聖女暗躍
命を懸けた立ち合いにおいて、勝負を分けるのは気のありようであると、清浜三郎太は思っている。
ある程度、剣の技量が伴っていなければならないのは間違いないが、多少の技量の差では、勝負は決しない。
一方、精神の優劣は、それがほんのささいな差であっても、勝負を分ける決定的な差となる。
如何なる達人といえども、常人である限り死を恐れる。恐れや迷いは、驚くほど剣を鈍らせる。道場で威張り散らしていた人間が、いざ真剣を握った時、繰り返し地面を叩く無様さを、三郎太は知って居た。
恐れや迷いを克服することが、戦いに勝つための条件であるといえる。
故に、真の強者とは、何とか道場の何某先生などではなく、名も無き死に狂いの士のような手合いの事を言うのである。
「でりゃあああああああ!!!」
青年は迷いを断ち切るための気迫が吐くと、剣を掲げて猛然と迫る。
スパーンッ! と、胴を打たれる乾いた音が響いた。
昼下がりの屯所。その訓練場の出来事だった。
◆
「うっ……ぐぅぇぇぇぇ……」
「…………」
残心。清浜三郎太は振り返って青年を見下ろす。
防具を通り越して内臓へと響く一撃に、青年は背を丸めてえづいていた。
「ユージン、これまでか!」
「クッ……! まだだ!」
三郎太は木刀を青眼に、ユージンも刃を潰したロングソードを正面に構えた。
ユージンという若干十九歳の青年は、三郎太が屯所で剣を教える様になってから、最も三郎太に反抗した男だった。
突然現れた異国の男への不信感を隠そうともせず、ことあるごとに嫌味を言い。隙あらば屯所から追い出そうとしていた。
それは一人ユージンだけの思いではなく、五番大通りポセイドン騎士団の屯所にいる騎士のほとんどが、多かれ少なかれ同じ気持ちを抱いていた。
屯所の所長であり、警邏隊長のフィンデンブルから、魔法は使えないがおそろしく剣の冴える男として紹介され、剣の師範と仰ぐように言われたとき、誰もがその実力を疑った。
三郎太が、稽古で魔法を使うことを禁ずると言ったとき、誰もが彼を軽蔑した。
心中のわだかまりを、躊躇うことなくぶつけたのはユージンだった。
彼は三郎太との立ち合いで、身体作用の魔法のみならず、環境作用の魔法まで使い、そして、完膚なきまでに敗北した。
以降、三郎太を侮る者はいなくなった。
そして現在。奇しくも、最も三郎太に反抗的だったユージンが、最も三郎太が意図した鍛錬の成果を上げていた。彼は三郎太には決して負けたくないと思っていた。かならずや雪辱を晴らして見せると思っていた。三郎太という強敵を下すために、恐怖を乗り越えようと必死にもがいていた。
「だらああああああぁ!!!!」
気迫と共に、剣が弧を描く。
「喝ッ!」
「…………ッ!」
しかし、未だに、必殺の剣気を放つ三郎太への恐怖には打ち勝てないでいた。
スパーンッ! と、胴を抜かれる音が響いた。
◆
「ねーねーもう十分でしょう? 早く返事しなさいよ」
「…………」
「瞑想しているフリなんてバレバレよ。集中できてないんでしょう?」
「……誰のおかげで……!」
稽古を終え、訓練場の隅で座禅を組んでいた三郎太の横に座り、うだうだと絡んでいたのはそのために、わざわざ屯所まで押しかけてきたマリアだった。
初めの内は三郎太を静かに待っていたが、ついに痺れを切らしたようだった。
「あっ、ようやく終わった? で、返事は?」
「断る。そう言ったはずだ」
「ダメ。それ以外で」
「このアマ……!」
マリアが求める返事とは、三郎太がセシルに剣を教えることについての是非である。
近頃にわかにそのような話を持ちかけ始め、三郎太には寝耳に水であったが、ひとまず答えは非であった。
「なんでそんなに嫌がるのよ。身内がいっちゃなんだけど、あの子、頭も剣の腕も結構いいのよ。ちょっとひねくれているけれど、それでも可愛くて若い女の子じゃない。そんな子の師匠になれるなんて男冥利に尽きるってもんじゃないの」
「左様なことは関係ない」
「じゃ何よ。剣の稽古が嫌だなんて言わせないわよ。現にここで教えてるんだから」
「お主、先ほどの見ていなかったのか。俺は兵法家の類とは違う。ここの騎士共の腕を鍛えるのではなく、剣を執れば自然そうなるべき心構えを教えているに過ぎぬ。試合に勝つための剣なんぞ、一ヶ月そこらで教えられるものか」
剣の業なんぞはおよそ幾らの時間で完成すると決まっているモノでもなければ、そもそも完成などということも存在しないのだが、それを、一ヶ月で勝てるように強くしろとは無理難題にもほどがある。そもそも三郎太はセシルの実力も、相手の実力も何も知らないのだから何の仕様もない。孫子も真っ青である。
「別に私はセシルを勝たせてやれとも、剣の達人にしてくれとも言ってないわ。ただ、セシルに剣を教えてやってほしい。そう言っているだけよ」
マリアはあっけらかんとしてそう言い返す。そんな意味の無いことをやってられるかと言うのは容易いが、大恩ある聖女の言葉には、何か意味があるように感じた。
「……仮に、奴に剣を教えることに意味があるとしても、教えを乞うのならば、奴本人が俺のもとへ来るのが道理ではないのか! 近頃は顔も見て居らぬぞ!」
「あー、それは……」
途端、急にマリアの歯切れが悪くなった。何か困ったように、宙に視線を彷徨わせる。
いったい何事か、三郎太は暫く理解できないでいたが、セシルとマリアの性格を思い返して、ある結論に至った。
「たわけた話だ!」
そして目を剥いて声を荒げた。
「合点がいったぞ! 結局、奴も俺に剣を習う気なんてさらさらないのだ、それをお主は、俺の了解を取り付けたという事にして、否が応でも奴を俺の前に、修行の場に、引きずり出そうとした!」
「うっ……」
引きつった表情は、全く図星でございますと自白していた。
「こんなバカげた話があるか! 畢竟、奴にも俺にもやる気なんぞ無いにもかかわらず、お主ひとりが頑張っている! お節介もここまでくれば迷惑以外の何物でもないわ!」
マリアは三郎太の怒声を受けて、少しの間、口をとがらせて不満そうにしていたが、やがて言った。
「……でも私は、このことが、貴方にとってもセシルにとってもプラスになると信じているわ」
「迷惑だ。それも聖女の勘が云々というのだろう」
「ええそうよ。聖女の勘。私は、私自身も、貴方も、セシルも、信じているの」
神妙な面持ちで、確信をもってマリアは言った。
「……その勘とやらで、殺人の下手人に疑われたものは、たまったものではないだろうな」
「―――っ……!!! あの時は! まだ! 未熟だったの! 今は成長したの!」
ありし日の事をからかわれて、マリアは床をドンドン叩きながら抗議する。
「あったまきた! じゃあ言わせてもらうわ! 貴方、あの子たちの事が怖いんでしょ? だから、正面から向かい合うことになるのを嫌がってる」
マリアは、何の脈絡もなく突然言った。
「……全く、女子というものは頭が悪いと知ってはいたが……度し難いものよ。一体何を言うかと思えば……」
三郎太は鼻で笑って一蹴する。
一回りも小さく、何の覚悟も身に着けていない、しかも女子を、一体どうして恐れる必要があるのだろうか。
「じゃあ、質問を変えるわ。あなたはあの子達のことをどう思っているの?」
「どうもこうもあるものか! 奴らは俺と関係の無いところに生きて居る! 俺が奴らに何か思う事など一つも無い!」
三郎太の答えに、マリアの口角が上がった。まるで勝利を確信したみたいで、三郎太の背筋に悪寒が走る。
「最後の質問。今私とあなたはセシルの話をしていたわけだけど、『あの子達』『奴ら』って、貴方は一体だれを思い浮かべていたの?」
「何だと……!」
当たり前のように、脳裏に三人の顔が浮かぶ。それが何を意味するか悟った瞬間、三郎太は、羞恥と恥辱に顔を赤らめた。
真実、この聖女は人の心を読むのだろうか。外に隠し、内にも決して認めようとしていなかった心情をこの聖女は読み取ったのだった。
「セシルとシオーネちゃん、そしてノエリアちゃん。あなたの脳裏に浮かんだのはこの三人ね。つまりセシルと向き合うことを嫌がる理由は、彼女達三人に共通しているあること。私の見立てでは、貴方は特にセシルとシオーネちゃんが苦手でしょ。二人と比べれば、ノエリアちゃんはまだまし、むしろ、彼女には安らぎさえ感じている」
「よせ!」
「ねぇ、三郎太。万人を愛せとは言わないわ、人を嫌うのは勝手。だけど、初めから相手と向き合おうとしないのは悪よ。都合が悪いからって、まるでいないもののように扱うなんてもってのほか」
三郎太は居た堪れなくなって、必死の思いを込めてマリアのよく回る口を止めた。
「それ以上はお主と言えど許さぬ!」
「言っておくけどどれも勘よ、証拠はない。それに勘違いしないでほしいのだけど、私だって人のあれこれを暴き立てて笑う趣味はないわ」
証拠はないと言われても、いまさら取り繕うことなどできようもない。
三郎太は赤い顔のまま言った。
「いいだろう! 安い挑発、あえて買ってやる! 一度請け負ったからには泣いても喚いても決して放さぬから、その覚悟をさせて連れてまいるがいい!」
◆
マリアが屯所から出て行ったのを見送った後、昂った感情を鎮めるために再び座禅に入ったところ、マリアと入れ違うようにして、今度は、ひどく慌てた様子の男が三郎太のもとへ、足早にやってきた。
三十代半ばの、神経質そうな顔をしたフィンデンブルグの副官だった。
「清浜さん、所長がお呼びです。特別にそのままでよいとのことですから、急いでついてきてください」
「……用向きは」
三郎太はいぶかし気に視線をやった。
動揺している副官もそうだが、「特別にそのままでよい」という文句が気になる。
かつてこのような呼び出され方はされたことがない。
もしや通常ならば礼服でなければ同席も叶わぬ相手であろうかと推測を巡らしたが、思い当たる節は無い。
「我らがポセイドン騎士団の団長が視察にいらっしゃったのです。ついでに貴方に話があると」
◆
そのような高位の相手のもとに、稽古に出向いた足でそのまま赴くのはあまりに気が引けると抵抗した三郎太だったが、額に皺を刻んだ副官に、「団長閣下がそれでいいとおっしゃったのですから、つべこべ言わず来てください。閣下はあなたほど暇ではないのです」と言われると引き下がるほか仕方がなかった。
副官に導かれ、所長室に入ると、椅子にふんぞり返ったフィンデンブルグといういつもの景色がそこにはなかった。
所長机の前に、テーブルを挟んで向かい合うように並べられたソファ、そこに見慣れぬ男女がいた。三郎太は無礼の無いように、二人を視界の隅に留めるのみにしておきながらも、しかし一見してそれが件の騎士団長であることを見抜いた。
「おお、三郎太、来たか!」
フィンデンブルグが小太りの体を揺らして、三郎太に近づく。
「団長閣下。これが清浜三郎太でございます。先に話した通り、剣の腕がめっぽう強く、団員の教育に一役買ってもらっておるのです」
「日ノ本は常州水戸藩士、清浜三郎太に御座る」
フィンデンブルグが言い終えるや、三郎太は床に膝をそろえて深々と頭を下げた。
二人の男女は、それを見て、少しあっけにとられたようにしていたが、やがて小さく忍び笑いを漏らした。
「ああ、なるほど。しかしそれでは握手が出来ない。どうか顔を上げてくれ」
女に言われ、三郎太はその通りにし、差し出された手を握り返す。
そこでようやくはっきりとその姿を見て、三郎太はわずかに驚きを顔に浮かべた。
女は青い髪を二つに下げ、同じ青色のマントをまとい、男の方は短めの金髪に、赤いマントを纏っていた。
三郎太が驚いたのは、その年齢だった。見たところ二十の前後といったところで、間違いなく三郎太よりは年下である。
騎士団の団長と聞いて、厳めしい壮年の男を想像していた三郎太には拍子抜けだった。
「私はサラシア・アンフィ。ポセイドン騎士団の団長だ、そしてこっちが――」
サラシアはもう一人の青年に振り向く、
「ベレン・イルダン。ヘリオス騎士団を預かっている。よろしく頼む」
ベレンもそう言って三郎太に手を差しだす。三郎太はそれに応じながら、やはり不可解だと思っていた。
「どうした? 何か気になることがあるのか」
両騎士団長は三郎太の疑念に気付いたようで、サラシアが尋ねる。
「いえ、勝手ながら想像よりも随分とお若いと……ご無礼、容赦の程を」
恐縮しながら言う三郎太に、二人は目を丸くしながら顔を見合わせ、また先程のように小さく笑った。
「うんうん。これは驚いた。ベレン、これは本物だ」
「だから言っただろ。大聖女のお眼鏡にかなってんだ、詐欺師や芸人の類なわけがないだろ」
話の見えない三郎太は当惑しながらも、試されているような不快感を感じて語気を強めて行った。
「失礼、話が見えませぬが……」
「いや、すまないな。今日は君の事を確かめに来たのさ」
ベレンが、ソファに深々と腰を沈めながら言った
「拙者を……? 何ゆえ」
「大聖女直々に、並み居る騎士を差し置いて一人の男を選んだと聞いたからな、そいつがどんな奴かと思って聞いてみたら、実績は無いが、遠い異国から来た随分と変わった男だと。それでサラシアの奴は、もしや詐欺師紛いの男が口車で大聖女に取り入ったかと疑ってな、調べてみれば足元の屯所で剣をおしえているじゃないか。これはちょうどいいと屯所の視察という名目で君を試しにきたというわけだ」
「すまないな。見ず知らずの相手にいきなり疑ってかかるとは、面目ない」
サラシアは伏し目がちに謝罪を述べる。
「で、今、君の疑いは一応晴れたってわけだ」
「ああ。入ってからこれまでの振舞いを観察させてもらったが、確かに全く奇妙な、馴染みのない所作ではあった。しかし、礼法としては一本筋が通っているように見える。推測だが。もしかすると、君は異国の貴族の生まれかな?」
「はっ、微禄ながら譜代の末席に連なる家の生まれに御座る」
三郎太は顔色を変えずにいるが、内心複雑な心境だった。もしや普段の行動も、指摘されてないだけであって、周りからは奇妙で無作法なものに見えていたのだろうか。
それは、ヴォルフスでメイドから多少のマナーを学び、此方の世界の生活にも慣れ始めていた三郎太にとっては、此方の世界になじもうとする意志が多少なりともあったぶん、ショックであった。
「それと、先ほどの質問に答えよう」
サラシアが言った。
「現在、騎士団の団長は直接戦闘の実力……つまり剣術と魔法に秀でた三十歳以下のものが任命される。これは二度目の大戦以来の伝統だ。そして経験不足の面は、口うるさい参謀の御老公方がサポートする。これも伝統だ。どうやら、君は余程遠くの国から来たようだな」
「左様に御座いましたか。重ねて非礼をお詫びいたす。疑念も晴れたようで、何よりでござる」
言外に、こんなことは常識であると言われた。
三郎太は、いまさら異国人としての歓待を受けているようで、居心地の悪くなり、
――用向きが以上ならば、これで……。
と、フィンデンブルグの顔を伺おうとすると、不敵に笑ったベレンが、
「待った」
と機先を制してきた。
「確かにこれで君が怪しい奴じゃないことは証明された。だが実はもう一つ試さないといけないことがある」
「私はどうでも良かったんだがな、すまない。こいつの性分なんだ、あきらめてくれ」
サラシアが呆れたように、まなじりを下げて笑う。
立ち上がったベレンは、腰に下げた剣の柄をコツンコツンと叩くと、言った。
「こっちの疑惑は晴れてない。ま、大聖女のお墨付きなんだ、期待するなという方が無理があるぜ」
◆
三郎太とヘリオス騎士団団長が戦うと聞いて集まった屯所の騎士によって、訓練場の周囲には人垣ができていた。その中には先ほど三郎太に散々に打たれたユージンの姿もあった。
「わぁーすっごいねぇ。清浜さん、ヘリオスのだんちょさんと戦うんだ」
「黙って見ていろ」
ユージンの厳しい視線の先では、三郎太とベレンが向かい合って位置につき、今まさに模擬試合が始まろうとしていた。
「双方、準備はいいか」
サラシア本人が審判となり、両者に目を遣る。
三郎太は木刀を青眼に構え、ベレンは訓練用の剣を両手で握り頭上へ――上段に構えをとった。
「では、お互いの名誉にかけて正々堂々とした勝負を望む……はじめっ!」
合図と共に、互いに間合いを測りながら、徐々に近づいてゆく。
三郎太と戦ったことのある騎士の面々は、三郎太が剣を執った時に放つ、独特の気をすでに感じ取っていた。
それは、騎士団長として確かな実力を持つベレンも、薄々感じ取っていた。
――涼しげな顔をして、結構情熱的じゃないか。だけど、これくらいの気迫を放つ奴はウチにもごろごろいるぜ。
今にも打ち込んできそうな激しい気配を全身で感じながら、ベレンは一歩一歩、三郎太に近づこうとする。
しかし、ベレンがさっと前へ出ようとすると、三郎太は僅かに退き、側方へ回り込もうとすると、ツツーと奇妙な足さばきでそれを防ぐ。二人の間合いは思うように縮まらなかった。
三郎太は剣先を揺らめかせながら、時に前に、時に後ろへと動きながら、巧みに間合いを測る。ベレンがその術中にはまっていることに気が付いたのは、互いに必殺の間合いまで、あと一歩となってからだった。
――ッ……! やられたッ!
ベレンは内心で絶叫した。
油断だとは思いたくはない。フェアではないからと、魔法を使わず、剣だけで戦うと決めたのは自分自身なのだ。
しかし、相手がここまでぶっとんでいるとは思いもよらなかった。その点は間違いなく自分の失態だった。
――こいつ本気かよ。模擬試合に殺す気で挑むやつがあるか!
必殺の間合いまであと一歩、ここにまで来て、ようやくベレンは気づいたのだった。
これまで感じていた三郎太の剣気と呼べるものは、三郎太が放とうとして放っているモノではなかった。彼はまだ、それを体の奥底に隠そうとしていて、しかし、隠しきれずに漏れ出ているのがそれだった。
――噴火前の火山かこいつは。
こいつは殺る気だ。ベレンはそう思った。
だとすれば、自分も本気を出すしかない。ヘリオス騎士団の団長として、プライドがある。模擬戦だからといって遅れをとるわけにはいかないのだ。しかし、そうなった場合――。
――どちらかが死ぬか、どちらとも死ぬかだな。
刃がついているかどうかなんて関係なく、互いの獲物は紛れもなく凶器。
あと一歩で、必殺の間合い。
一瞬で勝負は決まるだろう。
――大損だぜ、だけど堪らねぇ……!
ベレンが、燃え滾る火山の、その火口へと飛び込むほぞを固めた時、
「そこまでだ。双方引け!」
サラシアの澄んだ声が響いた。
――ちっ、消化不良だが……まぁ、正直助かったぜサラシア。
ベレンは不満と安堵を一緒くたにして溜息をつき、緊張を解いた。
三郎太も、安全な位置まで引き下がって、木刀を下した。
「審判。止めたってことは、試合の結末が見えたからってことだよな?」
三郎太と、ベレン、どちらの勝ちか、尋ねる。
「聞くな。性格が悪いぞ、ベレン」
「はっ、そうかい」
◆
試合を終え、傾いた日差しの中、屯所を去っていく三郎太の背中を、ベレンとサラシアは窓越しに見送った。
「で、ほんとのところはどうだったんだ」
「聞くなと言っているだろう」
しかし、サラシアは難しい顔をして、しばらくすると、
「正直言ってわからん。だが、両方死ぬのが、可能性としては一番高かっただろうな」
「そうか……」
ベレンは少し悔しそうに呟いた。ヘリオス騎士団団長の名は重い。いくら相手が尋常の使い手で無かったとしても、この結末は望ましいものではない。
「言い訳はしねぇよ。魔法を使っていたら絶対に勝ってたなんてな」
「してるじゃないか」
ベレンは視線を三郎太の背に遣りながら、独り言のように言った。
「……なんつーか、変な奴だったな。まるで、世界から浮いているみたいだった。あいつの周り数センチだけ、感じたことのない熱が流れてたんだ」
「……変わり者……では片づけられない、そんな気はするが……」
顎に手を当てて、首をかしげる。
サラシアもまた、三郎太という男の違和感を形容し難いようだった。
「切れ者のサラシアさんが、随分と歯切れの悪いことを言うんだな」
「五月蠅いぞ。しかし、彼の服装を見るに、崑崙周辺にゆかりがありそうだ。向こうの剣術、調べてみると参考になるかもしれないな」
「そんな時間があればな。……なんにせよ、ここの連中は幸運だな、いや、フィンデンブルグの名采配というべきか、あんな奴と戦って世界の大きさを知っちまったら、否が応でもやる気を出しちまう。強くなるかは人それぞれだが、間違いなく気は引き締まるだろうぜ」
「ああ。お前のところでも、外部から誰か見つけて雇ったらどうだ」
「あんな恐ろしいのはそうそう見つからねぇよ……さて、そろそろ戻ろうぜ、お互い、老人たちは五月蠅いんだ」
二人とも決して軽挙な自由が許される立場ではない。今日の視察も詰まりに詰まった予定の隙間に強引に捻じ込んだものだ。ただでさえ参謀周辺に仕事を押し付けているのだ。そのうえ帰りが遅くなればカミナリが落ちることは間違いない。
二人は窓辺を離れ、扉に向かう途中、もう一度だけ振り返り、黄昏に消える三郎太の背を見送った。




