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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
首都篇:第一章 如何御覧ず義賊の心
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義賊

 約束の日になった。三郎太は蚩尤に留守を任せて、カドリが手配した馬車に乗って連合首都を出た。

 向かう先は関所である。

 関所は工場のある衛星都市と連合首都の丁度中間にある。駅家を兼ねた関所だった。

 そこでカドリが雇った四人の開拓者と合流すると、その翌日には隊商が関所に到着した。


「それでは、あとは頼むぞ」


 衛星都市から関所までの護衛達はそこで引き返し、関所から首都までの道のりが三郎太達の仕事だった。


 馬車五台の小規模な隊商の荷車にはいくつもの樽が重なって置かれている。

 いつでも戦えるように腿立ちを取り、襷掛けにした三郎太は最後尾の馬車の後ろを歩きながら、周囲に油断なく気を配った。

 右手には野原と丘が広がるばかりだが、左手には小さな山が見える。賊が潜むのならばそこしかないだろう。


「お前は南出身だったな。南ってぇのは珍しい魚が多いんだろ? 」

「珍しいってかキモイのが多いぜ。首都のお坊ちゃん騎士なら腰を抜かすだろうさ」


「なぁなぁ、昨日あんたあの街使ったことがあるって言ってたな? そんなら、良い店を紹介してもらいたいんだが……」

「へへっ、構わないぜ。馴染みの店がある。安くしてもらえるように頼んでやるさ」


 三郎太の他に雇われた開拓者達は、皆周りに気を配ることなどなく、思い思いに会話を楽しみ、下卑た話題に花を咲かせる者もいた。

 昨日の内はまだ三郎太に声をかける者もいたが、三郎太がつまらない男だと分かると、もう誰も話しかけては来なかった。

 抜けた態度は運び屋も同じで、代わり映えの無い景色に飽きたのか、ぼーっと空を眺めたりしながらゆっくりと馬を進ませている。


――あの商人が直接雇ったのならば、一体何を考えているのか。


 確かに四人とも身体つきは良く、腕も立ちそうだが如何せん頭が弱そうである。

 そもそも、賊が出るというのにも関わらず、護衛はたったの五名というのも納得しがたい。


――三流の護衛を数名しか雇えないとは……。これは真に窮乏にあるのかもしれんな。


 同じく、貧窮に身を置く者として、三郎太はカドリに同情した。

 返済の期間を延ばすように、マリアに掛け合っても良いかとさえ考えた。

 このように、思わず三郎太が気を抜いた時だった。


「あァッ……!」


 三台目の馬車の左後ろを歩いていた男が悲鳴を上げて、手を虚空に伸ばしながら、膝から崩れ落ちた。

 見れば、胸元に一本の短剣が突き刺さっている。


「敵襲!」


 誰ともなく叫び声が上がった時、三郎太は既に逆安珍を抜いていた。


――馬鹿な、何も見えなかったぞ。何処から投じたのだ。


 キッと、辺りを睨みつける三郎太の視界の隅を、空気が弾けるような炸裂音とともに黒い何かが横切った。そして、


「て、てめぇはっ……!」


 また一人、男が倒れた。

 今度は首をやられている。血が噴き出し、辺りを朱に染めた。


――埒が明かぬ!


 馬車に駆け寄った三郎太は、荷台から酒樽を落とすと、最初にやられた男を掴みあげてそこに乗せた。


「御者! 全速だ!」

「荷が落ちてしまいます。それに馬だって潰れてしまう!」

「戯けが!」


 一喝し、三郎太は馬に駆け寄りざま、尻に刀を突き刺した。

 驚いた馬が嘶いて駆けだし、それにつられて隣の馬も走り出した。

 勢い酒樽が荷台より転げ落ちる。

 他の馬車もそれに続こうとし、辺りには崩れ落ちた酒樽と、その中身が散乱し、一面酒の香りが立ち込めた。


「そいつを乗せてお主らも荷台に乗れ。他に賊がいるやもしれん」

「てめぇは!?」

「奴をやる!」


 生き残りの護衛二人にそう告げると、三郎太は振り返って正眼に構えた。

 最初にやられた男を荷台に乗せた時、その胸には、もう短剣は刺さっていなかった。そして三郎太の視界を横切った黒い影。

 これらの状況から考えるに、すなわち、


――賊は足が速い!


 三郎太は目を見開いて、全身に気を張った。

 三郎太は何処かで日の光が反射されるのを見た。


「ッ!」


 気迫一閃。迫りくる気配に向けて振られた刀は的確に短剣を弾き飛ばした。

 そして再び、炸裂音。黒い影が飛び出し、空中を舞う短剣を拾い上げた。

 

「腕が立つのがいるな!」


 そう言って、地に降り立った影が三郎太に向き直った。

 それは、伸び放題の髪と、垢と日焼けに覆われた肌を持った若い男だった。

 歳は二十になるかならないか。腰に布一枚を巻いただけの、ほとんど裸同然の恰好である。

 短剣を逆手に持ち、好奇心に満ちた顔を三郎太に向けている。


「今回の犬は普段と違うな。商会のクソ共も、さっそく、俺の事を認めたかぁ?」

「貴様が賊か」


 三郎太の問いに、男は、待っていましたとばかりに破顔して答えた。


「そうとも、俺が義賊ブルーホワイト! 腐りきった商会に、天に代わってお仕置きってわけだ!」


 言うと同時に、男――ブルーホワイトは、炸裂音を鳴らして、目にも留まらぬ速さで、三郎太の懐に飛び込んだ。


「ちっ!」


 即座に応じた三郎太だったが、切っ先は虚しく空を斬った。


「へへっ、今のは挨拶よ。驚いたかい。半ば貰いもんの力だが、すげぇだろ?」


 三郎太の右側から声が掛けられた。

 からかわれたことに、三郎太は青筋を浮かべて怒りを露わにするが、それ以上の事はすんでのところで踏みとどまった。

 ふざけた態度だが、油断はなく、三郎太の間合いには入っていない。確かにできる男であった。


――なるほど、先ほどからの音の正体はこれか。間違いなく奇術妖術魔法の類を使った高速移動。仕組みの程は分からぬが……。


「……賊であるのならそれでよい」


 再び、正眼。三郎太は男を睨みつけた。


「おいおい狂犬か。こっちが自己紹介したんだ。そっちもどうだい」

「……清浜三郎太。いざ」

「そうか。なぁ三郎太。あんたはなんで商会の犬なんかやってんだ? 見たところ、あんたもそれほど恵まれた場所にいるってわけじゃないんだろ?」

「何が言いたい」

「強きを挫き、弱きを助ける。義侠心さ。金持ちが好き勝手する世の中なんておかしいと思わねぇか? 少しでもそう思うのなら、ここは手を引けよ。俺は別に私腹を肥やそうとして、こんな真似をしているわけじゃ……」

「賊の妄言が聞けるか!」


 踏み込み、気迫と共に振られた一撃が、ブルーホワイトの手から短剣を弾き飛ばした。

 しかし、続く追撃は容易く躱された。


「ちくしょう、きたねぇぞ! 人の話は最後まで聞けってんだ。てめえも商会のやり口は知ってんだろ!」

「知らぬ! 確かなことは、貴様が世を乱す賊であるという事だけだ」

「ンだと……」

「聞いておれば、義賊、義侠と下らぬことを。まことにそうならば黙して語れい! 己の口で喧伝するとは、ただの悪党の逃げ口上!」


 ブルーホワイトがその気になれば、件の早業を用いて隊商に追いつかんとするかもしれない。

 三郎太は街道に立ちふさがるようにしながら、じりじりと距離を詰めていく。

 ブルーホワイトは三郎太に合わせてゆっくりと後ろに退きながら、顔全体に軽蔑の色を滲ませて吐き捨てる様に言った。


「ちっ、見ない顔だから声をかけてみたが大ハズレだ。あーはいはい、あんたは立派だよ、立派に商会の犬だよ。薄汚れたおまんま食って、しっぽ振ってるのがお似合いだぜ、番犬!」

「ほざいたな!」


 再び、三郎太が斬りかかろうとするが、既にその場からはブルーホワイトは消えていた。

 そして、三度みたび炸裂音が鳴ったときには、三郎太の背後に回り込み、短剣を振りかぶっていた。

 三郎太は身をかがめて、その攻撃を躱すと、跳ね上がりざまに斬り上げた。

 獲物が交差し、火花が散った。

 二人は再び距離を置いて対峙した。

 膠着状態に入り、向かい合うこと数分。一筋、汗を流して、ブルーホワイトが先に根を上げた。


「ちっ、めんどくせぇ。もういい、てめえの相手なんかしてやれるか。てめぇのおかげでこっちはもう目的を果たしてんだよ!」

「逃げるか!」


 三郎太には答えず、ブルーホワイトは踵を返すと、乾いた音を残して、あっという間にその場から消えた。



「なんだと! 彼を置いてきた!?」


 夜の酒屋に、カドリの怒声が響いた。


「あの男が、奴の相手をするから先に行けと言ったんです!」

「そうです! 他に賊がいるかもしれないと……」

「清浜三郎太がどうなったかは見ましたか?」

「いえ……その……」

「くっ……!」


 輸送は失敗だった。

 荷物の三分の二が駄目になり、雇った開拓者四人の内、一人が死体、一人が重傷者となって帰ってきた。

 生き残った二人は椅子の上で無念そうにうつむいているが、カドリにとって、そんな態度は一文の意味も持たなかった。

 失われたモノが多すぎる。使えない開拓者の命などどうでもいい。

 目下、カドリの頭を悩ませているのは清浜三郎太の事だった。


――迂闊だった。失策だった。気まぐれであの男を使うべきでは無かった。後払いの報酬で雇い、小手先の節約などするべきでは無かった。生きて、賊から商会の秘密を聞かれても厄介だが、もし死んでいたとしたらもっと厄介だ!


 カドリの頭の中に、恐ろしい聖女の顔が浮かび上がった。


 「ふーん、そう。払えないんだ。それは残念。別にいいわよ。とりあえず、モノは全て差し押さえるから。……なに? 足りない? うーん……あ、なぁんだ、息子さんがいるじゃない。良かったわね、今は大開拓時代、若い労働力は引く手数多よ。きっと高く売ってあげるわ」


 幻聴である。


――教会に会わす顔が無い。最悪、店がどうなることか。いや、店がつぶれるだけならまだ良い。妻子にまで危害が及んだとしたら……。


 この場を上手く乗り切らなければすべてが終わる。

 その恐怖が、むしろカドリを冷静にさせた。


――焦っても仕方がない。既に彼が生きているか死んでいるかの二択しかないのだから。


 もしカドリの酒屋が、教会に睨まれるようなことになれば、商会はカドリを擁護しないだろう。不正をネタに商会を強請ゆすろうとすれば間違いなく消される。そもそも不正の確かな情報すら持っていないのだが。


「お前たちはひとまず帰ってよろしい。ただし、明日の早朝、装備を整えてまた此方へ。言っておきますが、タダで働いてもらいますよ。今回の失態を取り返してもらいます」


 カドリは開拓者達を帰すと、机に向かった。

 清浜三郎太は合意に基づく正当な契約のもと、暫く仕事で使わせてもらっている。その間はそちらに戻れないが心配はいらない。借金も間違いなく返すつもりである。目下、算段がついたところで、こちらも心配はいらない。

 と、およそその旨を、教会に不審がられぬよう、下手に介入されぬよう、慎重に書きしたためた。



 武士とは秩序である。

 三郎太はずっとそう思ってきた。

 そして、今も固くそう信じている。

 本来、武士には一刻たりとも気を抜く時間は無く、少なくとも表に出ている間は常に民の見本となり、秩序を体現し続けていなければならない。

 人間じんかんを流れる三綱五常を守り、秩序を維持し、封建の世を盤石のものとする。それこそが武士の存在意義であり、それができないのであるならば、衣食住の何一つ生み出さず、いたずらに消費するだけの武士に、存在価値など無い。

 そう思っているから、三郎太は世を乱す悪党を許すわけにはいかなかった。

 そして、時に応じて正義の味方とされる、侠客のような輩も、三郎太にとっては悪党と変わらなかった。

 上辺を取り繕い、無学の徒に持て囃されようとも、本質が秩序からはずれた者であることには変わらないからだ。

 故に――


「ブルーホワイト!」


 三郎太は叫び、木陰より飛び出した。

 辺りは視界が霞むほどの土砂降りである。


「なっ、お前ッ……!」


 たった今、山を降りている途中だったブルーホワイトは、突如として目の前に現れた男を見て、それだけを言うのが精いっぱいだった。

 現実を認識する時間も、対策を講じる時間も無かった。

 尤も、弾丸の如く降りしきる豪雨の中では、得意の高速移動も使えない。

 小川に晒していた瓜が心配になって、山を降りたのが命取りだった。

 白刃が、秋雨をすり抜けて、袈裟懸けに、ブルーホワイトの命を断ち斬った。



 三郎太は、あっけなく、そして無残に倒れた男の死体を見下ろしていた。

 やおらその場にしゃがみ込むと、その首を斬り落とし、長髪を用いて腰に括りつけた。

 降りしきる雨にその身を晒していながらも、赫々と燃える意思の炎はいささかも衰えなかった。


――武士とは秩序である。悪党を野放しには出来ぬ。


 三郎太は心の内で呟いてから、たった今ブルーホワイトが下ってきた山道を睨みつけた。

 それは山道と呼べるようなものではなく、よく注意しなければ気づかないほど、微かに踏み分けられているだけの道だ。

 三郎太が山に入ってこの道を見つけだし、伏せてから、既に二日が経っていた。


――今日中に全てを片づける。


 山に入ってから、賊の集団がいるような気配は一切感じない。仮に仲間が居たとしても、一人か二人だろう。

 三郎太は抜き身を提げたまま、斜面を登り始めた。


 隠し通路であったのだろうか、小ぶりな山にしては意外なほど傾斜が急だった。

 水をたらふく吸い込んだ腐葉土に、しっかりと足を踏み込んで、滑らないように気を付けながら一歩ずつ確実に登っていく。

 ほとんど崖かと思える厳しい傾斜を、手をつきながら登っていくと、やがて平地にたどり着いた。

 そこには小さな廃屋が一つ、切り立った岩壁に背を預けるようにして建っていた。

 思いもよらず、廃屋の真正面に出てしまった三郎太は、慌ててその場に伏せたが、廃屋より何の反応もないことが分かると再び立ち上がった。


――賊の根城には見えぬが、まずは、ここであろうな。


 三郎太はゆっくりと廃屋に近づいた。

 所々木が変色して朽ち、蔓にまとわりつかれている廃屋ではあるが、戸は辛うじて立てかかっており、中を伺えるほどまでは損傷していない。

 三郎太は逆安珍を脇差に持ち替えながら、雨に紛れてゆっくりと廃屋に近づき、戸のすぐ横に立った。


――気配が無くとも、賊の根城ならば金品を隠しているに相違いない。


 三郎太は勢いよく戸を開くと、中に押し入った。


「むっ……!」


 そして驚愕に目を丸くし、思わず声を上げた。

 中には宝も無く、賊も無く、ただ、最低限の家具と、女二人があるのみだった。

 一人は十程度の少女、もう一人は二十も半ばの女だった。

 姉妹か親子であろうか、顔がよく似ている。

 女は少女を庇うように抱き寄せて、座り込んでいた。

 二人の女は、突然のことに声も出ないほど驚いているらしく、唯々、顔を青くして震えていた。

 三郎太には、二人の着ている洋服は、今は汚れてこそいるものの、もとは高価なものであったように見えた。

 故に、


――賊に攫われたのか? それにしては無防備だ。見張りもなく、縄もかけられていない。


 と、考えたのは自然であった。


「お主らは……」


 と、言いかけた言葉を遮るようにして発せられた少女の声は、あまりに呆然としていて、むしろ悲壮に満ちていた。


「お、お兄ちゃん……」


 少女の目は、三郎太の腰につりさげられているモノに注がれていた。

 少女だけでなく、女もまた同じだった。

 いや、女の方は、明確に恐怖を示していた。

 陸の魚のように口を開けては閉じ、肩で息をしながら、見開かれた目はただ一点を見つめている。


――そうか、そういうことか。


 それだけで、賊と女達の関係が、十分すぎるほどに理解できた。

 合点がいった途端、思い出したかのように、濡れた着物が三郎太の体温を奪いだした。

 

「いたぞ! あいつだ!」


 聞いたことのある声が、足音と共に、外から届いた。

 三郎太にとっては、そんな事はどうでもよかった。


――義賊、義侠、侠客、秩序。


 そんな言葉が頭の中に現れては、消えて行った。

 嗚呼、秩序の陰で泣く者を、知らぬわけでもなかったのに。



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