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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第二章 闇夜に蠢く首都の怪
49/102

武士、職に就く

「もし、清浜さん」


 冬の早朝、未だ11月とはいえ朝は恐ろしく冷える。

 いつものように、三郎太が教会の裏庭で刀を振るっていると、控えめに声をかけてくる老人があった。


「これは、神父殿」


 気付いた三郎太が刀を納め、一礼する。

 相手は、三郎太が居候している教会の責任者でもある神父だった。

 六十過ぎの白髪の老人で、常に優しげな雰囲気を纏っており、同じ教会の人間でもマリアとは正反対の性質の人間である。

 三郎太が教会にやって来た時にはちょうど留守にしており、結果的に神父の許可なく、マリアの独断で三郎太が小屋に上がり込んだことになってしまったのだが、それを事後に聞いた後でも、快く三郎太一行を受け入れた人格者で、さらには何かと不足する日用品の世話までしてくれる大恩人ともいえる老人なのであった。


「もしや、差し上げた薪は全て……?」

「はっ、全て叩き割ってあちらに積んでおきましてござる」


 以前、神父は三郎太が毎日剣の稽古をしているのを見て、ついでに薪を割ってくれないかと頼んでいた。

 三郎太としても教会の手伝いと剣の稽古が同時に行えるのは都合がいい。快く引き受けたのち、薩摩の示現流が如く薪を束ねて、手作りの木刀で毎日打ち据え、叩き折っていたのである。

 勿論、朝っぱらから気声を上げてバシバシと薪を叩いていると、マリアが――ときにセシルを伴って――怒鳴り込んでくることもあったが。


「まぁ……ありがたいような恐ろしいような。……清浜さん、くれぐれも力に吞まれないように。私はこのように長く生きてしまいましたから、力に呑まれて無実の人を傷つけてしまう、そんな悲しい人に何度も出会っています。清浜さんにはそのような――」


 とかく教会の人間は何かにつけて小言が多い。

 三郎太は半ば話を聞き流しながら、見た目だけは神妙に、こくこくと頷いていた。


 しばらく談笑ののち、神父が「ところで……」と話を切り出した。


「昨晩、マリアに頼まれたことなのですが、清浜さん、今日何かご予定は?」

「いえ、今日は何も」

「それは良かった。それならばあとで教会に来てもらえますか? マリアが清浜さんに仕事を手伝ってほしいと」

「マリアが?」

「ええ、昨日も遅くに帰ってきて、今もまだ寝ているでしょう。私も詳しくは知りませんがなかなか大変なようで」


 薄々気づいていたことだが、首都でのマリアはウェパロスに居たころとは異なり、非常に多忙そうであった。

 マリアはウェパロスから首都に突然異動したことの理由を話さず、仕事の内容も明かさなかったため、三郎太はマリアの仕事については何も知らなかった。

 それに三郎太自身、人に明かせぬ仕事もあるだろうと思い、とくにマリアを問い詰めることもしてこなかった。


「神父殿も知らないような事情に拙者が……?」

「そのようです。たしか清浜さんはマリアの赴任先で会ったことがあるとか。もしかするとその関係かもしれませんね」



「あ、おかえり~……」


 まだマリアは起きなさそうであるとのことだったので、一旦家に戻ると、起きたばかりの蚩尤が寝惚け眼を擦りながら鍋に火をかけていた。

 ティアナはまだ起床とはいかず、一枚しかない毛布を独り占めして丸くなっている。

 首都に来て、教会の裏庭の物置小屋に居を構えてから、はや一ヶ月と少し。ここでの貧乏暮らしにも慣れたものである。

 三郎太の家は、障子も畳もないが、長屋を思わせる九尺二間四畳半という不思議な小屋であった。

 三郎太達は板張りの床にむしろを敷いて、三人並んで横になり、神父から譲り受けた大きめの毛布一枚をかけて寝ていた。

 食事も、タダ同然で買い取った教会の古い鉄鍋に、適当な食材をぶち込んで煮るというだけの簡素なものがずっと続いている。

 蚩尤は世間の目も相対的な生活水準も気にしない性格であり、三郎太の方は世間の目こそ気にするが、浪人を言い渡されたものと考えれば貧乏暮らしは全く苦とは感じていなかった。

 二人に関してはこのように放っておいても良いものの、ティアナに関しては、その本性を知らない者からすれば盲目の幼い少女にしか見えないため、誰もがその生活ぶりを心配した。

 しかし、大方の危惧に反してティアナもこの生活にあまり不満はないようで、むしろこの生活をたのしんでいる節があった。

 曰く「昔を思い出すのにちょうどいい。戦場はこんなものではないぞ」とのことだった。


 鍋が煮立ったころ、ティアナも起床し朝食となった。

 鍋の中身は昨日の残り物で、蚩尤が採ってきた山菜に、蚩尤が獲ってきた肉。それに小麦を水で練ったものを一緒に煮ただけの、人によっては料理と呼ぶかどうかも怪しいモノである。

 小麦はティアナが稼いだ金で買ったものであり、調理は蚩尤が行ったため、この鍋に三郎太の貢献したものはない。強いて言うなら水は三郎太が汲んできたものである。現在、三郎太は実質ヒモであった。

 実を言えば、近頃にわかにティアナが収入を得始めたため、つい先日まで、三郎太の肩身は狭くなっていた。勿論そんな様子は外には見せず、普段通り不遜にふるまっていたが、家長の威厳が損なわれること焦っていたのは、機会があったからとはいえ、あれほど嫌がっていた就職をさっさと済ませたことからもうかがえた。


「サブロー、今日の仕事は?」


 三郎太とお揃いの、手作りの箸と椀で鍋を突いていた蚩尤が言った。


「屯所には行かん。だがマリアが仕事の手伝いをしろというからそっちに行く」

「なんだ。もうクビになったか」


 今度は、底の深い皿とスプーンを使って上品に汁を啜っていたティアナが言う。


「そんな訳があるか。たまたま休みだっただけだ」


 三郎太は現在、週に三日か四日の頻度で五番大通りの騎士団の屯所に赴き、そこで剣を教えて多少の給金を得ていた。

 そこに至るまでにはちょっとした事件があった。



 ある日の昼下がり。

 三郎太は懐紙かいしをくわえて黙々と愛刀の手入れをしていた。

 既に朝の学習を終えた教会の子供たちは家に帰っており、教会周辺は静寂に包まれている。

 静けさでいえば三郎太の住んでいる小屋も同様で、蚩尤は日光浴ついでに昼寝をし、ティアナは教会で教鞭をとるようになったため、今もその打ち合わせで神父のもとに行っており、ここにはいない。

 というのも、以前、ティアナが暇つぶしに、教会に来ていた子供たちに昔話などを聞かせていたところ、話の折々にのぞかせる学識の高さを神父が見留め、教会の講師に誘ってくれたことがあったのだ。以来ティアナは毎朝毎夕教会に顔を出すようになった。

 神父は盲人を憐れんで、無理に職を用意したのかもしれなかったが、実際のところティアナの教え方は実に巧みで素人のそれではなかった。

 それもそのはず、盲目の少女ティアナの正体は優に三百年を生きる魔人にして、歴史の生き証人『太祖』であり、政治・経済を知り、何人もの子を皇帝に育てた実績があるのだ。

 こうしてティアナは三郎太より先んじて職に就いていたのだった。


 そんなこんなで、静まり返ったこの時間帯、この空間は、刀の手入れは静寂、清潔な空間で行われるべきだと考えている三郎太にとっては都合がいいものであったが、残念ながらそれも長くは続かなかった。


――うん?


 突然、小屋の近くで物音がなった。

 静寂の中、全神経を研ぎ澄ましていた三郎太は、刀の手入れに集中している最中であったからこそ、その異変に気付いた。

 物音はどうやら、芝草を踏みつける音のようだった。それも忍び足である。


――これは怪しい。


 そう思ったところまでは良かったが、そこから先は油断であった。

 穏やかな昼下がりの陽気にあてられたのか、手入れの最中に慌ただしく動くことを嫌ったためか、対応が大きく遅れたのである。


 にわかに表の扉が勢いよく開かれた。そして、


「この人殺し!」


 少女の絶叫とともに泥団子が投げつけられた。

 刃物でも投げつけられたかと思った三郎太は瞬時に立ち上がり、刀を掲げてそれを弾こうとした。

 しかし、哀れにも掲げた刀は、今しがた手入れをしていた蛇切逆安珍へびきりさかさあんちん。二尺二寸の愛刀は斬れすぎた。刃にぶつかった泥団子は形をとどめたまま三郎太へ。


「人殺し、お兄ちゃんを返せ!」


 少女が再び投げつけてきた泥団子を、今度は袖で払い除ける。


――こやつ、いつぞやの……!


 少女の顔には見覚えがあった。

 以前会ったときは、乱雑に伸びた髪に薄汚れた洋服という出で立ちであったが、今は髪は肩のあたりで揃えて、おそらく学校のものであろう制服に身を包み、革手袋をしている。見た目こそ様変わりしているが、あの時と変わらぬ意思の強い瞳は間違えようもない。

 義賊を名乗った男を斬ったあの日、山中の小屋でとらえた少女であった。


 どうやら、意外にも泥団子はたった二発で打ち止めのようで、少女は扉の前で立ちふさがり、ただ三郎太を睨みつけている。

 少女の突然の出現に、三郎太は驚きながらもいろいろと思うところがあった。疑問も尽きなかった。

 そもそもなぜここにいるのか。どうやって己の居場所を嗅ぎ当てたのか。

 カドリと交わした約束のどこまでを知っているのか。間違いなく恨まれていることは確かだが、ではこれからどう接するべきなのだろうか。討つか、討たれるか。それとも――。


「……」


 考えても埒が明かなかった。だから、とりあえず今は、この少女の惨めな失態に仕置きをすべきだ。そう判断した。

 三郎太はひとまず逆安珍を柄に差し込み、鞘を被せてから丁寧に床に置き、代わりに兼定かねさだの長脇差を腰に差した。

 そして、青筋を立てながら少女に近づくと、乱暴に襟首を掴んで外に向かって歩き出した。


「やめろっ! 離せっ、離せよ人殺し!」


 三郎太は抵抗する少女をそのまま教会の入り口にまで引きずると、ちょうど門の境のあたりで、道路に向かって投げ捨てた。


「こっ、この……!」


 力任せに好き放題されたのが悔しかったのか、少女は顔を赤くしながら立ち上がると、手を後ろに回して、腰に隠し持っていたナイフを取り出した。

 三郎太はそれを見て増々顔を険しくさせると、再び少女に近づく。

 向けられた切先を恐れもせず、素手のまま近づいてくる三郎太に恐れをなしたのか、少女は不格好にナイフを突き出すが、簡単にいなされ、気づけば地面に引き倒されていた。


慮外者りょがいものめッ!!!」

「いっ……!?」


 続く大音声に、少女は思わず耳を塞ぎ、目を閉じた。

 だが三郎太はそれを許さない。

 胸倉をつかんで、倒れていた少女を持ち上げると、息がかかるほどまで顔を近づけて、絞り出すようにしていった。


「目を開けろ。良いか、この顔だ。この顔をよく覚えておけ。お主のかたきの顔だ」

「……っ!」

「仇討ちというものは、仇を討つと思った時には刃を持って駆けだしておらねばならぬ。万全を期すためと言い訳をして、あれこれ思案することなど不要。ましてや殺すつもりもなく、たかが土くれを投げつけるがために出向くなど言語道断!」


 後は殴られ、怒鳴られるばかりと思っていた少女は、意外にも突然説教を浴びせられて思わず目を丸くした。それにその内容も、およそ少女の常識からはかけはなれている。理解が追いつかなかった。


「お主、名は?」

「えっ?」

「名はッ!」

「っ! し、シオーネ……」

「清浜三郎太だ。次に会うときは俺を殺す時。その時、俺もお主を斬る」


 三郎太が手を放すと、少女はあっけにとられたようにぺたんとその場に座り込んだ。

 話は済んだ。三郎太が家に戻ろうかと思っていると、


「おまちください! どうかお許しをっ!」


 少し大人びた、女性の声が三郎太に向けられた。

 目を向けると、道の向こうから駆け寄ってくる女がいた。


「シオーネ! どうしてあなたはお姉ちゃんのいう事が聞けないの……」

「お姉ちゃん……」


 女性は崩れ落ちる様にシオーネに抱き着く。そしてすぐさま三郎太に向かって頭を下げた。


「申し訳ございません! この子が迷惑をおかけしたようで、もうこのようなことは起こさせませんからどうかカドリ様にはっ……!」

「お姉ちゃんっ! こんなやつにそんなことしなくていい!」


――こやつも確か……。


 見覚えのある顔だった。印象が薄くうろ覚えであったが、口ぶりで分かった。あの時捕らえたうちの片割れ。シオーネの姉であろう。


「もうよい。失せろっ!」


 よく状況を見渡せば、大通りから外れていたとしても公道での出来事である。人目がないわけではない。

 へたり込み、跪かんばかりに頭を垂れた女性を見下ろす大の男というのはいまいち見た目がよろしくない。三郎太はすぐに帰りたいと思っていたが、シオーネの姉は「どうか、どうか……」というばかりで動かない。


「ちっ、カドリにも言わぬ。もうよいだろう。 おいっ、お前の姉だろう、とっとと連れて帰れ!」

「命令すんな!」


 そこにさらなる闖入者がやってきた。


「コレッ! 何をやっておるか!」


 三郎太が苛立たしげに目を向ければ、今度は真昼の町中であるというのに、しっかりと鎧を着こんだ厳めしい初老の男だった。


「うぉっほん! ポセイドン騎士団所属、五番大通り警邏けいら隊長フィンデンブルグである。双方、大人しくせっ!」


 男は立派なカイゼル髭をしごきながら居丈高に名乗りを上げる。

 そして状況を見渡すと、即座に言った。


「とりあえずそこの男は屯所に来い! 君の方は魔法学校の学生だね。今はいいから学校に戻りなさい。急げばまだ昼休み中に帰れるだろう。ただ、あとで話を聞きに行くから学籍番号を言いなさい」


 やはりこうなったか。三郎太は大きく舌打ちをしながらも見苦しく言いわけをするつもりもないので黙っていた。


「や、もう授業始まっちゃうから!」

「これっ! 君、待ちなさい!」


 対してシオーネの方はしたたかであった。

 姉の手をつかんで立たせると、そのまま走り去ってしまう。

 姉を連れているため、たいして速くはないが、鎧を着こみ、もう一人の方を優先的に捕まえねばならないフィンデンブルグはそれを追いかけなかった。


「全く! それよりもお前はこっちだ! 真昼間から働きもせず婦女子をどやしつけるとはけしからん奴め、早く腰のそれをわたせ、こっちだ、来い! 馬鹿者め!」


 突然襲撃を受けたかと思えば、今度は無実の罪で捕縛されたりと平穏はあっという間に崩れ落ちた。

 刀の手入れ中に外に出るなど前代未聞で、三郎太にとっては不愉快極まりなく、衝動的に騎士の男を斬り捨ててやりたくなったが、郷に入っては郷に従えという言葉の通り、こちらの世界に合わせることも大切だろうと思い、ここはぐっとこらえて言う通りにしたのであった。



 取り調べは驚くほどあっさりと終わった。

 「些細な行き違いで口論になっていたところに学生の身内が来てあのようになった」

 教会に居候させてもらっている身分だと言ったのが効いたのか、後々シオーネ側の言い分を聞いてから判断するつもりなのかは分からないが、たったそれだけの説明でフィンデンブルグは納得したようだった。

 取り調べが終わるとフィンデンブルグは唐突に近頃の騎士団の惰弱さについて愚痴を漏らし始めた。どうやら三郎太の堂々とした振舞に感銘を受けたらしかった。

 三郎太も日本にいた頃に見た旗本の姿と騎士団の姿に重なるところを感じ、思うところがあったため、意外に話は盛り上がった。


「思うに、自覚が足りぬのだ」

「自覚? しかし騎士になるのはほとんどが貴族。幼いころから貴族や騎士として扱われているはずだぞ?」

「己が騎士かどうかという自覚よりも、騎士がいかなる身分かということだ。俺は遠い異国から来たゆえ騎士がどういう教えを受けているかは知らんが。だが、民を守り、人々の規範となるべき身分だという自覚を持っていないように見える」

「ううむ、なるほど。そう言った教育は無いわけではないが、蝶よ花よ……とは違うが、甘やかされて育ってきたのは間違いない。ワシらの世代は皆、大戦を生き延びた騎士達の話を直接聞いて育っておる。幼いころに聞いた英雄譚は今も忘れられぬし、昔は自分もそうなりたいと思って精進したものだ。じゃがな、今は時代も状況も違いそれも叶わん。それに、最近の若い者は、と言ったところで煙たがられるだけ、どうすればよいのかのう……」

「今更座学で講釈を垂れても効果はあるまい。だが一つだけ方法がある」

「ほほう」

「剣だ。己が騎士であるという自覚と自信を得るためには剣がよい。どこかから腕の立つ騎士を招き、お主の部下を散々に打ち据えてもらえ。それであきらめる奴は放っておけばよい。負かされて悔しがる奴は見込みがある。そのあとも稽古をし続ければ、文武を問わず大成するに違いない」

「なかなか今の世では厳しいものだが……なるほど……」


 フィンデンブルグが髭に手を当てて思案に入ったのを機会に、三郎太は椅子から立ち上がった。


「さて、思わず長居してしまったが、そもそも俺はやりかけことがある。公用が済んだのならば帰らせてもらうぞ」

「待て」


 扉を開けて出て行こうとした三郎太の肩を、フィンデンブルグが強く掴んだ。


「今の話、まさしく清浜、お前の口から出たものだな?」

「……それが、どうした」

「あのような大言を吐くからには、腕に自信があるのだろう? ならば言い出しっぺにやってもらおうではないか。ワシの部下の再教育を」


 それから三郎太は屯所の中の訓練場に連れていかれ、たまたま居合わせた八人の騎士と戦わされた。

 結果、三郎太は数分足らずで全員を叩きのめし、フィンデンブルグから屯所で剣の師範になることを乞われたのだった。


 初め、三郎太は難色を示した。

 そもそも今まで定職に就かなかった理由は、これより先、自分が仕えるのは故郷の藩主ただ一人と決めていたからで、金輪際、相手が商人だろうと僧侶だろうと、それこそ皇帝だろうと、その下で働くつもりなど毛頭無かったからである。

 それに最近に至っては、酒が入るたびに、


「俺は猟師になったつもりはないぞ……」


 と、魔獣ばかりと戦う開拓事業の不満を漏らし、開拓の依頼ですら請ける回数が減っていた。

 それならば、騎士達の剣の師範であれば、誰に仕えるというわけでもなく、また、武士の面目を保つこともできる天職ではないかとも思うが、三郎太は剣の師範というのにもいささかの抵抗があった。

 日本にいたころ、三郎太は日々のほとんどを無役部屋住みで過ごしていた。

 時折、剣の腕を買われて上意討ちや罪人の処断を任されることがあったが、それだけで、それなりの禄を食む中級藩士の清浜家の生まれにしては不遇の生活を送っていた。

 しかし、ある時転機が訪れた。

 三郎太はすでに玄武館で北辰一刀流を修めていたが、そこで師範の一人になるように、誘いがあったのである。

 同郷の士の多い玄武館であったから、三郎太は喜んでその任を引き受けた。

 しかしながら、問題はすぐに起きた。

 北辰一刀流は千葉周作が開いて以来、理詰めの合理的な剣法として知られていた。

 三郎太もその教えの中で、見事、剣豪と呼ばれるにふさわしい腕を身に着けたはずなのだが、いざ教える側に立った三郎太の教育は精神論に傾いたものであって、玄武館には馴染まななかったのである。

 すぐに師範として相応しくないと弾劾され、それにへそを曲げた三郎太は役を蹴って江戸をち、再び部屋住み生活へと戻ったのであった。


 この体験の記憶が、この時も三郎太の頭の隅をよぎったのだ。しかし、よく考えれば、いやよく考えずとも、二君に仕えることにもならず、得意とする剣術を活かせるうえ、定職に就いてティアナや蚩尤に再び威厳を示せるとなれば、この申し出は三郎太にとっては破格の好条件であることは間違いなかった。


「……分かった。しかし、俺のやり方でやらせてもらうぞ」

「むっほっほっ! 望むところよ」


 こうして、三郎太は騎士団の屯所で、剣の師範となったのであった。



 その後、屯所から家に戻ると、蚩尤が夕飯の準備をしていた。


「蚩尤、この辺に土くれが転がっていたと思うが」

「あぁアレ? 片づけといたけど一体何したのさサブロー。泥に毒草練りこむなんて普通じゃないぜ」

「毒!?」

「うん、死にはしないけど、あまり触ると皮膚が爛れて死ぬほど痛い毒。まったく、起きたら道具はほったらかしだし、泥団子は転がってるしびっくりだよ」


 あの騒動の中で目覚めなかったこともなかなかびっくりだが、そんなことよりも、


――あの小娘、油断ならぬ……。


 少女の狡猾な策略に、思わず背に冷たいものを感じる三郎太であった。


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