騎士団
ノイエ・ヴォーレン騎士団は、別れていた部隊が合流した後、拠点に戻っていた。
追撃は断念した。
怪我人も多く、それにあの二人が落ちた先はコボルトの土地だった。踏み込むにはデメリットが多い。落ちた拍子に二人が死んでいる可能性もある。無理はできなかった。
天幕の中には団長のムート、副団長のドライボーデン、そして三郎太達を追撃した女がいる。
女はあふれる涙をぬぐい、ドライボーデンが心配そうにその肩を抱いていた。
「アインがやられたか」
「ごめんっ……なさい……!」
責めているわけではない、ムートは困った顔をする。
普段は気丈で、剣の腕も並みの団員をはるかに凌ぐ、泣いている姿なんて想像できなかったが、今目の前にすると、思わずその可憐さに心が奪われた。
ムートは無意識に湧いていた雑念をすぐさま振り払った。そんなことを考えている場合ではない。
「ムート、お前は怪我が酷い。追撃は私とハンナで行おう」
「いや、この程度の傷など問題ではない。すぐにでも出発し、奴らを追い詰めよう。ハンナはここで負傷者を守れ」
「コボルトの土地だぞ、何ができる」
「そうよ、無理はしないでムートっ! あいつは強い、今のあなたじゃ……」
「冷静になれムート、俺とハンナの二人ならあいつにも勝てる。お前は指揮官だろう、ここで腰を据えて待っていればいい」
ドライボーデンは腕に力を入れて、ハンナをより強く傍に抱き寄せた。
――見せつけている。理屈をつけているが結局のところ……。
ムートは再び雑念を振り払った。
「山から出る道は限られる、そこを封鎖する。日が昇りしだい山に入り、コボルト達と交渉を図りつつ奴らの落下地点まで向かう」
「ムート! 昔からの悪い癖だ、お前は冷静でなくなった時に限って冷静であるかのように振る舞う!」
「これは千載一遇の好機だ、逃すわけにはいかない。それに冷静になるのはお前だボード、ここをどこだと思っている」
ムートの指摘に初めて気づいたように二人は離れた。
ハンナは、ご、ごめん……、などとしおらしくうつむいている。
ドライボーデンも気まずそうな顔だ。
――気に入らん。この二人は状況が分かっていないのか、使命すら忘れたのか。
苛立ちながらムートは立ち上がった。
「街道はボードだ、川沿いには俺が行く、ハンナはさっき伝えた通りだ。すぐに準備しろ」
まだ抵抗する二人に団長命令だと言い聞かせ、ムートは二人を天幕から追い出した。
そしてハンナの後姿を見送り、昔を思い出した。
秘密の訓練場に、突然ふらふらと現れたのがハンナだった。
気が強く物怖じしない性格はすぐに騎士団に馴染んだ。
自分も、アインも、ボードも、あの女に何度救われたか覚えていない。
輝かしく、懐かしい記憶のはずなのに、ムートは沸き上がる苛立ちが抑えられなかった。
こんどは頭を振って雑念を取り払う、役目を思い出す。
騎士団の存在意義を確かなものとするために、故国の仇を討つために。
ムートは剣を取った。腕を伸ばした時、受けた傷が少し痛んだ。
◆
泥のように眠り込んでいた三郎太は、太陽がほんのわずかに空を照らしはじめたところで跳ね起きた。
そして、横で眠っている太祖の肩を揺さぶり、起こした。そして言い放った。
「おい、その服を脱げ」
それを聞いた太祖は、途端に顔といい声色といい、何もかもに軽蔑の感を出しながら答えた。
「は?」
物わかりの悪い奴、と三郎太も負けじと軽蔑の色を滲ませながら言う。
「その服では目立つ。俺の羽織を着ろ」
赤のマントに軍服では否が応にも目立ってしまう。昨晩の襲撃もその恰好が引き付けた可能性があった。
三郎太は荷物袋の中からしわくちゃになった羽織を取り出した。
羽織を見た三郎太は、一瞬、情けない気分になったが、この緊急時に外見を気にしている場合ではない。と自分に言い聞かせ、太祖に羽織を押し付けた。
三郎太が座り込んで待っていても、太祖は羽織を抱えたまま動かない。
「……はやくしろ。あの者らが迎えに――」
「馬鹿かお前は」
言い終わらないうちに激しく言い返される。
「目が見えない上に、よく知らん東の服をどこで着替えろと? お前の目の前でか? あ?」
正論だ。三郎太は己の失態に気付いた。しかし、それでは目的達成のためにとれる手段は限られてしまう。
「では着替えさせてやる」
「馬鹿を言うな! やはりお前は私の体――」
「お主のような貧相な体の小娘が、冗談だとしても、よくもそのようなことが言えるな。俺はお主に興味などない。それにそうせざるを得ないだろう。状況も分からんか、戯けが」
「……」
三郎太はあまりにデリカシーの無い暴言を浴びせて太祖を黙らせた。
慣れない洋服にそれなりに苦戦しつつも、なんとかして上着を脱がせ、羽織を着せた。
しばらくしてコボルトたちがやってきた。
数は20近くになる。ほとんどが弓を中心に武装をしている。
大げさな気がしたが、追われている身としては安心感があった。
太祖の服は昨晩コボルトが食料の入った袋を置いて行ったところに置いておいた。
太祖の服は良い素材でできていた。きっと礼代わりにはなるだろう。
コボルト達の案内を受けながら、三郎太は太祖の手を引いて山道を行った。
秘密の道、というだけあってかなり険しい。
手つかずの原生林、樹海はいちいち足の置き場を考えなければ進めない。
苔の生した場所は気を付けなければ足を滑らせてしまう。
目の見えない太祖の手を引いて歩く三郎太は自然、足が遅くなる。
「その調子だと、時間が厳しくなりますな」
安の定、コボルトの代表が渋い顔をして文句をつけてきた。
仕方がない。三郎太は太祖を振り返っていった。
「俺が背負う。良いな」
太祖は抵抗しなかった。
三郎太は太祖を背負ったまま、今までの遅れを取り戻すように足を速めた。
道中、背負った太祖が耳元で話しかけてきた。
「聞いていなかった。お前、名前は」
「清浜三郎太」
「何処から来た」
「……日本を知っているか」
「知らん。田舎者か。それらしい」
「……」
「私の名前は聞かないのか」
「太祖、と言うのだろう」
「はっ、その名はやめろ、私を追い出した国から送られた名に、最早意味は無い」
「では何と」
「ティアナだ。光栄に思え、この名を気安く呼べるのは、300年前、夫以来だ」
――そういえば、こやつ夫を持ち、双子を設けたのだと言っていた。そして子や孫と共に国を打ち立てたのだと。
夫の事は牢から出るのを助けてくれたこと以外、聞いていなかった。
信じられない、見た目は小柄な少女そのもののこの女が双子なんぞ生めるのか。そう思った。
「ずっと私を背負っているが、重くは無いか?」
「大丈夫だ、お主は軽い」
「そうか、良い男だな、お前は。ティアナと呼んでくれたら、もっといい男になれるぞ」
「いい加減話しかけるな。話すのも疲れる」
「……前言を撤回しよう」
そのうちに昼食の時間になった。
短めの休息をとり、再び歩き出す。
しばらくして道も易しくなり、川にぶつかった。
「もうここまで来ればあと少し。もうひと頑張りです」
コボルトの代表が振り返って言う。
「そうか、迷惑をかけた。この恩は――」
ふと顔を上げた時、顎の下を何かが通った。
そして、それを合図に、続けざまにいくつもの何かが飛んできた。
それが矢だと気づくのに時間はかからなかった。
◆
「外れたか。それもそうだ、そんなに簡単にはいくまい」
ムートはひとりごちる。
――山の中に入るには少し早いかとも思ったが、そうして正解だった。こうして捕捉することができたのだから。
あの男も魔人も、生きていた。なんとなくそんな気はしていたが、この目で見ると信じられない。腹立たしく、妬ましい。なぜあの魔人はこうも恵まれた星の下にあるのか。だが、それも今日この時で終わりだ。俺が必ず、ここで仕留める。
ムートは剣を抜き、号令を下す。
「かかれぇ!」
弓隊を除き、隠れていた団員が一斉に飛び出す。雄叫びを上げて襲い掛かった。
しかし、コボルト達の反応も早い。
すぐさま木の上に飛び上がり、矢を放ってくる者。動揺もせずに剣を抜き応戦してくる者。皆統制されていた。
コボルトは仕事に忠実だという。しかし人間嫌いだ。なぜあの者たちがコボルトを護衛に出来たのか。
――恵まれている。
ムートの中に、また嫉妬がこみ上げてきた。
ムートは剣を構えて駆けだした。
その先には太祖を庇うようにして、男が剣を構えている。
――アイン! お前の仇は必ず取るぞ! 故国の仇もとる。そして、そしてっ、見ていろハンナ。俺がこいつらを倒す。悲願を叶える。だからッ!
「ウオオォォォ!!!」
ムートは剣を振り上げる。男と太祖を纏めて両断するほどの一撃を、放つ――。
だが、その時、冷たい何かがムートの顔の近くを通った。
それを感じ取った時にはもう、ムートは何も考えられなくなった。
◆
「他人事ではない……」
切りかかってきた男を一刀のもと切り捨てた三郎太は呟いた。
今の男の剣には邪念があった。二心があった。
二心一刀、雑念を以て剣を執れば、それはまさしく死に直結する。
俺が太祖を切り損ねた時、死ななかったのはただ運が良かっただけだ。
三郎太は男の死体から顔を上げ、襲い掛かってきたもう一人の胸を左一文字に切り捨てた。
戦況はコボルト達の優勢だった。
襲撃者とコボルト達では、土地勘が決定的に違った。
襲撃してきたことには驚いたが、狙って襲撃を行ったにしては精彩さを欠いている。
「おい! どういうことだ。こちらの道ならば敵には遭遇しないのではなかったか」
「絶対とは言っておりませんし、申し訳なく思っているからこそ全力で戦っているのではないですか!……それ、逃がすな! 川で仕留めろ!」
返事をしながらもコボルトの代表は適格に指示を飛ばしている。
少しも経たずに敵は敗走していった。
◆
「すまない。お主らにも被害が出ただろう」
「さっきも言った通りです。仕事です」
「お主ら、この者らの素性は分かるか。こやつらに昨日から追われている」
「さて、我々は人の世には疎いですからな。ただ整った装備を見る限り、騎士団というやつでしょう」
「ほう、騎士団か」
声に反応したのはティアナだった。
「心当たりがあるのか」
「鎧か盾に共通の紋章があるだろう」
「白地の円に、青の三角……」
「やはりな、ノイエ・ヴォーレン騎士団だ。いつぞや滅ぼしたコード国の残党共」
――なるほど、怨みを買っているというわけか。
「……しかし、こうも早く嗅ぎつけられたのか」
この先もヴォルフスの太祖に怨みを抱く連中が、太祖が魔人の力を失い、ヴォルフスを追放されたという事を聞きつけて襲撃をかけてくるのだとすれば、俺一人では到底捌ききれない。
三郎太の心配を悟ってか、ティアナは言った。
「そう警戒することも無い。このような古臭い連中はそういない。それに近頃はずっと表舞台には出ていなかった。ヴォルフスの中でも私の顔を知っている者は限られている。肖像画は美化されているしな」
――見てそれと分からぬほどに美化させたのか。それはそれで馬鹿らしい話だ。
「お話はそこまでにして貰いましょうか。連中がまた来るやもしれません。血を嗅ぎつけた魔獣も集まってきますぞ」
コボルトの忠告に従い三郎太は再び太祖を背負い、歩き出した。
――出口はもうそう遠くないはずだ。もうひと踏ん張りで都市に行ける。しかし、あの騎士団が再び襲撃してくる可能性もある。
三朗太達は不安と期待を背負いながら、凄惨な戦場を後にした。




