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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第三章 英雄敵わぬ親子の血
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逃避行―①

 三郎太は太祖の手を引いて森の中を進んでいた。

 あの時から既に一度落ちた太陽が再び昇り始めていたが、三郎太は一切休むことなく歩き続けていた。

 目を失った太祖は同時に魔人としての力も失ったらしく、唯の無力な盲目の少女となりはて、三郎太にされるがままに歩いていた。

 目が見えなくなった太祖は自然足取りが遅く慎重になるが、三郎太は全くお構いなしに引っ張っていく。木の根に足を躓いて転びそうになった時には、ほとんど体が浮くのではないかというほどの力で引っ張られて強引に立たされ、歩かされた。

 傷が悪化し、熱を持ち、尚且つ食事も無く、太祖と雖も、もしかするとこのまま死ぬのではないかという状況に追いやられつつあった。

 三郎太はそれほどまでに弱った少女の傍にいておきながら、全くそれに関心を示していなかった。

 三朗太はあれからずっと、一人自分の世界で繰り返し悩みぬいていた。


――何故斬れなんだ。何故……。


 既に数えきれないほど自分に問いかけてきた言葉だった。


――斬ると決めたからには必ず斬ってきた。それが俺の道だったはずだ。

 決闘を挑んできた相手は言わずもがな、上意討ちの相手が知り合いであっても一切躊躇はしてこなかった。

 こちらの世界に迷い込んでからはエリーを斬った。崑崙の四人には負け、アデーレとは勝負がつかなかった。それでも最後まで気概だけは持っていた。


 そこまで考えた三郎太は何度も繰り返してきた例外にぶつかった。


――蚩尤の奴めは……俺はあれを斬れなかったのか、斬らなかったのか……いや、朦朧とした中で、俺は斬りたくないとおもったのだ。


ではそれはなぜかという疑問が湧いてくる。


――逆安珍を既に取り返して恨みが薄まっていたからか。いや違う、哀れだったのだ。あの時のあれの顔は幼子そのものだった。あんなものを切りたくはない。

 そうだ、こやつを斬ろうとした時も思ったのだ、哀れだと。だから斬らなかったのだ。

 いや、なにを言っている。哀れだったから、子供だったから斬らないというのは通らぬ道理。

 とある武士、なにがしは春王・安王を斬ったぞ。太閤殿は万福丸を斬ったぞ。どちらも主命であるがゆえに私情を抑えて切ったのだ。俺とて一時のこととはいえ、あの時は陛下を主と仰ぎ、その命に従わんと思ったのではないか。


 三朗太は自分が定めた道も忠道も、共に成し遂げられなかったことに何度目かわからない衝撃を受けた。そして悲しみ、恐怖し、最後は怒りが沸き起こった。

 そして己を正当化しようと、何かそれ以外の理由があるはずだと考え、最初の問いに戻る。

 食事も睡眠も忘れてもう何回もこのことを繰り返している。


「っ……」


 その時、タイミングの悪いことに、三郎太の怒りが頂点に達しつつあるところで太祖が木の根に足を取られて躓いた。

 今回は普段よりも派手に躓き転んだため、前を歩いていた三郎太は右手をガクッと引かれてよろめいた。

 三朗太がいかにも苛立っている顔で振り向けば、そこに無様に転がっているのはかつて太祖と呼ばれ畏れられた、今は無力で哀れな盲目の少女だった。


「立てッ!」


 三郎太は厳しく怒鳴りつけ、腕を引っ張って強引に起き上がらせた。


「……」


 太祖は黙って起き上がり、服に着いた汚れも落とさなかった。

 太祖の顔のおよそ半分は手ぬぐいで隠れている為、三郎太はその表情から感情の全てを読み取ることはできない。

 しかし、太祖が三朗太の外道な振舞いに、怒ったり、悲しんだりしているわけではないことだけは分かった。

 むしろ、どこか達観しているような、薄幸で儚げな表情をしていることに気付いた。

 三郎太は無性に腹が立った。気持ち悪く思った。

 本来ならばこの少女は哀れな盲目の小娘などではない。

 ヴォルフスの英雄。生きる伝説。圧倒的な力を持つ魔人。

 そして何より、三朗太が一度は主と仰いだフリードを育てた皇帝の母なのだ。

 三郎太もその点は十二分に理解していた。

 故に、本来敬意を払うべき相手であり、己が繰り返してきた無礼な振舞いの数々が許されるものではないことも承知していた。

 しかし、一切そういった感情は湧かなかった。

 肩書とその幼い外見が一致しないから。それもあるだろう。

 だが三朗太はこの世界において、自分の常識で物事を測るとそれが死に直結することを身を以て実感しており、この時もそういった考えは働いている。必ずしも外見だけで判断するような軽率な真似はしない。

 それに、三郎太は初めてこの少女に会った時には、まさしく何百年と生きた魔人の風格、大英雄の気風というものを確かに感じたのだ。

 だのに、今この少女からは何も感じない。

 それこそ本当にただの『哀れな盲目の小娘』にしか思えないのだった。

 それが、気持ち悪かった。


――英雄と雖も、魔人の力を失えばこうも落ちぶれるものなのか。国家の始祖が唯一人の子に裏切られただけでこうも情けなくなるものなのか。矜持は無いのか! 誇りは無いのか!


 三郎太は衝動的に太祖の胸倉を掴むと、力任せに地面に叩きつけた。


「ぅ……」


 太祖は小さく呻いたもののやはりなんの抵抗も見せなかった。先ほどと同じように立ち上がった。

 三郎太は怒りでは無く自己嫌悪に襲われた。


――無道、外道、悪逆の振舞い。俺は何をしている。雲助だってこんな事はするまい。これでは賊か野盗と変わらぬ。


 あまりに情けなかった。仁義も礼もあったものではない。

 三郎太は情けなくなった。泣きたくなった。

 そして無性に崑崙の娘達に会いたくなった。

 彼女らは呼べば助けにくると言っていた。

 しかし、まさか本当に呼んでくるわけが無い。

 それに何より、たまらなく会いたいと思いつつも、こんな情けない姿を彼女達に見せたくないとも思っていた。


――奴らは麻薬だ。今の俺が近づけば間違いなく溺れて抜け出せなくなる。故に会えぬ。故に確固たる意志を持った男であらねばならぬ。


 四人のことを思い出していると、いつの間にか三郎太は心の平静を取り戻していた。むしろやる気すら湧いてきた。

 三朗太は彼女たちに恥ずかしくない男であらねばと決意を固め、いつまでも悩んでいてもしかたがないと思った。


「……許せ」


 三朗太は短く小声でそう告げて再び太祖の腕を掴み歩き出した。

 それからは三郎太の歩幅は僅かに狭くなった。


 そんな調子で再び歩き続けて三日が経った。

 既に森は抜け山に入り、今は夕方のころ、もう少しで頂上付近かというところまで来た。

 あまり大きな山ではない。道に沿って登っていけば、土地勘のない三郎太と雖も、迷うことなく超えられるだろう。

 森は開拓が進んでいたのか、魔獣には遭遇しなかった。

 この山でも今のところ魔獣には遭遇していない。

 無自覚ながら、蚩尤に教わった通りに魔獣の好みそうな箇所を避けて歩いているからかもしれない。

 相変わらず二人の間に会話は無いが、ほんの僅かな睡眠と、三郎太が道すがらもぎ取った木の実という名の食事はあった。

 頂上が見え始めたころ、追い込まれたことでギラギラとむき出しにされている三郎太の野生の勘が、不穏な気配を感じ取った。

 朦朧としながらも太祖もまた気づいたらしく。三郎太と同時に立ち止まった。


「…………ッ!」


 周囲を伺うように視線を動かした三郎太は、何かに気付いたように突然、抜刀した。


――小癪な、賊共か……。


 三郎太が気づいたことを察したのか、待ち伏せていた総勢十数人の連中がぞろぞろと木陰や藪から現れだした。

 日は落ちかけ、あたりは薄暗い。

 顔の判別まではできないが、その装備がしっかりと統一されたものであることに目聡く気が付いた。

 胸当てや関節用の防具など、軽装且つ装飾も少ないが統一されており小奇麗だった。

 三朗太はこの者達がただの賊ではないだろうと踏んだ。


「このような場所で一体何用か。賊でなければ名を名乗れ!」


 三郎太の声に連中は答えなかった。

 いや、答えの代わりとばかりに、連中は三郎太達をジワリジワリと包囲し始めていた。

 それに気づいた三郎太は太祖を庇うようにして、繰り返し向きを変え、連中に切っ先を向けながらなんとか抜け出す好機を伺った。

 しかし、気づかぬうちに誘導されたのか、三郎太は気づけば大木を背後に追い詰められていた。

 三郎太は覚悟を決めた。連中が何者であれこちらを始末しようとしていることだけは確かなのだ。


「いやぁッ!」


 三郎太を追い込んだと考えたか、一人の男が気迫とともに斬り込んできた。

 その太刀筋は訓練された剣士のものだが三郎太には及ばなかった。

 振り下ろされた剣は力強く弾かれ、次の瞬間にはその胴は半ばほどまで切られ、男は苦悶の声と共に倒れ伏した。

 間髪入れずに別の方向から次の男が切り込んできたが、その狙いは太祖だった。

 三郎太は連中が丸腰の太祖に切りかかったことを怪訝に思いながらも、反応は早かった。

 短く鋭く振り下ろされた切っ先が男の手首を捉えた。男は剣を落とし、悲鳴を上げながら転がるようにして仲間の元へ戻っていく。


「何故盲目の首に構うか! 名を挙げたくばこの三郎太が首を取れ!」


 三郎太の威圧に、いよいよ連中もこの男がただ者ではないことに気付き、四方から殺気が三朗太を襲った。

 そして連中は慎重に、足並みをそろえて徐々に包囲を狭めはじめた。


 これはまずい、三郎太はそう思った。

 己が死ぬだけならばなんの問題も無いが、太祖が殺されることだけは避けたかった。

 太祖が死んでしまえば、三郎太はフリードの命令を何一つ達成できなかったことになる。

 三郎太はそれだけは避けたかった。死んでなお恥をさらすのはあまりに無念。それこそ天狗にもなり、首だけで空も飛べるほどに無念が残る。


――そうだ、蚩尤だ。奴めは何をしている。急に居なくなりおって、勝手な奴め!


 珍しく三郎太は素直に応援を求めたい気になった。

 牢での一件以来、三郎太は蚩尤の性情はそう悪いものではないのではないかと考え始めていた。

 勿論、捻くれていて面倒で短気な奴とも思っていたが、その根本はなかなか憎めない奴、時折おそろしい魔人らしい一面を見せるが、それ以外ではただのいたずら好きな子供のような奴と三郎太は評価していたのだ。

 むしろ思い返してみれば蚩尤に助けられたことは数えきれない。なんだかんだで頼れる相手と思い始めていた。


「蚩尤め……」


 小声ではあるが、三郎太は思わず声に出して呟いてしまった。


「なーに、呼んだ?」


 返事は思わぬところから聞こえてきた。

 背後の大木、その上からだった。


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