新年祭について
――また……か。
昼休み、セシル・サンタクルスは魔法学校の廊下に掲示された試験の順位発表を仰ぎ見て、人知れず小さなため息をついた。
十二月の初めに行われる後期最初の試験は座学と実技の両方を測る至って普段通りの試験だが、一部の人間にとっては特別な意味を持つ。
この試験の結果如何によって、大晦日から新年にかけて行われる新年祭の二日目、運動会への参加の是非が決まるのだ。
新年祭に出場することができるのは中等部三回生以上の男女別に成績一番と二番のみ。
廊下に掲示された忌々しい紙の上には、2,セシル・サンタクルスの文字。
「はぁ……」
セシルはまたため息をついた。万年二番が仇になった。
こんなところを他の生徒に見られれば、「二番の癖に何が不満なんだ」と反感を買うか苦笑されるかのどちらかだろうか。
二番以内に入れば、新年祭への出場資格が手に入り、国を挙げて行われる栄えある新年祭の運動会への参加が許される……とは言うものの、セシルは全く嬉しくない。
確かに名誉なことだろう。孤児だった自分を引き取ってくれた教会に栄誉を持って帰ることが出来る。聖女課程を学ぶ身として、新年祭に出場できる名誉がどれほどのものかも十分に理解している。だがそれでも素直に喜ぶことが出来ないのは、新年祭のシステムにまず原因がある。
新年祭二日目に行われる運動会で、学生が出場するのは模擬試合。各学年男女別に一番と二番の者が戦う。一番と二番が戦うのだ。確かに成績は座学と実技の総合で算出されるが、それでも一番と二番には確かな差がある。一番が勝ち、二番が負けるのは通例で、これでは政府高官文武百官の前で恥をさらすために戦っているようなものじゃないか。
試合に勝ち負けはつきもの、観客は誰も負けた側を咎めはしないと言う人もいる。だが問題は周りがどう思うかではなく、自分がどう感じるかだ。特に、今回相手となるにっくき成績一番は……。
「オーッホッホッホ!」
耳障りな高笑いと、これ見よがしに奏でるやけに響く足音。
「あらあらあら! セシルさんではございませんの!」
近づいてきたその女はセシルの傍で立ち止まると、無性に舌打ちがしたくなる金髪縦ロールを揺らしながら、キメ顔でセシルを指さした。
「アンリエット・フィリープ……さん……」
「ハイ!」
アンリエット・フィリープ。セシルが万年二番であればアンリエットは不動の一番。入学以来、この順番が変わったことは一度も無い。生まれは貴族の出自で、しかも連合が連合になる前、王国の段階で既に一都市一地方を治める名家で、いま現在も四期にわたり、彼女の家の当主がその都市の統領に民意のもと選出されている。
この名家のお嬢様がセシルの新年祭の相手であり、特大の悩みのタネであった。
実はアンリエットの座学の成績はそれほど良くはない。常に十番前後にあり、セシルも座学だけで言えば負けたことは無い。だが一方で実技においてアンリエットは他の追随を許さない。
剣と魔法に関してはセンスの面でも馬力の面でも段違いで、時折先生までもが目を丸くして引いている。
幼いころからなんでもそつなくこなし、天才と呼ばれていて天狗になっていた、あの頃の自分を殴ってやりたくなるほど、彼女の実力は圧倒的だった。
はっきり言って実技の成績がモノを言う新年祭で、セシルがアンリエットに勝つ確率は万に一つも無いのだ。
「何か私に用でもあった?」
「いえいえ、ただお花を摘みに行った帰りに見かけたから声をかけただけですわ。もしかして迷惑でした?」
――婦女子がそんなこと廊下で言うか普通……。
「いやいや、そんなことは無いよ。一人でいるからめずらしいなって思っただけ」
「当然じゃありませんの。用を足すだけなのにわざわざ群れて行く必要なんてありませんわ。付き合いで個室を占拠してしまっては本当に使いたい人が困るでしょう。そもそも舎弟をぞろぞろと連れて威張り散らしている貴族なんて貴族ではありませんわ。貴族は貴族らしく、己の力と家名を誇りに、自分の両足で大地に立って世間に立ち向かうべきなのです。そういた気概の内にこそ平民を養い守る度量というものが生まれ……――。」
――これだよ……。
セシルは内心うんざりする。アンリエット・フィリープというお嬢様は名家貴族の出身とは思えないほど、人が良いのだ。所々高飛車なふるまいを見せるが嫌味っぽいところはなく、むしろ妙な俗っぽさというか間抜けさを持っていて、そこがまた人を惹きつける。
ほかの貴族にありがちな取り巻きをぞろぞろと引き連れるといったこともせず、貴族も平民も孤児を誰にでも平等に接する最高に出来た人間なのだ。
それが、セシルにとってはやりづらくて仕方がない。どれだけ実力が離れていても、これが出身を鼻にかけるいけ好かない貴族だったら何が何でも勝ってやろうという気になるが、これほどの人格者となるともうこの時点で降参したくなる。
セシルは自分の性格があまりよくないことは十分に心得ている。好き嫌いの差が激しいうえに、嫌いなものの方が圧倒的に多い。アンリエットのような人間も嫌いなものの一つだ。こういった人気者の人格者と一緒にいたところで損しかしない。悪い場面に遭遇すれば責任は此方に。良い場面に遭遇すれば彼女の株があがるだけ。苦手だとか不得手とかそう言った言葉で着飾らずに言えば、セシルはアンリエットが嫌いだ。
「新年祭への出場が決まったとき、ウラマー先生から言われましたの。『セシルは非常に優秀だ。決して恵まれた出自とは言い難いが、溢れる才能を無駄なく発揮し、またそれに胡坐をかかず、不断の努力によってあの成績を維持し、且つは大聖堂に赴き聖女になるために研鑽を積んでいる。事に当たる彼女の熱意は本物だ。今は、剣も魔法も確かにお前の方が優れているが、油断すれば……いや、そうでなくともお前が負ける可能性は十分にある』って」
「へぇ~」
あの冴えない中年魔法教師への評価は改めなければならないだろう。彼には真実を正しく見定める能力が備わっているに違いない。
「今まではあまり付き合いがありませんでしたが、今日こうしてお話をしてみてわかりましたわ。確かにあなたは強敵になりそう」
「え、こんな短いやり取りで?」
セシルは小馬鹿にしたように、作り笑いを向けた。
アンリエットはそれに心からの笑顔で返しながら、
「ええ。心というものは、きっと偽ることも隠すこともできないと思いますの」
「…………」
冷汗が噴き出す。顔は強張らなかったか、動作に不自然なところはなかったか。
うん、大丈夫だ。超能力者でもあるまい。心を読まれるなんてことはあり得ないだろう。
そう結論付けて、いつも通りの笑顔を浮かべる。
「そうだよねぇ。私もそう思うよ。……それじゃあ、新年祭、お互いに頑張ろう」
「ええ勿論ですわ! 模擬試合だろうと全力でいきますから! 覚悟しておいてくださいましね!」
授業開始五分前を知らせる予鈴が鳴った。
背中で高笑いを受け止めながら、セシルはそそくさとその場を立ち去った。
◆
「私にはわかんないなぁセシルちゃん。魔法学校の代表で新年祭への出場なんて名誉なことじゃん。出たいと思っていても出れない人の方が圧倒的に多いんだよ?」
「じゃあノエリア。貴女が私の立場だったら素直に喜ぶの?」
「ううん。プレッシャーに殺されてるね」
セシルはほら見ろとばかりに半眼で睨む。
セシルとノエリア、そしてそれにくっついてきた下級生のシオーネは、放課後、都と外周区を繋ぐ大門の近くにある喫茶店にいた。
ここならば、都の中にある魔法学校の寮に帰るノエリアとシオーネも、外周区にある教会に帰るセシルもあまり時間を気にせずこうして会うことが出来る。
「だって、セシルちゃんはあまりプレッシャーとか感じないタイプじゃん。だからあとはもう実力を発揮するだけで……人並みには負けず嫌いかもしれないけど、そこはまぁ模擬試合と割り切って……」
「他人事みたいに……」
ノエリアを非難してみるが、確かに彼女の言はもっともで、勝てば賞金がでるとか、負ければ就職に不利だとかが無い以上、新年祭の模擬試合なんかはただの型式ばった行事と割り切るのが賢い処世術なのかもしれない。
こんなにも新年祭が憂鬱なのは、負けるとわかっている試合に出て、あの誰からも愛されるお嬢様に花を添えるだけというのがどうしようもなく嫌だからだ。
自分はこんなにも負けず嫌いだったかと自問してみるが、そんなはずはない。
きっと、憧れの先輩の前で無様に敗北する自分を見せたくないし、逆に光り輝き喝采を浴びる同期の姿も見せたくないのだ。
「ノエリアちゃんと違ってセシル先輩は健闘するだけの実力があるんだから、結果なんてどうでもいいじゃない……ッスか。ベストを尽くす! お互いを称え合う! 観衆喝采! 大総統のおっさんが出てきてうぉっほんよき試合だったじゃあ次の試合いってみよー。それじゃダメなの? ……駄目なんスか?」
頭の悪そうな発言は、それまで山盛りのパフェに齧りついていたシオーネから発せられた。
いつぞやの一件以来、シオーネはセシルを微妙に恐れていて、使い慣れない奇妙な敬語が飛び出している。勿論。こういった奇妙なものも含め、およそ尊敬の表れと判断されるような言葉、所作がシオーネからノエリアに向けられることは決してない。
「健闘ねぇ……」
シオーネはアンリエットの実力を直接見たことがないからわからないのだろう。
身体作用のセンス。環境作用の爆発力。どちらの魔法も本当にピカイチなのだ。剣ならば一合と合わせることも出来ずに首筋に添えられているだろうし、魔法ならば発動し終えた時にはこちらの体は宙を舞っているだろう。
「さりげなーく私ディスられてるけど、アンリエットさんのバ火力はシオーネちゃんが見ても腰を抜かすと思うなぁ」
「でも、一ついいっスか?」
シオーネが、食べ終えたグラスを横にずらしてから、
「なんか負ける前提で話進んますけど、勝ってしまえばいいじゃないっスか」
大真面目な顔で、事も無げにそう言った。
「だからぁ……! それが出来たら――」
能天気な言葉にイラっときたセシルが語気を荒げそうになったとき、
「今、大変素晴らしい言葉を耳にしました」
ふんわりと優し気な大人の香水の香りとともに、一人の女性が現れた。
「負けるのが嫌なら勝てばいい。まさにその通り。悩みを解決する方法は単純明快で近道であるほど良いというものです」
そこに居たのは、大聖堂指定の特別な修道服を纏った、輝く銀髪と慈愛に満ちた表情の女性。
「だ、大聖女様ッ!?」
「はい」
三人の声が重なった。
◆
「あばばばば……!」
「あわわわわ……!」
「大聖女様っ、なぜこんなところにっ!?」
思わぬ大聖女の出現に言語機能を喪失したノエリアとシオーネを放っておいて、大聖堂で面識のあるセシルが尋ねる。
今当たり前のように、椅子を引いてセシルたちテーブルについているのは紛うことなきあの大聖女アウロラである。付き人も無く市井の一喫茶店に足を運ぶとはいったい何事だろうか。
「あら、いつのまにか連合では聖女が喫茶店に入ってはいけない法律でもできていたのでしょうか?」
「いえ……そうではなく……いやでも一人でふらふらとするのはあまりよくないのでは……?」
「心外です。大聖女を子供のように扱わないでください。それに一人ではありません」
アウロラが指し示した、意外に近いテーブルには確かにいつもの護衛がいた。休憩中のようだが油断なくアウロラの方に意識を向けている。
「私もたまにはこうして息を抜くときがあるのです。そんな事よりも先ほどの話です。……えーと、シオーネさんでしたね?」
「は、はひっ!」
「私は先ほどの言葉に深く感銘を受けました。そうですその通りなのです。如何に困難の壁が目の前に立ちはだかろうと、それを砕いて先に進もうとする意志。それこそが、人間の持つ輝きなのだと私は信じます。……いいですか、セシル。聖女を目指すものが、ほんの少し高い壁にあたったからと言って、不貞腐れていてはいけませんよ。大切なのはやる気と元気です」
「本当に少し高いだけなら苦労はないんですけどぉー……」
「セシル」
「うへぇ……」
立ち直ったノエリアとシオーネが意外そうに眼を丸くしている。
表に出てくる大聖女は物腰柔らかな慈愛に満ちた母のようなイメージだが、実際には体育会系的な思想の持ち主なのだ。
開拓事業を引っ張っているのも、今回『神意執行会』を結成したのも大聖女アウロラであることを鑑みればそのあたりは感付いてもいいものだが、なかなか固定化されたイメージというのは払拭しがたい。連合の国民すべてに大聖堂で教鞭を執るアウロラの姿を見せてやりたいものだとセシルは思った。
「それとじつは、声をかけたのにはもう一つ理由があって、新年祭のことについての相談なのですが」
「新年祭について、ですか……?」
ノエリアが首をかしげる。
確かにセシルは新年祭に出場することになっているが、運営する側の内部事情なんてほとんど知らず、主催者側のアウロラから相談を受けるような立場ではない。当然他二人のような一介の学生は言わずもがな。
「例年新年祭二日目の運動会の最後に『鎧割り』があることはご存知でしょう?」
「ええ、まあ」
連合首都に新年祭を知らない人間がいないように、鎧割りを知らない人間もまたいないだろう。
ただこの鎧割りという競技の評価は両極端で、手ひどく非難を受ける反面、一部カルト的な人気を誇っていたりする厄介な競技だ。
競技自体は、円形闘技場の中央に据えられた、頭から足まで揃った名物鎧を真正面から剣で割るというもので至ってシンプルだ。ただし、補足するとこの競技は新年祭の盛り上がりが最高潮に達する最後に行われる競技であり、またかつて鎧割りを成功させたものはごく僅かで、少なくともここ百年、成功者は出ていない。
それゆえに評価は分かれている。模擬試合などで観客が熱狂する運動会のシメに、いまいち盛り上がりに欠けるどころか、間抜けにカーンと高い音を響かせるか、曲面に刃を滑らせて地面を叩くだけの競技を配置するのは新年祭の余韻を台無しにするだけだとか、そもそも名物鎧に傷をつけるだけの競技になんの意味があるのかなどと厳しい声がある一方、「失敗した時の空気がたまらない」「伝統なんだからなんか意味があるに違いない」などの肯定的な意見もある。
何れにせよ政府はこの競技を廃止にすることも競技時間を変更することも無く、ある意味聖域としている。
これについて、鎧割りは熱狂する市民をしらけさせて、帰り道の喧嘩や事故を予防するためにあるとか、古文書によると割られる鎧はいわくつきのもので、呪いの類を払拭するにはああいった儀式を経なければならない(要出典)などの俗説が飛び交っている有様だ。
中途半端に成功しても地味だと言われ、失敗すれば笑いものになる。兎にも角にも参加者にはあまりメリットはなく、一応は実力を保証する意味も込めて騎士団からの応募が待たれるが、どの騎士団も嫌がって、結局いつも物好きな一般市民の応募で参加者が決まる。そんな日陰者の競技が鎧割りだ。
「実はそれに出場するはずだった人がうっかり腕の骨を折ってしまったらしくて、代わりに出場する人を探しているんですが……」
「はぁ……」
三人とも気の無い相槌と表情をする。いかんせん話が見えてこない。というよりも聖女を悩ます問題のようには思えない。
セシルは言う。
「別に、そういうこともあるんじゃないですか? 今回も募集は一般から?」
「はい。やはり騎士団の方々は難色を示したので」
「じゃあ、もう一度抽選をすればいいじゃないですか」
「…………」
「うん、まぁ普通そうだよね。応募者の名簿とかの書類が残っていれば、そこからまた選べばいいわけで……」
「…………」
ノエリアがセシルの言葉を繋ぐ。聖女は沈黙。
「…………」
そこで二人が気づき、遅れてシオーネも察した。
「ちょ、これ不祥事ってやつじゃ…もががっ……!」
「はいストップ! ビークワイエット!」」
うっかり真相を暴露してしまいそうになったシオーネを慌ててノエリアが止める。
「……それでいいんスか大聖女……」
セシルの非難も意に介さず、大聖女は運ばれてきた紅茶を一口すすると、第二の爆弾をさらりと落とした。
「というわけでもう一度募集と抽選をするには時間も無く仕方がないので大聖女たる私が新年祭に出場するにふさわしい人物を選ぶことといたしましてついてはその第一候補に清浜三郎太さんを指名したいと思うのです」
何かを誤魔化すかのような早口の中に、聞き捨てならない単語が含まれていた。
「「「…………!」」」
嫌悪。
憎悪。
恐怖。
思いはそれぞれに。不快な沈黙が場に降りた。
聖女はそれに気づいていないのか、ただ一人、静かにカップに口を付けた。




