変わっていく、それは何故か? ティアナは自らに問いかけ、そして気づいた。

 その正体は身に覚えのある焦燥感であり、恐怖であった。

 グングンとそれは確かに近づいてきている。だが北竟大帝も魔獣もそれに気がついていない。


「少し邪魔が入ったようだが。さぁ太祖、あらためて返事を聞こうか」


――武人であるか、一度浴びていなければ分からないか。噴火直前の火山のように、隠そうとしていてなお漏れ出ているこの殺気の正体は――



「え?」


 そう呟いたのは北竟大帝であったか狒々のような魔獣であったか。

 にわかに殺気が爆風のように吹きすさび、狒々の首が呆然とした表情のまま宙に飛んだ。

 間髪おかず、吹きあがる血しぶきを飛び越えて巨大な影がテントの中に飛び込んだ。

 飛び込んだ影は片角の巨大な白鹿に跨り刀を振り上げた憤怒の形相の男――清浜三郎太だった。

 狒々の首を討った刃は返す刀で北竟大帝を狙うが彼女・・はそれを間一髪で躱す、しかし狙いは初めから彼女ではなかった。


「ティアナァァァ!」


 清浜三郎太はハリマから身を乗り出してティアナに手を差し伸べた。

 躊躇いなく、ティアナはその手に応じた。


「馬鹿っ! お前どうやってここに来た! どうして来た!?」


 抱きかかえられてテントを突き破ったその直後、開口一番にティアナは言った。


「馬鹿とは何だ! ハリマの土地勘を頼って一騎で駆け抜けたに決まっておる!」

「一騎!? 南口の火とやらはお前がやったのか!? 蚩尤は!?」

「火など知らん! 蚩尤は首都だ! 善樹とマリアの捜索に行かせておる!」

「馬鹿っ! 多少なりとも兵学を知っている人間がどうしてこんな無茶をする!?」

「お主の無事を確かめる方法は他に無いのだから仕方ないであろうが! 少しは黙っておれ!」

「ううっ……お前というやつはっ……」


 無事が分からなくて心配だから、いの一番に駆け付けた。その言葉にティアナは僅かに赤面しつつ、ぽんと三郎太の胸板を叩くことで小さな抗議をして見せた。


 しかし安堵も束の間、窮地はいまだ脱していない。


「おっと困るな勇者様、その魔人にはまだ用があるんだ」


 三郎太に向けられた北竟大帝の袖口から、突如として桃色の触手が飛び出した。それは意思を持っているかのように三郎太めがけて飛んでいき、その足に絡みついた。


「ちぃっ!」


 触手に逆安珍さかさあんちんを振り下ろすが容易に切り払えないと見るや三郎太の判断は早かった。

 抱きかかえていたティアナをハリマの背に載せると、自らハリマから飛び降りたのである。


「お前何を考えている! こんなところで降りれば殺されるぞ!」


 ハリマは三郎太が飛び降りたのに躊躇いもせず全力で山道を下っていく。


――それでよい、ハリマ。その人は俺よりも天下にとって生きるべき御方だ。


 遠のいていくティアナの恨めしそうな声を聴きながら、三郎太は普段決して口には出さないような思いで、ティアナに別れを告げた。

 そして顔を上げれば、奇怪な触手で三郎太を引きずりおろした北竟大帝を筆頭に、騒ぎを聞きつけた異形の魔獣や魔人、騎士体の人間が一人二人、三匹四匹と集いはじめていた


――これが百鬼夜行か。存外恐ろしくもない。斬って斬って斬りまくってやる。


 三郎太は己の右足に絡みついた触手を斬ろうと逆安珍の刃を押し付けた。しかしどう力を入れても表面を覆う油と柔らかな弾力に阻まれて刃を立てることが出来ない。

 生々しい桃色、テラテラと輝くそれに三郎太は見覚えがあった。武士が武士として死んだとき、三郎太はこれを見たことがあった。

 その時不意に触手が引っ張られ、三郎太は足を取られたために背から転んで引きずられた。

その様を見た魔群より嘲笑が巻き起こった。


「おっと、すまないね。でもこんな姿をしていてもこれはボクの息子なんだ。剣を押し当てるなんてかわいそうじゃないか。やめておくれよ」


 北竟大帝が息子と呼んだ触手は三郎太の足を離れてするすると北竟大帝の袖口に戻っていく。

 気味の悪さと弄ばれた恥辱に三郎太は僅かに顔をしかめた。


「北竟大帝、これも全て貴様の思い通りか」


 立ち上がり、構えをとりながら三郎太は言った。

 眼前には一面の魔群。このまま立ち合えば万に一つも勝ち目はないだろう。しかし臆する様子など一欠片も見せることなく三郎太は吠えた。


「貴様が差し向けた魔人を俺が悉く屠ったことも、灼熱の島ムスペルヘイムの神の出陣を阻止したことも、全て貴様の思い通りであったと、今もぬかせるか!」

「彼らが君に殺されるか、君が彼らに殺されるか、が動くか動かないか……実を言えばどっちでも良かったのさ。結果に従って次の手段を講じるまでだよ。だから思い通りとは言わないけれど、予想の範囲内とは言えるかな。

 しかし、それよりも問題は君だろう。この展開、一体どうやって切り抜けるつもりかな」

「知れたことを」


 三郎太はぐっと一歩踏み出した。

 死地と知っていながら飛び込んだのだ。太祖を生かすという目的が果たした今、することなど一つしかない。


「秩序を守り、民草の手本となる。それが武士の使命だ。言ったはずだぞ北竟大帝、貴様は俺が殺すと。世を乱す不埒不逞の百鬼夜行、貴様らも悉く俺が討つ! 死にたいものからかかってくるがいい。いざ!」


 眼光鋭く、刃を煌めかせて三郎太が飛び出そうとしたその時だった。


「クククク……アーハッハッハ! もうだめ! なんてことなの!」


 数多の雑音を打ち消して、一際澄んだ笑い声が響いてきた。

 北竟大帝が「やれやれ」と紳士帽を目深に被る。

 魔群の根城にあっては異彩を放つ声色に三郎太が眉をひそめた。

 そして魔群は水を打ったように静まり返り、声の主を舞台へ導くように、二つに裂けて道をつくった。

 海を割った上古の聖者のごとく、魔群の内より現れたその者は――。


「ば、馬鹿な! あなた様はッ!」


「まったく……憎み、恐れさえした存在の今がこのような体たらくとは、これではもう笑うしかないじゃないですか。北竟大帝、以前の貴方はあれを『勇者』にすることに反対していましたね、どこかで手を抜いたのですか?」

「まさか、今回・・は君に従うと言ったじゃないか。まだ可能性は残っているよ。ボクの事も彼の事も見損なうのは早いんじゃないかな」

「ここで死ぬか死なないか……どちらに転んでも、その先は考えてあるのでしょう?」

「勿論。もっとも最終的な決定権は『運命』にあるのかもしれないが」

「今更そんなことを言い出すのですか? それを壊すのが貴方の目的のはずでしょう?」 


 三郎太は眼前の光景を信じることが出来なかった。

 北竟大帝と対等に語り、魔群から羨望と信頼、畏敬の眼差しで仰がれるその女――教会指定の修道服を身にまとい、輝く銀の長髪をベールから覗かせた、このようなところに居てはいけないはずの彼女を三郎太は知っていた。


「あ、アウロラ大聖女……!」

「こんにちは、清浜三郎太さん。ちなみに今は若輩の身ながら枢機卿も兼ねています」


 女は――アウロラは偽りの聖性を装いながら、いつもの調子でそう言った。それがいっそ邪悪であった。


――何故大聖女ともあろう御方がここにいる!? いや彼女は本当に大聖女か!? それを騙る魔の一味か!? この腹を通り抜ける寒さの正体は――!?


「なぜ私がここにいるのか、そう言いたげな表情ですね。その答えは簡単です。だって私は大聖女で、この地は大聖女に率いられた神意執行会クルセイダーズが開拓している――そうでしょう?」

「そうだ! 神威山は神意執行会によって開拓されたはずだ! 連合を脅かす魔を打ち払うために――」


 そこで、三郎太は睨みまわした魔群の内に騎士体の者がいることに気付いた。そしてその装いが神意執行会の者であることに気付いた。


「ッ……! まさか!」

「獅子身中の虫――つまりはそういうことです。連合の政府内に入り込むことも、ここまで根をはることも決して楽ではなかったですよ」

「馬鹿な! できるはずがない」


 今のアウロラは姿形こそ三郎太が知っている彼女と一緒であったものの、纏っている気配は別人と呼んでいいほどに異なっていた。

 確かに何処か聖性を感じるが、もはやそれは魔性を、邪性を際立たせるものにしか見えなかった。このような存在を、教会や騎士団が許すはずがないのだ。


「教会の目がそこまで節穴とは思えぬ。何よりも、マリアが貴様を看破できぬわけがない!」


 教会や騎士団はそれでも国家を支え秩序を守る両翼なのだ。揃いも揃って全ての人物の目が節穴だとは思えない。何より三郎太が知っている人物に限っても、マリアならばこのような邪悪は見破れるに違いない。


「ええ。教会や大聖堂の中にも、魔法学校の教授の中にも私の正体を見破りうる人間はごく僅かですが居ましたよ。そういう相手にこそ実力の見せどころですが……大体は――例えば今の大総統のような凡庸な人間は私の能力で何とかなるのですよ。――これを見て、何か気づくことはありませんか?」


 そう言いながら、大聖女は右腕の袖をまくって見せた。手首に巻かれていた包帯をするすると解き、見せつけるように持ち上げた。


「なんだ……それは……」


 そこにあったのは一文字の傷痕だった。手首を一刀のもとに斬り落としたかのような生々しい傷跡が、白い肌に奔っていた。

 三郎太には気づくことなど無かった。大聖女の古傷など知らないし、傷痕を見て思い出す事など何もなかった。

 しかし、なぜか言い知れぬ嫌な予感がふつふつと湧き上がり、全身から汗が噴き出して止まらなかった。


「とても痛むのですよ、斬られてからずっと。取り戻してくっつけたはずなのに、思い出すだけで痛みが増すのです。今だって、貴方という存在に相対するだけで、あの時の光景が鮮明に思い浮かんで、恐ろしくて、悲しくて……とても憎い」


 ギンと三郎太を睨みつけた瞳は真実憎悪一色のそれだった。

 その瞳は三郎太を見てはいない。勇者を見ているわけでもない。憎悪の矛先は武士という存在に向けられていた。

 似た瞳を、三郎太はハンナ・アルブレヒドに見たことがあった。


「貴方は言いましたね。秩序を守り、民草の手本となるのが武士だと。ふふふっ……まったくお笑い種ですね。違うでしょう? 貴方たちの価値は、存在意義は、ただ殺すこと。刃向かう敵を殺して殺して殺し尽すこと。ただそれだけでしょう?」

「違うッ! それでは野盗とも狂人とも変わらぬ。三綱五常を体現することで世に秩序を示し、それを脅かさんとする敵から民と秩序を守る者。それが武士だ。それが出来ないのならば、武士の価値など何処にも無い!」

「そう、貴方たちは野盗や狂人と変わらないのですよ。私の知っている彼らはそうだった。上辺だけの美辞麗句で己の行いを飾る事などしなかった。お前たちは天朝にとって害悪だから死ねと、手段も問わずにただただ私達を殺してまわった。……一体いつから貴方たちはそんなに軟弱になったのです」

「軟弱だと! 言わせておればいい気になりおって! 貴様が一体何を知っている。魔人!」


 そう叫ぶや三郎太は駆けだした。

 最早この女は大聖女でも何でもない。ただの魔人でありこの魔群の首魁なのである。

 湧き上がる嫌な予感が現実になる前にその首を断たねばならないと三郎太は決断した。


「ええいっ!」


 目を見開いた修羅が気迫を吐きながらアウロラの懐に飛び込んだ。

 右に担いだ逆安珍が弧を描いて細首に迫る。

 剛刀の一閃に斬り伏せられるかと、魔群すらも一瞬どよめいたが切先は僅かに首を撫でたただけで、致命には程遠かった。


 そして、一撃を仕損じた三郎太をアウロラは見逃さなかった。

 二の太刀が振るわれるよりも早く半歩引き下がり、強烈な後ろ回し蹴りを三郎太に見舞った。

 それだけではない。三郎太を蹴り飛ばした右足で力強く地面を踏みしめ土の魔法を発動させて追撃を行った。

 衝撃が地面を伝わって三郎太の足下で爆発し、土くれと共に三郎太を吹き飛ばした。


「ならば教えてあげましょう! 愚鈍で蛮勇の夢見がちな勇者!」


 地を転がる三郎太を見下ろして、アウロラは古傷を掲げながら言った。


「我が右腕を斬り落としたる者の名は――渡辺綱! 

 我は土蜘蛛、我は鬼! イワレビコに殺戮され、オオタラシヒコに追われし一族の末裔なり! 大江山にあり、ヤマトの都を脅かしたる我が名は茨木童子! ……そして今、神威山にあり世を滅ぼさんとする我が名は――茨姫アウロラ!」


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