さらば、美しきムスペルヘイム
夜――月明かりの下、周囲を埋め尽くす虫の声の間隙に、控えめに聞こえる小川のせせらぎ、そして遠くで女達の笑い声。
だれかが大声で何かを言い、直後、それを大勢の笑い声が覆い隠す。まさしく宴の音響であった。
宴から遠く離れた其処に、清浜三郎太とハリマは居た。
三郎太は襷掛けにして袖をまくり、裾を端折って小川に入ると、目の粗い布を水に浸し、よく絞ってからハリマの体にあてがい、擦り始めた。
ごすり、ごすりと乱暴に首を擦りまくり、布が真っ黒になると小川に浸して、布の汚れを揉み出し、ふたたびハリマのもとへ。
ハリマは乱暴な処置に何の反応も示すことなく、ただ黙ってされるがままになっていた。
一心不乱にハリマの体を清めているかに見える三郎太だが、その実、心は別の方へ向いていた。
三郎太の全身には、いまだ戦いの昂揚が残っていた。夜風と小川に身を晒しながら、単純な作業に没頭するのは、昂った全身を冷ますためであった。
目を閉じれば、ゆっくりと流れる黒と白の世界がさまざまと瞼の裏に描き出された。そして次の瞬間、緊張が解かれ、猛然と放たれる一本の矢。
己が己で無かったかのような感覚。神仏の加護があったと言うべきか、この世界流に身体作用の魔法にかかっていたと言うべきか。
しかし、間違いなく己が放った矢であった。今も、両の手には確かに感覚が残っている。
三郎太は再び昂揚が勢いを増すのを感じて、再び作業に没頭した。
さながら馬丁の如く三郎太がハリマの世話をしていると、そこへ酒甕を抱えたアングリッサが茂みを跨いで現れた。
「こんなところにいたのか。かってに宴を抜け出して」
酒気に顔を紅潮させながら現れたアングリッサは、口をとがらせて三郎太を咎めた。
「こんな島だ。特別な理由が無ければ羽目を外すこともできまい。せっかくの機会に俺のような外様は不要だろう」
「馬鹿。お前の為の宴だぞ」
アングリッサは不満げにそうこぼしながら、手ごろな石に腰を下ろした。
「呑めよ」
突き出された木の椀には白濁した酒が並々と注がれていた。
木の実から造ったという、簡単な酒である。
女王直々の盃である。断る非礼を犯す理由が咄嗟に見当たらず、三郎太はそれをひったくり一気に呷った。
「女王までもが宴を抜け出してよいのか」
「折角の機会にいつまでも女王がいては気も休まらないだろう?」
「違いない」
「嘘でもそんなことは無いと言えよ。まるで私がみんなに嫌われているみたいじゃないか」
アングリッサもまた椀を呷った。
「そういえば何故お主が女王なのだ。お主よりも年長の者がいただろう」
「へぇー、私では不足だと言いたいんだな?」
「…………」
あの弓技を目にして、この女を侮ることが出来ようか。
今思い出しても背筋が震えるような、殺気の込められた鏃の先を三郎太は忘れることが出来ないだろう。無我夢中、無想の境地で三本の矢を全て断ち切ったものの、もう一度やれと言われれば……さて、できるか。
「お主がこの島で最も強いという事か」
「ご名答……そして貴方もだ。強き者よ」
酒気を帯びて赤くなった頬とは対照的に、見上げる瞳はどこまでも涼やかで真摯であった。
「……何が起きたかなんて、無粋なことは聞かないさ。貴方は私を打ち破り、黄金の林檎を射落とした。ふふふっ、思い出しても出鱈目だ。はっきり言って弓の腕は下の下と見たのに、あれは演戯だったのか? 最後の最後でやられたよ、宙に躍り出て放つ、木々と葉の間をすり抜けて飛ぶ矢なんて見たことない。あんな業を見せられた方はたまったもんじゃないぞ。弦を切って馬を降りるしかない。驚いたんだ。本当に」
そういって笑う姿は、女王というよりも年相応の娘に見えた。
しかしそれは一瞬のことで、すぐに毅然とした女王のそれに翻った。
「さて、改めて願いを聞こう強き者。……本当は宴の場で行うんだが今回は特別だ。貴方は我らに何を望む」
三郎太はゆっくりと、島の中央にそびえる黒々とした山を仰ぎ見た。
――神はそこにいる……いや、おらぬ。
――彼らは容易に世界を壊しうる……いや、彼らはずっとそこにいた。ずっと我らとともにあった。世界の破壊に与することなど万に一つとしてあり得ぬ。
湧き上がる葛藤は、一言では言い表せない。
故に何をもってすれば北竟大帝の野望を砕けるか、何を至上の目的とすべきか。策略を用いるように、三郎太は打算的に頭をめぐらした。しかし、的確な答えは見つからなかった。故に、あまり考えもせず、素直な心情を言葉にすることにした。
「……ただ、祀りを続けてくれれば、それでよい」
「…………」
「ひとたび祟られればその猛威に恐れ慄き、その理不尽に怒り、犠牲に涙する。ひとたび恵みをもたらされればその恩恵に歓喜し、その大徳を讃え祀り、新たな命を祝福する。そんな当たり前の感情を、忘れずにいてくれればそれでよい」
「…………」
「俺は明日ここを発つ。お主らを強制する力など持たぬし、誓を立てさせることもせぬ。あとは勝手にしろ」
そう言って三郎太はそそくさと川の中に入ると再びハリマの体に布を押し当てて擦り始めた。
「……贅沢な願いだな、強き者。私たちの心を未来永劫縛ろうとするなんて」
「…………」
「冗談だよ。馬鹿。でもやっぱり、私の見立て通りだったな」
アングリッサはいたずらっぽくにっかり笑いながらそう言うと、三郎太がしたように、神の山を仰ぎ見た。
「……彼がいつからここにいたのかは誰も知らない。遥か昔、戦いに敗れ、海に逃れた私たちの祖先がこの島に流れ着いた時には既にいた。当時は陸地ともっと自由に行き来できたらしい。この島には今以上に何もなかったから、陸に向かって漕ぎ出しては食料と男を略奪するのが私達だったそうだよ」
「迷惑千万な話だ」
「私たちの祖先は彼の神と契約を交わしたと聞いている。何もかもを燃やし尽くし、誰も居なくなった世界が寂しいと嘆く彼に対して言ったそうだ。我らが永劫この島に住み続ける。だから代わりに恵みを約束してほしいとね」
「…………」
「だから言われるまでもないよ三郎太。こんな孤島で私の代まで一族が続いているのは紛れもなく彼の恵みのおかげさ。こうしてゆるりと酒が飲めるくらいに豊かになっても、彼と共にある心を忘れたことはない」
アングリッサはまた一杯、椀を呷った。
三郎太は一度手を止めると、
「そうか」
と言っただけだった。
しかし、三郎太はいつも通りの無愛想な表情の裏で、目の奥が熱くなる感覚を覚えていた。
この地にも確かに秩序があった。それは絶海の地で生き残るための、強者のみを正義とする秩序ではあったが、孤独の神を魔道に誘う北竟大帝の甘言など入り込む余地のないほどに確固とした秩序であった。
――俺の望む秩序では断じてあり得ぬ。しかし。確かにここに残り続けていてくれと、そう願わずにはいられぬ。
この島は三郎太が守るべき秩序とは異なる在り方だった。
子種の為に男を品定めし、不要と断ずれば躊躇いなく惨殺して、その死体も魂も顧みぬなど、三郎太にとっては許せるはずもなかった。それは今も変わらない。
だが、魔と人の境界に蜃気楼のように存在し続けるこの島で懸命に生きる彼女らを弾劾することも、ましてや教化などと身に過ぎた傲慢に及ぶことも、三郎太のすべきことではなかった。
「本当は……」
アングリッサが、独り言のように口を開いた。
「本当は種を貰うつもりだった。でも、やめた。もっとも、お前はそれを予見していたから宴を抜け出したのだし、頼んだところで無駄だったかもしれないが」
強者の種を求めるというのは、この島の女戦士達にとっては当然の事であり、島の存続のためには必然のことであった。
なにより、試練そのものがより強き男、すなわちより強き種を選ぶためのものであったのだから、三郎太は当然、自らが試練を乗り越えた後はそういった要求がなされるであろうことは感づいていた。
「毒を盛ったり、数にものを言わせたり、強引な手段をとることもできた。お前の願いにかこつけて、卑怯な取引を持ち掛けることも」
未来永劫祀り続けるためにはまず次の世代がいる。そう持ち掛けられれば、三郎太は苦慮したに違いない。この島の存続を願うのならば、それに寄与することは、一つの責任でもある。
「だけどそうやって種を得たとしても、きっと私は嬉しくない。だからやめた。……困った話だ、女王たるものが島の将来よりも私情を優先するなんて」
何でだろうな。と、誰に問うのでもなく呟いてから立ち上がり、踵を返したアングリッサを、
「待て」
と、三郎太は鋭く制した。
「……お主の問いの答えを、俺は知らぬ」
川面に視線を落としながらに、絞り出すような声色だった。嘘ではなかった。知ろうとして目を凝らしても、掴もうとして手を伸ばしても、途端に霞と靄の中に隠れてしまうのが三郎太にとってのそれであり、三郎太自身、見えぬとなるとすぐに視線を逸らすのがそれであった。
「――だが……建前は、今は捨て置く。言葉ではなく、お主の心に答えねば、俺の誠が立たぬ」
三郎太は陸に上がり、言った。
「よしんば子を為したとして、それが男児であれば、お主らは殺すか、海に流す」
「ああ、この島に男の棲む場所はない」
「嫡男にあらずといえども三郎太の道を継ぐべき子を、むざむざと殺させてやるわけにはいかぬ。そこで問う。対岸の陸地に住む者達、お主は何と見る」
「…………寡黙だが、誠実で辛抱強い。あの劣悪な地にあって数百年、何が起きようとも心の芯、魂の核だけは譲らなかった頑固者。決して強くはないけれど、常に今を懸命に生きようとする、普通の人達さ」
◆
三郎太はハリマの体を洗いながら、この白鹿の毛並みの美しさに今更のように気づいた。
連合首都を離れてからの旅と、この島の試練とで気が付かぬうちに随分とハリマは汚れていた。
積日の汚れを洗い落とした時に現れた白の美しい毛並みは、毛先に水を含み、それが月の光を煌めかせて輝いていた。
「ハリマ」
三郎太はハリマの美しい毛並を撫でながら、言った。
三郎太の全身には、未だ昂揚が残っていた。この島の夜は静かすぎて、高ぶる心臓の鼓動さえもはっきりと聞えそうだった。きっとそれは、まだ戦いの熱が冷めていないからだと三郎太は思った。
「美しいな、この島は。しかし、この世界からすれば……いや、俺たちの世界からしても、この島と島の民は紛れもなく異端であり、化外だ。だが俺はそれが愛おしくてかなわぬ。皮肉な話だと思うか」
ハリマは何も答えない。
何よりも秩序を尊び、秩序守るために戦う。それが清浜三郎太であるのに、その心は秩序の外にあるものに惹かれてやまない。
「矛盾だ。しかし過ちだとは思わぬ。全て抱えて道を遂げる。遂げて見せる。大傲慢でなければ何も成せぬよな」
「此度はお主もご苦労だった」三郎太はそれだけ言うと、ぽんぽんとハリマの首筋を叩き、小川に布を浸して汚れを揉み出した。
ハリマはいつもと変わらず、何も示さなかった。一人と一匹の間にはこれ以上の言葉は必要なかった。
◆
時は僅かにさかのぼり、三郎太が未だ南を目指して寒風の中を進んでいたころ、首都に残された二人はそれぞれの日々を過ごしていた。
「たーだいま……」
正午、そう言いながら、教会の庭に建つ、小屋という方が正しい小さな家に戻ってきたのは蚩尤である。肩に幾重にも積まれた毛皮を背負っている。
「なんだ、三日は戻らないんじゃなかったのか?」
家の中にいたティアナは聞いていたオルゴールを止めるとそう言った。午前中に教会で子供たち相手に教鞭を執ったあとは、夕方にまた彼らが集まるまで、暇を持て余しているのがここ最近であった。
「一緒に開拓に行くはずだったクランのうち三人が時間に集まんなくてさ、人数が足りないと危険だからってお開きになった」
「それで……ふむ、これは毛皮か?」
盲目であるティアナは鼻を効かせて獣の匂いを嗅ぎとった。
「そ、内職。まったく困るんだよね。ドタキャンってやつ? こっちにだっていろいろ予定があるのにさ」
「そうだな。約束を守らないのはクズだ。どこのクランだったんだ。そいつらは」
「小さなところで名前は覚えていないけど、あー……そういえば最近所属を変えたって言ってたな。引き抜かれて、神意執行会に入ったって、三人とも。そうか、そっちの仕事が入ったのかな。……まぁだからって許せるわけでもないけど」
「神意執行会……か」
呟くティアナの顔に、僅かに陰りがさした。
「最近、その名をよく聞くな」
ティアナは教会で神父や、ときにはマリアと茶を飲みながら世間話に興じることがある。
教会関係者である彼らから神意執行会の話はよく聞いていた。
腕利きの開拓者を次々引き抜くと部隊を編成し、今や神意執行会の実働部隊は七番隊にまで及んでいた。一隊はおよそ二百人であり、五十人で編成される班が四班集まって構成される。
ティアナのように政治や軍事の知識がなくとも、これらが開拓のための小集団であるクランをモデルにしているのではなく、軍隊を目指して作られていることは容易に理解できた。しかし、連合の首脳部、現在の大総統のもとに組織された内閣に彼らの活動を表立って非難する者は現在のところいないと言う。
大総統は大聖女を大いに信頼している。かつて『愛された者』と呼ばれた若き英雄を、勝利と栄光に導いた伝説的な聖女と同じように、今代の大聖女も決して過ちを犯すことは無いと確信しているというのである。
「大聖女サマが作った開拓のための組織だっけ? 集会場や役場の開拓の依頼斡旋場でよくその名前を見るよ。別にたいして興味はないけど。急にみんなきらきらした鎧や剣を持つようになっちゃってさ」
「三郎太と大喧嘩していたあの三人娘、あいつらも誘われたそうだよ」
「へぇー、それで入ったの?」
「断ったそうだ、学業に専念したいとね。マリアも反対したらしいが、まぁ正解だろう。近頃は神意執行会の実働部隊の隊長が大聖堂や教会組織の要職を兼任し始めているようで、大教皇を裏から操って内閣に対する発言権を確保するんじゃないかと専らの噂だ。所属すれば出世するだろうが……結局胡散臭い連中さ。ああいうのが出てくると国は持たない」
「ふーん……俺は興味がないね。政治の話は。そういうのはサブローにしなよ」
瞬間、蚩尤ははたと気づいたように動きを一瞬止めたあと、
「……今はいないけど」
と、小さくそういって、思い出したように持ち運んだ毛皮の一つを手に取ると、揉んだり叩いたり伸ばしたりして、皮をほぐす作業を始めた。
蚩尤は黙々と作業に取り掛かり、二人の間には沈黙が下りた。
蚩尤とティアナ、この二人の魔人の仲はあまり良好なものではなかった。
魔人というのは各々の欲望に忠実で、だいたいにおいて魔人同士は反りが合わないものだが、二人は特に三郎太という共通項を巡って反目し、また同時に繋がってもいたから、その関係は複雑なものだった。
と、そこで、ふとティアナが呟いた。
「……なぁ、あいつの何がそんなに良いんだ」
「はっ、はぁ!? な、な、何さ!? あいつ? え、サブローの?」
「何かあいつに魅力があるから、あいつの事が好きなんだろう?」
「す、好きって何さ! そんなんじゃないし! それにあいつに良いところ? 魅力? ないないそんなのは! 俺はあいつがダメダメだから仕方なく世話を焼いてやってるの!」
明らかに狼狽しながら、蚩尤はそういうが。実際のところ三郎太が旅立って以来、蚩尤の元気が分かり易く無くなっているのをティアナはしっているのだ。
今の話題をふったのも、多少はからかう気があったことは否定できないが、やはり改めて蚩尤の空元気に直面してみれば、からかいよりも憐れみの方が強くなってしまった。
「だってお前……餞別に渡したコートだって、まるで何でもない、どこにでもあるようなモノのように渡していたが、あれにはアラクネの糸から作った繊維がたっぷりと編み込まれていただろう。そもそもどうやってそんなもの手に入れたか気になるが、普通じゃないぞあの献身っぷりは」
「う、うるさいなぁ! 俺の勝手だろ!」
そういって蚩尤は黙ってしまった。
顔を赤くしながら小さくなっているのが、見えずともよくわかった。
やがて沈黙に耐えかねたように、蚩尤が口を開いた。
「サブローは俺の道標なんだよ。サブローについていけば、きっと俺は間違わない。炎にならない。もしなったとしても、きっとあいつが殺めてくれるから安心できる。だけどあいつはただの人間だから簡単に死んじゃう。それだと俺が困るから、俺は俺の為にあいつを助けてる。それだけの話」
ティアナはそれを聞いて、溜息をつくと、
「私より年寄りのくせにめんどくさいなお前も」
といった。
「何だと! ていうか年寄りは俺じゃなくてそっちだろ! おばあちゃん!」
「そうか? 炎のトータル年齢なら大分お前が上だろう」
「トータルすんな! 俺は俺で過去の炎とは違うの!」
「ほう、じゃあ私の方が年寄りでもいいぞ、大人の余裕というのを見せてやる」
ティアナは蚩尤の調子がもとに戻ったところで、挑発するようににやりと笑うと自分を指さして言った。
「私はあいつの事が好ましいと思ってるぞ、そしてあいつは私の事が大好きだ」
ブッと蚩尤は吹き出した後、一層、狼狽えながら言葉を紡いだ。
「な、何を言ってるのさ。恥ずかしくないのかよ。良い年した、子孫が何十人いや何百人といるおばあちゃんが色気づいてさ……」
「恥ずかしくないぞ。事実だからな」
「大好きってそんなの……本人に聞いたのかよ……」
「いいや。というか聞いたとして、「はい好きです」なんて言うと思うかあの男が」
「あっ! じゃあ視たんだな! 魔眼で! 卑怯な奴、最低だ!」
「馬鹿を言うな。まともにアイツの心を視たのはずっと前に一度きりだ。もっとも、あのころからアイツは私に向けてそれはもう屈折した感情を向けていたがな」
「あーもう! 聞きたくない! こんど余計なこと言ったらご飯作ってやらないからな!」
蚩尤が耳を塞いでいやいやと首を振るのを、微笑ましく感じ取りながら、ティアナは間を見計らってぽつりと言った。
「前に、あいつの心を視たと言っただろ」
「…………」
「老婆心からの余計なお世話と思うかもしれないが、あいつは本心を全く口にしないからな……安心していい、あいつはお前のことも大好きだよ。そうでなければ、こんな狭い家に三人並んで寝食を共になんてするもんか」
今度は、真赤になって固まっているのだろうか、反応は皆無であったが、やがてぽつりと言った。
「あいつと、まぁ……ティアナも入れて、ずっとこんな日が続くのなら、それはそれで悪くないって、俺は思うよ」
◆
しかし、現実は平穏を許さなかった。
教会の門を強引に破る音が穏やかな昼下がりを引き裂き、直後に鎧を鳴らして何十人という戦士たちが教会へとなだれ込む。
首都の街の一角が、悲鳴と怒号がおりなす喧噪に包まれている最中、この日、独り家に残っていたティアナの前に、ゆるりと扉を開けて現れたのは、全身黒づくめの、紳士帽を被った男だった。
「やぁ、太祖。迎えにあがったよ」




