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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第三章 英雄敵わぬ親子の血
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孝を感じて忠の道を悟る

「ぬぉぉぉぉ……おふっ!」


 途中まで良い具合に崖を滑り落ちていた三郎太だったが、飛び出した石に躓き、身が投げ出されるとそのまま宙に浮いたり崖に身を打ち付けたりしながら落下していく。

 しかし、幸運なことに落ちた先はよく茂った木々と草。それらがクッションとなり、三郎太は何とか生き残ることができた。


「くぅぅ……くそっ……おい、生きているか」


 前身を襲う痛みに悶えながら三郎太は腕の中の太祖に話しかける。


「あ、あぁ……私は……」


 これが初めて二人の間で成立したまともな会話だった。

 そうか、と呟いて三朗太は起き上がると太祖の手を引いて歩き出す。


――水の音が聞こえる……ここは渓谷か、どこか休めるところは……。


 少し歩くとすぐに渓流が見えた。

 角度の問題なのか、意外にも上から見た時とは違い、渓谷は月の光で照らされていて明るかった。

 丁度いい。一旦ここで休もう

 三郎太が辺りを見渡すと苔の生した岩が折り重なる、洞窟じみた場所を見つけた。

 三郎太はそこまでいくと太祖にここで待つように言った。


「何処へ行く」

「水場だ、すぐ戻る」


 三郎太はそれだけ言ってさっさと渓流へと向かった。

 三郎太は渓流で汚れた顔や刀身を洗いながらこの先のことを考えていた。

 この川に沿って行けば何処かへはたどり着くだろう、しかし連中がそんなあからさまな道を放っておくわけが無い。ここまではやって来ずとも、きっと出口で待ち伏せられるか。

 どんなに考えても名案は浮かばなかった。

 三郎太は水を飲んでいると、自分がとてつもなく空腹であることに気付いた。また、思い出したようにとてつもない疲労感に襲われた。すると次は太祖のことも気になってきた。


――奴も碌に食ってないはずだ、体力は持つだろうか。そういえば怪我の具合も全く気に掛けなんだ……。むむむ、これはもしかするとまずいのではないか……?


 ようやく三郎太は太祖の状態が相当危険なことになっているのではないかと思い始め、慌てて水筒に水を汲むと、急ぎ足で太祖の元へ向かった。


――むっ!奴らは何だ!?


 三郎太は太祖を待たせている岩の近くに奇妙な連中が集まっているのを見た。

 背丈は三郎太の膝ほどまでしかなく。肌は緑がかっていて、ぼろきれをまとっている。顔も醜悪で小鬼と呼ぶのが相応しい。何よりその手に鎌や剣、鍬などを持っているのが不穏だった。


「何をしておる貴様ら、そこを退けい! 叩っ切るぞ!」


 三郎太が叫びながら抜刀し、岩に駆け寄ると小鬼達は驚いたように散っていく。中には岩の中に入っていくものもある。

 もしや既に太祖は……! 冷や汗をかきながら岩窟に近づくと声が駆けられた。


「落ち着け、コボルトだ。害は無い」


 思わぬことに三郎太を呼び止めたのは太祖だった。

 三郎太は太祖が無事なことに安堵しつつも、この状況を理解できなかった。


「害は無いだと。何者だ。こやつ等は」

「魔獣のようなものだと思えば良い。気にするな」


 太祖の適当な返事に、三郎太はなおさら危険なのではないかと思っていると、岩窟の中に入っていた小鬼がしわがれた声で話しかけてきた。


「魔獣と一緒にされては困りますなぁ太祖よ」

「この男は世間知らずだ、そのあたりには拘るな」


 まるで知り合いのような気安さで話す太祖を見て三郎太は驚く。


「知っているのか?」

「あぁ、こいつらは私に恩がある」


 恩……? さてはヴォルフスにいたころに何か政治的な付き合いがあったのだろうか、と考えていると、小鬼が三郎太の方を見て話した。


「えぇえぇ、忘れてませんとも。私たちがこの山で暮らすことを許可してくださったのは他ならぬ太祖でありますからな。大きな音がしたので来てみれば、まさか太祖がいらっしゃるとは」


 そういうことかと三郎太は納得した。


「しかし貴方、太祖がこれほどになるまで放っておくとは、一体どういう了見ですかな?」

「それだ! おい、具合はどうだ!」


 三郎太はコボルトの苦言にハッとして、座り込んでいる太祖に近づく。


「ふん、馬鹿め、今更か」


 笑みを浮かべて太祖は応えるがその声は弱々しく、巻かれた手ぬぐいに滲んだ血が痛々しい。


 三郎太は何かないかと考え、ヴォルフスで女中から貰った薬があることを思い出した。


「おい、剥がすぞ。痛むが我慢せい」


 三郎太は血で固まった手ぬぐいを解くと水筒の水で洗い、小瓶を取り出し、貰った傷薬を染み込ませた。そして傷にも直接振りかけた。

 薬が染みるのか、呻く太祖をよそに三郎太は再び手ぬぐいを巻きなおした。


「おっ、お前はっ……! 何故そう雑なのだ……!」


 有無を言わせず強引に結びつける三郎太に太祖は不満の声を上げるが、三郎太は無視した。


「ところで……あなたは太祖とはどういった……」


 コボルトが訝しむように三郎太に聞く。

 三郎太は答えに詰まった。

 従者になったつもりは無いが、かといって刺客のままでいるわけではない。今までの経緯を馬鹿正直に話すような迂闊な真似もできない。


「……話さねばならぬことか」

「ふむ、まぁ良いでしょう」


 三郎太の渋面と無反応な太祖を見て、何かしら込み入った事情があることを察したのだろう。

 三郎太は他に何か勘繰られる前に質問を浴びせた。


「それよりもお主ら、何か薬は持っているか、こやつの容態は分かるか、治療はできるか」

「いいえ、今は持っておりません。それと残念ながら我々はできる限り人間と関わらないことを決めていますので、里に招いて治療するわけにもいきませんな」

「何を……」


――恩があると言っておきながらこの仕打ち。所詮は鬼畜か。


 三郎太が刀を抜かんばかりに怒りを滲ましたのを、コボルトは手で制しながら続きを言った。


「しかし、太祖に恩があるのは事実。一番近い人間の里へと続く道を案内しましょう」


 三郎太は考えた。今ここで小鬼達と戦っても得られるものは何もない。それならばすぐにでも人里へと行き、そこで治療や休息を取るべきだろう。


「それは自由都市か」

「確か」

「道は安全か」

「約束しましょう」

「今、俺たちは追われている。追手共が来たらどうする」

「こちらで何とかしましょう。そもそも秘密の道を使うので見つかることも無いかもしれませんぞ」

「それならば頼む、いつだ」

「さすがに夜は危険です。早朝に案内しましょう」

「承知した」


 交渉は成立した。

 コボルトは話が済むと外で様子をうかがっていた仲間を引き連れて去っていった。


「む、これは……」


 簡単ではあるが見送りに出ようとした三郎太は、岩窟の入り口に袋が置いてあるのに気づいた。

 あの小鬼の忘れ物かと思い、中をのぞくと僅かではあるが食料が入っている。

 三郎太は外に出て小鬼を探したがもう姿はどこにも見えない。


――集落の掟のようなものなのだろう、ああは言っていたが恩を恩と感じているし、苦境の者を助けようとしてくれているのだ。なんとありがたいことか。


 三郎太は彼らの好意に感謝し、素直に頂戴することにした。

 岩窟にもどった三郎太は袋の中の干し肉や木の実を取り出し、太祖に半分を渡した。


「具合はどうだ。聞いていただろうが明朝出立し、都市へ行く。それまで堪えよ」


 三郎太がそう言うと、暗がりの中でもはっきりわかるほどに、太祖は不思議なものを見るような顔をした。


「……分からん。私にはお前が分からん」

「なんだ藪から棒に」


 いきなり分からないと言われてもそれこそ分からない。

 聞き返す三郎太に向けて太祖はまくしたてる。


「お前は一体何がしたいのだ。ドブネズミ山からの指示でフリードをそそのかし、私を暗殺しようとしたのではないのか。それなのに、私の目を潰しておきながら突然助命を乞い、次には勝手に私を連れまわすとはなにを考えている。初めは私の体目当てかとも思ったが、道中では碌に喋らん上、非情な仕打ちを加えるばかり。かと思えば今度は命を張って賊から私を守った。行動が一貫していない」


 太祖の指摘はもっともだ。三郎太自身、自分がなにをしたいのか分かっていない。


「そのドブネズミ山と言うのを止めろ。俺は確かに崑崙に立ち寄ってきたが崑崙の刺客ではない。ただ……皇帝陛下に協力しただけの、素浪人だ」

「最後は逆らっていたではないか」

「……」


 ずかずかと触れられて欲しくないところに土足で入り込まれ、三郎太は苛立った。


「分からぬというのは此方とて同じこと、お主は何者だ、魔人か」


 怒気を含んだその声に、太祖は自嘲気味に笑い、言った。


「まぁ良いか、もう何もかも終わったのだ。知りたいのなら話してやろう。三百年前だ――」



 太祖の話を全て聞いた三郎太は思わず目の前の少女から目を逸らした。

 見たくなかった。落日の英雄の姿を。

 物語に聞く英雄の最期はどんなものであれ美しい。

 刹那に生き、刹那に死んだ英雄は、必ず最後には人の心を打つ物語として生き返る。

 それが三郎太の知っていた英雄達の姿だった。

 しかし、目の前の英雄はどうだろうか。艱難辛苦を乗り越え、国家を作り上げ、子孫と共にそれを発展させた英雄、その最後は子孫に裏切られ、だれとも分からぬ浪人と泥と垢にまみれて落延びるのみとなった。

 あまりにも寂しい結末だ。

 そして、その終幕の帳を下ろした者の一人が、清浜三郎太自身である。

 三郎太は動揺が外に漏れないように気を付けながら口を開いた。


「しかし、魔人の能力が人の感情や記憶を読み取れるものならば、何故に皇帝陛下のそれを覗かなかった、そうすればこのような結果にはならなかったのではないか、場合によっては和解とて……」

「……逆に聞こう、お前、私と目があった時、記憶を視られてどう感じた」

「それは……」


 答えは明白だ。気持ち悪かった。不快だった。ただそれだけだった。

 三郎太は今思い出しただけでも、誰の許しを得て我が身を覗き込んでいるのか、と怒鳴ってやりたい気分になった。


「……そういうことだ。……嫌われたくは無かったよ、あの馬鹿には」


 強がりと、悲哀の籠った声色で、太祖は呟いた。

 三郎太は何と声をかければいいのか分からなかった。

 魔人でありながら、国家建設の英雄でありながら、あまりに人間じみた、悲哀に満ちた感情の発露だった。

 三郎太は何か言わねばと思い、なんとか言葉を紡いだ。


「皇帝陛下は……立派な御方だ。必ずやヴォルフスを強く、豊かになさる。……諸々の政争も乗り越えられる。きっと、お主にも負けないほどの名君に、お主が育てたに相応しい名君に……なられるだろう」


 傲慢だ、不遜だ、この下賤の身で皇帝を測り、評した。

 しかし予想に反して太祖は不快だというような様子は見せていない。

 ただ驚いたという様子を一瞬見せたあと、そっぽを向いて横になった。


「喋り疲れた。もう寝るぞ」

「それが良い」


 三郎太も同じように横になった。狭い岩窟の中、二人は背中合わせの形になった。

 すると太祖が小さな声で呟いた。


「当たり前だ、あの馬鹿は私が育てたのだ……」


 それを聞いた三郎太の中で何かが動いた。

 眠りに落ちる直前に、三郎太はふと思い立った。


――俺はこちらでの人生の意味を、俺の採るべき道を、また一つ見つけたのかもしれん。この英雄の最期に付き合うことができたのなら、それはきっと……。


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