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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
出師篇:第一章 境の向こうの女島
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狭き大海

 夜、黒々と繁る森の中を疾駆する男がいた。

 その男は粗末な麻の衣服に身を包み、背には大きな弓を負い、腰には矢筒を提げている。

 常人よりもはるかに長い手足を使い、木から木へ、枝から枝へと飛び移る。不思議なことに、枝葉は少しも揺れることなく、音も立てなかった。

 やがて男は、何かに気付いたように一度立ち止まると、向きを変えて再び跳び始めた。

 次に男が立ち止まったのは街道を見下ろすことのできる位置にある古木の上だった。

 暫くして、カッカッカと足音が聞こえ始めた。まだ遠く、はっきりとは見えないが馬に乗った何者かが、足早に街道を進んでいるようだった。

 それを、奇怪な白鹿に乗った清浜三郎太であると看破できたのは、この男――土蜘蛛衆のウチサルが、夜の闇を自在に操る能力を備えているからであった。


――意外と足の速い。押っ取り刀で飛び出したか。


 ウチサルは、樹上より街道を行く三郎太を見下ろした。

 眼下の三郎太は無警戒にも夜の街道を進んでいる。

 森に挟まれた街道はいつ魔獣の襲撃に遭うかわからない。夜であればなおのこと。


――それだけ先を急いでいると言う事だろうが……。


 三郎太は危険を冒してでも夜の道を急ぐ。全ては北竟大帝ほっきょうたいていの企みを阻止するため。

 その心意気を、ウチサルは素直に称賛する。阻むもの全てを排除し、その志を遂げようとする意志は、『魔』と『人』の垣根を越えて尊い。ウチサル自身、斯くありたいと思うほどに。

 しかし同時に、ウチサルの脳裏には見知った顔が浮かんだ。

 スズカ、クニマロ、赤錆の騎士。誰も個人同士の付き合いなど無きに等しかった。本当の名を知らぬ者さえいる。

 しかし同じくあの御方に忠誠を誓う『土蜘蛛』だった。そして全員、清浜三郎太に殺された。

 大した付き合いも無かった仲間だが、今、同じ敵を前にして、不思議と義憤が湧いてくる。


――これは敵討ちと言うのだろうか。もとよりこの名を初めに名乗った先人から続く因縁、個々の思いなどとは無関係に、我らは戦うしかないのだが。


 ウチサルは樹上より弓を構え、矢をつがえた。


――確かに強いのだろう。しかし馬鹿な男だ。たった一人で私を追いかけてくるとはな。


 ぎりぎりと弦が鳴る。


――闇の中で私に勝てると思うなよ、清浜三郎太。願わくはキサマとは真剣勝負でわざを競い合いたかったが……あの御方のためだ、キサマにここで追いつかれては困る。


 常人より長い腕で引かれた弓が、限界まで引き絞られた。


――仲間の仇だ。46世打猿ウチサルの矢を受けよ!


 放たれた矢は、音もなく、三郎太に吸い込まれるようにして闇をはしった。

 その矢が自らの脇腹に突き立つ瞬間になってから、三郎太はようやくそれ気が付いたようだった。一瞬驚愕の表情を浮かべると、もんどりうって白鹿から転げ落ちた。


「生きるか死ぬかはキサマ次第だが、キサマがあの島にたどり着くのは私の後だ。まぁ、『勇者』であるのなら、精々乗り越えてみせるがいい」





 朝方、ようやく顔を出した太陽が、人気のない街道を照らす。

 辺りを魔獣の跋扈する森に囲まれた街道の真ん中に、巨大な白鹿が、感情の読めぬ容貌で突っ立っていた。そしてその足元には、男が一人、倒れていた。

 死体か狂人かと思いきや、それは日を浴びるとむくりと起き上がり、


「おのれぇッ!」


 と、叫んだ。


 昨晩は、三郎太にとって生涯のうち一位二位を争う不覚の一大事であった。

 三郎太は自らを狙う刺客の殺気に気が付かぬどころか、風を切って飛ぶ矢さえも、突き立つ瞬間になるまで気が付かなかったのである。

 弓矢に射られたと気付いた瞬間、桓公と管仲の逸話が思い浮かび、三郎太は咄嗟に突き立った矢の柄を掴み、ハリマから転げ落ちるとそのまま身じろぎ一つせず、ハリマの影で死んだふりをして夜が明けるのを待った。

 敵の油断か、死んだふりが功を奏したか、止めが刺されることは無く、三郎太は今も生きて居る。

 三郎太は手に持った矢に視線を落とした。

 矢は三郎太に刺さってはいなかった。蚩尤シユウが餞別に寄越した外套が、それを阻んだのである。


――まさか、雨も槍も跳ね返すという触れ込みがまこととは……


 生きて居るのは良い、未だ果たしておらぬ使命を果たせる。

 しかし、敵の気配にも気づけず、無様に射られ、偶然と蚩尤に命を救われていなければ、今頃は真如の境に送られていたことに間違いはない。無論、それは三郎太の自尊心を深く傷つけた。



「くそッ!」


 三郎太は怒りにまかせて矢を膝を使って二つに折ると、鏃のついた方だけを仕舞い、ハリマに跨ると、まだ見ぬ敵へ、強い敵愾心を燃やしながら先を急いだ。





 意気込んでハリマに鞭を入れたのも束の間、異変は未だ太陽が頂点に到達しないうちに起こった。

 三郎太の全身を嫌な悪寒が襲い、次には熱を帯び、節々が痛み出した。

 冬の夜を、地面に体を投げ出して明かしたツケが回ってきたのである。

 これまでの旅路、食事や休息を満足にとらず先を急いでいたことも、それに拍車をかけた。


「馬鹿なっ……ここまできて……!」


 いつからか、道はだらだらとした長い坂道になっている。

 たかが風邪、されど風邪、三郎太は揺らぐ視界を定めようと、懸命に眼を開きながらハリマの手綱を取った。


「病ごときに殺されて堪るか。清浜三郎太は戦場で死ぬと決めておる……!」


 インバネスに首を埋め、懐の銀時計を握りしめた。

 帰りを待つ者がいるのである。倒れるわけにはいかなかった。

 ハリマを励まし、自分を励まし、三郎太が坂登り切った先には、苛酷な南方の旅路には似合わない、こぢんまりとした農家が一件、佇んでいた。

 道を挟んで畑があり、農家の壁には薪が高く積まれている。

 まさか都市から遥かに離れたこの場所で、魔獣の跋扈する森に囲まれて一戸が成り立つはずもない。三郎太は暫くの間、朦朧とする意識の中で農家を眺めていたが、


「あ、もしかして旅の人かしら」


 不意に聞こえた若い娘の声を最後に、意識を失った。





 ハッと三郎太が目を覚ました時、まず感じたのは暖かさであった。

 三郎太は暖炉の傍のソファに寝かされていた。上等なものとは言えないが、毛布も掛けられている。

 三郎太は呆然と辺りを見回した。木製の立派な家屋。内装は地味で粗忽な印象を受けた。壁に立てかけられた斧と大きな手袋、その下に立つ、使い古された大きな長靴。それがこの家の主を象徴しているかのようだった。

 そこで、三郎太は自らが気を失う瞬間のことを思い出した。


――どうやら、この家の者に助けられたらしい。


 向かいのソファに大小が寝かされているのを確認して、三郎太はため息をつくと。


「……不覚」


 と、漏らした。


「お目覚めかしら? はい、これ薬湯よ」


 その時、背後からこの場に似つかわしくない声がした。

 振り返れば、エプロンを身に着け、頭に三角巾を被った若い娘が立っていた。

 差し出されたカップを受け取って、三郎太は尋ねた。


「どうやら助けられたようだな。俺がここに来てからどれだけが経つ」

「ん? ほんの四、五時間よ。急に倒れるんだからびっくりしちゃった。でも大丈夫そうね、少し寝ただけで大分顔色が良くなった。そのうちご飯になるから待ってて。」


 三郎太は主人の所在を尋ねようと思ったのだが、娘はそれだけ言うとさっさと奥に引っ込んでしまった。

 その忙しなく無警戒な態度に田舎娘らしさを感じ、三郎太は微笑ましい気分になった。

 しかしそれも一瞬。孤独な旅が、再び己の心を弱めたか。そう自戒すると顔を引き締めた。

 平穏に浸っている暇は一寸もない。

 三郎太は渡された薬湯を一口飲んだ。それは恐ろしく苦かった。





「それでお爺ちゃんはもともと人嫌いだったから、お母さんとお父さんが死んじゃってからは私を引き取ってこんな田舎に引っ込んじゃったの」


 人恋しかったのは三郎太だけではなく、この若い娘も同じだったようで、よく舌が回る。

 三郎太は娘の話を肴にしながら蒸し焼きにされた魚と野菜に手を伸ばした。


「それでお爺ちゃんもつい最近死んじゃったから。こんなところに私一人」

「苦労があるだろう」

「そりゃね。でも何でも慣れだよ」

「魔獣は出ないのか」

「ううん……あまり街道までは出てこないかな……て、ゆーか」


 そこで娘は含みを持たせてから、


「人の心配をしている場合? ほとんど食糧も持たずにこんなところまでやってきて、熱を出して倒れるなんて……私がいなかったらそのまま死んじゃってるって。私なんかよりよっぽど危ないことしてるわよ」


 そうからかうように言った。


「……迷惑をかける」

「ごめんごめん、冗談。このあたりはほんとうに人里が少ないから、この家を頼ってくる人は多いのよ。お爺ちゃんも困ってたわ。人間が嫌でこの場所に棲んでいるのに、他人を家に泊めるなんて街にいた頃よりも人付き合いが増えてないかって」


 娘はひとしきり笑ったあと、くりくりとした目を輝かせながら三郎太に、


「ところで貴方はどこに向かって旅をしているの?」


 と、尋ねた。


「……灼熱の神の坐すという島へ、行かねばならぬ」

「まぁ!」


 娘は、手を叩いて喜んだ。


「試練の島、欲望の島! すてき、やっぱり貴方も勇気を試すのね!――勇気だけではだめなのよ。力だけではだめなのよ。運命を引き受ける覚悟がいるわ。終わりのない、祝福されない旅を行く覚悟が――。ああでもそれは可哀想。抱きしめて、お帰りと言う故郷がなければ彼はきっと壊れてしまう――」


 何かのうたの一節であろうか。娘は指を絡ませながら目を閉じて、祈るように唄った。

 三郎太は何も言わず、刀を抱くとソファに横になった。

 北竟大帝の使者の事も、女島の正体も、問うことはしなかった。

 この素朴な田舎娘が、人と魔の闘争に巻き込まれるようなことはあってはならないと、三郎太はそう思っていた。





 三郎太は翌朝には出立した。

 娘の手料理のおかげか真心のおかげか、昨日と比べると体が嘘のように軽い。

 見送りついでに、娘が言う事には、あと二日もあれば海岸の町にたどり着き、そこから女島に渡れると言う。

 三郎太は自らを狙った北竟大帝の使者を追うためにも、ハリマを飛ばして街道を進んだ。

 果たして、娘の言った通りであった。

 翌早朝。三郎太はついに森を抜けた。辿り着いたのは断崖の上、目の前には曇天を写す灰色の海が広がっていた。

 まだ距離はあるが、道を辿って崖を降りた先には海に面した集落が広がっている。

 港町と呼ぶよりは、漁村といった方が適切な小さな集落だった。

 曇天と相まって、ひどく寒々しい印象を受けた。


 崖を降りようとして、三郎太は気が付いた。

 道とは外れた険しい崖のすぐそばで、ボロボロの衣服を纏った老婆が一人突っ立って海を眺めている。


「おい、灼熱の島へ渡りたいのだが」


 三郎太はハリマを進めると老婆に向かってそう言った。しかし老婆はなんの反応も示さず。口を半開きにしたまま、海を眺めている。


「聞えぬのか。島などどこにも見当たらぬが、渡し場はこの村であってるのか」


 三郎太は語気を強めたが、やはり返答はない。

 視線の先に奇怪なものでもあるのかと、三郎太は海に視線を凝らした。

 そして気づいた。


「おい、婆。あれはなんだ!?」


 海の上に、小舟が一艘浮かんでいる。

 その上には、おそらくまだ若い男女が一人ずつ――両手を後ろ手に縛られて乗せられていた。


「あれでは、沖に流されれば助からんぞ!」

「…………御覧あれ、異邦の人よ」

「……!」


 三郎太は弾かれるように海へと視線を注いだ。

 異変はすぐに訪れた。

 小舟の近く、穏やかであった海原が突如として盛り上がると、飛沫を挙げてソレは現れた。


 扁平な体の側方には蠢く無数のヒレ。

 目は海老や蟹の如き突き出た黒真珠。

 大きな二本の牙が口元から体の内側へ巻き込むようにして生えている。


 勢いよく海中より飛び出したその怪物は、小舟にのしかかるようにして着水しながら、小舟を牙で巻き取ると、一瞬の内に海中に姿を消した。あとにはいっそ異常なまでに平穏な海があるばかり。


「なっ……!」


 三郎太は、愕然として海を眺めた。

 現れた怪物に恐怖するよりも先に、怪物の正体を尋ねる好奇心よりも先に、三郎太の心中にはある絶望が叩きつけられていた。


――嗚呼! 海が閉じられておる!


 三郎太は歯噛みして大海原を睨んでいたが、やがて鼻を衝く異臭に我に返った。


「とくとご覧になったか異邦の人……」


 見れば、老婆は失禁していた。血走った眼で三郎太を捉え、涎の痕のついた口をもごもごとさせながら、それでいて明朗に言葉を紡いだ。


「三神が世を拓いてどれだけが経ったか。人が三神を仰いでどれだけが経ったか。我らは未だ、かくも脆く、不確かな境界の上に立っている」


 三郎太はこの言葉を聞いた瞬間、湧き上がる激情を抑えることが出来なかった。


――そうか。この賢女は人のはかり知ることのできぬ何かに気づいてしまい、そして、哀れにも! 勇敢にも! 負けてしまったのだ!


 三郎太は溢れそうになる涙をこらえながら、ハリマから飛び降りた。

 そして、抜き放った逆安珍さかさあんちんを振りかざすと、老婆の前に立ち、海にむかって吠えた。


「おおッー!!!」


 はかり知れぬもの、強大なるもの、一体それがなんだというのか。

 境界は定められているのだ。これより先は人の世界ものであるから、それを侵すものは断固として打ち払う。たとえそれが神であろうとも、決して挫けはせぬ、畏れもせぬ。

 斃れる瞬間まで、この背を民草に見せ続ける。後進の道標、轍となる。それこそが、清浜三郎太という武士の天命なのだから。


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