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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
首都篇:第一章 如何御覧ず義賊の心
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入国

「なんだと貴様! もう一度言ってみろ!」


連合首都、外周区の西門に人目も憚らずに声を荒げる男がいた。

男は通行の邪魔にならないように脇に退けられ、そこで門番らしき二人の男を相手にしている。二人の門番はこのうえなく迷惑そうだった。


「ですからぁ、確かに外周区は自由都市として開放されていますが、そうはいっても首都なのです。失礼ながら怪しい人には身分証の提示を求めているんですよ。分かってください」

「その怪しいというのが気に食わん! それに身分証ならここにある」

「怪しいでしょう! 旅人や開拓者にしては軽装過ぎるし、街道を通ってきたのならそんなにボロボロになるはずがない! それにあなたはともかく、後ろの二人は身分証が無いじゃないですか。あなたに比べて妙に小奇麗なのも逆に……」


 男の身なりは酷いものだった。ボロボロの小袖に袴、擦り切れたブーツ。

 腰に差した二口ふたふりの刀だけは輝いているが、それがまた怪しい。

 伸ばし放題の髭も全く手入れがされておらず、十人中八人は不潔だというだろう。

 そして、男が連れだの仲間だの付き人だのと紹介した少年と少女は身分証が無く、来歴を問われても、遠くの村のあまり大きな声では言えないやんごとなき家の生まれで、抗争に敗れて落ちてきた云々と、みるからにでっち上げたであろう話を苦しげに捻り出したものだから、結局何もかもを怪しまれて立ち往生していた。

 男は苦虫を噛み潰したような顔で振り返り、羽織にワンピース、そして目を布で覆った、これまた奇怪な恰好をした金髪の少女に近づき、小声でささやいた。


「おいティアナ、外周区ならば簡単には入れるのではなかったか。これはどういうことだ!」

「この程度の検閲は想定の範囲内だ。それよりも驚いたのはお前の口下手さだ。いくらこの世界について知らなかったとしてもこれはあんまりだ」

「……蚩尤」

「しーらないっ」

「チッ!」


 男が汚い顔に青筋を浮かべていると、それを見かねたのか、もう一人の門番が口を挟んできた。軽薄そうな若い男だ。


「だからよぉ、おっさん。俺達だって無理は言ってないだろう。身分証を無くしたんなら、生まれ故郷の名前とか家族の名前とか、もしくは首都の中の知り合いの名前とかさ、あるだろう? そういうのである程度整合性が取れたら何とかできるんだよ、さっきからそう言っているだろ?」


役人が「何とかできる」を強調して言い出したのだから、もう一押しでなんとかできるものを、やはり男はどうにも知恵が働かなかった。


――こうなれば銭をちょっとばかり握らせて……駄目だ! この三郎太がそんな卑怯な真似ができるか!


「……」

「……」

「……」


 男――三郎太と困り顔の門番、あきれ顔の門番が三人で視線を交差させながら沈黙を続けること数十秒。いよいよもうどうにもならなくなったかと思われた時、


「門番さん、私、ちょっとそこで話を聞いていたのですけれど。良いのではないでしょうか。その人、きっと怪しくないですよ?」


 修道服を着た、銀色の長髪の女が突然、三郎太達に助け船を出してきた。


「ッ! これはアウロラさま! いやっ……しかし……」

「大丈夫です。私が責任を持ちますから。それに、首都に入ってなんかしてやろうって人が口実も考えずに来るはずないじゃないですか」

「しかし規則が……」

「いいじゃねえか、聖女様がおっしゃってんだ」


 聖女の登場にうろたえる真面目そうな青年門番を、軽薄そうなもう一人が押しのけて、


「それじゃあ後は頼みます」


 とだけ残して元の場所へと戻っていった。

 残された三郎太はおもいもよらぬ方向で話が進み、あっという間に解決してしまったことに困惑しつつも、慌てて聖女と呼ばれた女に声をかけた。


「これはかたじけない。拙者、清浜三郎太と申す」

「どういたしまして。私はアウロラ、一応聖女指定を受けていますから、ちょっとは融通が効くんです」

「ははぁ」


 気の抜けた返事をする三郎太を見て、アウロラはクスリと笑った。

 如何にも聖女といった上品な立ち居振る舞いだった。


「何かの縁ですし、私が首都を案内しましょう。その恰好では……まぁいろいろと上手くいかないでしょうし」


 言われて、三郎太は改めて自分の恰好を見直した。

 今迄は生きることに必死で、格好など二の次になっていたが、やはり士分としては恥ずかしい恰好で外にはいられない。

 しかもそれをある程度位の高いであろう聖女に見られて気を使われるなど、三郎太としては羞恥心を感じずにはいられなかった。


「いや、まったく面目ない……おい、行くぞ」

「お前なにデレデレしてんだよ」

「サブロー感じわるーい」

「あはは……では行きましょうか」


 今まで黙っていた二人の子供が騒ぎ出したのを無視しながら、三郎太は首都へと足を踏み入れた。





 首都の賑わいはすさまじいものだった。

 三郎太は先ず真っ先に大通りの市の方へ案内された。

 そこかしこで商人の威勢の良い声が聞こえる。

 人気の店があるのか、場所によっては人と肩をぶつけなければ歩けないほどに、大通りには人があふれていた。

 そんな中、三郎太は、


 ――これではどうぞスリをしてくださいと言っているようなものだな、ただでさえ財布の底が見えているのだ、用心せねば。


 と、意味のない警戒をしていた。

 確かに首都にもスリは存在するが、垢まみれでボロを纏った男から金を巻き上げようとするスリは存在しない。スリにだって相手を選ぶ権利はあるのだ。


「ここは外周区、見ての通り周囲を城壁に囲まれているでしょう? あれは首都を囲む三山を繋げたもので、首都全体をぐるりと囲んでいるんです」

「とすれば我らが入ってきた門も城壁の一部ということか。長大だな。では向こうの城壁は」


 三郎太が指したのは首都の内側。外周区を囲む城壁程大きくはないが、そこにも壁がそびえたっている。


「あれは都です」

「都? こことて首都と呼ばれているのなら都ではないのか」

「もともと連合首都が建設された時には外周区は無かったのです。ですから都と言えばあそこの壁の内側を指します」

「何がある」

「貴族から一般庶民までいますよ。ただ外周区のように簡単には入れませんけど。そして都の中央には円形の宮城があり、そこに総統を中心に各地の代表者や貴族が集まって政治を……ってすみません。さすがにそれくらい知っていますよね」

「うむ、まぁ、それは、勿論」


 首都を囲む三山を繋ぐようにして建てられた三つの城壁には、それぞれ二つの門があり、都より放射状に伸びる六つの大通りとつながっている。

 三山は、首都中央から見て東北がヘリオス、西北がセレネ、南がポセイドンと名付けられ、それぞれ要塞化されており、騎士団が拠点としている。

 アウロラは長い間首都で活動していたらしく、地理に明るかった。

 三郎太にとってはありがたいことに、三郎太の着ている服と同じモノを売っている店まで知っていた。


 本当のところは先ず公衆浴場に向かいたかったのだが、まだしばらくは開かないとのことだったので、仕方なくまず服屋に向かう事となった。


「ほほう、これは確かに着物や袴。ここにきて出会えるとは思わなかった」

「確か崑崙をはじめ東の方の服装でしたね。ここは連合首都ですから、世界中のモノが集まっていますよ。ヴォルフスのものだって」


 三郎太はアウロラが崑崙を『アヅマ』と呼ばなかったことを、ささやかに喜びながら、衣類の新調をした。

 と言っても、今までと大して変わらない、黒の小袖と袴である。


――もうそろそろ冬が来る。服や住処も考えねばなぁ……


 三郎太はそんなことを考えながら、会計を済ませようと荷袋を開いたが、そこで重要なことに気付き思わず固まった。


「どしたのサブロー?」


 傍にいた蚩尤が異常に気付いて声をかけたが、三郎太はコホンと一つ咳払いをすると


「何でもない」


 と取り繕った。しかし額に浮かぶ冷や汗は隠せていなかった。


「ふーん……」


 と呟きながら、蚩尤は半眼で三郎太を見たがそれ以上は追求しなかった。


「あっ、もうこんな時間ですか」


 丁度服屋を出たところで、アウロラが思い出したように言った。


「所用があるのならばそちらを優先されよ。もう十分すぎるほど親切を受けてしまった」

「いえいえそんな、好きでしていることなので……。本当はもっといろいろ手助けをしてあげたいのですが……」

「これ以上されれば我等が困る。返せぬほどの恩になっては……」


 妙に真剣みがこもった言葉だった。


「ええ、でも本当に……。すみません。では私はこれで。何かあれば大聖堂にいらしてください。ここから距離はありますが、聞けばだれでも知っていますから」

「うむ」

「では」


 去っていくアウロラの背が人波の中に消えたところで、ティアナが口を開いた。


「ああいう女ならばコロッと信用するのか?」


 棘のある言い方だった。


「気に入らぬ物言いだな。俺とて道心や仏心くらい知っている。徳の高い、尊敬できる相手にはそれを示す、それだけだ」

「ふん、私はあの女はあまり好かないな。あまりにも上手に繕っている。万人に求められる聖女の皮を被っているように思えた」

「眼も開けておらぬのに分かるのか?」

「分かるさ」


 三郎太は己の勘や判断を信じているが、それでも年長者であり、権謀術数渦巻く政界で多くの修羅場をくぐってきたティアナには尊敬の念を持っている。

 その言葉には間違いなく何らかの真実が含まれていると思っているのだ。


「……分かった。他ならぬお主の言だ。とどめておこう」

「むぅ……お前は頑固なのか素直なのかたまに分からんな……」

「ただのひねくれ者のだよこいつは……ってイタい! なにすんのさ!」


 蚩尤に拳骨を浴びせた三郎太はティアナの手を取ってズンズンと大通りを歩いていった。





 3人が大通りを進んでいくと、段々と道幅は狭まっていき、それに従って喧騒も少しは落ち着き始めていた。

 商店も多少は建っているが、宿泊施設も兼ねた飲食店がよく目立つ。

 今はまだ静かではあるが、夜になれば基本的にならず者である開拓者の馬鹿騒ぎが響き渡る事だろう。


 そんな通りを、三郎太はいつも以上のしかめっ面で無言のまま歩き、ティアナは無表情に三郎太に手を引かれていた。

 唯一人、蚩尤だけが目をキラキラさせながら右に左に視線を移して騒いでいた。


「あっ、サブロー! あの宿良い感じじゃない?」

「うむ」

 右を指さしながら蚩尤が言う。

 しかし三郎太は横目でその方角をちらと見て、相槌を打つだけだった。


「あっ、あっちも! 焼いてるのは何の魚かな! せっかく首都にきたんだから良いもの食べたいよね〜」

「うむ」


 今度は左を差して蚩尤が小躍りする。

 三郎太はそちらを見ることも無く、嗅いだだけで手が込んでいる料理だとはっきりわかる臭いに眉間の皺をいっそう深くして、先ほどと同じように応えた。


「……ねぇ、ちゃんと聞いてんのサブロー。宿探し、手伝ってあげてんじゃん」

「……宿を探しているとは一言も言っておらん」

「じゃあなにしてんのさ」

「み、見回りだ……」

「何の」

「……いいから黙っておれ!」


 やはり三郎太の様子はどこかおかしかった。


「ねぇおばあちゃん、サブローどうしちゃったの? いつもに増してめんどくさいんだけど」

「……」


 ティアナも全く答えなかった。

 事情を知る知らないの問題ではなく、単純に蚩尤の相手をする気が無いようだった。


「はぁーあ、どっちも黙っちゃってさ! つまんないの!」


 遂には蚩尤までもが不貞腐れて、黙ってしまった。

 そのまま三人が一様に不機嫌そうな顔を張り付けたまま、無意識に周囲を威圧しながら歩くこと数分。三人の間を流れていた原因不明の緊張が早くも薄れ始めたころ、丁度それは起こった。


「ちょっと何よそれ! 話が違うじゃない!」

「いやしかしそうは言いましても……」


 女の怒声だった。

 続けて聞こえてきたのは大人の男の声。

 聞いているだけで可哀想になるほど、窮地に陥ったものが発する悲痛な声だった。


「ちょっとせんぱぁ~い、そんなに大声上げないでください。注目集めちゃってますよ~」


 今度はまだ幼さを残した、高い少女の声だった。

 セリフの上では怒り狂う女をいさめようとしているが、そこには小馬鹿にしたような響きがあった。


「ねぇサブロー、良いの? なんか盛り上がってるけど」

「良いとは何の事だ」


 三郎太は立ち止まり、音の発生源、三郎太達から見て左手にあるオープンテラスの喫茶店の方をちらりと見て言った。

 人垣に遮られて何が起きているのかは見えない。


「だって、何か面白いことがあるかもしれないよ」

「ふん、ばかばかしい」


 三郎太は蚩尤の言葉を一蹴すると、喫茶店から視線を逸らし再び歩を進めた。


「よいか蚩尤。凡そ天下の往来で大声を上げる奴などまともではないのだ。それこそ気狂いか恥知らずよ。そんなところには大義も道理も転がってはおらぬし、関わり合っても一文の得にもならん。むしろこちらが面目を失いかねん。触らぬ神に祟り無しとはこのこと。素通りすればそれでよいのだ」


 三郎太がそう言って、その場を通り過ぎようとしたその時だった。


「へーえ、良い度胸ね! 教会なめんじゃないわよ!」


 再び女の怒声が鳴り響いた。

 それだけではない、今度はカシャンという高い音も一緒だった。

 テーブルから飛び出したのはティーカップだった。

 一体何の偶然か、触らなかったはずの神が祟ったのか、それは付近の人垣を器用に避けると、今まさに立ち去ろうとしていた男に向けて寸分違わぬ正確さで飛んで行った。

 空中でバランスを崩したティーカップから中身が零れだす。

 琥珀色の液体だった。

 砂糖が入っているかもしれない。

 レモンが絞ってあるかもしれない。

 しかしどれも、自分に脅威が迫っているとは気づいていない男にとってはどうでもいいことだった。


「あっ……」


 誰ともなく呟いた言葉が言い終わらないうちに、液体が人に掛かる鈍い音と、陶器の割れる高い音が虚しく鳴った。


「あっ……」


 再び、人垣のなかからつぶやきが漏れた。

 皆の視線を一身に受けた男、清浜三郎太は生ぬるい液体を顎の髭から滴らせながら、顔を赤くしてぷるぷると震えていた。

 出し抜けに浴びせられた仕打ちに怒っているのか、それとも、脅威を察せられなかった己の不覚梧を恥じているのか。いや、三郎太はそんな冷静な分析などしていなかった。


「そこへ直れ無礼者! しでかしたのは何処の誰じゃ! 武士の面目にかけて叩き切ってくれるぞ!」


 天下の往来で大声を上げるまともじゃない気狂いか恥知らずが一人増えた。

 叫んだ三郎太はずんずんと人垣をかき分けながら――。


「不味いっ! おいクソガキ、あいつを止めろ!」

「わぁーっ! ダメだってサブロー! ここではまずいって!」


 何かに気付いたティアナが激を飛ばし、蚩尤があわてて三郎太の腰にしがみついた。

 そして必死になって刀の柄に伸びた三郎太の手を抑え込んだ。


「離せ蚩尤! このっ……! 早く出て参れ! 抜け! 立ち会え!」


 癇癪を起し、刀の柄に手をかけた三郎太を見て、辺りの人間は慌てて道を開けた。

 その先にはようやく自分がこの大事を招いたことに気付いた女がひきつった表情を浮かべて立っていた。


「ちょっ……、確かに今のは私が悪いかもしれないけど、そっちが抜くのならこっちにだって考えが……ってあれ? 貴方もしかして三郎太?」

「む!」


 女が自分の名を知っている。そのことに三郎太は衝撃をうけた。

 この世界で自分の名を知っている者など限られている。


「お主まさか……マリアか!」


 見知った姿を見た三郎太は、鳩が豆鉄砲を云々といった様子でその名を呼んだ。



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