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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第三章 秩序の要諦新年祭
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化物

ついにこの日が来てしまった。

朝の四時、外はまだ夜と変わらぬ闇の世界。セシルは目覚めと同時にそう思った。

憂鬱というわけではない。しかしハッピーとは程遠い感情が去来したことは確かだ。

思い切って布団を蹴り上げ、寒さに凍える前に支度を済ます。教会の職員の中には既に朝食を準備している人もいるが、この後の事を考えれば食事など取って居られない。

刃引きの剣を掴み裏庭へと出るとその男は居た。


「来たか」


一言、それだけ。

一体何にイラついているのか、それとも四六時中悩み事でもあるのか、いつもと同じく眉間にしわを寄せた仏頂面がそこにあった。

おかしな表現だが、仏頂面が闇に映えているというのが相応しい。

今日から始まる剣の訓練。頼みもしないのに、敬愛すべき先輩が有難迷惑にもセッティングしやがったこの舞台を、新年祭までの残り三週間程、セシルは耐えねばならなかった。

ことの言いだしっぺにしてセシルの信じるマリア大先輩はこの場には来ていない。あの男の怪しげ仲間達、ティアナとかいうやけに大人びた少女と、シユウとかいうやけに顔の作りが良い少年もいない。

いるのはこの男とセシルのみ、不気味な鹿はノーカウント。

セシルが出来れば避けたいと思っていた状況にドンピシャだった。


「知っての通り、剣しか教えぬ。準備が出来ているのなら来い」


――剣しか教えられないの間違いですよね。


 心の中で毒づいて、セシルは剣を抜く。

 男は木刀を静かに構えた。


――まぁいいや。普段と同じで。


 セシルは学校での剣術の授業と同じ気構えで、いやむしろもっと気楽に構えて、地を蹴り、僅かに剣を持ち上げた。

 瞬間、わき腹に鈍い衝撃がはしり、セシルは真横に吹き飛んだ。





「せっセシルちゃん!?」


 時刻は正午過ぎ、魔法学校の食堂に向かう途中、廊下でセシルにばったり遭遇したノエリアは開口一番悲鳴を上げた。


「大げさ」


 セシルの頬や手の甲、指にはガーゼが当てられていた。

 打たれた場所は冬服であることもあって目立たないが、転んだり吹きとばされたりしたときに擦りむいた場所、それも隠しようのないところは否が応でも目立つ。


「でもセシル……先輩、は一体どしたんです。そのケガ」


 ノエリアと一緒にいたシオーネは微妙に不自然な敬語を使いながらセシルの怪我を指さす。


「以前少し話になったじゃないですか。剣の稽古。アレです」


 ノエリアとシオーネはセシルの丁寧語を聞いて、すぐにセシルが不機嫌であることを悟った。

 しかしそれよりも気になることがある。


「えっ、じゃあその怪我はあの人が……」

「……そうですけど」


 セシルはひどく虫の居所が悪かった。

 これでも剣の腕にはそれなりの自身があった。

 あの男の剣の腕前は先輩のお墨付きであったから、決して楽に勝てるとも思っていなかった。ましてやたかが稽古である。こんな目に遭うとは思ってもみなかった。はっきり言って無様すぎた。

 今朝の訓練は最初の一撃以降、終始勢いに呑まれていた。二時間の内に何度剣を取り落としたのか分からないし、何度地面に手をついたかもわからない。

 学校では平静を装っているが、打ち身と筋肉痛で全身が内側と外側から痛む。


「そんな、いくらなんだってひどい……」


 同情が、セシルの神経を逆なでする。

 憐れむほど、打ちのめされているように見えるのか。

 しかし、湧き上がる黒い感情を友人にぶつけることはしなかった。


「防具も付けないでやったら、こんなもんでしょう。別に大したことは無いし、怪我はお互い様でしたし」

 

 折角だし一緒に食べよう。

 セシルはそう言うとノエリアとシオーネを伴って食堂へ向かった。

 後ろで、それまで黙っていたシオーネが呟いた。


「やっぱりアイツは……!」


 その憎悪の籠った声色に、セシルはやけに共感を覚えた。





 12月7日 晴れ

 今朝、目が覚めた瞬間から全身が痛かった。

 立ち上がろうとするともっとひどい。

 昨日の夕方も、朝に続いて散々に殴られたのだ。

 全身痣だらけになっているんじゃないかと思い、シャワールームで確認したが意外と目立った怪我は無かった。それが逆に腹立たしい。

 今日も散々だった。女だから子供だからなんて言うつもりは全くない。それでも客観的に見て度を越えていると思う。やはりあの男はどこかおかしいのだ。


 学校ではできるだけ会わないようにと避けていたのにノエリアとシオーネに会ってしまった。

 少しガーゼの数が増えただけなのに、二人は大げさなのだ。だからあまり会いたくなかった。

 でも気遣ってくれる友人がいることは素直にうれしいと思う。シオーネがあの男を憎む理由。今ならよくわかる。

 夕方も駄目だった。せめて一撃と思ったが全く歯が立たない。

 しかしこれは純粋に、剣のみに限った話だ。

 あいつは魔法が使えない。実戦では魔法と剣の併用は当たり前なのだ。

 あの男は卑怯者で、剣でのみ戦うことを私に強いる。そうでなければプライドが保てないからだろう。いつか化けの皮を剥がしてやる。





 次の日も、その次の日も同じ毎日が繰り返された。


 朝起きて打ちのめされ。

 昼間は友人に心配され。

 夕方また打ちのめされる。


 男の言葉にも変化は無い。

 

「来い」

「立て」


 もしも応じなければ、すぐさま猛攻が飛んでくる。

 そしてまた言うのだ。


「来い」

「立て」


 その日セシルは寝坊をした。

 いつもの時間に起きたのだが、全身の痛みと疲れから眠気を振り払えずに二度寝をしてしまったのだった。

 およそ一時間遅れで男の前に出た瞬間、男はバケツに溜めた水をセシルにぶっかけた。

 真冬に突然冷水を浴びせられ、心臓が跳び上がる。


「目は覚めたか」


 あまりの衝撃にセシルは暫く呆然として動けなかった。

 男は木刀を持っていつものように言った。


「来い」


 セシルは無言で踵を返すと教会に戻った。悔しさで涙があふれて止まらなかった。

 冷えた体を温めるのは、湧き上がる黒い炎だけだった。





 12月13日 晴れのち曇り


 夕方、大聖堂で特殊講義があった。

 帰りがけにシオーネと大聖女様に偶然会う。一緒に食事を摂った。


 先輩。ノエリア。ごめんなさい。

 私は私の名前にかけて、三神の代行者たる聖職にあるものとしての義務を果たすため、あの化物を殺さなければならない。





 それはいつも通り、薄闇の中に立っていた。

 胡乱うろんでありながら確固としてそこにある。

 違和感を纏いながら当たり前のように馴染んでいる。

 あぁ、不気味で仕方がない。この化物は居てはならない存在だ。

 三神が追放なされた闇の残滓がこれなのだ。

 秩序は正さねばならない。闇は日陰へ光は日向へ。

 あの優しい先輩は悲しむだろう。しかしあなたの光に触れてなお、この化物は化物であり続けている。

 私一人が私情を以て滅ぼすのではない。大聖女と、頼りないがシオーネも賛同してくれた。


「おはようございます」


 最後くらい、良いだろう。この化物は、お笑い種だが秩序と礼節を好むらしい。

 浮かんだ冷笑はまだ見えないだろう。皮肉が通じないのは残念でもある。


「■■」


 何も知らない化物は、可哀想なくらいいつも通りだ。

 革ベルトから、相棒を抜く。赤みがかった刀身がチラリと光った。

 さぁ行こう、私の聖剣。





 清浜三郎太はその日もいつも通りの時間に、いつも通りの場所に立っていた。

 まだ陽も昇らぬ早朝から庭に出て、いけ好かない女学生兼聖女見習いことセシルに剣の稽古をつける生活はほんの数日前から始まった。

 夜間警邏やかんけいらのある日の場合、睡眠時間はほとんど無くなる。朝昼夜と全力で剣を振り続けた後の徹夜でも、三郎太の体は少しも悲鳴を上げなかった。

 無論、仮にこの先疲労が溜まったとしても、一度請け負ったことを投げ出すほど無責任ではなかった。

 苦労に対して特別見返りは求めない。ただ稽古をつけた分だけセシルが成長できるならそれで良かった。

 やがて時間通りにセシルがやってきた。

 

「おはようございます」


 聞きなれない台詞に三郎太は少し面食らった。セシルが常に己を小馬鹿にしていることなどとうに気づいている。侮辱に耐えているのは相手がまだ小娘であるということや、マリアの後輩であったからだった。

 珍しいこともあるものだ。それとも何ぞ心境の変化か。と思いながら、三郎太は木刀を青眼に構えた。

 木刀は蚩尤が開拓先で見つけたという木材から作ったものだ。逆安珍さかさあんちんに似せて作られており、よく手に馴染む。


「来い」


 今日もまた、セシルにとって何か得るものがあれば良いと思いながら、三郎太はいつものように、言った。




 セシルは地を蹴ると同時に、革ベルトに吊るしておいた二つの魔石を引きちぎった。

 手にしたのは『風』と『土』の魔石。純度の高い結晶に魔力を注ぐ。

 魔力を練り上げる時間や集中して魔法を形成する余裕のない時、瞬間的に強力な魔法を発動するには魔石の力を借りるのが一番手っ取り早い。


「『サンドストーム』」


 言葉を載せて形にする。

 鋭く尖り細やかな砂利を含んだ小さな――しかしそれでいて強力な竜巻が出来上がり、化物に向かって突き進んでいく。


――ごめんなさい神父。庭が駄目になってしまいそう。


 心の内で育ての恩人に謝りながら、セシルは次の行動に移っていた。


「いくよ、赤口しゃっこう!」


 聖剣の名を呼ぶ。

 刀身が赤く輝いた。

 構えは刺突。


「死ねッ! 化物!」


 さぞや化物は驚いていることだろう。

 じきにその間抜けな面が見える。

 化物はこの魔法をどうすることもできないはずだ。

 仮に魔法を防いだとしても続く刺突は交わせまい。

 セシルはほくそ笑んだ。

 しかしそれも、次の瞬間には驚愕の一色に染まり、すぐに恐怖へと転じた。


 化物は姿勢を崩すことも無く、身をよじることも無く、いつものようにそこにいた。

 その目は見開かれ、射抜くようにセシルを捉えていた。


「たわけがッ!」


 気合一閃。化物は上段に構えた木刀を、目にも留まらぬ速さで振り下ろした。

 だがそれが何になる。

 セシルは僅かに落ち着きを取り戻した。

 確かに魔法で形成された竜巻は強い衝撃を受ければ形を崩す。

 しかしそれでも、微細な刃となった砂利を含む暴風は変わらず化物を襲うだろう。

 場合によっては、制御を失ったそれの方が、より被害をもたらすかもしれない。

 そして案の定、乱れた気流が化物の全身を襲い――。


「そんな……!」


 セシルは思わず、前へ進む力を弱めてしまった。

 化物は、全身に刃の暴風を受けてもなお、身じろぎ一つしなかった。

 その二つの目も、未だセシルを見据えていた。

 あっと思ったときには、セシルは胸元に衝撃を浴び、後ろへと吹き飛んでいた。

 突き抜ける痛みに身を丸めてえづいていると、近づいてきた化物がこちらを見下ろしていた。


「人殺しの化物ッ! どうしてお前がここにいるッ!」


 息を整えたセシルが化物に浴びせた。


「アナタの存在はおかしいんだって、居てはいけないんだって、なんで気づかない!」


 そう叫びながらもセシルは、自分がそう主張する根拠を見出せないでいた。

 しかしそれでも、この化物が『違う』という事だけは、確信を持っていた。

 徐々に夜が明けてくる。

 浮かび上がった化物は結んだ口元と握った拳を震わせて、怒りを堪えているようだった。

 すぐに大声で罵声を浴びせる普段とは少し異なっていた。

 やがて、静かに口を開いた。


「生垣の裏も聞け」

「……ッ!」


 がさりと生垣の向こうで音が鳴った。

 セシルはそこに不恰好ながらも激しく練り上げられた魔力を見た。


――そうだ、私が失敗すればシオーネがやる予定だったんだ。

 

 夢中になって当の本人が忘れていることを、いつの間にかこの化物は看破していたらしい。


「……俺は、己が数多の亡霊を背負っていることなど、とうに知って居る。やがてその報いを受けるであろうことも、知って居る。お主らが報いを降したいと言うのならば、それもまた良いだろう」


 出血が袴や小袖を濡らしていく。


「しかし、今お主のすべきことは何だ。俺を討つことか。そうではあるまい。マリアの為にも僅かでも剣の腕を磨き、新年祭に挑む。違うか」


 そういって三郎太は構えをとる。


「立て」

「――――」


 セシルの視界が真っ暗になった。真黒い世界の中でただ一人、清浜三郎太という化物が、木刀を構えて立ちはだかっている。

 化物の態度はセシルの理解を越えていた。

 しかし、それはこの化物が化物である所以ゆえんでもあった。


「立たぬかッ!」


 気迫と共に木刀が振り下ろされた。

 この剛剣は、容易くセシルの首をへし折るだろう。

 しかしセシルは恐怖に染まった泣きそうな顔の裏で、ひそかに嗤って見せた。


――やっぱり私が正しかった。これでこいつは正真正銘……。


 セシルは続く衝撃に目を伏せた。

 しかし、


「――――……?」


 予想された衝撃はいつまでたっても現れない。

 気づく間もなく殺されたのかと顔を上げると、此方を見下ろす化物の隣に銀髪の少年がいた。

 化物の腕を片手で易々と掴んだ少年は言った。


「やりすぎ。バカサブロー」


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