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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第三章 秩序の要諦新年祭
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三郎太と『魔』

蚩尤シユウか」


 三郎太は抑揚のない静かな声で言った。


「その木刀。そんな使い方をするために作ってあげたわけじゃないんだけど」

「放せ」

「らしくもない。何ビビってんのさ」

「俺のやり方に口を出すな」

「ヤダね」


 三郎太は蚩尤の方を見ようともしない。制止させられた体勢のまま動かない。

 蚩尤はそんな三郎太の横顔をじっと見ていた。


 やがて、三郎太は観念したかのように、ゆっくりと息をつくと「もうよい」と言って、力を抜いた。

 蚩尤が安心したように破顔した。


「血、嫌だけど仕方ない、手当してやるよ。全く、人騒がせ――」


 そういって、三郎太の腕から手を離した瞬間だった。


「――なっ!?」

「…………」


 その白刃を、蚩尤が数本の前髪を犠牲にしながらも躱すことが出来たのは、ほとんど獣染みた本能のおかげであった。

 三郎太は、木刀から手を放しざま、すぐに兼定の長脇差に手を掛け、目にも留まらぬ抜き打ちを放ったのだった。


「フっ、フフッ……ハハっ……」


 やがて蚩尤が上体を反らした姿勢のまま、薄気味悪く笑った。


「アッッッタマ来たぁ! 『夸父こほ』! 『九黎きゅうれい』!」


 飛びのいた蚩尤がその名を呼ぶと、小屋の中から二本の剣が飛び出してきてその手に収まった。

 一方は蚩尤の背丈と同じほどの刀身を持つ大剣、もう一方は脇差にも似た細身の短剣だった。


「来い蚩尤! もう一度どちらが上か思い知らせてやるッ!」

「ブッ殺ス!」





 セシルが目まぐるしく変わる状況に目を白黒させていると、そこへ自分を呼ぶ声があった。


「こっちだ、こっち」


 見るとあの三人が住んでいる小屋からきれいな金髪の少女――ティアナが手招きをしている。

 庭にへたり込んでいても仕方なく、セシルは小屋に向かった。


「あっ、シオーネ……」

「ごめん。セシル……先輩。私何も……」


 同じように、ティアナに連れてこられたのか、小屋にはいつの間にかシオーネが居た。

 俯き加減に言うシオーネの目元は赤く腫れていた。

 何度挑戦しても成しえない、己の無力感に打ちひしがれているのだろう。

 セシルもまだ混乱から立ち直れておらず、ティアナに勧められるがまま、小屋の中に上がった。


「大した傷じゃないが、汚れは拭いておけ」

「あ、ありがとう……」


 ティアナがセシルに濡れたタオルを差し出した。

 あの時は夢中になっていて気が付かなかったが、倒れた拍子に手や足を擦りむいていたらしい。

 セシルは汚れを拭いながらティアナを盗み見た。

 手拭いで目を覆った奇妙な少女。表立っては誰も言わないが盲目なのに間違いない。教会の職員の間でもとひそかに噂されている。

 彼女は神父に頼まれて子供たちに授業をしており、その姿はセシルも良く見かける。

 全く不思議な少女というのがセシルの評である。マリアも含め他の人の評価も同じであろう。素性は全く分からず、見た目はセシルよりも年下に見えるが、やけに大人びており、時折みせる威厳はセシルもハッとするときがある。

 今、蚩尤とあの男の喧嘩(?)を眺める横顔も、どこか余裕を感じさせる、子供同士の喧嘩を眺める母のような微笑であった。

 セシルは庭に目を向けた。

 子供の喧嘩や犬のじゃれあいというにはあまりにも殺伐とした光景を見て、「止めなくていいのか」と尋ねようと思ったとき、ティアナが呟いた。


「終わるぞ」

「え」


 瞬間、ズドンと鈍い音が響いた。

 目をるとシユウの拳があの男の鳩尾辺りに食い込んでいる。


「あ、やられちゃった……」


 シオーネが目を丸くして呟いた。

 セシルも口には出さないが、なぜか、自らの世界がガラガラと崩れていくような感覚にひどく動揺していた。


――魔人……化物……違う……あの人は……。


 蚩尤は動かなくなった三郎太を担いで小屋までやってくると、小屋の中の僅かなスペースに、背負い投げの要領で三郎太を叩きつけた。


「バーカ!」


 それだけでは腹の虫が治まらなかったらしい、三郎太のわき腹に数回蹴りを入れるとようやく満足したようで、鼻を鳴らすと何処かへ立ち去って行った。

 セシルとシオーネは、またしても呆然とそれを見送った。

 そして、三郎太へ視線を下ろした。

 白目を剥き、口から泡を吹いて気絶した、惨めな三十代手前の男がそこにいた。


「これが、化物の正体だ」


 ティアナはそう言うと、いたずらっぽく笑ったのだった。





 ――夜半。

 警邏のため街を巡回していた三郎太は、直観に導かれるまま、とある小路へと向かっていた。

 人の世を乱そうとする魔の悪意を、そこに感じたのであった。


 蚩尤との壮絶な喧嘩の末に無様にも気絶させられ、女学生二人――一方は仮初とは言え剣の弟子――に醜態をさらした三郎太が、次に目を覚ました時に待っていたのは眼前に一杯に広がるティアナの顔と説教だった。

 膝枕というこれまた屈辱的な体勢を嫌がる三郎太を、ティアナは容易に解放しようとはせず、しばらくの間は小言に耳を貸さねばならなかった。


「腹が立ったからと言って、有無を言わさず斬りかかるとはどういう了見だ。あ? その歳にもなって我慢のがの字も知らないのか。お前の特異さはある種の美徳で私もシユウも気に入っているが過ぎれば害だ。とかくお前は言葉よりも先に手が出る癖がある。そのうえ飛び出た剣は口よりも情熱的にモノを言うからタチが悪い」


 云々と。

 前半はともかく後半は何が言いたいのかよくわからない。

 寝ているあいだに傷の手当てをしてもらった手前、初めの内は大人しく聞いていた三郎太も、次第に説教に辟易すると無理にティアナを振り払って外へと逃げ出した。

 それからは鬱憤を処理することもできずに街をぶらつき、ついにそのまま夜を迎えた。

 故に今、三郎太が警邏けいらを理由に魔獣を求めて彷徨さまよっているのは、ひと暴れして苛立ちを解消しようというためでもあった。

 本来、『魔』を発見すれば付近の警邏の人間に知らせるのが原則だ。

 しかし三郎太は目的のために、むしろ人目を忍ぶようにして気配の元へと向かっていた。


 大通りを照らす魔石と篝火の明かりがわずかに差し込み、小道をうすぼんやりと浮かび上がらせる。

 三郎太の直観どおり、その奥には半透明の球状の何かが鎮座していた。


――正体は皆目見当もつかぬが、人でなければ家畜でもなし、これで魔獣でなければ化け大福か!


 三郎太が逆安珍さかさあんちんを抜き、仮称化け大福に一歩近づいた時、突如として化け大福の一部分が焼かれた餅のように膨らんだ。そして膨らみはそのままぐるりと裏返ると、血走った眼球を露わにしてから、元の場所へとおさまった。


「うぬっ!」


 殺意、敵意、憎悪、負の感情にまみれた眼球に射抜かれて、一瞬肝の冷える思いをした三郎太だが、すぐにそれを怒りに変えて駆けだした。

 化け大福のどろりとした体から触手が伸び、三郎太をとらえようとする。


「わらび餅が!」


 罵声を浴びせ触手を切り払うと、即座に懐に飛び込み、化け大福を両断した。


「……他愛もない」


 細かく振動しながら小さくしぼむ二つの塊を確認し、三郎太はその場をあとにしようと踵を返す。

 相手の死を確かめずに背を向ける――全く武人としては不心得と呼ばざるを得ない失態だった。


「――ッ!」


 背後の殺気に、振り向きざま抜きつけの一撃を浴びせる。

 手応えはあった。

 飛びかかってきた化け大福が、二つになって壁にべしゃりと叩きつけられる。

 三郎太は愕然とした。視線の先に、もう一体、化け大福がいた。


「まさかっ!」


 咄嗟に後方へと飛びのくと、異変はすぐに起きた。

 今しがた切りつけた化け大福が、先ほどと同じように振動しながら小さく萎むと、もう一度わずかに大きくなり、体の一部が膨らみ、裏返り、眼球となった。


「増えおった……」


 都合三体の化け大福が、眼前に現れた。


 斬っては一歩下がり、両断しては一歩下がる。

 そんな事を繰り返しているうちに、小路は分裂した大小様々な化け大福でいっぱいになっていた。


「…………おのれ、葛餅の分際で……」


 最早数も分からぬほどに増えたそれを睨みつつ、三郎太は悪態をつく。

 さしもの三郎太も、悪意を持った無数の眼球に睨まれては全身が怖気立つのを感じた。


――川の虫に、かような増え方をする奇妙な生き物がいると聞いていたが、そのたぐいかこやつは!


「そんなものでこの三郎太を殺せるか!」


 触手を伸ばしながら飛びかかる無数の眼球を斬り捨て、斬り払い、一歩下がる。

 魔獣は斬れば斬るほど、小さくなって増えていく。

 最早、大通りまではあと数歩であった。


「お困りのようですな、お武家殿」

「遅い!」


 背後から聞こえるおどけた声に、三郎太は怒声で返した。

 言わずもがな、その正体は三郎太が故郷を偲ぶ数少ないよすがの一つ、善鸞ぜんらんの意思を継ぐ怪僧かいそう善樹ぜんじゅであった。


「遅いと仰られるということは、助太刀が必要なほど苦戦しているということですかな?」

「たわけ! 無用だ!」


 三郎太は化け大福の群れに飛び込むと、しばらく大立ち回りを見せたのち、辛うじて抜け出してきた。


御坊ごぼう! あの化け大福……いや葛餅はなんだ!?」

「大福でも餅でもござらぬ。此方こちらの民の曰く、あれはスライムという魔獣にござる。水流にのって移動することが出来るため都市に忍び込むにはうってつけ。魔防柵まぼうさくの設置されておらぬ場所には頻繁に現れるとの事でござる」

「かような化物がか!」


 もしもスライムとやらが大量に街に現れれば、人の世などひとたまりも無いのではないか。三郎太はこのドロドロとした奇怪な生き物に街という街が蹂躙されるのを想像して苦々し気にうめいた。


「ご安心めされい。弱点はござる。彼奴は眼球の奥に核があり、それがあり続ける限り分裂いたす。されど核を壊されれば形を保てなくなり水に還り申す」

「それを早く言わぬか!」


 三郎太は激昂するや、神速の突きを、手短なスライムに叩きこむ。

 狙いと寸分たがわぬ眼球のど真ん中に刃が突き刺さると、善樹の言葉通りスライムはベシャリと液体になって石畳の隙間に沈んだ。

 それを繰り返すこと数分。いよいよ終わりが見えた時、


「されど――」


 三郎太の背後にいた善樹は懐から符を取り出すと、何事か呪文を唱えて、それをスライムの群れへと投じた。

 赤く輝いた符はたちまち炎を振りまいてスライムを包み込んだ。

 危うく炎に巻き込まれかけた三郎太が小路から飛び出し、顔を上げると、炎の消えた後には何も残っていなかった。


「かように処するのが最も適当にござる」

「…………」


 出来るのならば初めからやれと、そう思わずにはいられなかった。




「些か精細を欠く立ち回りでしたが……何か悩み事ですかな?」

「……なぜそうなる」


 小路を出て夜の街を歩きだしたとき、善樹はそう切り出した。

 三郎太はいつも以上に不機嫌そうだった。先ほどの戦いが尾を引いていた。


「三郎太殿ほどの武人、常ならば、初見といえどもあのような無様な戦いはしますまい」

「無様だとっ!」

「如何にも」


 いきり立つ三郎太相手にも、善樹は飄々としていた。


「迷いは剣を鈍らせるものでござるからなぁ……」

「……」


 善樹は寡頭かとうの上から無い顎髭をしごく真似をしながら言った。

 ふざけた仕草だが、棘がない。あまり不快ではなかった。


「拙僧とて坊主の端くれ、迷える衆生の悩みぐらいは聞くことができ申す」


 不思議であった。

 三郎太は、自分は坊主に頼るほど情けない武士ではないと自負していた。

 しかし、何故か、この坊主だけには、心中のわだかまりを晒しても良いのではないかと思い始めていた。

 それはもしかすると、この僧が、今となっては唯一三郎太の故郷を、日本を知る人物だからかもしれなかった。


「己が何者であるかということを、考えていた」


 三郎太は吶々(とつとつ)と言葉をこぼしてった。


「俺は武士だ。上は国を下は民草を守り、秩序を体現する。疑ったことは無い。されど、それは彼方あちらにおいての話だ。今、この不可思議な世界には、守るべき国も家もない。仰ぐべき主君も、尊ぶべききみも居ない。体現する秩序とは、もはや俺のみの秩序だ。果たして俺は、この世界の百姓ひゃくせいからはどう映っているのだろうな」


 三郎太は自嘲気に笑った。

 問うまでもない。その答えはあの女学生たちが教えてくれた。


「俺がこの世界で心惹かれたもの……忌み嫌われる崑崙こんろん! 人を襲うかたわら武芸を極めた淫獣! 仇討ちの為に魔性に身を堕とした女! えん! 太祖たいそ! 思い返せば皆秩序から外れた者達だ! そしてこの俺自身……俺は善鸞上人ぜんらんしょうにんの跡を継げるような器量では――」


「愚か者ッッ!」


 雷と共に拳が飛んできた。

 三郎太はまともにくらい、もんどりうって倒れた。


「聞いておればメソメソと情けない。その歳になってもまだ世の道理を理解できぬと見える」


 三郎太は善樹の怒るさまを初めて目にした。

 寡頭かとう越しにはっきりと浮かび上がった仁王の如き形相に、相手が主君や親兄弟でもない限り、殴られればただでは済まさないと決めていた三郎太も、思わず圧倒され、委縮していた。


「よく聞け、清浜三郎太。世の中には一人として同じ者は居らぬ。たとえ血を分けた親兄弟と雖も例外ではなく、目、鼻、口、爪や毛の一つに至るまで、誰もが異なるものを持って居る」

「…………」

「故に、誰もが異なる世界に生きて居る。一人として同じ景色を見るものは無く、一人として同じ匂いを嗅ぐものは無く、一人として同じものに触れるものは無い。畢竟ひっきょう、誰もが孤独な世界に生きて居る」

「馬鹿を申せ!」


 三郎太が立ち上がり、帯から逆安珍さかさあんちんを抜く。


「これが何に見える!」

「刀に御座りましょう」

「そうだ、二尺二寸、黒石目くろいしめの打刀だ。それ以外の何でもない。俺とお主は同じものを見ているではないか!」


 三郎太は威圧するようにこじりで床を叩く。


「ふむ。では三郎太殿、黒石目の黒とはどのような色でございましょう?」

「なに? 黒は黒、この通りの色だ! お主はこの色を何と呼ぶ!」

「黒でございましょう。しかし、もしかすると拙僧が見ている黒と、三郎太殿の見ている黒とは違う色なのかもしれませぬ。例えば普段三郎太殿が黒と思っている色を、拙僧も黒と呼んでいるとしましょう。しかしお互いの目を入れ替えてみた時、拙僧が見ていた黒は、三郎太殿にとっての赤色であるかもしれませぬ」

「訳の分からぬことを! 空を見ろ善樹。あれが黒だ。この鞘と同じ色であろう!」

「はぁ、如何いかにも。して、拙僧が見ている夜空と黒石目と三郎太殿が見ているそれは同じでありましょうかな」

「おのれ、クソ坊主が!」


 激昂し、今にも斬りかかりそうな三郎太を前に、善樹は変わらぬ様子で続けた。


「人は誰しも異なる孤独な世界に生きて居る。されど、人は共に笑い、共に泣き、肩を寄せ合い生きてきた。それはなぜか。心があるからにほかならぬ」

「心だと……」

「心もまた己一人のものである。誰も他人の心を読み取ることなどできぬ。誰も己の心を他人にわたくしさせることなどできぬ。されど人は理解し合って生きてきた。それはなぜか。言葉があるからにほかならぬ。言葉だけではない。人は喜び、怒り、哀しみ、楽しむことで、心を他者に伝えてきた。全て人なればこそ」

「…………」

「ではそうせぬものを何と呼ぼうか!? 目はあるが見ず。耳はあるが聞かず。足はあるが自ら動くことなく。己一人の世界に留まり続ける愚か者! その名を渾沌こんとんという!」

「……よせ……善樹……」


 先程の勢いとは打って変わって、三郎太は顔を蒼くさせながら善樹の言葉を遮ろうとした。

 善樹が何を言わんとしているかを理解し、それが言葉になって己の耳に入ることを恐れていた。


「今! 渾沌はその最愛の仲間に抱く敬愛の念をひた隠し、また夜毎に抱く恐怖にも蓋をしては素知らぬ顔で朝を迎え、一回りも年下の娘御むすめごらに嫌われ拒絶されればその傷心も糊塗ことして顧みぬ。そして一人己の世界で歎き、嗤うのだ。『おかしいのは奴らだ。己一人は違うのだ』と。その先に待つものは――」

「黙れ善樹!」


 三郎太はもはや息も絶え絶えだった。

 片膝をつき、刀を杖代わりにして何とか体を支えているものの、彼の芯はすでにボロボロで、もし善樹以外の誰かにこの場を見られていたとしたら、それはたちまち砕けていただろう。


「……もうよい、よいだろう。己の不明、過ち、十二分に理解した。……あぁ、率直に言えば、今すぐ腹を切ってやりたい」


 首をもたげる孤独感。孤立する異質な自分。異端を認めぬ狭量。

 もしそれら全てに頷き。認め、受け入れてしまったとすれば、その先にあるのは秩序を乱す『魔』だけだ。


「しかしだ、御坊。それでも俺は俺だ、武士だ。譲れぬものがある。通さねばならぬ意地がある。俺は俺が信じる道を行かねばならぬのだ」


 三郎太の反発と爛々とした眼光を受けて、なお説教を続けるかと思えた善樹は、意外にも好々爺の如くほほ笑んだ。


「過ちを認め、改める。譲れぬものを貫き通す。ひそかに道程を振り返り、一喜一憂しては歩を進める……。全て人なればこそ」

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