怪談の噂
「あーかったるいわぁ……」
三郎太が時を見計らって教会に行くと、案内された部屋では既にマリアが支度を済ませて待っていた。
椅子に座ったまま机の上に足を投げ出し、天井に陰鬱な表情を向けながら愚痴をこぼしている。
「そもそもこんな仕事量一人でこなせるわけないじゃない……。ふふっ……それに加えて今度はこんなくっだらない話を持ってきやがって……。あぁブラックだわ、ブラック教会。教会に殺される。聖女様が教会に殺されるわ……」
――こいつはとんでもない女だな……。
三郎太が来たことに気付いていないのか、悲惨な醜態をさらしている聖女に三郎太は思わず戦慄した。
人様に見せられるような態度では無く、人を呼びつけておいて迎える姿でもないが、それを責めるのも躊躇われるくらいに、今日のマリアは荒んでいた。
三郎太が、いっそのこと此方に気付いてないのならこのまま帰った方が良いのではないかと考えていると、
「ボーっと突っ立ってないでさっさと入ってきなさいよ! そして扉は閉める!」
瞬時に怒鳴り声が飛んできた。気付いていたようだった。
人間、ここまでくるとどんなに無礼なふるまいをされても怒りよりも憐れみの方が強くなるらしい。
三郎太は、これからしばらく面倒なことになるなと覚悟を決めながら、マリアの向かいに座った。
そして予想通り、開口一番厳しい挨拶が飛んできた。
「おはよう三郎太。毎日毎日時間を有意義に使っているようで何よりだわ」
「……」
仕事はしているし稼ぎもある。さらには、流石にただで小屋を借りていては申訳がないと思い、家賃代わりに月ごと謝礼金も納めているのだ。私生活を責められるいわれはない。
しかし相手がマリアの場合、こういったときに一々反論していては際限なく言い争いが始まってしまう。三郎太はムッとしながらも黙って耐えていた。
「聞いたわよ。屯所で剣術を教えてるんだって? 魔法も使えないのによく採用してもらえたわね。ま、正直なところ騎士団さんには魔法を使わなきゃいけないような現場には出てきてもらいたくないから、魔法の世界からは遠のいてもらった方がいいんだけど」
教会と騎士団というのは仲が悪いのだった。
教会の仕事は『魔』に関係するもの、すなわち魔獣退治や呪われた武器――魔剣のような――の対処などであり、それに対して、騎士団の仕事は犯罪者の追捕や有事の際の戦闘、『魔』を持たない普通の獣の退治などであるが、これら両者のフィールドは非常に被りやすい。
通報を受けた段階では、相手が魔獣かどうかの情報は錯綜している場合も多いし、犯罪者が魔法を得意としていたり、魔剣を持っていたりする場合もある。
そういった場合、毎度のようにどちらが対処すべきか揉めるのである。制度の不備不足といえばそれまでだが、およそ縄張り争いというものはお互い感情的になってどちらも一歩も引こうとしないため、なかなか解決しないのである。
「まぁこんな話は置いといて、本題なんだけど……」
マリアはようやく態度を改めて、真面目な顔に戻った。
「随分と苦労があるようだな」
「そうなのよ! 教会ってバカだわ! こんな仕事普通女一人にまかせるかしら!? 田舎の任地に行ったと思ったら急に呼び出して、いや、特殊な状況だし仕方がないことだとはわかっているんだけど!」
本題はまだ遠くにありそうだった。
「一体何をやらされておる」
「あうっ……それは……」
先程の勢いはどこへやら、三郎太の一言で途端に歯切れが悪くなり、マリアは目線をそらしだす。
やはり三郎太が予想した通り、人には明かせない密命であるらしかった。
「別に良い。だが、今日の話というのはそれに関係があるのか」
「そこ。そこが問題なのよ」
「どこだ」
「三郎太には、あることについて、今私が調査していることと関係があるかないかを判断するための調査をしてもらいたいの」
「しかし、もしその『あること』がお主の調査していることと関係があった場合。俺がお主の密命ついて知ることになるやもしれんぞ」
「まぁそうなんだけど……」
マリアは言いづらそうにもじもじとする。
どうにもらしくない姿であった。
「今私が調査していることっていうのは、実を言えば三郎太と無関係な話ではないの。だからこそ三郎太にしか頼めないんだけど……。今回調べてもらうことの結果に関わらず、いつか話さなきゃいけないことだとは思ってる。だからお願い、それまではあまり詮索はしないでほしいの」
見慣れない、しおらしい態度でお願いされては三郎太も頷くしかなかった。
「もとより深く立ち入るつもりはない。それで、何を調べれば良い」
聞いた途端、再びマリアは初めのように陰鬱な表情を天井に投げかけた。
怒ったりしゅんとしたり起伏の激しい女であった。
「幽霊がね……出るらしいのよ……」
「は?」
――幽霊? 幽霊……。足のないあれか。お岩殿か?
故郷で化生に出会い、此方では奇術や妖獣に出会ったが、今まで幽霊というものは見たことがなかった。講談でしか聞いたことがない。
不意に思わぬ話を聞かされて混乱した三郎太だが、落ち着いて考えてみると訳がわからない。
「それで?」
「だから! 最近幽霊が出るって噂が立ってんの! それが本当かどうか、本当なら何者なのか! 調べてきてって言ってんのよ!」
「……」
「その顔やめなさいよ! 私だってバカバカしいと思ってんのよ! なんで上はこんな話信じるのよ! なんで私のことに結び付けてくるのよぉ……」
事実バカバカしいことこの上ない。三郎太は幽霊や怨霊といったものが存在するとは思っているが、だからといって何をしろというのだろうか。
直接恨みを買った相手ならばともかく、互いに素性もしらない幽霊が己の前に姿を現すのか? そもそも触れるのか。会話は成り立つのか。己の考えている幽霊とこちらの世界の幽霊は果たして同じものなのか。
聞きたいことは山ほどあるが、机に突っ伏して泣き出したマリアに問いただすのは、あまりに忍びなかった。
ようやく泣き止んだマリアからさらに細かい事情を聴くと次の通りであった。
最初に現れたのは男の幽霊の噂だった。
杖を持ち、奇妙な服を着、筋骨隆々とした中年の男が声をかけてくるというものだった。
それだけならばなんということのない、ただの不審者だったが、男はその後「お主は違う」と言って霞ように消えたという。
この事件が何回か続くうちにやがて、その男は幽霊に違いない。自分を殺した相手に復讐するためにさまよっている。いや恋人を探しているのだ。等々、話に尾ひれがついて広まり、今では亡き父母の姿を見たという話、殺されたはずの何某に出会った話など様々な噂話が立っており、一部界隈で流行を見せているという。
「暇なのか。首都の者共は」
「私は忙しいのにね。ははっ……」
聞いた限りではただ怪談話が流行っているというだけのことである。役人が一々首突っ込むような事件でもなければ、対処をマリア一人に任せなければならない理由も見つからない。
よくも男が一人、現れては消えたというだけでそこまで盛り上がれるものだと三郎太は呆れた。マリアは壊れたように笑い、三郎太の顔を直視しようとしなかった。
大真面目に膨大な量の仕事をこなしている最中に持ち込まれた今回の話はよほど堪えたらしい。
「……いや、しかし、火のないところに煙は立たぬもの、始めの男の幽霊とやらには当たってみても良いだろう」
「ほんと!? ありがと三郎太! やっぱ持つべきものは友達よね。今度何かおごってあげる!」
あまりの様子に見かねて、三郎太は協力を承諾した。マリアはそれを聞いて目を輝かせて喜ぶ。
三郎太はとりあえず知り合いのところを回ってみることにし、教会をあとにした。
◆
まず三郎太が向かったのはカドリの酒屋だった。
「おやおや先生ではございませんか。一体どういたしました? まさかもう酒が切れましたか? いけませんよ呑みすぎは。先生も三十路近いのでしょう? そんな調子で呑み続けているとあと十年もすると肝にズドンときますから」
既に夕刻。三郎太が店を訪れるなりカドリは表情をころころと変えながら、小太りの体を揺らして近づいてきた。セリフはおよそ酒屋らしくない。
「まさかそれとも……女でございますか」
今度は耳元に口を近づけてささやく始末。よほどに上機嫌であるらしかった。
カドリがこの町――茶店・風呂屋街――を取り仕切るようになってからしばらく、この街もカドリ自身もよほど羽振りが良いらしく、立ち並ぶ店は日ごとに増え、街は増々活気づいている。カドリのテコ入れの結果、ソッチ方面だけでなく、ただの酒場としても街は成功を収めているようだった。
「たわけ。耳聡いお主に聞きたいことがある」
「はぁ、人目を忍びますかな?」
「いや、構わぬ」
「それならばっ! ぜひぜひこちらで! ささっ! ささっ!」
やけに陽気なカドリが三郎太の手を引いて入ったのは、カドリの酒屋に併設された大きな居酒屋だった。
店内は大盛況だった。街柄上、やはり男の客が多いが、『色』の雰囲気は希薄で、大衆受けする店構えであった。
「おい、先生に一杯、早く持ってきなさい」
二人用のテーブルに着くと、慣れた手つきで注文をするカドリ。
「おい。お主、仕事の最中であろう」
「いいのですいいのです。有能な部下が多いですから。それに今日はもう商談もございませんし」
三郎太は悩んだ。一応はマリアのために、真面目に調査に来ているのである。カドリという相手の都合上、付き合いは大切にしなければならないが、それでも酒を飲むのは多少気が引けた。
――ま、まあ良いか。これはあくまでカドリから話を聞き出すための策よ。そう、策なのだ。それに帰る頃には夜になっているだろうし他にすることも無い。
なんとなく誰かに言いわけをしながら三郎太は運ばれてきた麦酒を煽る。
「お主……幽霊の話は聞いておるか」
三郎太が話を切り出した途端。ブオハッとカドリが奇妙な声を上げながら吹き出した。
「……」
「いや失礼失礼! 先生の口から出るお話だとは思いませなんだゆえ!」
青筋を立てながら震える手で顔を拭う三郎太に、平に謝りながらカドリは話を続ける。
「巷で噂の怪談話でしょう? まったく馬鹿馬鹿しいったらありませんな。幽霊なんているはずもないものを相手にして」
「ほう」
「商人は仕事柄様々な人に恨みを買っているものですがね、幽霊に祟られたなんて話は聞いたことがありませんよ。少なくとも、生きている、直接私が知って居る商人の口からは。……ところで先生は幽霊というものを信じているのですかな? まぁ仕事柄恨みを買っているのはお互い様ですからねぇ」
ヒヒヒっと嫌な含み笑いを見せるカドリ。
「ふん、幽霊がいるかどうかなどどうでもよい。問題は話の大本。一番はじめに出てきた男の事が気になる」
「作り話にもモデルはある……という事ですな。あぁ! もしかして騎士団関係のお仕事ですか先生! 確かに、決まって夜中に人を探す男というのは不審ですからなぁ。」
「いや今回は教会がらみだが……」
そこまで言って、三郎太は今回の話がマリアの密命に関わることだということを思い出した。カドリは顔が広く謎の情報網を持っている。あまり迂闊に話すのは良くないと。
「まぁそこはどうでもよい。とにかく、何か知っていることはないのか!」
「はて……私にしてみると心底どうでもよい噂ですからなぁ……あまり真新しい話はありませんぞ。それこそ、お客様からどう考えても作り話であろう新作の怪談は何度か聞かされていますが。死体が歩いていたとか、もうなんでもありですよ」
顔が広いはずのカドリが期待に反して使い物にならず、どうしたものかと思っていると、店の奥からカドリを呼ぶ声がした。
「カドリ様~。ちょっとこっち見てもらいたいものがあるんですけど~」
「ああ、もう。一体何を……。すみません先生。どうぞゆっくり楽しんでいってください。……もし向かい側に寄るのならば店員に一声かけてください。取り計らいますよ」
最後に余計な話を加えてから、カドリは店の奥へと消えていった。
話が聞けないのならもうこの店に用はない。それに、大衆に囲まれながら一人酒を吞むというのは士分のプライドが邪魔をして落ち着かない。
三郎太が適当に勘定を置いて席を立とうとしたその時だった。
「もし、旦那ァ、いいかい?」
突然、隣の席に座っていた男が声をかけてきた。
「さっきの話。あっしなら少し……知っていますぜ」




