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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第二章 闇夜に蠢く首都の怪
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善鸞上人往生伝 前

「しばらく、昔話をさせていただきたい」


 善樹はそう言うと語りだした。



 およそ百年前。ヴォルフスと連合、二つの新興国の間には国境に沿って広がる都市国家群の処遇を巡って、戦争の機運が高まりつつあった。


 都市国家群の併合を目論むヴォルフスを率いるのは魔人『太祖たいそ』。

 その過去がどのようなものであったかは明らかになっていないが、一族と共に突如として都市国家ヴォルフスの実験を掌握するや、瞬く間に周辺地域を呑み込んで一躍軍事大国を作り上げた異例の英雄。その統治は強硬ではあったが善政であり、魔人でありながら人を愛し、何代にもわたって皇帝一族を育て、守り、国家を発展させた国の母。


 一方。都市国家群の自主性を重んじるとともに連合に組み入れ、緩衝地帯として利用せんとする連合を率いるのは若干二十歳の若き総統、通称『愛された者』。

 彼は両方の足で立ち上がるころにはすでに博学多才の片鱗を見せ、成長するにつれてあらゆる分野でその才能を遺憾なく発揮し、特に政治においては一時分裂の危機にあった連合を再び結束させるという偉業を成し遂げ、十八歳にして総統に選出された若き英雄。異なる世界、異なる時空からやってきたなどと言う噂がまことしやかに語られるほどに優れた才能と麗しい容貌を持ち、老若男女神魔を問わず愛された。まさに『愛された者』であった。


 共に史上稀な俊才。共に成長著しい新進気鋭の国家。ぶつかり合えば、世界がただでは済まない。

 龍虎の対立が風雲急を告げる中、密命を請けた善樹は自らの敬愛する師のもとに行くために山道を急いでいた。

 やがて彼はたどり着いた洞穴の前に跪いた。


善知識ぜんちしき! 善樹ぜんじゅただいま戻りましてございまする」

「して、如何に」


 洞穴の奥から聞こえた声は死に際の老人の如く、あまりにも弱々しくか細かった。


「遺憾ながら全て真にございまする。すでに凍土には北竟大帝ほっきょうたいていに同調する魔獣、魔人が集い始め、ひとたび人の世に騒乱が起これば、それに便乗して一挙に南下、都市に押し寄せ人間を殺し尽すとのこと……龍安りゅうあん曇谷どんこくの二名と共に捕らえた魔人のいわく、彼らはこの計画を『黄昏』と呼んでいるようでございます」

「ふむ」

「それともう一つ……これは荒唐無稽と思われるかもしれませぬが……、この計画で北竟大帝らは冥府の門を開き、死者をこの世に解き放つつもりであると……」

「それは、捕まえた魔人が、そう申したか?」

「はっ」


 それきり、洞穴から声は聞こえなくなったが、暫くして法螺貝を腰に提げ、ボロとなった法衣を纏った骨と皮ばかりの老僧が姿を現した。


「善知識!」


 自由の利かない全身に鞭打って、壁を頼りに洞穴から出てきた老僧を善樹が慌てて支えた。


「善知識! お一人で無理をされては……ええい、道空どうくうは一体何をやっている!」

「道空は水汲みにいかせておる」


 善知識と呼ばれた老僧は善樹に支えられながらゆっくりと岩の上に腰を下ろした。


「……善樹、此方こちらの世界に来てから一体何年になるかな」

彼方あちらの世界では二百年。此方こちらに来てからは三百年と少しでしょうか、人の精神というものはあまり長生きできるようには出来ていないようで、近頃はいい加減数えるのも面倒になり申した」

「か、か、か。愚禿ぐとく善鸞ぜんらんのせいであろうな。この身がいつまでも朽ちぬ故、お主らも果てぬ。儂のような愚か者の眷属になんぞなるからだ。は、は、は」

「や! 滅相もない! 決して不満があるわけではありませぬ! 我ら天狗衆てんぐしゅう、皆自ら進んで善知識の供をさせていただいているのでございます」


 失言に気付いて、慌てて額づく善樹を、善知識ぜんちしき――善鸞ぜんらん――は孫を見るかのように愛おし気に眺めた。


「そうか……五百年か。父に義絶ぎぜつされ、門弟に後ろ指を指され、天狗と罵られたあの日……昨日のように思い出せるというのに、もう五百年たったか。これでは天狗も天狗、大天狗よな」


 善鸞は皺まみれの手に視線を落とした。

 そこにあるのは、どれだけ老いても朽ちることを知らない呪われた体である。

 不老ではないが、では不死かと言われればそれは分からない。

 試したことがないのだ。生に飽き、死を待ち望んでいるように見せかけながらも、生きるに十分な食事を採り、腹に刃を突き立てることもせず。いつまでも醜く生きながらえている。


彼方あちらでも、此方こちらでも、我らは嫌われものであったなぁ……」

「……はい」

「父の教えに反し、北へ東へと彷徨い歩いた挙句、天狗道に堕ち、無間地獄に迷い。いつまでも死なぬ浅ましき姿になりはて、気づけば掃き捨てられたかのように此方の世界に追いやられた……愚禿ぐとく善鸞ぜんらんには相応しい末路だが……返す返すもお主らまで儂に付き従ったのが無念でならぬよ」

「…………」

戒律かいりつを忘れ、国の鎮護ちんごも祈らず、念仏に専修せんじゅすることもなく。救われぬ衆生を救うためと方便ほうべんのみを垂れ流し、嫌われるままに野山を彷徨い数百年……」

「…………」

「まったく……人の生のままならぬものよ。愚禿善鸞、一体何を成し遂げたか」


 そう言った直後、善鸞は自嘲気味に笑った。

 自らの生に意味を求めようとすることこそ、煩悩の最たるものではないか。かりそめにも仏道を志し、枯れ木になるまで老いさらばえてもなお、己は煩悩に溢れたままであるのだ。


「それでもっ……! それでも善知識!」


 膝をついたままの善樹は、はっと顔を上げると、力強く訴えた。


「如何にも我らは嫌われ者でございました。南都も真言秘教も念仏も法華も禅も、皆々全て我らを外道天魔げどうてんまと罵り申した。朝廷に捕らわれ、武士に斬られ、民草に石を投げられ、あちらでは天狗、こちらでは魔人。常に山野洞穴に身を潜め、明日の飯にも困る有様でございました」

「…………」

「それでも……救うた人々は皆真実でありますッ……! 子を失った母が、伴侶を亡くした夫が、魔に魅せられた幼子が、確かに善知識に救われたではありませぬか! 善知識が自らを否定することは、彼らの救いを否定することになり申す! 故にどうか……どうかっ……!」


 地に顔を付けて咽び泣く善樹に、善鸞は驚いたようにしばし呆然としていたが、やがて儚げに顔をほころばせた。


「……そうか善樹、お主はそう言ってくれるか」

「はい。私も、我ら天狗衆も、みな善知識に救われてここにあるのです。どうして善知識の生涯に意味のないことがありましょうや」


 善鸞はふっと空を仰ぎ見た。すがすがしいまでに快晴が広がっている。


――そうだ。幾度も振り返り、幾度も迷い、幾度も煩悶はんもんした。それでも……救いの道を、間違いであったと思ったことは、後悔したことは、一度もない。


 衆生しゅじょうを救うと誓われた阿弥陀仏の本願ほんがんが真実であることを疑ってはいない。だが人は決して強くなく、穢土えどは苦しみに満ちている。どれだけ本願を信じても、どれだけ念仏を称えても、辛く厳しい現実はさながら無間地獄の如く目の前に広がっている。

 一体どれだけの衆生が、本願のみを頼りとして浮世の山を乗り越えられるだろうか?

 一体どれだけの衆生が、浄土のみを欣求して穢土の海を渡れるだろうか?

 ……それがいかに険しい道のりか、知っているから『救った』のだ。

 死にゆく衆生を阿弥陀仏が浄土へ導くというのならば、この善鸞は今を生きる衆生を『救おう』ではないか。たとえ専修賢善せんじゅけんぜん邪義異教じゃぎいきょうと罵られようとも、決してこの道は間違ってはいないのだ。


「……なんとなくそれに気づき、なんとなく止めねばならぬと思い、またなんとなく布石を打ち続けた……。それでもまだ足りぬのは何かと思っていたが、今それが分かった」

「善知識……?」


 ふいに雰囲気の変わった善鸞を、善樹は怪訝そうに見上げた。


「勇気だ。ただ儂一人に前に踏み出す勇気がなかった。許せ善樹。此度こたびお主に調べ上げさせたことはすでに何度も他の者から聞いていた。ただそれが真実であるかを確かめたかっただけなのだ」


 善鸞はその細い足に力をこめるとゆっくりと立ち上がった。

 慌てて善樹がその体を支えようとしたが、それには及ばなかった。

 枯れ木のような老僧は、その見た目こそ変わらぬものの、見違えるような確かな足取りで歩き始めたのだ。


「善知識……お体は……」


 まるで、常盤ひたちの峻険で初めて会った時のような若々しさを取り戻した善鸞を、善樹は呆然と眺めた。

 それに善鸞は困ったように振り向いて、


「何をしておるか、世界を救いに行くのだぞ」



 連合首都より真北に位置する凍土、絶対零度の吹雪の中で善鸞と天狗衆を待ち構えていたのは、黒のコートに黒の紳士帽と全身黒づくめ、黒い長髪の()だった。 


「やーやーやあ! 思ったよりも早かったね。君たちの事は知っているよ。魔人善鸞とゆかいな仲間達……たしか天狗衆だったかな。ボクたちの周りを嗅ぎまわっているだけならまだしも、何度も何度も邪魔してくれちゃってさ、流石に頭に来ていたところでね」


 女は吹雪に中にただ一人、うっそりと浮かび上がっている。

 山伏姿の者。寡頭を被った僧兵。袈裟をかけた道士など思い思いの恰好をした天狗衆は、ボロを纏っただけの善鸞を吹雪から守るように囲み、女と対峙した。


「初めまして! 君がリーダーの善鸞だろう。無意味に老いさらばえた枯れ木のようなクソハゲ爺と聞いていたからね、まったくその通りで笑えるよ」


 女の挑発にいきり立つ天狗衆を善鸞が片手を上げて制し、ゆっくりと円の外側へと歩み出した。


「ボクの名前は……あぁどうせだから君たちが名付けてくれた名前を名乗ろうか、意外と気に入っているんだ、最初にこの名を呼んだ人はいいセンスをしている。なにせ僕の哲学とマッチしているんだからね」


 女はコートを翻し、高らかに名乗りを上げた。


「ボクの名前は北竟大帝ほっきょうたいてい。世界を壊すものさ!」


 途端、視界を遮っていた吹雪が収まり、北竟大帝の背後に魔の軍勢が姿を現した。

 巨人のレギオン。狼の群れ。三頭を持つ犬。羽の生えた蛇。人面の獅子。多足の馬。双頭の怪鳥――。

 また、怪物だけでなく人の姿をした者も多くいた。

 角のある者、羽のある者、手の多い者、足の多い者、瞳の色の異なる者――。

 そして、長大な大蛇がそれらを囲むようにして横たわっていた。

 それら北竟大帝の背後を埋め尽くす魔の軍勢に対するのは二十八人の天狗衆と善鸞のみであった。

 眼前に広がる圧倒的な戦力差に、善樹を含め、天狗衆のほとんどが苦慮の表情を浮かべた。

 既に彼らの頭の中には、如何にして善鸞をこの場より逃がすかが浮かんでいた。

 しかし、当の本人が発した声は気の抜けるような飄々としたものだった。


「か、か、か、揃えたのう北竟大帝。あぶれ物ばかりでよくもここまで。か、か、か」


 折角の演出を嘲笑された北竟大帝は、不愉快そうに眉をひそめた。

 天狗衆には効果覿面で、既に彼らは精神的に敗走しているというのに、最も虚弱そうに見える老人だけが、泰然として嗤っているのだ。


「……意外と図太いんだねクソ爺。ボクよりかは短いが、無駄に長生きしているだけはある。だけどこれなら――」

「知っておるよ、その足元の、だろう?」

「ッ……! へぇーえ……」


 何事かを披露しようとして、サッと手を上げた北竟大帝を善鸞が制す。

 いよいよ北竟大帝から怒気が漏れ始めたのも意に介さず、善鸞は語った。


「知っておる。知っておるとも北竟大帝。何のためにあれだけ布石を打ったと思っておる。貴様らの企みを一つ一つ暴き立て、好機を伺っては貴様らの仲間を屠り続けたのはこの善鸞と天狗衆なるぞ。……なるほど連合とヴォルフス、王道と覇道の争いにことよせて、魔と人、生と死、此方の世界と彼方の世界、常なる者と異なる者、並び立つ陰陽を一つに集めて争わせ、原初の混沌に還す……すなわち、世界を壊す黄昏……。上辺をなぞれば用意周到、げに恐ろしき破滅の策と思えなくもない……が」


 細められていた善鸞の目が、弾劾するように見開かれた。


「笑止!! 盛者必衰諸行無常、貴様の企み、全て世の理を知らぬ蛮行に過ぎぬ! そのような愚策、放っておいても成せるはずがないであろうが、貴様のような愚か者に付き合って、いたずらに冥府に落ちる魂が増えるのは忍びない……故に」


 善鸞は懐から数珠を取り出し、手に巻き付け、もう片方の手には巻物を取った。

 それにならい、天狗衆も思い思いに得手とする獲物を構えた。


「故に今ここで、慈信房じしんぼう善鸞ぜんらんが貴様の愚行を食い止めようというのだ」


北竟大帝は怒りを堪える様に、帽子を目深に被って目を背けた。

そしてスッと片手を上に挙げると、


「……よく知っているなぁ……本当によく知っている。ならもう言葉はいらないだろッ! やれッ!」


 麾下の軍勢に号令した。

 一方の善鸞は顔色一つ変えずに天狗衆に告げる。


「……聞け。雑魚からで良い。先ずは殺せ。罪業は全てこの善鸞が背負おう」

「まさか、我らは既に一蓮托生。何処までもお供いたしますとも」


 静かに指示を飛ばす善鸞に、常に傍らに控えていた僧の道空どうくうが応える。

 道空だけではない。この場にいる天狗衆すべてが善鸞に殉ずるつもりだった。


――困った弟子だ。


 善鸞は苦笑する。できることならば自分がこの者らを浄土へ導いてやりたいが、もはやそのようなことすらも絵空事にならざるを得ないほどに、この身は穢れている。


「……では、共に地獄巡りと参ろうか」

「「「応ッ!!!」」」


 一時は惨めにも北竟大帝の軍勢を見ただけで怖気づいた天狗衆であったが、師から激励されて奮起せぬ者はいない。彼らは不名誉を挽回すべく、一層自らを鼓舞して異形の軍勢の中へと飛び込んでいった。


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