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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
出師篇:第一章 境の向こうの女島
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無名の騎士

 南方の静けさは連合首都に比べると天と地の差がある。

 いつまでも鬱蒼とした森が続く丘陵地帯に、一本か二本、街道が蛇のようにうねりながら続いている。

 この地方に開拓の波はまだそれほど届いていないらしい。時折、思い出したかのように丘陵や台地の上に都市が築かれており、そこだけが唯一と言ってもよい、人の世界だった。

 故に南方の一人旅というのは、清浜三郎太の想像を上回って苛酷であった。


 都市と都市の距離を誤れば、たちまち野宿を強いられる。

 人のつくり出す灯など一つとして無く、星と月の明りだけを頼りに、魔獣や獣の跋扈する森に囲まれながら一夜を明かさねばならない。

 その精神をすり減らすことは三郎太をしてもこたえるものがあったが、加えて一つ、三郎太には誤算があった。


 この世界、南へ行けば行くほど寒いのである。

 雪や雨は少ない。そのため道が封鎖される心配はなかったが、凍てつく寒風の激しさは言語を絶する。向かい風に雹が混ざったときなどは、顔を上げて進むこともできない。

 伊吹山の日本武尊――そんな不吉な言葉が脳裏をよぎったのは一度や二度ではない。

 蚩尤から貰った外套、そしてハリマがいなかったら間違いなく野垂れ死にしていただろう。


 三郎太は体を温めるために、スキットルのウイスキーを一口含むと後ろを振り返った。

 幸いに今日は天気も悪くない。遠く木々の向こうに、微かに都市の姿が見える。


 狭い台地上に所狭しと建てられた赤い壁の家々は、遠目に見れば城壁であった。そして実際に、その機能を期待されている。

 三郎太が昨日立ち寄ったその都市は、周囲を人ならざる者の世界に囲まれているからか、それとも、その都市の狭さゆえか、実に閉鎖的な都市だった。

 城塞のような都市と、その周囲に拓かれた農地だけが彼らの世界だった。開拓などには露ほども興味を示していない。

 三郎太のような武器を持った流れ者が歓迎されるはずもなかった。

 しかし、旅の中の三郎太にとっては、それでも愛すべき人の街だった。

 三郎太は都市に最後の別れを告げて、ハリマを進ませた。



 夕刻となり、短い黄昏が街道を照らす。

 未だ、三郎太は谷間を通る道の中途にいた。

 三郎太が目指していた、旅の者や都市間を移動する者の為に設けられた小さな宿場は、魔獣の襲撃によるものか、見るも無残な姿に変わり果てていた。人の姿は見ていない。


――もう少しで、この谷を抜けられるはずだ。さすればしばらくは平野が続く。平野ならば河川にさえ気を付ければ魔獣の不意打ちを受けずに済む。


 それのみを希望に、ハリマを進ませていた三郎太だが、不意に何かに気付いてハリマを止めた。

 夕焼けに照らされた街道の向こうに、騎乗した人影がある。

 それは全身を鎧で固め、右手に馬上槍を抱えていた。


「何者だ」


 三郎太は羽織の袖から右手を抜き取りつつ、ゆっくりと近づいてゆく。

 相手は出で立ちこそ騎士のようであるが、高貴さや気品というものは微塵も感じられない。

 そして、黄昏時の人気のない街道で、馬上槍を抱えて佇立するという常軌を逸した行動。狩りや鍛錬に出た貴族などとは思えない。


「道を阻むな無礼者。わきまえておるのならすみ退け、気狂い沙汰であれば容赦はせんぞ」


 微動だにせぬ騎士に威嚇を浴びせながら近づいて、その姿をはっきりと見て、そうしてはじめて三郎太は気がついた。

 その騎士は尋常の姿ではなかった。

 鎧はほとんどが赤錆びており、鎧と鎧の隙間からは何かの液体が零れ落ちた跡がある。

 手入れが行き届いた槍とは全く対照的であった。

 そして何よりも異常であるのはその馬だった。はじめ三郎太はそのシルエットの違和感を、馬用の装飾か鎧によるものと思っていた。しかし違った。

 その馬は三つ首であった。黄色く濁った六つの眼球が、三郎太を射抜く。

 三郎太の内臓を、あの寒気が通り抜けた。


「清浜……三郎太」


 騎士が、人のものとは思えないほどひび割れた声で三郎太の名を呼んだ。


「名も忘れた。名誉も失った。富も捨てた。主の顔さえ思い出せぬ。ただ惜しい……あの日失った騎士の道。それだけが惜しい……!」


 顔全体を覆ったヘルムのその奥――その騎士と、目があった気がした。


「清浜三郎太……貴殿の話を聞き、貴殿に焦がれた。会いたかった」


 歓喜を押し殺しながら、しわがれた声で騎士は言った。


「三郎太。私に、もう一度、騎士道を……!」





 その騎士は、領邦きっての名騎士と謳われていた。

 精練にして欲がなく、騎士の手本と称された。

 その騎士が主より授かった土地は小さく、決して豊かではなかったが、困窮する者を一人として出さなかったことは、彼が人格においても、能力においても一流の統治者であったことを意味する。

 主に仕えて三十年、合戦に及ぶこと六十度、負けを知らず。

 主はその騎士を信じて疑わず。その騎士は主に仕えることのみを無上の喜びとした。

 隣国の王、賞金目当ての無頼漢、名声を求める浪人者――あらゆる敵が、高名な騎士を討ち果たすべく行動した。

 しかし、放たれた暗殺者は一人として帰らず。買収された佞臣の讒言が彼の主に聞き入れられることは無かった。

 しかしその騎士は、生涯にただ一度絶望と挫折を味わい、そして、その一度の絶望により、全てを捨てて行方をくらませた。


 その次第は、こう伝えられている。


 彼の騎士が、主の城へ新年の挨拶に向かった時の事だった。

 事前に清掃された道を、愛馬に揺られながら伴の者たちと進んでいると、何処からか悲鳴が聞こえた。

 そして、暴れ馬だと誰かが叫ぶ声が終わる前に、それは騎士に向かって猛然と突進をかけてきた。

 狂乱する群衆をよそに、騎士は慌てることなく馬を下りると、悠然と暴れ馬の前に立ちふさがった。

 それから何をしたのか、誰も確かなことは伝えてはいないが、落ち着いた群衆が見たのは、手綱を掴んだ騎士が、すっかり落ち着いた馬の首筋を、優しくなでている光景だった。

 安堵の吐息も束の間、見ればせっかくの騎士の正装が、土や埃で汚れている。馬蹄の跡があるのを見れば、もしや蹴られたのではあるまいか。

 そこへ、馬の持ち主らしい可愛らしい少年が駆け付けた。

 死刑だな。そんな声が群衆の中から溜息とともに聞こえた。


「お前の馬か」

「はい、そうでございます」


 少年は地に伏して謝罪する。しかし、その様に震えも怯えもない。


「良い馬だ。大事にせよ」


 そういって、騎士は愛馬に跨ると、何事も無かったかのように城へ向かった。


 それから七年の時が経った。

 その騎士の主は次々と領土を拡大し、その時には王と呼ばれるまでになっていた。

 騎士は打診や推挙があっても決して国政に口を挟まず、王の刃として常に戦場にあることを望んでいた。王もそれを許した。二人の信頼関係は、親兄弟のそれ以上であると、誰もが思っていたし、当人たちもそう思っていた。


 そんなある日、騎士は王の命で城へと出仕した。

 そこで、珍しく怒気を滲ませた王より、命ぜられた。


「一ヶ月後に行われる馬上槍試合に参加しろ」


 突然の意外な命令に、騎士は困惑しつつも二つ返事で了解した。

 馬上槍試合は騎士のほまれ、老いたりといえども心躍らぬわけにはいかなかったからであった。

 しかし、それでもやはり理由が気になった。そこで王の側近に聞くとこのような次第であった。

 ある平民が王の末の娘をかどわかした。密会を重ねていたがついにその場を突き止めた。二人を問いただしたが、二人とも本気であると言って譲らない。姫に至っては王族であることをやめるとも、どうしても叶わないのならば自殺するとも言っている。

 どうしたものかと王が頭を悩ませていると、その平民が武術に優れていることが分かった。

 そこで馬上槍試合を行い、その平民が勝てば騎士に取り立て、娘との関係も認めることにしたのだという。

 騎士はその話聞き、喜びのあまり静かに涙した。

 王であれば、秘密裡ひみつりに平民を始末することなど容易いはずである。法を曲げて処刑にすることもできた。しかし、王はそうしなかった。平民風情が娘に手をつけたことに怒りつつも感情に支配されることは無かった。

 そして何より、姫をかけた試合を、この自分に委ねてくれた。その信頼の深さに、何があっても応えねばならぬと騎士は涙を流しながら誓った。

 それからさらに、騎士を驚かせ、喜ばせることが判明した。

 姫をかどわかしたという平民は、七年前、城へ向かう途中の騎士一行に、暴れ馬を放ってしまったあの少年だったのである。

 その騎士は、今は青年となったあの日の少年に会いに行った。

 そこで青年の、本物の騎士と見紛うほどの振舞い、巧みな武術、姫への純粋な思いを知り、深い感銘をうけたのであった。

 それからというもの、騎士はよく青年のもとへ通い、軍略を談じたり、武術を磨き合ったり、共に狩りに行ったりした。青年の成長は、子に恵まれなかった老いた騎士のかけがえのない楽しみになっていた。

 しかし騎士は、そのように青年と友好を深めつつも、姫をかけた馬上槍試合においては、本気で戦うつもりであった。それが王に対しての忠であり、青年に対しての信であったから。


 ……騎士は、やはり老いていたというべきであろう。若者の成長を楽しむあまり、それが外からどのように映っているのか、考えることが出来なかったのだから。


 そしてついに、馬上槍試合の日がやってきた。

 青年は、あの日の暴れ馬に乗っていた。青年の鎧は、騎士が昔使っていたものだった。

 その姿を見て騎士は思った。


――もし私が勝てば、自分が彼を召し抱えよう。そして、自分の後継者に育て上げ、王の為にも立派な騎士にするのだ。


 騎士は愛馬に跨った瞬間から、戦士となった。ただ王の命ずるままに、敵を打ち倒す戦士に。青年を見守ってきた好々爺はそこにはいない。


 合図とともに、試合が始まった。騎士は槍を抱えて馬を走らせる。既に何百回と経験した緊張感。敵を打ち倒す術は体が覚えている。


 柵を挟んで二人の体が交差する。その瞬間であった。

 青年のヘルムが、不自然に光を放ったのを、騎士は見た。それはまるで、突然あてられた強烈な光を反射しているようだった。

 青年の姿勢が崩れた。次の瞬間、その胸元に騎士の槍先が叩きつけられた。

 木製の槍が砕け散る。

 青年の体が衝撃に揺らいだ。そして、受け身も取れず、落馬した。

 騎士は、愕然として槍を落とした。

 何が起きたのか、瞬時に理解できた。

 群衆の歓声が悲鳴に変わるなか、騎士はゆっくりと振り返り、王の姿を見た。

 王は笑っていた。騎士はその冷淡な笑みを初めて見た。


 ……王もまた老いていたと言わざるを得ないだろう。

 年老いてから生まれた末の娘の可愛さのあまり、姑息な陰謀を用い、それを、これまで無二の信頼で結ばれていたはずの騎士に、知らせもせず行わせた。

 いや、本来ならば、王もそのような手段をとる必要はなかった。しかし、騎士が青年とあまりに親しくするさまを聞かされ、つい、疑念が生まれた。昔ならば、騎士を疑う事などしなかった。その疑念に傾いてしまったことが、王の老いであった。


 その時騎士の受けた絶望は言葉に尽くせない。

 信頼を失った。青年の命――自らの希望と未来を失った。高潔な人生、それも叶わない。この手の汚れは死んでも取れることは無いだから。騎士の道……名誉……もはや何もかもが成り立たなくなった。

 そして騎士は姿を消した。





 騎士が槍を構えて駆けだした。

 その体が揺れるたび、錆びた鎧がぎぃぎぃと不気味な音を発した。


「おのれがッ!」


 三郎太はハリマを走らせつつ逆安珍を抜いて応じた。

 身体が交差する瞬間、熟練の豪槍を何とか受け流したが、完全に衝撃を殺し切ることはできず、三郎太はハリマから転げ落ちた。

 受け身をとって立ち上がりつつ、三郎太は外套と羽織を跳ね上げるようにして脱ぎすてた。


「如何にも拙者が清浜三郎太! 推参なり老騎士っ、逃げも隠れもせんぞっ!」


 それは武士の勘であった。この異形の騎士は紛れもなく既に人間ではないだろう。そして北竟大帝の放った刺客であろう。

 しかし、今あの騎士が渇望してやまないのは、二人のほかに何の介入も許さぬ、混じりけの無い真剣勝負に違いない。


「おお……ッ! おおッ……!」


 歓喜の声を上げながら、再び騎士が疾駆する。


「ええいっ!」


 三郎太は突進を受け流しつつ転がるようにして避けた。

 起き上がって顔を上げれば、向きを変えた騎士が再び突進を始めている。

 今度騎士が繰り出したのは突きではなかった。

 馬の勢いを活かした薙ぎ払いの一撃、刃がなくとも鉄の塊に殴りつけられればただでは済まない。逆安珍で受け止めた三郎太もこらえきれずに吹き飛ばされた。


 いかんせん、圧倒的にリーチが足りない。

 蛇切逆安珍へびきりさかさあんちんは二尺二寸の打刀。馬上槍とは比べるまでもない。

 そのうえ騎士は妖馬に乗り、三郎太は徒歩であった。

 このような状況で勝つ術を、三郎太は一つしか知らない。


 ターンをして再び駆ける騎士。その構えはまさしく必殺の突きを繰り出そうとしている。

 立ち上がった三郎太は上段に構えた。


「――…………」


 馬蹄が近づく。その姿が徐々に大きくなり、三郎太の視界を埋め尽くす。騎士が微かに槍を引いた、その刹那――三郎太の目が見開かれた。


 三郎太はすれ違う瞬間、右斜め前方――騎士の左側へと跳んだ。

 ほんの少しでもタイミングを誤れば、たちまち馬に蹴られるか、槍につかれていたであろう僅かな間隙かんげきに、三郎太は飛び込んだ。


 二人の姿が交差する。

 三郎太はその場に留まり、騎士は暫く妖馬を走らせる。

 やがて、騎士が振り返った。


「……見事」


 その左脇腹に刻まれた一筋の切れ込みから、どす黒い液体が溢れていた。


「……貴殿もまた見事な業前わざまえでござった」


 三郎太の言葉に満足げに頷いた騎士は、糸の切れた人形のように妖馬から崩れ落ちた。

 三郎太は浅く切り裂かれた左肩を押さえながら騎士に近づいた。


「北竟大帝を存じておろう」

「あぁ……。これほど名誉な最期をくれた。貴殿にも、彼らにも、感謝している。礼だけは、せねばならんな……」


 騎士は途切れ途切れに言葉を紡いだ。


「北竟大帝が使者を向かわせたのは、試練と欲望の女島、またの名を灼熱の神の坐す山ムスペルヘイム。」

「その目的は」


 騎士が小刻みに体を揺らす。笑ったかのように見えたが、痛みに震えただけかもしれない。


「……義理を立てさせてくれ。全てを話させてくれるな」


 その言葉を最後に、騎士は動かなくなった。


「女島……か」


 三郎太は騎士の傍に膝をつくと手を合わせた。

 そうしてから、せめて木陰まで運んでやろうとして、やめた。

 名も知れぬこの騎士が、鎧の内側でどのような姿になっているか、想像に難くない。

 それに、戦いに焦がれた戦士が、戦場で野ざらしに死ぬことは、決して不名誉なことでないのだ。


 三郎太は立ち去ろうとして、三つ首の妖馬の事を思い出した。

 妖馬は頭を垂れながら、六つの瞳で動かなくなった主の姿をじっと見ていた。

 三郎太は妖馬に近づくと首を撫でながら言った。


「あっぱれな忠義。一流の士には、一流の臣がつくものだ。……さぁ、お主も主のもとへ行くがよい」


 妖馬は小さく嘶くと、一度座り込んでから、騎士の死体に寄り添うように倒れた。

 そして、その体から煙が立ち上ると、あとには、何の異常もみられない、ただの馬の骸が残っていた。





 王が陰謀を用いて青年を殺したことは、瞬く間に国中の噂になった。

 あの高潔な騎士が失踪したのは、その没義道もぎどうを王に訴えるためだと言われるようになった。

 王は騎士を失って初めて自らのしたことの愚かさを悟った。

 自らの過ちを認め、青年の名誉の回復を布告し、消えた騎士を探し求めた。

 王は死ぬまでの六年間、騎士の捜索を続けながら、いっそう善政を行うようになった。

 いつでもあの騎士が帰ってこられるように、騎士の土地は信頼できる部下を代理に派遣して支配させた。

 騎士は己の存在を犠牲にして、王を諫めたのである。

 騎士は消えた。しかし、彼の生涯は騎士の手本として語り伝えられている。

 彼の名が忘れられることは無いだろう。彼の名誉が汚されることは無いだろう。彼のたからは世代を越えて彼を慕っているのだ。

 彼の騎士道は未来永劫失われることがないだろう。

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