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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
漂泊篇:第一章 病愛包めぬ俗の町
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死霊魔術

 三郎太は門を飛び出し町の外を走り回った。

 だが手掛かりになりそうなものはどこにもない。

 そこで三郎太はふと初めに門番の青年ジャンがやられた際、痕跡が川に向かっていたことを思い出し、今回もそうなのではないかと急いで川に向かうことにした。


「やッ! ……だぁ! 誰か! ――っ!……」


 三朗太の予想通り川に近づくと少年の声が聞こえた。


「曲者、いるな!」


 三郎太が叫び、声の方を見ると闇の中に、黒いローブを纏った二つの人影が見えた。

 それぞれ一人ずつ子供を抱えている。子供はどちらも力無く、抱えられるがままである。


「おのれ! 貴様ら!」


 三郎太が逆安珍さかさあんちんを抜き、踏み出した瞬間、二つの人影は川に沿って森とは反対側の丘の方へと走って消えた。


「待てい!」


――子供を手にかけるとはなんたる卑怯者か!


 激昂した三郎太が人影を追いかけようとしたそのとき。


「■■■■■―――ッッ!!!」

「な!?」


 突如横合いから奇妙な獣の咆哮とともに、何かが飛びかかってきた。

 紙一重で避けた三郎太は、顔をあげ、その正体を見て驚愕した。

 折しも今まで月を遮っていた雲が晴れ、不必要なほどその正体を暴き立てた。

 三郎太が目にしたのは獣だった。しかし、獣というのは正確な表現ではないかもしれない。

 その獣は全身の毛という毛が全く無かった。そして顔の至るところが爛れ、腐り、醜悪な容貌をしていた。

 三郎太はこの獣に見覚えがあった。この野犬は……。


――何がどうなっているか分からぬが、今は斬るより他あるまい。


 三郎太は青眼に構え獣ににじり寄る。

 獣には既に恐怖や危機感、狩りの本能も無いのか、遮二無二に走り来る。


「はッ!」


 気合一閃、飛びかかってくる獣を空中で斬る、獣は化物じみた動きで体を捻り致命傷を逃れた。

 しかし、三郎太の剣撃は獣の左足首を捉えていた。


「■■■■■■――――――ッ!!!」


 着地した獣が振り返り、再び飛びかかるが、足を斬られたせいで、動きは先ほどに比べて余りにも緩慢である。

 三郎太は横に避けながら、飛びかかる獣の首をすれ違いざまに斬り落とした。

 獣はどうと倒れ、そのまま動かなくなった。

 三郎太は「南無阿弥陀仏」と一言呟いてから、獣の姿を再度確認する。

 このような状態の獣が何故動けているのか。あの人影達は何者なのか。何の目的があって子供達を連れ去ったのか。三郎太には何一つわからなかった。

 しかし、二点だけわかることがあった。

 それはこの獣が何時かの川原で見た野犬の死骸であるということ。


 そして――この事件に、きっとあの少女が関わっているだろうという事。


「もしも、お主であるならば……」

「おい! 大丈夫か! 今のは……ヒッ!」


 近づいてきた役人が獣を見て悲鳴をあげた。



「やっぱりか! クソッ!」


 三郎太が町に戻ると、教会に案内された。

 さっきまで会議が行われていたという。

 そこで見てきた事を全て報告するとアンドレが怒りに顔を赤くして叫んだ。


「もう我慢ならねぇ! 役人が動けないなら組合でやるぞ!」

「落ち着くのだアンドレ、組合が貴族の屋敷に乗り込んでみなさい。いくら分家の騒ぎといっても本家の名誉に関わる。ガルシア家は黙ってはいまい。」

「なら教会! これはれっきとした『魔』の事件だぞ! しかも禁術だ!」

「貴族の家に立ち入るには上の許可証がいるわ。さっき急いで申請はしたけど、ニーユからじゃ……」

「だったら! 待ってろってのか! 俺は嫌だぞ! 頭のおかしい貴族様に殺されるのはな!」


 三郎太の知らないところで話が進んでいく。


「町長、これは一体……」

「あぁ、ルイの左腕から死霊魔術の痕跡が見つかったのだ」

「死霊魔術?」

「死体を意のままに操る魔法でな、私は知らなかったのだが、サラさんがかつてガルシア家が大戦の折りに死霊魔術を使っていたことを知っていたのだ」

「ガルシア家とは、ここの領主だったか。つまり、領主の仕業だと……」

「正確にはガルシア家の分家だが……。そしてあなたの報告だ、二人の人影が川に沿って丘の方に向かったという、それで、おそらくは……それに二人の人影というのも……」


 珍しく町長の歯切れが悪い。

 いくら名目的なものといっても領主が領主、貴族が貴族であることに変わりはないのだろう。町の方から勝手に手を下すのは憚られる、教会や本家から大義名分を得ようにも、それにはニーユに行く必要があり、すぐには動けない。そんなところだろうと三郎太は推測した。

 また、町長の話では攫われた子供二人は町でも有名な悪太郎だという。

 大人たちは一連の事件の現場を子供たちには見せなかったし、詳細も知らせなかった。

 それ故、事態の深刻さを知らない子供たち三人が度胸試しと称して夜に家を抜け出したのだという。

 その内一人は攫われず、気を失ってはいたが無事保護された。


「本家の連中が、両親失ったガキをこんな田舎町に領主としてたった一人押し込んだのは、そのガキが余程の異常者だったってことだろう! こっちで片付けてやれば本家も喜ぶさ!」

「アンドレ! 言葉に気をつけなさい!」


 町長は厳しくアンドレを叱りつける。

 三郎太は一瞬降りた沈黙を見計らって口を開いた。


「町長、一つ尋ねたいことが」

「むむむ、申し訳ない、取り乱してしまって……。何でしょう?」

「領主の名前を知りたい」


 三郎太にとっては既に、それだけが核心部分であった。


「他の者は会ったことがないだろう、儂はかつて一度だけ会ったことがある」

「……」

「エリザベート=ガルシア、今は14ほどになっているはず」



 日の出とともに警備は緩まり、門も空いた。

 結局、会議のだした結論は現状維持であった。

 もうしばらくの辛抱で、明日か明後日かにはニーユから騎士団と教会の人間が来て事件解決に動くはず。およそ正体がわかった以上、一層警戒を強めれば被害は無くせるという判断だった。

 実際一回目は完全な奇襲によるもの、二回目は迂闊な単独行動が原因で、三回目は予想外の子供の動きがあったからであり、対策は可能という判断だった。

 三郎太は家に戻り一眠りしていた。呑気でそうしているわけではない。既に三郎太の心は決まっていた。



 昼過ぎ、三郎太は扉を叩く音で目覚めた。

 外に出てみるとアンドレの婦人が居た。


「これ、主人から届けろって……。あの人ずっと黙ってて、これだけ完成させたら寝ちゃったのよ」


 頼んでおいた服一式ができたらしい。袴、小袖などどれもよくできている。


「かたじけない。代金はこれに」

「はい、確かに……。早く事件が解決するといいわね。あなたも気をつけて」


 そう言うと婦人は立ち去った。

 そのうつむきがちな背を見送り、行く人来る人皆下を向いている町を見渡し、三郎太は自分のすべきことを改めて確認した。

 数時間が経ち、夕食を済ませたあと三郎太は座禅を組んでいた。

 それからまた一時間近く経ったとき。三郎太はやおら立ち上がり、濡らした布で体を拭き始めた。

 それが終わると今度は月代を剃り、髷を整える。そしてアンドレが仕立てた新しい小袖と袴に着替え、手ぬぐいを鉢巻代わりに額に巻いた。

 覚悟はできた、準備もできた。後は実行するのみであった。



 その晩、警備をしていた三郎太は門番に門の外を警戒すると言って町から出ると、そのまま警備役人の隙を付いて町から離れていこうとした。


「三郎太、何処に行くつもり」

「……」


 町から出て僅かなところで三郎太はマリアから声をかけられた。


「あんた、自分は隠しているつもりかもしれないけど、大体顔に出てるわよ。今はあの時の試合で腹を切った時と同じ顔してる。あと、あんたの家で一緒に食事した時も最初はそんな顔だった」

「……」

「領主の名前を聞いたときはね、心当たりがありますって顔だったわ」

「……」

「馬鹿な真似はやめなさい、あなたがどうこうする問題ではないわ」

「マリア殿……去る日のこと、命を救って頂き、誠にかたじけのうござった。そして、これまでの数々の無礼、お許しくだされ」

「えっ」


 言わねばならなかったことをついに三郎太は言えた。とって付けたような言葉であるが決して偽りではない、三郎太なりの一つの礼の尽くし方である。

 死を前に、戦を前に心中穏やかになるのはいかなる心理か。


「いかに脆い城郭も、誰かが揺らさねば崩れることは無かった。これは、俺個人の問題だ。きっと町には迷惑をかけぬ」


 三郎太が言ったことは本心ではあるが、動機の全てではない。

 実際、この町の政体の都合上、今回の事件に早急な解決が望めないのならば、俺が済ませればいいのだ。いや、俺が済ませたい。そう思っていないことは無かった。

 三郎太はマリアの目を見て反らさなかった。


「……意地でもやめないって顔ね、仕方ないか! まったくもう……、ちょっとまってね」 


 朗らかに笑ってそういうとマリアは懐から紙を取り出し、何かを書くと、最後に自分の指を聖剣で軽く切り、判を押した。


「これを持っていればあなたの行動は私のお墨付きってことになる。一応私これでも聖女指定を受けているから、そこそこ効果あるわよ。本家がどう出るのかわからないけど、あなただけの責任じゃなくなるわ」


 そう言って紙を押し付けてくる。思わず受け取る三郎太だがこれでは困ってしまう。

 一介の素浪人が起こした事件として片付かねば、多かれ少なかれ町に迷惑が掛かってしまうのだ。


「馬鹿を言うな、これは俺個人の問題だと――」

「ストップ、ならこれは私個人の問題、あなたが責任を負うときに、私も一緒に責任を負うって勝手に決めたわ」


 何を戯けたことを、何の反論にもなっていないではないか。

 三郎太はそう言おうとしたが、やめた。

 素直に言えば、マリアがその人生を己に託すほどに己を信じてくれたことが嬉しかったのだ。



 マリアはマリアで、責任を感じていた。

この町の危機に際して規則や慣習に縛られて何もできないのが悔しかった。

 今だってそうだ。事件を早くに解決するためには三郎太に全ての責任を押し付けざるを得ない自分が許せなかった。

 勿論その贖罪のために三郎太を信じたわけではない。

 三郎太がこの町にきて以来、なんだかんだで一番三郎太と一緒にいた時間が長いのはマリアだった。

 頑固で短気ではあるが、誠実で、やると決めたからにはやる男。

 マリアは三郎太という男をそう理解していた。


「勝手にいたせ」


 三朗太は投げやりにそう言い放ち、顔が見られないように踵を返した。


「そうするわ、ふふっ、あなたその格好なんだか様になってるわね、かっこいいわよ。私は町を守ってるから、必ず帰ってきなさいよ」


 マリアは首都の大聖堂で先輩に言われたことを思い出した。

 男が一番格好良く見えるのは戦いに赴く、その瞬間だと――


 三郎太は返事をすることなく、丘の向こう、領主の屋敷に向けて歩き出した。

 

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