撒かれた鬼の種
「クソっ、連中め、やはり信用ならんな」
憎々しげに吐き捨てたのは、ノイエ・ヴォーレン騎士団団長ドライボーデンだ。
――開拓者共をアテにしたのが間違いだったか、報告が遅すぎる!
戦況は間違いなく騎士団に有利だろう。必勝は間違いない。敵は2人、雇った開拓者を併せて騎士団の戦力は20を超えている。
それでもドライボーデンは作戦が完璧に進んでいないことに苛立った。
決して完璧主義というわけではない。しかし今この時に限って言えば、完璧でなければならないような気がした。
そうでなければ、まるで騎士団が敗れるような気がしていたのだ。
本来ならば、魔法による奇襲の後、開拓者達が森で追い込み、もし予想外の抵抗や時間がかかるようならば合図を出し、それに応じて騎士団が前に出るという予定だった。
しかし一切の連絡が無い、討ち取ったという合図も、苦戦しているという合図も、森の奥に向かったのか外に向かったのかという合図も、何一つ届かない。
「団長、俺が行きます」
「ボルクフェルトか……よし、行け。しかし死ぬなよ。もう一人たりとも失うわけにはいかない」
「任せてください」
ボルクフェルトは槍の名手だ。間違いは無いだろう。
ドライボーデンはボルクフェルトを送り出した。
暫くして、傍らのハンナが声をかけた。
「ねぇ、やっぱりもっと前に出るべきよ。戦力の集中、基本じゃないの?」
「焦るな、すばしっこく逃げられては困る。俺たちは俯瞰して、状況に応じて確実に奴らを仕留めなければいけない」
「危険なのは太祖よりもあの男、ただ者じゃないわ」
「執心のようだな。しかしあれだけの数に勝てる人間はいないだろう」
「そうだけど! なんか胸騒ぎがするのよ……」
焦ってはいけない。ドライボーデンはそれだけを自分に言い聞かせていた
――ムートもハンナも焦っていた、だから失敗したのだ。焦るな、焦るな。90%勝てる戦いを100%勝てる戦いにするのだ。ボルクフェルトともう二人団員を送り込んだ、手こずるようなら、上手くこちらに誘導するはずだ。そしたら魔法で消し飛ばせばいい。
「ねぇ、ごめん。ほんとに何か嫌な予感がする。私だけでも前に行かせて」
真剣な表情でハンナはそう訴えた。ドライボーデンもハンナの勘がよく当たるのは知っている。一瞬逡巡した後、許可をだした。
「分かった……仕方がな――」
その時、突如として森から爆音が響き、ドライボーデンの声を遮った。
サッとそちらを振り向き目を見張る。
「何っ!?」
ハンナもまた驚き、砂煙を上げる森へと視線を向けた。
「化け物だ!」
「クソがッ! 聞いてねぇぞこんなの!」
森からは開拓者がほうほうの体で次々と出てきた。
その様子は尋常ではなく、恐怖のままに潰走している。
「化け物!? この辺りに魔獣なんて……」
ハンナがそう言いかけたところで、森から光線が走った。それは逃げる開拓者達の背に容赦なく襲い掛かり、爆音を響かせた。
この場の騎士団の誰一人として状況が呑み込めない中、ドライボーデンは冷静さを保ちながら巻き上がる砂煙を睨みつけていた。
そして、砂煙を切り裂いて飛び出してきた存在をその目で確認したとき、ドライボーデンの胸中に現れたのは「あぁ、やっぱり」という奇妙な納得だった。
「怯むなァッ! ヴィントホーゼで吹き飛ばす!」
「はっ……」
ドライボーデンの指示が飛ぶや否や、再び光線が走り団員の上半身消し飛ばした。
現れた化け物――魔人――は、盲目になったはずであるにも関わらず、確実に開拓者の残党をその手の槍と剣で屠りながら、跳んでは跳ね、恐ろしい速さでこちらに近づいてきていた。
その背後には魔法陣が二つ浮かんでいる。
ふざけている。ドライボーデンは毒づいた。
魔法陣、法則に則り、緻密に編み込まれた魔力の塊。それを作り上げられるものは、各国お抱えの魔法使いや教授くらいだ。その中でも二つも所持している者は限られてくる。
それなのに、この魔人は力を取り戻しただけでは飽き足らず、当たり前のように二つもそれを背後に浮かべている。
理不尽だ、馬鹿げている。さっきまでの奇妙な納得感が、怒りに変わっていく。
――ふざけるな、何をやっても結局こうなるのか! ムートの犠牲も! 俺の作戦も! なんの意味も無く、どれもこれも理不尽に押しつぶされるのか! こんな結末を迎えるために、騎士団は苦節に耐えてきたのか!
遂に魔人の眼がドライボーデンを捉えた。そんなに戦いが楽しいのか、血を浴びるのが快感なのか。凶悪な笑みを浮かべて、一歩、また一歩とドライボーデンに近づく。
自分が死ぬだけではない。この魔人によって騎士団は終わる。ドライボーデンにはそれがはっきりと理解できた。
恐怖はあった、理不尽に対する怒りもあった。それでも、だからこそ、騎士団の魂だけは汚してはいけない。そう思った。
ドライボーデンは剣を抜き放つと、沸き上がる恐怖を振り払い、力強く前へ踏み出した。
「魔人如きが……人間を舐めるなよッ! ノイエ・ヴォーレン騎士団、団長ドライボーデンだ! 覚えておけ、ヴォルフスの太祖ォ!」
それがノイエ・ヴォーレン騎士団の最期の咆哮だった。
◆
付近の敵を悉く惨殺し、さらなる敵を求めて跳んで行ったティアナを、三郎太は呆然と見送るしかなかった。
何が起きたのか、それを考える気力は起きなかった。
事態の理解に努めようとするよりも、全身を襲う痛みと疲労に対処することを優先させた。
その場に大の字で寝転がりたい気分だったが、このままでは血の海に倒れることになるうえ、見た目もよろしくない。
この期に及んでも発揮された異常なプライドを頼りに、なんとか木の近くまで這い、片膝を立ててその幹に寄りかかった。
暫くは何も考えられなかった。遠くで響く爆音もどこか他人事だった。
初めは逆安珍を握りしめ、木々の隙間から空を見上げていたが、首が疲れてからは、地面を見つめていた。地を這う虫は逞しいと、柄にもないことを考えていた。
どれくらいそうしていただろうか、ふと、自分を覆う影に気付いた。
視界には血の滴る剣と槍、それと少女のものであろう足が映っていた。
「欺いていたのか」
「いや、そうではない」
「ならば、これは一体どういうことだ。見えていなければ出来ないだろう」
「さぁな。よくわからんが、魔眼の能力が全て魔法陣として外に現れたようだ。さっきまでは本当に何も見えなかったし、視えなかった」
分からないことが多すぎる。ひとまずティアナの様子を見ようと、三郎太は視線を上げた。
しかしその途中、視界の隅に凶悪に歪んだままの口元が映った時、急に恐ろしさがこみ上げてきて、その顔を直視する前に慌てて視線を降ろした。
――違う! こいつは違う! 太祖だ。大英雄であり、魔人だ!
自覚すると同時に呆けていた頭が明瞭になり、現実を理解し始めた。
今、目の前に立っているのはもはや『哀れな盲目の少女』では無かった。『畏怖すべき大英雄』『伝説の魔人』そういった存在だった。
きっと三郎太がなんの障害も無い時、初めてこの存在に直面したのなら、間違いなくその場に跪き、しかるべき礼をとっていただろう。今だってその衝動を堪えるのに必死だった。
屈服したい、支配されたい。そういった願望が、奉公人の病が表に出そうになる。
三郎太は必死に堪えた。なぜなら、三郎太は思い出したのだ。自分が『哀れな盲目の少女』に対して行った非道、外道の所業を。
間違いなく恨まれている。だから力を取り戻した魔人が、これから執るであろう行動は容易に予測できた。
故に、堪えた。屈服することは勿論のこと、謝罪もまた論外だった。
相手が強者だと知ってから謝罪するなど恥の上塗りもいいところだ。どうにもならないのなら、腹を切る。気が済むのなら殺されたって良い。そう思ったのだ。
暫くの間、沈黙が流れた。
震える体を押さえつけ、滲む脂汗を誤魔化そうとしている三郎太にとっては、永遠ともいえる時間だった。
――もうだめだ、どうにもならん。体も休まった。起き上がりざまに切りつければやれるか!? ……いや、いまさら抵抗して何になる。潔く腹を切ろう。そうしよう。
三郎太が持ち前の短気を発揮しようとしたとき、ティアナが口を開いた。
「どうした? 顔を上げろ」
「……ッ!」
まるで読み透かされたかのようなタイミングで声をかけられ、三郎太は不覚にもビクリと体を震わせた。
――蚩尤もそうだった、やはり魔人というのは人とは違う。どうしようもなく恐ろしい一面を秘めている!
思い出し、そして今の自分の姿が傍から見たら情けないものだろうと思ったら、すぐにむらむらと反発心が湧いてきた。魔人如きに怯んでたまるか、と。
「ほ、放っておけ、少し疲れたのだ」
「そうか、では仕方がないな」
「なっ!? うぉっ!」
三郎太がぶっきらぼうに言い終わるや否や、ティアナは持っていたものをその場に落とし、三郎太の腰の上に跨った。そして両手で三郎太に顔を挟むと強引に持ち上げ、その目を覗き込んだ。
三郎太の目の前に広がったのはただの手ぬぐいだ。一体何が起きているのか分からない三郎太は、なんとなく、負けじと睨み返すことにした。
しかしすぐに思い出した。
――しまった! 思い出したぞ。魔眼! 人の感情を読み、目を通せば記憶から何まで全てを読み取るのではなかったか!
「や、やめい。離せ、離さんか!」
「じっとしていろ」
抵抗虚しく、魔人の力には敵わなかった。三郎太はされるがままに、全てを視られてしまった。
「ふふふ、ははっ! なるほど、やはりお前は面白いな!」
驚いたり、感心したり、笑ったりと、勝手気ままに三郎太の記憶を鑑賞したティアナはようやく満足したのか、そう言って立ち上がり、スッと離れた。
三郎太は顔を上げて睨みつけ、声を荒げて言った。
「や、やってくれたな外道め! 貴様、何時かの時、嫌われるから心も記憶も視ないと言っていたでは無いか!」
「それはあの馬鹿に対してのことだ。別にお前に対してではない。それに、お前はそれで私を嫌うのか?」
「当たり前だ、何処ぞへ失せろ! この魔人め!」
「はっはっは! そうかそうか、嫌いか。それでは仕方がないな」
相変わらず凶悪な笑みを浮かべながら、まるで自分が嫌われているとは露とも思っていない様子で、さぞ楽しそうに呵々大笑する。
「どれ、このままというわけにもいかないだろう。簡単な手当てをしたら、医者の居るところまで行こう」
ティアナは騎士団や開拓者から奪ったのか、包帯やら消毒液を取り出して手当を始めた。
三郎太はムスっとした顔のまま動こうとしない。
「言っておくが、この魔法陣を展開し続けるのも疲れるのだ。つまり、結局普段は盲目。まだ私にはお前が必要だ。頼りにしているぞ、――頼孝」
「なっ! お主どこまで!」
頼孝、それは三郎太の諱だった。
名は霊的な力を多分に含む。その者の属性、縁起、運命。あらゆるものを内包する。
特にその諱を呼ばれたものは、霊的に支配されるともいわれている。
故に、三郎太はそれをほとんどの人に明かしていなかった。
何故ティアナが知ってるのかと言えば、当然、それを知るほどまでに三郎太の記憶の奥底を覗いたからなのだろう。
「大切な名だというのは分かっている。他では言わん。だが良いだろう――」
――私になら支配されても。
不意に耳元でささやかれた言葉に、恥ずかしながら、三郎太は抵抗できなかった。
◆
血の海の中、ただ呆然と立ちすくむ女がいた。
腰が抜けたように、膝を落とすと血を吸った草本植物がグシャリと音を鳴らした。
その女――ハンナはどうすることもできず、ただただ涙を流し、壊れたように笑うしかなかった。
辺りに散らばるのは仲間だったモノ、戦友だったモノ。
あの凄惨で一方的な殺戮劇の中、何故かハンナだけが生き残った。
まるであの魔人の視界には入っていないかのように、ごく自然に取り残された。
「酷いよね、悲しいよね、悔しいよね」
その時、突然ハンナの背後から声がした。
この場において、不釣り合いなほど優しげな声色だった。
ハンナにとっては、もはやその程度の異常事態は些細な問題だった。
目の前の惨劇を受け入れるのに必死で、他の事は全てがどうでもよかった。だから振り返りもせず、返事もしなかった。
「刃向かう者は皆殺し。ずっと変わらないの、あの男の一族は。ずっとずっとそういう血が流れている」
しかしそれでもなぜか、女の言葉はハンナの心にゆっくりと、そして確実に刻み込まれていった。
そして心の内に浮かび上がった怨敵の姿は、魔人ではなく、あの男だった。
「ねぇ、力が欲しい? あの男を倒せるほどの力が」
ハンナは初めて女の言葉に反応した。
ゆっくりと振り返り、そして言った。
「……うん」
そこにいたのは、長く美しい白髪に修道服の女。
――歓迎するわ。
女は満面の笑みで、そう言った。




