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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第三章 英雄敵わぬ親子の血
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魔人の誕生、復活

 一時間と少し、その程度で二人は森を抜けることができた。

 すぐそこはもう森の出口、その先には小麦かススキに似た黄金色の背の高い植物が生い茂っていて、僅かに人一人通れるだけの道が見えた。

 森は奥に入ると高低差があったり、小さな分かれ道がいくつも通っており少々難儀した。方角こそ失わなかったが、もしかすると正規の道からは外れていたのかもしれない。

 三郎太は、河童の話では大きな街道にぶつかるはずだと思い、背を伸ばし辺りを見渡してみた。

 瞬間、草原の向こうに火球が現れた。風が収束した。白地に青の三角、ノイエ・ヴォーレン騎士団の旗が翻った。


「やられたッ!」

「どうしっ……!」


 三郎太は驚くティアナを小脇に抱えると、踵を返して今来た道を駆けだした。

 背後で爆音が響き渡り、土煙と小枝が熱風と共に三郎太に襲い掛かる。

 ティアナを抱きかかえて庇う事には成功したが、三郎太は直接その煽りを受けて無様に転がった。


「してやられたっ! 奴らめ伏せておったぞ!」

「……どうなる」

「やってみなければ分からん!」


――間違いない、この失態を招いたのは俺だ。あの時、俺が甘えたツケが回ってきたのだ。

 この場をドンピシャで当てたのは奴らが見事だという他ないが、自分たちがこの近くにいることを知ったのは、間違いなくあの女がもたらした情報からだろう。


「この森ならば、上手くすれば撒けるか……」


 森の外観から森の構造を想像する。

 敵がまだ向こう側にいるのならば身を隠しながら逃れられるかもしれない。

 しかし、


「よし行くぞぉ! 生かして捕まえれば報酬が割り増しだ!」

「おう!」


 三郎太の希望はたやすく打ち砕かれた。

 窪地、木の上、藪、あちこちから隠れていた敵が飛び出してきた。

 今迄に相手取った騎士団とは違い装備に統一感が無い。開拓者然とした風体の連中だった。


 ――不覚! これほど近くに伏せられていながら気づけなんだか! 


 後悔してももう遅い。三郎太は思うように動かない体に鞭を打ち、なんとかこの場を打開しようと模索する。しかし、とれる手段など、最早一つしか残されていない。


「退け! 道を開けろ!」


 三郎太は逆安珍を引き抜き、立ちはだかる開拓者を切り伏せ、押しのけ、ひたすらに進んだ。

 次第に矢が撃ち込まれ始め、何本かが三郎太の体を切り裂いた。


――近頃は逃げてばかりだな。


 走馬燈に似ているのかもしれない。何故だか時間の流れが遅く感じた。そして記憶が次々と浮かび上がってくる。


――ヴォルフスを出て以来、大層長い時間逃げ続けた気がしたが、こうしてみるとあっけない。落ち武者狩りとはこんなものか、敗軍の将とはこうして死ぬのか。


 奇妙なほど、気持ちは静まっていた。だが、三郎太はそれではいけないと我に返った。


――この感慨は将たる者の物だ。俺の物では断じてない。


 三郎太は方向を変え、棘も気にせず藪に飛び込み、斜面を下り、また藪を飛び越えた、そして少し先の巨木の下にティアナと共に滑り込んだ。

ティアナを抱き寄せて耳元で怒鳴った。


「ハァッ……おいッ! 時間を稼ぐ、その間に一人で逃げられるか!? 知っての通り深い森ではないっ!」

「……」

「……であろうな。よし!」


 盲人が一人で敵の伏せた森を抜けられるはずがない。言った三郎太自身、そんな事くらい分かっている。

 三郎太は息を整えるとティアナに向き合った。かつて目のあった場所を見つめて、はっきりと告げた。


「力及ばず、無念ではあるがこのような結果と相成った。敵の手に落ち辱めを受けるくらいならば、自害されるが宜しかろう」


 三郎太は腰から兼定を抜くと、柄をしっかりとティアナの手に握らせた。


「作法は問わぬ。苦しむようならば介錯もしよう」


 そこまで言ったあと、三郎太は言葉を詰まらせた。しかし、背後から迫る声に押されてか、重い口を開いた。


「……もしも向こう側でも盲目であったならば、川原にてしばし待て。すぐに馳せ参じ、また、俺が手を引こう。お主の夫に引き合わしてやるし、銭も用意してやる」

「見つけたぞぉっ!」


 丁度その時、追手が藪を飛び越えやってきた。開拓者だけでなく騎士も含まれている。


「では、しばしの別れ、御免!」


 三郎太は立ち上がり、振り返ると逆安珍を構え、攻め来る敵に駆けだした。


「木っ端雑兵共! この三郎太、討てるものなら討ってみよ!」


 叫ぶや否や、三郎太は先頭を走る小汚い男とそれに続いた若い女を瞬く間に切り捨てた。

 すぐさま体をかがめて襲い来る刃を頭上に躱し、反動で切り上げて股を割る。

 飛び退きながら振り下ろし、頭蓋を割る。

 死体を盾に魔法を防ぎ、近くの相手を丸ごと両断する。

 後の先を制し、喉に突きをお見舞いし、刃を返して首をはねる。

 三郎太は一騎当千、鬼神の如き戦いぶりを見せていた。


 夢中で刀を振るう三郎太に自覚は無かったが、三郎太は今この窮地を楽しんでいた。

 この男は普段隠してはいるものの、根本的なところでは戦いを求めていたのだった。

 かつて、まだ黒船がやってきていないころ、三郎太は父親から言われたことがあった。


「お前は可哀想な時代に生まれた。この太平の時代では、鍛え上げた剣術を実戦で使える機会などそうない。お前は唯の試合や稽古で我慢できる手合いではないだろう。かといって、元禄のころに生まれていれば戦国への思慕のあまり心を病んでいただろうし、戦国に生まれれば、その愚直さからあっという間に死んでいただろう」


 酒の席でのことだったが、それは真実であると三郎太は冷静に受け止めていた。

 そんな折に、突如として幕府に襲い掛かった内憂外患は、三郎太にとっては祝福すべきものだった。

 失墜する権威。立ち上がる雄藩。尊王か佐幕か。思想など三郎太にとっては重要ではなかった。

 仮に相手が鉄砲の壁であったとしても、構わずにその中に躍り出て、藩主への忠勇を示し、戦場の真ん中で死ぬ。それだけが望みだった。

 しかし、それは叶うことはなく。こうして迷いの道に立っている。

 故に、三郎太は欲求不満だった。ただでさえ女を知らない身、情熱の全てを剣に捧げてきたのだ。今この時に、英雄の最期を飾る栄誉を受けられるのは、至情の喜びだった。


 また一人、血煙の中に人が倒れた。女だった。

 がむしゃらに暴れても逆安珍には刃こぼれ一つない。

 しかし、扱う三郎太はあくまで人だ。増えていく生傷はどうすることもできない。


「もうここらで良いだろう! 貴様はよく戦った!」


 いつの間にか目の前にいた騎士団の一人が、槍を構えて三郎太に突き掛かる。

 三郎太はその槍を防ぎきることができなかった。

 槍の柄で腕をしたたかに打ち付けられ、気を失うほどの激痛と共に、地に倒された。


「く、小癪なっ!」


 倒れたままよく見もせずに刀を振る。しかしそれは空を切った。

 ようやく焦点の有った目が捉えたのは騎士団の男。


「我らの悲願に巻き来んだ。許せ!」


 今、突き出されたその槍が、三郎太の心の臓を撃ち貫かんとしたその時、三郎太の脇を何かが走った。

 金色の影と覚えのある臭い、それしか三郎太には分からなかった。

 そしてそれが分かったところでその先の事は理解できなかった。

 それの持ち主が動けるはずはないのだから。


「き、貴様は……」

「なかなかいい槍だ。貰って行くぞ」


 小柄な人影は刀で騎士の胴を穿ち、片手で槍を抑えている。

 刀を引き抜き、血しぶきを浴びながらそれは言った。


「そこで休んでいろ、久しぶりの修羅場だが、この程度物の数ではない」


 振り向いたその顔に凶悪な笑みを浮かべながら、ティアナはそう言った。

 その背後には赤々と禍々しく輝く幾何学模様が二つ。それはまるで無くなった魔眼の代わりを務めるかのように、ぐるりと辺りを見渡した。



「では、しばしの別れ、御免!」


 そう言って離れていく三郎太の気配を、ティアナは懐かしい記憶を思い出しながら見送った。


 似たような逃避行をティアナは経験していた。

 追手の規模は遥かに少なかったが、距離で言えばもっと長い逃避行だった。

 牢番だった男に手を引かれるがまま、昼夜を問わず、無我夢中で走り続けた。

 あの時一緒にいた男は決して弱い男ではなかった。

 それでも、追手と魔獣に怯える明日も分からない生活は、男の心を壊すには十分すぎる力を持っていた。

 無理もない。男は家族も名誉も忠義も、何もかもを捨てて国を飛び出したのだ。縋るものの無い心はいとも簡単に腐り落ちる。

 そして、ある晩のこと、精神をすり減らした男がティアナを求めた時、ティアナはそれを受け入れた。

 幼いなりに、恩に報いたかったというのもあったが、何よりも男が哀れであったから。助けてやりたかった。絶望の淵から引っ張り上げてやりたかったのだ。

 その時、ティアナは自分を幽閉し、この男をここまで追い込んだ祖国への復讐を決意した。

 決意すると同時に、ティアナは魔人としての自覚を得た。

 それまで曖昧だった魔眼の能力がはっきりと理解できるようになり、冴え渡った頭脳には国盗りのシナリオが次々と浮かんできた。

 その夜、魔人は生まれた。


 ティアナは、今自分の為に必死になっている男が、かつての男に似ているとは思っていなかった。性質で言えば二人は真逆に位置するだろう。

 それに、清浜三郎太と名乗った男に対して、愛情は勿論の事、好意だって大して抱いていない。むしろ、これまでの道中では腹立たしいことの方が多かった。

 ただ、段々と、どうにも落ち着かなくなってきた。

 正体の分からない焦燥感が、ティアナを襲った。


――視えろ、視えろ! あれはどうなった、まだ死んではいないだろうな。


 不思議な男だった。長いこと生きているが今までに出会った事の無いタイプの男だった。

 その性根が気になった、興味があった。

 窮地に陥れば陥るほどそれに反発しようとする、その意思の正体は何なのか。

 逃げろと言った直後に死ねという、その奇怪な思考はどこから得たのか。

 何故この男は、自分の為にここまで命を懸けるのか。

 それが知りたい、知らずには死ねない。

 それならば当然、この男を殺させるわけにもいかない!


 そう思った瞬間、ティアナの前に槍に打ち倒される三郎太が現れた。

 ティアナはその現象の正体を理解するよりも早く、地を蹴っていた。

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