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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第三章 秩序の要諦新年祭
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新たなる冥府の主

 夜半。一人、教会の庭に降りて月を眺める三郎太のもとへ、セシル、シオーネ、ノエリアの三人がやってきた。

 三郎太は三人を一瞥し、微かに顔を曇らせた。

 ノエリアが何をどこまで話したのか、知る由もないが、セシルとシオーネの表情は、今まで三郎太に向けていたものとは明らかに異なっていた。

 憎悪や敵意が薄まり、困惑と緊張の色が濃くなっている。


 誰もが無言だった。

 この場に三人を集めたノエリアも、今は口を挟むつもりはないらしい。


「……何か、言う事は無いんですか」


 初めに口を開いたのはセシルだった。


「貴方は死ぬのが怖くはないのですか。貴方を殺そうとした私やシオーネの事が憎くはないのですか。今だって、私たちを前にして、どうして平然としていられるのですか。」


 セシルの口調は淡々としていた。彼女は三郎太の異常性を糾弾する一方で、自らの事を責めて欲しいようだった。

 三郎太は無言のままだった。

 彼女達が何を求めているか、分からないわけではない。

 問いに対する答えは、確かに胸中に存在している。しかしそれは、三郎太にとってはひどく明かしがたいものだった。


 武士を形成するものは建前だ。その建前を押し通すからこそ建前は真実となり、秩序となる。一度でも建前を取り下げ、本音を漏らしたとすれば……。武士は武士でいられるのか。


 三郎太はふと目を閉じる。

 善樹は言った。口を閉ざし、分かり合おうとせぬものは『魔』と変わらぬと。

 ノエリアは言った。逃げてはいけないと。

 そして今、セシルとシオーネが不器用ながらも三郎太に向かい合おうとしている。

 三郎太は覚悟を決めると、口を開いた。


「……切先を向けられるとな、その場所がじんわりと痺れてきおる」

「一体なんの――」

「次第に頬が張ってきて、視界が暗く、狭くなる。……これをなんと呼ぶかは、お主らの勝手だ」

「……」


 それは、恐怖ではないのか。死に対する恐れなのではないか、セシルとシオーネは意外そうに目を丸くした。

 この男でも捉われるのか、死の恐怖に。


「俺は死ぬことなどかけらも怖くはない。されど、俺は、俺が死に恐怖してしまうことを何よりも恐れる。命は軽く、名は重い。俺はたかだか数十年限りの命よりも、永遠に残る名をこそ惜しむ」


 不意に三郎太はセシルの鳩尾あたりを拳で小突いた。


「だからそのようなときはここに力を入れるのだ。そしてこれでもかと目を見開く。そうして、なにくそこんな奴に負けてて堪るか、俺を殺そうなどとは身の程知らずめ、思い知らせてやる。そう思い、念じて前へ出る。実力だの状況だの余計なことは考えぬ。ただ前に出るのだ」


 三郎太はじっとセシルの顔を見下ろす。


「小手先の技などいらぬ。死んだつもりで懐に飛び込む。自分を殺し、相手も殺す気で前に出ればそれでよい。さすれば勝てる。必ずだ。

俺を殺そうとしたお主らに、何も思わぬのかと聞いたな。――あぁ憎いと思ったとも、生意気な奴だともな。そのうえ誰にそそのかされたか目的をたがえて居る。大馬鹿者と思ったわ。されど、あの必死の太刀筋だけは見込みがある。あれこそが、勝負に勝つための剣だ」

「じゃあ稽古はそのための……」

「当たり前だ。勝ちたいのだろう。勝たせてやるとも。そうでなければ請け負わぬ。俺を信じろ。俺は紛れもなくお主らの忌避する人殺しだ。主命や名誉のためなら殺しを厭わぬ。それをお主らが憎もうが嫌悪しようがどうでも良い。だが新年祭までは、新年祭に勝つためだけに剣を執れ」

「別に……私は、そこまでして勝ちたいわけでは……」


 嘘だ。出来ることなら勝ちたいのだ。だが、残り僅かな期間で何ができる。

 一度自分は逃げ出しているのだ。あの日々に耐えるだけのやる気がまだ自分には残っているのか。

 セシルは、未だ言いわけを繰り返す自分を克服しきれなかった。

 謝罪の言葉が、どうしても出ない。

 今更、どの面下げて……。そんな言葉ばかりが浮かんできて、素直に非を認められないでいた。

 ここに居たってもまだ自分がちんけなプライドを守ろうとしていることに、セシルは自分のことながら愕然とする。情けなくなって、目が潤んできた。


 俯くセシルを見下ろす三郎太は、できれば言いたくなかったが……と思いながら、体をかがめてセシルにだけ聞こえる様に、少し声を潜めてから告げた。


「俺の故郷では、兜割りという技がある。新年祭の鎧割りと同じようなものだが、俺の知る限り、成功した者はいないといってよい。――……俺とて不安だ」

「えっ」


 三郎太は顔を上げて何かを言おうとしたセシルに取り合わず、今度はシオーネに目を遣った。

 シオーネは不意に視線を投げかけられて驚いたようだったが、一つ深呼吸すると、据わった眼差しを三郎太に向けた


「お兄ちゃんを殺したのは……あんただな」

「そうだ」

「どうして」

「奴は賊だ。隊商を襲った。故に討った」

「うん、知ってる。だったら、私を生かしたのは誰?」

「…………」

「お兄ちゃんが殺されなきゃいけなかったのなら。どうしてその仲間だった私やお姉ちゃんは生かされてるんだ。それだけじゃない、どうしてわざわざ魔法学校なんかに入れるんだよ」


 三郎太は今更になって、カドリがシオーネを指して頭がいいと評した意味を悟った。

 そして、同時に、自らの自己満足が招いた強烈なしっぺ返しを痛感していた。

 彼女はもう真実に気が付いているのかもしれない。確たる証拠がないだけで、とうに三郎太が何をしたのか、察しているのかもしれなかった。

 しかしそのことだけは、何があっても伝えるわけにはいかなかった。


「それを知ってどうする」

「知ってから決める」


 三郎太はシオーネのもとへ近づいた。シオーネが思わず身構える。


「誰がお主を生かしたか、俺は知らぬ。商会とて人間の集まりだ。お主の兄の義侠心に思うところがあったのかもしれぬ。お主らに対して負い目があったのかもしれぬ。女子供にむごい真似は出来ぬと思ったのかもしれぬ」

「そんなの嘘だ。商会の連中は人間じゃない。あいつらは利益を生み出す機械だ」


 シオーネは頑なだった。

 実際、彼女自身、誰が自分を助けたか、誰が自分たちの敵なのか、味方なのか、商会の狙い、カドリの願い、三郎太の思惑。何一つとして確信と呼べるものは持っていなかった。

 断片的な情報と、状況からの推測。そこから導き出した答えが正しいのか、三郎太に確かめようとしていた。


人間じんかんとは、分からぬことが多いな。ときに自分さえも分からなくなる」

「何だよ、いきなり」

「――相すまぬ。俺はお主に仇討ちを強いるようなことを言った。あれは誤りだった」


 三郎太はシオーネに向けて頭を下げた。


「俺は仇討ちの正しさを信じて居る。されどそれは強いられてすることではなかった。まだお主は幼い。思うように生きてみて、何が正しいのか、真実を自分で見つけてみよ。そのうえで、俺を討つというのなら是非もない。受けて立つ」

「な、なんだよそれ……!」


 シオーネは三郎太の小袖の襟を掴んで詰め寄った。


「何でそんなことを言うんだよ。あんなことを言っておいて、今更放り投げるなんて無責任すぎる。勝手だ、勝手すぎるよ! 私だってわかんないんだよっ! 仇のままでいられたって困るけど、忘れることだってできないに決まってるだろ!」

「……カドリの言う事をよく聞け。奴は真心からお主を大切に思っている」


 三郎太はシオーネを振り払うと、セシルに向けて、


「明日は早いぞ」


 と言い、そのまま立ち去ろうとした。

 しかし、その背を掴む手があった。


「……待てよ」


 シオーネが涙を浮かべた燃えるような瞳で三郎太を射抜いた。


「だったら、私も稽古に出る」

「何だと」


 これには、セシルやシオーネも驚いたようだった。


「子供だってバカにしやがって。あんたがそんなに勝手なことを言うのなら、私だって勝手にしてやる。いいよね、セシル先輩」


 顔を曇らせる三郎太に、シオーネは負けじと睨み返す。


「嫌だって言っても知るもんか。私はあんたに負けないように、もっともっと強くなる。そうして嘘なんて絶対吐けないくらいアンタをボコボコにして、私を認めさせて、それから全部吐かせてやる。殺してなんてやらない。これが私の復讐だ」


 三郎太はあっけにとられたように目を丸くした。

 三郎太はそれを聞いて、


――負けた。


 そう、思ったのだった。

 己が矜持と建前を守るために、欺瞞を用いたのに対して、この娘ははっきりと自分の道を示し、立ち向かって見せたのだ。


「勝手に、するがいい」


 三郎太は眩しいものを見たように、穏やかにそう言った。


「あの~……」


 そこへ、控えめに声を上げたものがあった。

 今迄沈黙を保っていた、ノエリアだった。


「私も朝の訓練、参加してもいいですか?」

「ダメだ」

「即答ッ!?」


 三郎太は一転顔を険しくさせてノエリアの申し出を斬り捨てた。


「お主の生っ白い細腕には剣は似合わぬ。今からでも遅くないから針と包丁に持ち替えよ」

「だからそう思われるのが嫌なんです! 依怙贔屓です! むかつくんです! 絶対絶対参加してやりますからね!」


 ノエリアの情けない叫び声に、セシルもシオーネも笑った。

 三郎太は背中にその声を受けながら、このじゃじゃ馬どもめ。と困り顔を浮かべていた。





 森の奥深くに佇む古城がある。壁は崩れ、天井にも穴が開いている。

 人の気配が耐えて久しいこの城の一室で、闇が蠢いたかと思うと、そこから黒のコートに黒の紳士帽、全身黒づくめの――北竟大帝ほっきょうたいていが現れた。

 北竟大帝は部屋の中央に据えられた石棺のもとへと足を運ぶと、おもむろにその蓋をずらし、中を覗き込んだ。


「やぁ、娘よ。気分はどうだい」


 北竟大帝は石棺の中へと語り掛ける。

 そこにはまだ幼い少女が横たわっていた。

 少女の姿はひどいものだった。

 顔色は土気色で、黒く変色した血が凄惨に滲んだワンピースを纏い。顔の半分をはじめ、およそ露わになっている部位には、汚れた包帯が巻かれている。

 まかり間違っても生きている気配はしなかった。

 しかし、少女は目を開くと、言った。


「あぁ、おじさま。今日も来てくれたのね」

「もちろんだ。君に寂しい思いなどさせないよ。私の可愛い可愛い娘」


 北竟大帝は、そっと少女の額に手を添えた。


「ねぇおじさま。いつになったら、あの人に会えるのかしら。私、もう毎晩毎晩夢に見るの。この前なんかはね、夢の中で、ふっと気づくとあの人がいたの。うれしくてうれしくて、精いっぱい近づくのだけど、夢の中だから体が思うように動かなくて、そのうちにあの人は怒って私を斬り殺してしまうの」

「それはひどいね。女心の分からない人だ」

「うん。だけど、夢の中であっても会えるのは本当にうれしいの。あぁおにーさん。もう一度だけでも会いたい。会って、ずっと私の傍にいて欲しい」

「そうかい。きっとすぐに会えるようになる。だからもう少し、このまま夢を見続けなさい。おやすみ……エリー」


 北竟大帝は少女――エリーの頭を優しくなでると石棺の蓋を閉じて古城の一角にある塔のもとへ向かった。

 塔の上で森を見下ろす北竟大帝のもとへ、手足のやけに長い一人の魔人が現れた。


「ウチサルかい。どうした」

「クニマロの消息が途絶えた。何か知って居るのではないか」

「まるで僕が何かしたみたいな言い草だね」

「土蜘蛛衆は姫を裏切らぬ」

「ボクは裏切ると?」


 ウチサルと呼ばれた男は、そうだと言わんばかりに沈黙する。

 魔人から向けられる疑いの視線を、は――北竟大帝は一笑に付した。


「勘違いも甚だしいね! 姫には言ったはずだ、魔人とは元来欲望に忠実に生きるものだと、仮に忠義が彼の欲望ならば、忠義の為には何でもするという事だよ」

「キサマ、やはり何か知っているのだな……」


 剣呑な声色で呟くと、ウチサルは溶けるように闇に消えた。

 そして何処からかギリギリと弓を引き絞る音が聞こえた。


「おーコワい。残念だけど、本当にボクは何も知らないよ」


 北竟大帝は余裕を崩さず、嘲笑を浮かべてその場から動こうともしない。


「そう警戒しないでくれよ。ボクは姫と目的を共にしている。魔人は欲望に忠実……だからボクは彼女の邪魔になるようなことはしないし、裏切りはもしない」

「キサマの目的が姫の目的と同じだと言う証拠がない」

「ハッ! 証拠、証拠ね! ならばここから降りて奥に進むといい。そこに私の娘がいる!」

「なにっ? 目覚めたのか」

「新たなる冥府の主だ。死者の軍勢は再び世に溢れ、世界を壊し、人間を滅ぼす。後に残るのは、原始のカオス……ボクたちの世界だ。どうだい、ボクは姫の目的のために精一杯働いているだろう?」

「……ふん、ひとまずは認めよう……ひとまずは……」


 闇を覆っていた緊張が弛緩し、北竟大帝の背後、屋根の上にウチサルが現れた。


 そっちにいたのかい。とおどけながら北竟大帝は言葉を続ける。


「そういえば思い出した。今回の事とは関係ないけどね、以前ボクが姫に進言した南方の炎王の件、正式に決まればきっと使者に選ばれるのは君だろう。実力も十分だ。ボクと姫は君のことを買っているんだ、頑張ってくれたまえ」

「……私に命じることが出来るのは姫だけだ」


 ウチサルはそう言うと再び闇の中へ消えて行った。

 北竟大帝はそれを見届けると、月に目を遣った。

 そして皮肉気な笑みを浮かべた。


「そうさ、魔人は欲望に忠実。姫よ、魔の為に人を滅ぼしたまえ、彼は人のために魔に立ち向かうだろう。世界に踊らされる哀れな駒たちよ、安心するといい。ボクはボクの為に世界と戦う。それはきっと君たちを救うことにもなるだろうから」


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