運命が動き出す
善鸞の物語を聞かされた三郎太は、しばらくの間、何かを堪える様に瞑目して黙っていたが、やがて、
「……全て、他言無用」
とだけ言うと、そのまま部屋を出て行った
善樹とマリアだけが部屋に残される。
「気を悪くしないでね善樹さん。きっと、あれは余程真剣に受け止めたってことだろうから……でも、貴方も少し誠実さが足りないんじゃない?」
マリアは茶化すように善樹に笑いかける。
「相手の心を動かしたいのなら、貴方本人がここに来るべきだわ」
「うむぅ……」
善樹は参ったといったように低く唸った。
「流石に、分かってしまいますか」
「ええ、聖女だもの」
全てを見透かしているかのような聖女の眼差しに、善樹は観念したように語りだした。
「如何にも、この体は偽りの体でございまする。話にもあったように、善鸞上人が往生された以上、私のような、一応は人間である者にはもはや生きながらえる術はないのでござる。故に、このようにして式に拙僧の姿をとらせて皆様の前に立っているのでござる」
「もしかして本物の善樹さんは今私の前にいる善樹さんよりもずっとお爺ちゃんなのかしら?」
「ハハハ。いやいや、姿形は寸分違いませぬ。ただ……市井に出向くには、あまりに相応しく無い、ただそれだけでござる」
その言葉で、マリアは本当の善樹の姿がどのような形で現世に留まっているのか、察しがついた。それは聖女としては到底見過ごせないものであったが、今だけは、聞かなかったことにしようと、そう思った。
「ま、あとは三郎太次第ね」
「うむ。考えを整理する時間が必要でありましょう。マリア殿、またここに足を運ぶことになると思うがよろしいか?」
「ええ構わないわ。むしろ私の追ってる案件にも関係深そうだし、願ったり叶ったり……っていうか私の仕事が増えた原因って、貴方が夜な夜な不審な行動取ったからじゃないの! 別に私が感謝する必要ないじゃない!」
マリアが突然大声を上げる。いつもの癇癪のようなものだ。
「北竟大帝らに感づかれてはならぬと人目につかない時間を狙ったものの、よくよく考えれば却って目立っておりましたなぁ……」
「まったくもぅ……」
ついうっかり、そんな軽い調子で過去を振り返る善樹に毒気を抜かれてマリアはすぐに落ち着いた。
「はぁ、まぁこのこともとりあえず置いといて。一つ……質問いいかしら?」
「何なりと」
マリアは、らしくもなく、少々言いづらそうに話し始めた。
「私は今の話、だいたいは信じているわ。それで……話によると、貴方も、善鸞さんって人も、此処とは別の世界……異世界から来た人ということらしいけど……」
「だいたいは信じている」その言葉とは裏腹に、マリアが多分にこの話に対して疑念を抱いていることを善樹は容易に見て取れた。
「……疑いはもっとも。しかし如何にも全て事実にござる」
「あぁいやっ! 疑っているわけでは……ないんだけど……」
「ふむ」
「貴方の顔立ちとか、雰囲気とかって、結構三郎太に似ているけれど、もしかして……」
善樹はマリアの言わんとしていることを察した。
「うむ。清浜三郎太殿は間違いなく我らと同じ世界、同じ国……日ノ本の、おそらくは関東の何処かの出身でござろう。生きていた時代は異なるであろうが、あの刀、あの恰好、間違いござらん」
善樹の回答に、マリアは不安とも安心ともつかぬ複雑な表情を見せた。
「やっぱり本当だったんだ……」
「やはり……?」
「あぁ、三郎太がくる前にちょっと話したけど、私は三郎太とはここから遠い町で既に会っているの。多分……あの時はまだ、いわゆる此方の世界に来て間もないころだったと思う。町長がいうには確かに日本だとかヤパンとかから来たって言ってたらしいし……いつの間にか、遠いところからきた。で済ますようになってたけど」
最後は自嘲気味に、マリアは言った。
全く見知らぬ世界にいきなり放り込まれた孤独と不安を、自分は全く理解しようとはしていなかった。三郎太の来歴を頭ごなしに否定したことは無かったが、聞いたことも無い地域――異世界から来たなどという事は、はっきり言って信じていなかった。
彼は一体どういう思いでここまで来たのだろう……。
「や、無理もありますまい。我らとて、何故魔人などというものに成り果て、此方の世界に導かれたのか、皆目見当もついておらぬのです」
「じゃあやっぱり、三郎太が善鸞さんの跡を継いで、その北竟大帝とやらと戦わなきゃいけないってこと? 貴方の言う、勇者として」
「……拙僧は、それを望みまする」
それからは、少し沈黙が続いた。
異世界からの来訪者。ウェパロスと連合首都の事件。死霊魔術。生と死の境界。世界の滅亡。善鸞。北竟大帝……。
聞かされた内容を額面通りに受け取れば、確かに筋が通っているように見えなくもない。だが実際にはどれも、少しファンタジーによりすぎているように思える。聖女であるマリアは高いレベルの教育を受けてきており、歴史とて通り一遍の通説は把握しているつもりだが、二度目の大戦の折に凍土で魔獣や魔人を巻き込んだ戦いが行われていたなどという事は知らないし、世界を滅ぼそうとする魔人の存在も、世界を滅ぼすための仕組みというのも初耳だ。
清浜三郎太という男も、確かに少々特異な人間だとは思っているが、まさか世界をかけて魔人と戦う使命を負う人物だとは到底思えない。
しかし、彼は間違いなく異世界の人間であるという。
その点で言えば、確かに今マリアは常識からは外れたところに足を踏み入れているといっても良いのだが。
「やっぱ……なかなか信じらんないわねぇ……」
十数年培ってきた常識というものはなかなか堅固らしい。
これからの身の処し方を未だ掴みかねていた。
◆
連合首都、大聖堂の一室。
太陽、月、海、そして大地を示す巨大な十字架の前に修道女が跪いて祈りを捧げている。
ステンドグラスを通した月光に照らされた女は、長い銀髪の、聖女然とした美しい女だった。
その背後、入り口の扉の近く、闇の中から浮かび上がるようにして、一人の男が現れた。
黒の紳士帽、黒のコート、とにかく全身黒ずくめの男――北竟大帝であった。
「中身の無い形だけの祈りなど、やるだけ無駄だと思うのだが、一体いつまで続けるつもりだ?」
「あら、中身が無いとは心外ですね。私はちゃんと、哀悼を捧げているのですから。哀れで無能な敬愛すべき神々と英雄たちに」
女は立ち上がって振り返る。
そして小馬鹿にしたように肩を竦めた。
「はて、随分と剣呑な雰囲気を出していますが、一体何の用ですか?」
「……単刀直入に聞こう。なぜ私の娘を動かした?」
ツカツカと歩きながら、静かに北竟大帝は詰問する。
「ああ、確かに、クニマロが裁可を求めてきたので、私が許しましたが」
「何故かと聞いている!」
どす黒い怒気が北竟大帝より溢れだし、空間を震わせる。
しかし、女にはそれを意に介した様子は無く、普段通りの声音で対応する。
「丁度いい機会だったからですよ。クニマロが予定通りあの男を始末できればそれでよし。出来なかったとしても、あの男の実力と、貴方の娘の調子を測ることが出来ればそれもよし。まぁ結果は残念だったようですが。たかが四人の死体も満足に操れないようでは、とうてい計画を遂行できるとは思えません」
嘲笑は北竟大帝に向けられている。計画とやらの先行きを危ぶんでおきながら、その態度は余裕を保っており、いちいち北竟大帝をイラつかせようとしているようだった。
北竟大帝は帽子を目深に被り、努めて感情が高ぶらないようにした。
「だから彼女を動かすなと言っているのだ。未だ彼女は眠りの中、覚醒もしていないうちに無理に動かせばそれこそこの先支障が出る」
「ああそうだ、それについて一つ。どうやら彼女、あの男の事をちゃんと認識しているようですよ。彼が来た途端、死体共の動きが見違えるように良くなったと。死してなお一人の男を想うとは泣かせますね」
「…………」
北竟大帝は苦々し気な顔で沈黙した。
そして一つ大きなため息をつくと、近くの長椅子に腰かけた。
「……今更腹の探り合いも無いだろうし、このあたりで少し、お互いの立場というものを整理しようではないか」
「あら、殊勝ですね北竟大帝。私は一向にかまいませんが?」
女は祭壇の前の十字架に寄りかかる。
その恰好に反して、つくづく信仰と言ったものからは無縁のふるまいであった。
当然、北竟大帝にも三神への信仰心なんてものは欠片も無いが、そのギャップには少し呆れた。
「僕は以前、あの男は計画の脅威になると伝えたはずだ。彼に『勇者』になられては困ると」
「ええ確かに」
「そして貴様もまた、あの男を排除することに賛成し、そのために『土蜘蛛』を僕に預けた。そうだな?」
女は首肯する。
「ではなぜ、今回『土蜘蛛』のクニマロは僕の命令を聞かず、勝手に貴様に命を仰いだ。なぜ勝手に僕の娘を利用した」
「ふむ、約束が違う……と言いたいのならばお門違いです」
女は嘆息し、見下すように、北竟大帝に視線を向ける。
「そもそも、貴方は勘違いをしています」
「何?」
北竟大帝は眉をひそめた。
「貴方は確かに私のよき協力者であり、世界を相手にするにあたっては偉大な先達です。ただし――」
女は少し間を置いてから、断言した。
「今回の大将は私です。我ながらその忠誠心には驚きましたが、中核戦力たる『土蜘蛛』も、その他の魔人、魔獣も皆私に従っているのです。決して貴方ではない。そのあたりをちゃんと理解しているのですか? 分かり易く言いましょう。貴方は私に協力し、助言をすることはできますが、私に指示する権利は無い」
「…………!」
北竟大帝は、言葉を失って、目を丸くしていた。
この女の言葉はあまりに乱暴で、尊大すぎる。どれだけ実力の離れた相手であれ、このような言葉をかけられればその下を離れてもおかしくない。
それにそもそも北竟大帝の実力は、この女に負けずとも劣らないのだ。
女の台詞は、今ここで一戦交えるほどの覚悟が無ければ吐けない大言壮語だ。
「私だってバカではありません。前回の事も、世界を破滅させる仕組みも、全て調べはついています。そのうえで言っているのです。前回失敗した貴方は、今回の計画においては有用ではあれどももはや必須の人材ではない。ただの、世界を破滅させることに悦びを感じる一同志に過ぎないのですよ」
そこまで、女は言い切った。
明らかに礼を欠いたセリフ。これまでの協力の恩に仇で返すふるまい。
通常ならば北竟大帝とて許せることではなかったが、この時、北竟大帝の心中は不思議と晴れやかだった。快晴と言っていい。怒りなどというものはどこにも無かった。
――ああ、これは、僕だ。
胸中に湧き上がる欲望のままに生き、己一個が絶対と信じ、運命などという言葉を唾棄する。
真の意味での敗北を知らず。この先も負けるとは夢にも思ってない。かつての――。
北竟大帝は顔を手で覆い、震えた。
それは喜びとも、悲しみとも、恐怖ともつかない奇妙な震えだった。もしかすると武者震いと言うのかもしれなかった。
「……世界というものは、かくも強大で、度し難いものなのだな……」
「……?? 何か? 言いたいことがあるのならはっきりと言いなさい」
世界の理、機構、道理、運命。
その昔、北竟大帝が薄々気づきながらも、必死に否定した事実が、善鸞が語った言葉が、今、現実のものになろうとしていた。
北竟大帝は、確かにそれに気づいた。あと一歩で、それに触れようとしていた。だが、
――だったらどうした!!! 今は……いや、永遠に、僕はこの胸に去来する欲望に従うのみだ。世界を壊す、滅ぼす、ただそれだけが僕の運命だ!
世界がそれほどに強大であるというのならば、それこそ滅ぼし甲斐のあるというもの。
そして目の前には志を同じくする期待の新鋭がいるのだ。
これに付き従わない道理はない。これと運命を共にしない理由がない。
「クククッ……」
俯いた顔を覆う手の隙間から、笑いがこぼれる。
「何がおかしいのですか」
「いや、分かった。僕は君に従おう。だからあまり老人をいじめないでくれ」
しかし北竟大帝には一つだけはっきりとしておかなければならない問いがあった。
「これだけははっきりと答えてもらおう。清浜三郎太はどうするつもりだ?」
「彼が今後も斃れないというのであるならば、彼にはそのまま『勇者』にでもなってもらいましょう。本当に彼が彼方の世界から来たというのならば都合が良いではないですか。私も彼方、彼も彼方、お互い率いるのは此方の世界。これならば彼方と此方の世界の境界を壊すことが出来るでしょう」
女の顔に、怒りと優越が混ざった嗜虐的な笑みが浮かぶ。
大聖堂にも、修道服にも似合わない笑みだった。
「彼方を巻き込んで世界が崩壊すると知れば、彼も奮起せざるを得ないでしょう。そうして頑張って、困難に打ち克って、『勇者』となった時、初めて絶望の与え甲斐があるというもの、大和の人間にはこれでもまだ足りないくらいですが、私の復讐は個人よりも大和の民そのものが対象。彼個人への執着は計画の先には立ちません」
「ふむ、そうか」
「不満ですか? 貴方は随分と彼が勇者となることを恐れているようですが、それは結局のところ、前回の失敗を引きずって、善鸞に連なる者を恐れているだけでしょう。非合理な懸念と言わざるを得ません」
「言っただろう。老人をいじめるなと」
北竟大帝は苦笑して女の話を遮った。
「ではこれ以降、僕は僕でそれなりに自由にやらせてもらうが、君に協力は惜しまないし、命令も聞こう。ただ、あの娘の事だけは僕に任せてくれ」
「ええ、それで手を打ちましょう」
女はあっさりと北竟大帝の要求をのむ。
北竟大帝がこうも容易く自分の傘下に入ったことを、意外な収穫と思っていたのかもしれない。
北竟大帝は立ち上がり、扉の方へと踵を返す。
しかしその途中、
「ああそうだ、一つ先達からの忠告だ」
キッと振り返り、険しい表情を女に向けた。
「たかが神威山を一人で落としただけであまり図に乗らないことだ。魔人などという生き物は元来自分の欲望にのみ従って生きているようなもの。油断していると足をすくわれるぞ」
北竟大帝が消え、沈黙の帳が下りた。
「ふん、旧い連中というものは、どうして小言が多くなるのでしょう」
ひとり呟いて、女もまた部屋をあとにしようとする。
「さて、そろそろ正式に神威山を開拓するとして……ああそういえば、新年祭で競技に空きがありましたね、何か余興でも……」
何か楽しげな計画を思いついたように、女は不気味に笑い、闇の中へと消えていった。




