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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第三章 秩序の要諦新年祭
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新年祭

「立てい! 休むな! 殺す気で打ち込んで来い!」


 新年祭まで残り一週間を切り、三郎太の稽古は激しさを極めていた。

 稽古の間、もはや三郎太はセシル、シオーネ、ノエリアの三人を女とも子供とも見ておらず、同様に三人も遠慮や躊躇いを振り捨てて三郎太に立ち向かっていた。

 さしもの三郎太も、躊躇なく魔法を使う三人に入れ替わり立ち代わり攻められては余裕を保っていられないのか、木刀で撃つだけでなく、隙があれば容赦なく殴り、蹴り、投げ飛ばしていた。

 あまりの激しさに女学生らもリミッターが壊れたと見えて、稽古の終盤には「死ね」や「殺す」といった単語が近所中に響くありさまだった。


 稽古は朝晩に留まらなかった。

 始まりは三郎太がマリアから使いを頼まれて、たまたま魔法学校の傍を通ったときのことだった。

 昼食を摂りに外の喫茶店に行っていた三人は、学校へ戻る道すがら三郎太の姿を認めると、行先に先回りして、人気のなくなったのを見計らって一斉に襲い掛かった。

 無論敵うはずもなく、運悪く腹部に重い一撃を貰ったノエリアは、道端に折角の昼食をぶちまける始末であった。

 以来、いつ何時なんときであっても隙あらば三人は三郎太を襲い、三郎太もそれに快く(?)応じていた。


 そんな日々は矢のように過ぎ、ついに新年祭が始まり――二日目の運動会を迎えた。

 セシルは円形闘技場の控室で、呆然と聖剣『赤口しゃっこう』の刀身を眺めていた。


 一日目の記憶はほとんど無かった。

 賑わう街、豪華な食事、年越しの花火。

 すべて例年通りではあったが、セシルの記憶にはさっぱり残ってない。

 全て、今日という日の緊張の為だった。

 セシルは考える。やはり清浜三郎太は異常に強いのだと。

 彼とて『鎧割り』に参加する身であるというのに、その振る舞いは昨日も全く普段と変わる様子が無かった。

 一方の自分といえば模擬試合の直前になっても不安が全く消えていないどころか、むしろマリアのはたらきで三郎太に稽古をつけてもらった手前、よけいに負けられない理由が出来てしまい、それが不安を増長させている。

 もし負けてしまえば三郎太は怒るだろうか、下手をすれば指導の失敗の責任を取ろうとしてしまうのではないか。


「どうして何もいってくれなかったんですかねぇ……」


 三郎太は直前になっても何一つとして声をかけてはくれなかった。

 今朝は稽古が無かったせいで昨晩以来会っていない。

 声もかけない、見送りもしない。……もしかすると試合を見にも来ないんじゃないか。


「まぁお互い嫌いあってる仲なんだし、そんなものでしょうけど……」


 今日は彼も時を置かず『鎧割り』に出なければならない。会場にはいるはずなのだが……。


「それだともっと薄情じゃないですか……」

「ん、何か言いましたかセシルさん?」


 目を向けるとセシルの世話係として行動を共にしていたクラスの副担任がいた。


「いえ、ちょっとした独り言で」

「あら、緊張しているの? まぁ無理もないわね。でも精いっぱいやればそれでいいのよ。中等部三回生は模擬試合一発目だし、あまり気負うことは無いわ」


――気楽にいってくれるなぁ……この人は。


「それで今聞いてきたんだけど、プログラムは時間通り進むそうよ。戦車競走で壁に大穴が開いた時はびっくりしたけど、さっき見てきたらもう穴は塞がっていたわ」

「じゃあもうすぐですね」

「ええ、名前が呼ばれたら扉を開けて坂を上がって闘技場に出てね、最初は校長先生と大総統から挨拶が――」


 セシルは能天気な副担任の話を聞き流しながら、一人の男の顔を思い浮かべた。

 神父や教会の職員のみんな、シオーネ、ノエリア、マリア先輩も頑張って来いと送り出してくれた。しかし、一人足りない。

 いつから自分はこんなに女々しくなったのかとセシルは自嘲気味に笑った。


「もうっ、セシルさん話聞いてます? いいですか、くれぐれも事故や怪我には気を付けるように!」

「はい」


 その時、扉の向こうからセシルの名前が呼ばれるのが聞こえた。

 背中にかけられる副担任の激励を無視して、坂を上り、光と喧噪の溢れる世界へ踏み出した。

 観客が熱狂し、司会がセシルついて何かをやかましく紹介する。


 セシルの向かい側には対戦相手アンリエット・フィリープが――。

 

「……ッ!」


 その時、セシルは見た。アンリエット背後、観客席の中にあれほど会いたかった男がいた。

 距離は離れているし、人混みに遮られて一瞬しか見えなかった。

 しかし、確実に、いつもと同じ憮然とした表情でセシルを見つめていた。


 瞬間、辺りの喧噪はもう耳に入ってこなかった。

 揺れ動く観衆も、校長や大総統の話も聞こえない。

 試合の始まりを、肌で感じた。





 抜刀と同時に地を駆ける。

 セシルは身体作用の魔法と風の魔法を足にかけ、アンリエットとの距離を一瞬で詰めた。

 だがアンリエットも使い手であった。セシルの狙いを速攻とみたアンリエットは眼前に炎の壁を形成する。

 セシルは地から湧き上がるようにして巻き上がった炎の向こうで、剣を体に引きつけるようにして構えたアンリエットの姿を一瞬だけ見た。

 炎を越えた先に何が待っているか、炎に怖気づいた先に何が起きるか、セシルは……一瞬たりとも考えなかった。


「だぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


 宙をなでるようにして正面に薄い水の膜を作り上げる。あまりに粗末な魔法を唯一の盾に、セシルは炎の中へと突っ込んだ。


「…………ッ!」


 全身を灼熱が覆う。呼吸も忘れてただ前へ。

 炎を抜けた先ではアンリエットが間の抜けた表情を浮かべていた。

 模擬試合で炎の中に躊躇いなく飛び込んだ常識外の行動に驚いた、その一瞬の隙が命取りだった。

 セシルはアンリエットの繰り出した突きを受け流すとそのまま体をぶつけるようにしてアンリエットを押し倒し、首の真横に『赤口しゃっこう』を突き立てた。


 一瞬の攻防の中、セシルが見せた本気の殺気に静まりかえる会場。そこへ、セシルの勝利を告げるアナウンスが躊躇ためらいがちに鳴った。





「しっかし無茶をしたものね、彼に稽古を頼んだ私が言うのもなんだけど、これから先、貴女がずっとあんな戦い方すると思うと気が気じゃないわ」

「あんなのはもうごめんですよぅ。自分でも正直なところ何が何だかわからず戦ってたふしがありますし」


 セシルは試合が終わると同時に救護班に担がれて医務室に叩きこまれていた。

 本人に自覚は無かったが、加減したとはいえ普段からバ火力のアンリエットの魔法に突っ込んで無事なはずがなく、戦闘用修道服で隠されてなかった露出部の火傷は意外と深刻だった。髪の毛は、ベールに包まれていなかったところは焦げてしまっていたが、それは切ってしまえば何とかなる。ただ火傷はマリアの治癒魔法をしても痕が残る場所があるかもしれないとのことだった。

 女としては、ともすれば致命的な傷跡になるかもしれない。しかし、セシルに後悔はなかった。

 今、治療を終えたマリアとの談笑も、心清々しく迎えている。

 じきにノエリアやシオーネも見舞いに来るだろうか。

 セシルはベッドの上からテーブルのリンゴに手を伸ばした。


「そういえば、先輩。先輩は私とあの人が、その、ひと悶着あった時、ずっとニコニコして黙っていましたけど、どうしてなんですか? 全部知っていたんですよね?」

「んー。まぁ何があったかくらいはね」

「今だから言えますけど、だったらどうして止めたりしなかったんです? 下手をすれば私か、彼か……」


 どちらかが、死んでいたかもしれない。

 その問いに、マリアは困ったように笑った。そして言った。


「私もね、同じようなことをしてるのよ。彼に初めて会ったとき」

「同じこと?」

「まえにちょっと話したけど、彼がウェパロスの町にやってきたときに事件があったのよ。町の門番が斬り殺されていて、私は真っ先に彼を疑ったわ。……まぁ結果はお察し、あわや斬り合いになりかけたけど、彼がその場から立ち去って、私も冷静になって考えてみたら彼を犯人と断定するのは無茶だったなって」


 セシルは意外そうに目を丸めた。


「先輩がそんなミスするなんてめずらしいですね、得意の勘はどうしたんです?」

「何よ、馬鹿にしてんの? だってしょうがないじゃない、彼はいろいろ衝撃的というかショッキングな人間だったんだから。その時だって立ち去り際に言った弁解は、『俺だったらもっと上手く斬っている!』 なのよ」

「うわぁ……」


 彼らしいといえば彼らしいがドン引きである。

 いくら何でも言い方ってものがあると思うのだ。

 それにウェパロスでも散々常識はずれのことをしでかしたのだろう。疑われても仕方あるまい。先輩はきっと悪くない。


「だからきっと今回も、何だかんだでうまく収まると思ったのよ。貴女の言う通り、彼は人殺しではあるけれど、殺しを楽しむような人ではないことはわかっているから」

「聖女の勘ですか」

「もちろん」


 マリアはためらいもなく、即答して見せた。


「じゃあ勘ついでに、あの人と一緒にいる二人って何者なんです? 一般人にも思えませんが……」

「あー、あの二人はねぇ……」


 マリアは腕組をして唸る。


「あの二人は正直私にも何なのか分からないわ。悪人じゃないことは間違いないし、ティアナに至っては教会がだいぶ世話になってるしね。彼女すごいのよ、まるで見てきたみたいに歴史を教えてるんだから」


 マリアはそう言うと、時計をちらと見てから立ち上がった。


「もう行っちゃうんですか」

「ええ、治療室へ。壁に突っ込んだへたっぴ騎手さんのことも見てこなきゃいけないから」


 大人しくしていなさいよ。そう言うとマリアは医務室から出て行った。


 それからセシルは遠く会場から聞こえてくる雑音に耳を傾けていたが、やがて医務室の扉がノックされた。

 入ってきたのはアンリエットだった。


「……」

「……」


 普段とは少し雰囲気の違う、貴族出身の令嬢らしい毅然とした眼差しがセシルを捉えた。

 お互いに何も言わなかった。


――怒っているのかもしれない。


 セシルは真っ先にそう考えた。

 首都中の観衆が見守る模擬試合で、セシルの剣は紛れもなく殺気を帯びていた。

 殺さず、死なず、しかし全力で――。それができる実力者だから許される模擬試合でもある。殺気を帯びた剣で火中に身を投じる……セシルのそれは、いってみればマナー違反だ。

 伝統を重んじるアンリエットが、自分の晴れ舞台でそれをやられたのだ。経歴に傷をつけられた、そう思われても仕方がない。


――頬に一発……それで済めばいいなぁ……。


 セシルの諦観を知ってか知らずか、アンリエットは厳しい眼差しのままセシルのベッドの傍まで近づくと――。


「ありがとう。いい試合でしたわ」


 二コリと笑って手を差し伸べた。


「え、あ、ありがとう……ございます?」


 セシルは不意を突かれて動揺しつつ、差し伸べられた手を何気なく握り返した。

 そしてすぐ、思い出した。


――あ、そっか。こういう人だから人気者なんだなぁ……


「本当にボロボロですわね。これじゃどっちが勝ったのか分かりませんわ。……ベッドにいるということは、もしかして立てないほどの火傷を……?」

「ううん、マリア先輩の治療のおかげで大事にはなってない。まぁ歩くとすこし痛むんだけど」

「なら大丈夫ですわね。言っておきますけど私は謝りませんから。貴女は全力をだした、私も全力で応じた。ただそれだけでハッピーエンドですわ。いつかみたいに腑抜けた状態で出てきてたら、もしかしたら私が会場を騒がせる方になっていたかもしれませんし」

「怖いこというなぁ……」


 サバサバ言い放ちながら、アンリエットは椅子を引いてきてセシルの横に座った。


「ところで一つ聞きたいことがあるのですけれど」


 そういってセシルの顔を覗き込むアンリエットの瞳は剣呑に輝いていた。

 今度こそ、セシルは覚悟した。

 ここに入ってきたときの比ではない。

 貴族特有の高圧的な眼光だ。尋問はここからが本番らしい。


「貴方の、あの戦い方は魔法学校や大聖堂では到底学べないもの……いえ、学んではいけないもの。私見ですが、あれは自分の命と引き換えに相手を殺すようなわざ――あんな無茶を、一体誰に教わったのです?」

「あー……それは……」


 何と答えたものか、彼を説明するのは非常にメンドクサイ。

 セシルはそういえばそろそろ……と思いながら壁の時計に目を遣った。その時だった。


「セシルちゃん! 起きてる!? もう始まっちゃうよ早く!」

「動けないんだったら担いで運んでやるけど! 見るだろ? アイツの鎧割り!」


 勢いよく扉をあけて、やかましいのがなだれ込んできた。


「あー……そういうわけだから、その人の鎧割り、一緒に見に行く?」





『今こそ、人々は団結すべきなのです。血と汗で耕した田畑が呑まれてしまう前に、知恵で築いた城壁が壊されてしまう前に――』


 新年祭の閉会式を目前にした大聖女アウロラの演説アジテーション

 その声を背景に、三郎太は地下の控室で、剣を抱きながら瞑想していた。


『魔の脅威に抗うために、開拓が必要なのです。未だ世界は――我らの大地は安定を見てはいません。一歩、都市の外へと足を踏み出せば、洪水は川筋を越えて氾濫し、草木は伸び放題に茂り、鳥獣は穀物を貪り人を脅かす――』


「我らの大地たぁ大きく出るもんだな大聖女サマは」


 三郎太の隣で、不遜な態度で聖女の演説に応じるものがあった。

 案内係の痩せた男であった。


「伝説によりゃあもともと世界は連中のもんだったんだろ? そいつを三神様がぶんどって俺たちにくれたんだ。んじゃあ後輩である俺たちとしては魔の連中に一歩譲ってやるのが道理ってもんじゃねえか」


 男は、別段三郎太に話しかけているというふうではない。

 地の下から、見えぬ聖女を仰ぎながら、独りちているようだった。


『この新年祭の間にも、夜毎に襲い来る魔獣によって、6人の尊い犠牲が生まれています。我々は彼らの犠牲を忘れてはなりません。我々はこの人類にたいする挑戦に決して屈してはいけません。三神が切り拓かれた世界を、我らの手によって真の安定へと導くために――』


「そもそも連中が首都に現れるようになったのは開拓のせいなんじゃねえのか? 住処を追われた人間が野盗になるのとなんらかわらねえ。開拓と称して森を焼き、川を埋めておきながら被害者面たぁ盗人猛々しいとはこのことよ。つくづく人間ってのは勝手な生き物だ。まったくやんなるぜ俺は」


『――今こそ開拓を。神意執行会クルセイダーズと共に。三神の加護のあらんことを』


 演説が終わり、鎧割りの準備が始まった。

 三郎太が立ち上がると、男は三郎太に笑いかけながら言った。


「あんたはどう思う? 魔と人間はこの先ずっと争い続けるのかよ」


 三郎太は答えずに扉を押し開けて、地上へと続く坂道を登った。

 その背に向けて、男は続けた。


「人間が使う『魔法』――一部の連中は三神が人間が魔と戦うために授けた力だって言ってるがね、俺はそうじゃないと思うぜ。ありゃあ正真正銘、『魔の法』だ。魔の力だ。人間はどこから現れた? 魔はいつからこの世界に居た? きっと人間と魔、根っこはおんなじなんだよ。いつからか枝分かれした……先祖を遡ったらとなり街の他人と親戚だったみたいにね。へへっ……俺は昔この自説を披露したせいで異端として教会にしょっぴかれたことがあるんだ。あんたはチクってくれるなよ」



 その男――清浜三郎太が現れた時、会場は示し合わせたような歓声を一瞬だけ見せたが、それはすぐに鎮まり、次の瞬間には動揺が波のように広がった。

 鎧割りは、一種のエンターテインメントであり、娯楽であり、ショーだった。

 これほどまでに恐ろしいほど殺気を放ちながら現れるものは、今を生きるものにとっては初めてだった。

 頭には白鉢巻、襷掛けに袖を縛り、腿立ちを取った出で立ちの三郎太は、素足のまま会場に現れると、そんな観衆達の動揺をよそに、するすると中央に据えられた鎧の前へと進んだ。

 装飾の少ない、無骨なプレートは鈍色を放ちながら、さながら王侯貴族のように椅子に鎮座していた。

 三郎太は一礼して、刀を抜いた。

 右斜め上段に構えられた蛇切逆安珍へびきりさかさあんちんが会場に残っていた熱気を全て吸い取るかのように、冷ややかに光った。


 三郎太が鎧の前に構えをとってから数分。剣を知らぬ者は過去類を見ない退屈な鎧割りに苛立ち、逆に腕に覚えのある者は三郎太から漏れ出している恐ろしい剣気に、時を忘れて興奮するか、あるいは無限とも思える拷問のような恐怖の時間が早く終わることを願っていた。


「ええいっ!」


 それは一瞬の事だった。

 カッと三郎太の目が見開かれ、すさまじい気声が放たれた後、雷の落ちたかのような音が会場に響いた。


 この日、清浜三郎太は、連合の歴史にその名を刻んだ。

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