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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第三章 秩序の要諦新年祭
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カドリの親心


「あ、先生。こちらですこちらです」


 午前中に屯所での指導を終えた三郎太が、五番大通りを歩いていると、それを呼び止める声があった。

 せわしない声の方に目を遣れば、それは酒屋の主カドリであった。

 カドリは近頃酒屋や飲み屋だけには飽き足らず、金貸しまで始めていると、風の噂に聞いていた。都の中の元貴族の御用商人にもなり得意絶頂だと言う。


「珍しいな。こんなところで」


 カドリの活動場所は茶店・風呂屋街か都の中であり、外周区の大通りでは出くわしたことがない。

 小太りの体を揺らしながら、カドリが近づいてきて言った。


「あ、知りませんでしたか。あれ、私の店です」


 カドリが指差したのは、木造の古びた建物。付近の店の三倍くらいの大きさを持つ。


「確か、開拓者共の集会場であったか」

「ハイ。以前までは開拓依頼の斡旋がメインでしたが、私が買い叩いて手を加え、今では飲める食える仕事もできるの巨大総合集会場となっております。騎士団や教会向けのものも一部取り扱っておりそれはもう――」

「儲かるか」

「ハイ」


 三郎太は鼻を鳴らして冷たい視線を向けた。この男は金の匂いというものを嫌悪する。


「しかしこれも先生のおかげのようなものですよ」

「なに? 俺は何もしておらんぞ」

「魔に関わる依頼を取り扱うときは一応教会の審査を通らないといけないのですがね、以前まででしたら一秒と経たずに追い返されるところを、今回は半日、嫌味と中傷を浴びせられるだけで許可がおりましたので」

「…………」


 三郎太が少し憐れみを覚えていると、横に回り込んだカドリが、ささ、どうぞどうぞこちらへ。と言いながら三郎太の背を押した。


「よせ、俺はこんなところに用はないぞ」

「昼食は取られましたか?」

「……まだだが」

「ならば丁度いいではありませんか! ご馳走しますよ。ささ、こちらへ、ささ」





 刀を預けたのち、案内されたのは狭い個室であった。

 しかし、三郎太には正確に価値を判断することが出来ないが、一つ一つの調度品や装飾は開拓者のようなごろつきには似つかわしくないほど随分と豪奢に見える。


「まるで密会の為にしつらえたようだな」

「流石の洞察力。その通りでございます」


 三郎太は眉をひそめながら椅子につく。


「悪だくみには乗らんぞ。お主のは特に銭臭い」

「はは、まさか」


 カドリは手を叩いて給仕を呼びつけると、何事かを伝える。

 

「あ、一応伝えておきますが、この店では女は出してませんよ」

「ぬかせ、一度として俺がそんなものを呼んだことがあったか」

「でしたねぇ。しかし先生、禁欲も過ぎればかえって不健全ですよ。男に生まれたのなら情欲というものはつきものでしょう。特に先生のように腕っぷしだけで生きているような人は盛んだと聞きますよ」

「知ったことか。俺をそこらの連中と一緒にするな」

「何か原因でもおありで? 女性が嫌いだとか? ……良い医者を紹介しましょうか?」

「貴様な……」


 三郎太が青筋を浮かべてカドリを睨む。

 集会場を通して変な噂が立てられてもたまらない。

 この手の話は追及を許さぬ毅然とした態度で無視を決め込むに限る。

 三郎太が不愉快そうに眉間に皺を寄せていると料理が運ばれてきた。


「ささ、先生の好きな米の酒です。先ほどは失礼いたしました。こんな店ですので荒っぽい料理しか出せませんが、今日は存分にお楽しみください」

「う、うむ……」


 久しぶりに目にする米の酒に三郎太の喉が鳴る。

 同時に運ばれてきた魚の蒸し焼きも実に美味そうであった。

 ご丁寧に、此方では珍しい箸まで用意してある。

 途端に三郎太の機嫌がよくなった。


――こんな景色を見るのは崑崙以来か


 猪口に注がれた酒を一気に呷る。

 鼻を突き抜ける懐かしい香りに、三郎太は震えた。

 閉じた瞼の裏側に、故郷と崑崙こんろんの光景が、ぼうっと浮かび上がるように広がった。


「ここにはシユウ君も顔を出すんですよ」

「ほう、面識があったのか」

「先生と二人でいるところを見かけたこともありますし、シユウ君が開拓者仲間に先生の話をしているのもしょっちゅうですからね」

「出鱈目をほざいていなければよいが」

「いろいろなクランへ顔を出しているようですが、人気者ですよ、シユウ君は」


 確かに蚩尤しゆうは何でもできる。

 戦闘は勿論、手先が器用で知識も豊富だ。水場やねぐらを探させればものの数分で見つけてくるだろうし、紡績ぼうせき機織はたおり、薬の調合と何でもできる。開拓であれば間違いなく役立つことだろう。


「彼自身、非常に優秀であるのもそうですが、その見た目が若い女性たちから、たまに男性からも人気だそうで、可愛いと評判ですよ。頼りがいがあるのに人の血を怖がるギャップがまた堪らないとか……」


――アレの正体を知らんからそんな呑気なことが言えるのだ


 三郎太は今でも時折蚩尤の見せる『エン』の顔に肝を冷やすことがある。

 一度殺されかけているということがそうさせるのかもしれないが、それ以上に、魔人という生き物に対して三郎太は根源的な恐怖を感じていた。

 三郎太にとってそれは認めがたく、また解決しがたいものであった。

 三郎太は蚩尤について多くは語らず、運ばれてきたタコの酢漬けに箸を伸ばす。


「時に先生も、最近はご活躍だとか」

「屯所の事か。耳聡みみざといな」

「ええ。やはり剣の腕を活かしているほうが先生の性分に合っているんでしょう。私は先生の剣に救われた身ですからね、先生が剣を振るって生き生きとしているのを見ると嬉しくなります」

「…………」

「それに、明日からは教え子が増えるようで、喜ばしい限りではないですか」


 酒を舐めようと口元に運んでいた盃が止まった。

 三郎太の目が、険しさを帯びてカドリを睨みすえた


「……やはり何か企んでいるな、お主」


 明日増える稽古の相手、それはほかの誰でもない、セシルの事だ。

 昨日、ティアナと共に教会に戻ると、マリアからようやくセシルが覚悟を決めたということが伝えられた。

 セシルには魔法学校もある。稽古は新年祭までの間、毎日早朝と夕方に行われることに決まったのだ。


――なぜそれをこやつが知って居る。


「先生、少し、情けない話を聞いていただけますか」


 カドリは普段とは打って変わって真剣な表情を浮かべた。


「シオーネの事でございます」


 その名を聞いて、三郎太の眉がピクリと動いた。

 シオーネ――あの赤毛の娘は、三郎太をかたきとし、その命を狙っている。

 かつてシオーネとその姉は義賊ブルーホワイトを名乗る男に庇護されていた。そうなった経緯を三郎太は知らないが、推測するに、テンリタグ商会の行った不正ないしは陰謀に関連し、家を追われたところを助けられたのだろう。

 それを知ったブルーホワイトは、義憤に燃えてテンリタグ商会に連なるカドリの酒屋を襲った。そこでカドリは三郎太に依頼し、ブルーホワイトを斬らせた。

 その後捕まったシオーネとその姉は、本来ならば始末されるところを三郎太に救われ、シオーネに至ってはカドリの後見のもと魔法学校に通っている。


「それが、どうした」


 三郎太はシオーネが己を殺そうとしていることをカドリには伝えていない。

 そもそも二人は商会の不正を知っている可能性があり、商会にとってはリスクの塊なのだ。もしシオーネが騒擾を起こし、カドリ自身へ損害を与えたとすれば、カドリは間違いなくあの二人を始末するだろう。


「不思議なものです。私はシオーネをはっきり言って厄介者だと思っていました。軽蔑していただいて構いません。実を言えば、あの時彼女らを生かしたのは先生のご機嫌を取り、教会との繋がりを得るためでした。そうでなければ、彼女たちを生かしておく意味はどこにもありませんから。特にシオーネ、あの娘は頭が良い。生かし、自由を与えても、決して監視は緩めませんでした。何かあれば、すぐに処分できるように、神経をとがらせていたのです」


 失礼。カドリはそう言うと酒を口に含んだ。

 珍しく、緊張しているようであった。


「私はこれまでカネを愛し、カネのために人生を捧げてきました。知っての通り、私には息子がいます。今は知り合いの店で修行させていますが、それまでは父親らしい愛情を持って時に厳しく、時に優しく、教育してきたつもりです。しかし、思い返せば父親らしい愛情とはいっても、必ず胸の底では将来この子が成長したときに、どれだけの利益をもたらすかという打算が働いていました。結局、私はそういう男なのです」


 カドリは自嘲気味に笑う。

 しかし、次の瞬間にそれは困惑に変わった。


「しかし、それがどういうことでしょう! 今、私は、あののことが可愛くて仕方がない。あの娘がその才能を開花させ、輝かしい大人となって、世の中に羽ばたいていく様を想像すると胸が苦しくなる。あの娘の為ならば、どんな労苦も惜しくない。いくつ店を潰したってかまわない。この命も、築き上げた財も、彼女一人に比べれば何の価値も無い。

 ……全く、おかしな話です。あの娘は頭がいい。私が何者か、とうに感付いているのです。真に討つべきかたきが誰なのか知っていて、それでもあの娘は、姉の為、学友の為に、私の正体に気付いていないふりをしている。私とあの娘の関係は、そんなさもしいものだというのに、同じ食卓を囲ったことも、ほんの数度しかないと言うのに、私はあの娘の成長を見るのが楽しみで仕方がない」


――親心……か。


 三郎太は箸も盃も置き、カドリの話に聞き入っていた。

 今更のように湧き上がる、血を分けた息子にすら抱かなかった感情に、カドリは真実苦しんでいるようであった。


「だから先生。私は、あの娘に、陽の当たる場所を歩いてほしいのです。これから先、あの娘の人生に、どんな苦難があってもいい。どれだけ悩んでもいい。あの娘はきっとそれを乗り越え、失った以上の喜びや楽しみを取り返すでしょうから。しかし、その人生の指針を、復讐や憎悪で塗り固めてしまうのだけは、私は耐えられない。許せないと言ってもいい。先生」


 カドリの眼は、実に穏やかであった、しかし、その奥には確固とした意志の光が輝いていた。


「知って、いるのだな」

「言ったでしょう。あの娘には監視を付けていると」


 三郎太はシオーネの仇討あだうちを肯定する。

 しかし、今のシオーネにはその覚悟が歪なものとして形成されている。

 生半可な覚悟で剣を執れば、それは博徒ややくざ者と変わらない。

 故に三郎太は彼女を否定した。

 仇を討ちたいのならば、ぬるま湯から抜け出し、全てを投げ打ち、欺瞞を捨ててかかって来いと、そう言い。彼女が三郎太に追いつくその時まで、彼女の存在を己の中から消すことにした。

 もしもシオーネが三郎太の願いに応えるとすれば、まさしくそれは、人生の指針を憎悪で塗りつぶすと言う事になろう。


「先生。これは取引でも何でもありません。断ったとしても、これまでと変わらないお付き合いを約束いたします。そのうえで、どうか、シオーネの事をよろしくお願い致します」


 カドリは何を求めている? 恨みを忘れ、カドリの望むような真っ当な人生を歩むようにシオーネを説得しろとでもいうのだろうか。


「俺にできることなど、何もない」


 仇が語り掛ける言葉など何もない。

 挑まれるままに受けて立つのみ。

 奴に覚悟が備わっているのなら……いや、備わっていなかったとしても、剣を抜けば必ず斬る。


「先生はあの娘にとってのかたきでもあり、恩人でもある。それを知れば――」

「黙れ」


 三郎太はカドリの言葉を遮った。


「知る必要の無いことだ。分からぬかカドリ、あの日、俺はあの娘の命を助けたわけではない。ただ己の矜持を守っただけだ。あんなもの、自己満足に過ぎぬ」

「……先生。人というものは目だけでモノを見るのではありません。言葉を交わさなければ、見えるものも聞こえるものも、全てが闇に閉ざされてしまいます。三神が闇を払い、拓かれた大地には、光も音も満ちているというのに」


 三郎太は、これまでと言いたげに立ち上がった。


「カドリ、今はお主の期待する言葉は吐けん。しかし、お主の意思は心に留めておく。……久々に懐かしい思いが出来た。馳走になったな」


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