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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第三章 英雄敵わぬ親子の血
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復讐の女

「おい! 開けろ! 医者だろう!」


 ひっそりとした夜の街、その隅に建っているとある家の門を叩いているのは、薄汚いなりに髭面の男。清浜三郎太だった。

 その背にはティアナが背負われている。だが先ほどまでとは異なり、顔を伏せ、体重の全てを三郎太に投げ出していた。

 三郎太はあれから襲撃を受けることも無く山を抜け、そこでコボルト達と別れ、しばらく歩いてこの街にたどり着いた。

 そして薬が切れたのか、山を抜けた辺りでティアナの容態は悪化した。


「おい、早く出て参れ! 押し入るぞ!」

「う、うるさいのぉ……! 分かったからとっとと入れ、はやく……!」


 家から出てきたのは老人だった。迷惑そうではあったが、以外にもすんなりと入ることができた。

 三郎太は僅かに空いた扉の隙間に、体を滑り込むようにさせて中に入った。


「なんじゃなんじゃ、こんな時間に。まったく……」


 家の中は狭い、寝台が二つと机が一つ、奥の部屋は台所か。それだけだった。

 老人は、ぼやきながら机の上の紙束をどかす。

 医者らしい対応をしようと試みているようだ。


――河童だな。


 三郎太の第一印象はそれだった。

 突き出た口、窪んだ目、頂点の禿げた頭。まさしく河童だった。


「無礼は承知で、一人診てもらいたいのがいる」

「その娘だろう、そこに寝かせなさい」


 話が早い。三郎太は背からティアナを降ろし、老人の指示従って寝台に寝かせた。


「目か」

「そうだ」


 老人はティアナに巻かれた手ぬぐいを慎重に剝がした。


「これは……お前さん……」


 老人は顔を険しくさせると、探るように三郎太を見た。

 そしてその視線は躊躇いがちに三郎太の腰の物へと向かった。


 ――流石は医者。分かるものなのだな。隠していても仕方がない。


 三郎太は開き直った。


「俺が切った。それがどうした。余計なことまで詮索するな」

「……この街ならそういう輩もいるか。あぁワシが悪かった。やることやって貰うもの貰うだけよ」


 言い放った三郎太を見て、老人は諦めたように治療に取り掛かった。

 その前に、三郎太には少し気になったことがあった。


「ここは自由都市と聞いていたが、かなり小さい上に治安も良くなさそうだな」


 負傷した少女を背負った、いかにも怪しい三郎太がこの街に入れたのは、単純に門番が酔いつぶれて寝ていたからだった。

 街の規模はウェパロスよりも小さい。中に入ってもそこら中で開拓者らしき連中が酔いつぶれている。建物も統一感が無く、石で出来たものもあれば、木で建てられたものもある。そして皆一様に落書きか血痕で装飾されていた。

 

「あぁ、お前さんも間違えたのか、ここは住所の上じゃ自由都市ロサに入るがね、あくまでごろつき開拓者の前線基地よ。もっと南東だよ、あんたの求めている自由都市ロサは」


 ならば治療が済み次第ここを出よう。


「おい、時間はどれだけかかる、道も詳しく教えてはくれまいか」

「今から手術をしてやろうってのが見えないんかお前さんは!? ちょっとは黙っとれ!」

「こっ……!」


三郎太は喉元まで出かかった、この河童め何を無礼な! という罵倒を堪えた。非は自分にある。


「代金はここに置く! 明日のこの時間にまた来るからそれまでに治療を済ませろ!」

「おう! とっとと出ていきな!」


 三郎太は叩きつける様に、アデーレから受け取った報酬の袋を、丸ごと机に置いた。


――この偏屈爺め!


 心の中で悪態をつきながらも、三郎太は出ていく前に、小声で一言呟いた。


「……できるだけ、痕は残らぬようにしてやってくれ」

「……任せい」


 老人も負けず劣らずの小声で返した。

 家を出た三郎太は足早にそこから離れた。

 今のところつけられている心配は無いが、この町に居ることが見つかれば周辺を探られるのは間違いない。

 もし、事を起こすことになっても、この医者の家のそばではない方がいいと判断した。

 金も使いたくはない、痕跡も残したくない。となれば野宿か。

 三郎太は丁度良い塩梅の場所を探そうと、荒くれ者の街の中に消えていった。



 ハンナがこの街に入ったのは、三郎太達がこの街に入った翌日の事だった。

 ハンナはムートの跡を継いだドライボーデンの命令で、数名の部下と共にこの街への偵察を命じられた。


 ムートは殺された。あの男に。なぜムートが焦っていたのかは分からない。

 なぜ、コボルトの隊相手に強行手段を執ったのか分からない。

 それでも、真実として分かることは、あの男がムートを殺したという事。あの男は自分から二人も大切な人を奪った。許せるはずがない。


 命令はあくまで偵察。見つけても手をだすなと厳命された。しかし、


「アイン、ムート、貴方たちの敵は、私が絶対にとってあげるからね」


 見つければ殺す。どんな手段を使っても。

 それは、それだけは誰にも譲れない意地だった。

 今、部下には散開しての捜索を命じている。ハンナは一人だった。

 ハンナが目を光らせて辺りを捜索していると、路地の向こうに、寝転がっている男が見えた。

 時刻は既に夕刻、こんな時間に外で寝ている人間は間違いなくまともではない。

 しかし、基本的に善人で、正義感に溢れ、面倒見の良いハンナは声をかけてやろうと思い、近づいた。

 何なら食事くらいおごってやっても良い。そう考えていた。


「ちょっと貴方、こんな時間に……」


 そこで、気づいた。目の前で寝ているこの男。

 髭面で、剣と袋を抱えて、呑気に寝ているこの男は……。


「ッ――!」


 ハンナは息をのんだ。こんなにもあっさりと、突然に出会えるとは思っていなかった。しかもまぎれもなく絶好の好機だ。


――どうする。いや、迷う事なんて何もない。


「ふぅー……」


 一つ、息を吐いて腰のサーベルに手を伸ばす。今なら殺れる。そう思った時。


「なんだ……お主は……?」


 男が目覚めた。勘が良いのか、運が良いのか。


「あ、あぁこんなところで寝ていると風邪をひくわよっ! 早く、宿か家に戻りなさい」


 サーベルの柄から手を放して、とっさにハンナは取り繕って言った。

 諦めたわけではない。どんな手段も使うと決めた。ならばそれを実践するまでだ。


「構うな。お主こそ、女の身一つでこんな場所に来てはいかん……ん、お主は……」


 気づかれたか。ハンナの身が固くなる。

 抜き打ちで切れるか、そう考えたが無理だと悟った。理由は無い。強いて言うなら直感だった。ハンナの直感は昔からよく当たった。


「っ! お主、あの連中の一味だな」


 男は飛び跳ねる様に起き上がった。

 男は最初驚いたようだったが、意外にも冷静な返答をしてきた。


「えぇそうよ。一応貴方たちを探してきたのだけど、あの魔人は何処?」

「あぁ、あれはな、お主らに襲われた時に負傷して荷物になった。故にあの山に捨て置いた、まだ生きてるかもわからんな」


 男は表情を変えることなくそう言った。


――嘘ね。


 これも直感だった。この男は嘘をついている。


「そうなの? ふーん、じゃあそのうちに部下に見に行かせることにするわ。ところで……」


 自分が女である事さえも利用する。必ずこの男を殺すために。


「貴方。相当腕が良いわよね。私たち、あの魔人を目的とはしているけども、別に貴方個人に怨みは無いの。貴方さえ良ければ私たちの騎士団に入らない? 詳しい話はこれから、二人で一緒に食事でもしながら、どう?」


 飛び切りの笑顔を浮かべて、今までにしたことが無いほどの愛想を振りまいて、そう言った。

 自分の容姿が人より優れている自覚はある。

 栗色の長髪は訓練の中で手入れしなくとも美しさを失わない、自慢の髪だった。


「ふむ、まぁ腹は減っているがな……」

「そう! なら丁度良かったわ! 美味しいお店を聞いて――」

「だが」


 男はハンナの話を途中で、静かに、しかし、力強く、遮った。

 そして言った。その目に怒りと侮蔑を込めて。


「だが、仲間の仇を討とうという気概も無い、腰抜けの仲間になるのは御免だ。飢え死にするほうがよほど良い」

「な、なによ……。もう、古い考えの人なのね、私たちは合理的に……」

「似合わぬ腹芸はそこまでだ。小娘」


 ハンナは何も言えなくなった。何もかも見透かされていた。ピエロもいいところだ。

 これで完全にペースを握られた。それでも、引くわけにはいかない。

 黙り込んだハンナと男の間に沈黙が流れた。

 周辺に人の気配は無い。


「シッ!」


 目にも留まらぬ速さでサーベルを抜き、同時に突く。

 訓練中、ムートですら防げなかった必殺の一撃を放つ。

 しかし、男の抜刀もまた速かった。

 男は剣を抜くと後方へ飛び、同時に上からハンナのサーベルを叩いて剣先を逸らした。


「ッ!」


 それだけで怯むわけにはいかない。ほんの僅かなタイムラグすら作らず、すぐに追いすがり、再び突く。

 しかし、再び同じように上から叩かれ、刺突が躱される。

 まだだ、もう一回。そう思い、踏み込もうとしたところで、直感が働いた。


――次は殺されるっ……!


 根拠は直感だけ、しかし、確信をもって言える。

 男は腕を伸ばし、剣先の延長線上にハンナの喉元が来るようにして構えている。

 ハンナはそれが途方もなく恐ろしく感じた。

 踏み込めば間違いなく殺される。半端な退き方をしてもまた殺されるだろう。

 目の前の男の中で燻っている、殺意の炎が爆発するのが、今か今かと恐ろしい。

 ハンナはそれ以上何もできなくなった。純然たる実力の差を知った。

 そうしてしばらく睨み合っているうちに、男が口を開いた。


「この街で騒動を起こすつもりは無い。今すぐ手下を連れて街を去れ。そして三日間は動くな。その後は好きにしろ。この条件が呑めるか。呑めなければ殺す」


 ハンナは恐怖で涙がこぼれる前に、僅かに頷き、そして背を向けて逃げ出した。

 逃げ出した理由のほとんどが恐怖によるものだ。

 しかし、その恐怖が導き出したのは、ここで殺されるよりも仲間に情報を伝えた方が確実で合理的だ、というそれらしい、体裁を保てる理由だった。

 ハンナは自分が都合のいい理由を作って、仲間の仇から逃げ出したことの卑怯さに、完膚なきまでに敵わなかった己の未熟さに、涙した。



――今度も、斬れなかったか

 三郎太は逃げる女の背を見送りながら佇んでいた。


――途中までは斬れると思ったのだがな。


 今迄とは異なり、三郎太は切れなかったことを冷静に受け止めていた。

 答えを得たのだった。きわめて単純な。

 何故、女子供が必要もないのに剣を執るのか。何故、斬られる覚悟もできていない者が他者を斬ろうとするのか。

 三郎太は、自分がそういう連中のことを斬れないことに気付いた。

 この世界に、自分の常識を当てはめるのは間違っている。それに、そもそも日本であっても、やむにやまれず、覚悟する暇もなく、剣を執らざるを得ない状況におかれた女子供だっているだろう。

 三郎太はそれを知っていたし、理解していたが、斬れないものは斬れない、そう思うより他なかった。


――とにかく、ここにはもう長居はできない。あの場で女を見逃したことは間違いなく失策だ。


 女が約束を守るかどうかに関わらず、この街には連中の手が伸びているのだから、すぐにでも痕跡を消し、去らねばならない。

 三郎太は、約束の時間には少し早いが医者のもとに行くことにした。



 医者の家に入ると、寝台に身を起こしたティアナが居た。

 河童の医者と談笑をしていたようだった。

 相変わらず手ぬぐいを巻いてはいるが、顔色は良い。だいぶ元気そうだった。


「はやいな。まぁ来んさい」


 河童に促されるままに、寝台に近づいた。


「聞いたよ、お前さんのことを。大変だったようだな」

「……まぁな」


 ティアナがこの河童になんと説明したかは分からなかったが、一国の指導者であった人物が、そう迂闊なことを漏らすとは思えない。それなりに信頼していた。


「故あって今からここを出る。この様子だと治療はもう済んだのだろう」

「あぁもういい、だが安静にな。貰うものは貰った。もう言うことは無い」


 三郎太はティアナを背負おうと近づいて、気づいた。


「その服は……」


 ティアナが三郎太の羽織の下に来ているのはワンピースだった。


「それはワシの娘のものだ。奥に眠っていたのを引っ張り出した。持っていけ、どうせ雑巾にしかならん」


 ぶっきらぼうに言う医者であったが、間違いなく好意からの贈り物だった。


「ロサに行くんだろう、道はその嬢ちゃんに教えた。」

「いや、予定が変わった。そこの次にここから近い都市を教えてくれ」

「おーん……となりゃあ……連合首都になっちまう。このまま南西の方へ、しばらく行きゃあ大きな道が見つかる。一つ小さな森を超えることになるが大したことはねぇ」

「そうか、かたじけない」


 三郎太は礼を述べ、ティアナを背負って街を出た。


「あの医者は実にいいぞ。面白い男だ」


 ティアナが突然そう切り出した。


「何があった。迂闊なことは漏らしておらんだろうな」

「地方領主の跡目争いに敗れて落延びていると言っておいた。お前は従者ということにした」


 結局従者にされてしまったが、方便でのこと、そのまま続きを促した。


「あの男、娘に出て行かれたらしい。そのせいかやたらと私に親身だったぞ。そして二言目には、金を貰ったからやっているだけだ。ワシは金が欲しくて医者をやっているんだ、だと。笑えるだろう」


 やはり偏屈爺だったな、思わず三郎太は頬を緩めた。


「ところで目はどうなった。まだ手ぬぐいがいるのか」

「あの医者の説明によれば、しばらくは痕が残るが、じきに消えると」


 それはよかった。と三郎太は自分が思っていた以上に安心したことに、むしろ驚いた。


――死線ばかり潜り抜けていると、一々幸福に敏感になるらしい。


「では、完治したら返せ」

「……いや、お前、こいつを私に寄越せ」

「何故、それは大したものではないぞ、見た目も悪かろう」

「とにかく寄越せ」


 何を意固地になっているのかは分からないが、別に特別拘るものでもない、どうしても欲しいというのなら譲ってやっても良かった。

 三郎太は好きにしろと呟いて、しばらく黙ったまま、道を急いだ。

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