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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第三章 英雄敵わぬ親子の血
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上意討ち

 道を引き返している太祖と、従者のベルタがもう少しで馬車を置いた森の入り口に辿り付こうかとした時、太祖が何かに気付いたように立ち止まった。


「……ベルタ、鞘を払っておけ」

「はっ」


 一瞬怪訝そうな顔を見せたベルタだが、太祖の忠実な下部であるベルタは何の迷いもなく太祖愛用の槍の鞘を払い、いつでも渡せるように構えた。


――何か潜んでいるな、この静けさは獣の類か……。


 太祖は魔眼を用いて辺りを注意深く見渡しながら、ゆっくりと前へ進んだ。

 そして茂みの向こうに何者かの存在を視た。

 しかしそこで不可解なことに気付き、足を止めた。


――確かに何かはいる。しかし何だ。人の感情は視えないし、獣のむき出しの野生も視えない。


 魔眼を使って存在は視えるのにそれが何かまではわからない。そんな経験は初めてであった。


「どうなさいました?」


 ベルタもまた不思議そうに太祖を見る。

 太祖はどのみち怪しい存在なのだから殺してから確認すれば良いだろうと判断し、ベルタの持つ槍を取ろうと手を伸ばした。

 その時、茂みとはまた別の方向から何かが放物線を描いて飛んできた。

 太祖は茂みの向こうの存在に気を取られていて気づかなかった。

 物体が地面の枯葉を砕く音を聞いてその存在に気付いた二人は、それを見てすぐにそれが何であるか気づいた。

 しかし、もう手遅れだった。


「ちぃッ!」


 光魔法の魔石が炸裂し、辺りが強烈な光で包まれる。

 二人の目の機能は一時的に失われた。

 しかし、太祖の魔眼は通常の目の機能を失ったとしても、それ以外の機能は依然残っているのだ。

 感情や魔力、存在感、そういったものは感知できる。そして、それだけで戦うことは造作もなかった。

 太祖はこの襲撃と茂みの向こうの存在は無関係ではないと瞬時に判断し、そちらの方を見た。そして、


「くっ……!」


 瞬間、太祖が感じたの恐怖だった。

 太祖は茂みの向こうで爆発した殺意の奔流を直接視てしまった。

 視えすぎる太祖はその殺意を全身で受け止めることになった。

 太祖は英雄である。数えきれないほどの戦場を戦ってきた。この程度の殺意は何度も目にしてきている。

 しかし、全く無と言って良い空間に、突如としてこれほどまでに強大で、純粋な殺意が沸き起こる瞬間を視たのは初めてであった。

 故に、致命的ともいえる隙が生まれた。

 すぐにでも手を伸ばして槍を取れば、迫りくる存在を串刺しに出来ただろう。

 魔眼を介して魔法を発動すれば、その存在を消し飛ばすことができただろう。

 しかし、一瞬の動揺、一瞬の怯み、それが太祖の運命を決定づけた。

 通常の人間よりも早くに回復した視界が捉えたのは、目を見開き、鬼の形相で刀を振り上げるあの男だった。



 禅を組んでいた三郎太は合図と同時に跳ね上がり、兼定を抜いて茂みから飛び出した。

 余計なことは一切考えなかった。

 頭の中を占めているのは唯々相手を斬る事のみ。日本にいたころも経験したことがある。上意による襲撃だった。

 強烈な光に目がくらんでいる奥の眼鏡の従者には目もくれず、まっすぐに長い金髪に赤のマント、太祖の元へと駆ける。

 太祖は三郎太に気付いているようだが、驚き、恐怖しているようで何の動きもとらなかった。

 三郎太は三歩で近づき、四歩目で踏み込むと同時に刀を振り上げた。

 必中必殺の距離、今まさに刃を振り下ろさんとしたとき、三郎太は恐怖に歪んだ太祖の顔を見てしまった。

 そして、その瞬間に三郎太に人間的な感情が蘇った。


――なんと哀れな小娘か! 斬れぬ!


 三朗太は刀を振り下ろしながら後ろに飛んだ。

 しかし、本能的にこの目は潰さねばならぬと思い。その顔めがけて刀を振った。

 剣先は太祖のこめかみよりもわずかに前の辺りに食い込み、そこから真一文字に走る。太祖の瞼が吹き飛び、眼球が破裂した。


「ぐっ……あぁぁぁぁぁぁ!!!」

「太祖様ッ!」


 悲鳴を上げて蹲る太祖にベルタが駆け寄ろうとする。しかし、そのベルタも、いつの間にかアデーレの風の槍に貫かれていて満身創痍の状態だった。


「上意討ちである! 手向かうな!」


 三郎太は近づいてくるベルタに向けてそう叫んだ。

 しかし、警告じみた言葉に反して既に刀は振るわれていた。

 胴を断たれたベルタは声も無くその場に崩れ落ちた。

 三郎太は一瞬、自分がまだ人を切れることに安心したが、足元で蹲る太祖を見て我に返り、自分のしでかしたことに愕然とした。


――何故だ、何故切れなんだ。間違いなく切るつもりだった。何故……。


 アデーレは三朗太が仕留めそこなったのかと思い、止めを刺すべく剣を抜いて太祖へと近づいた。


「まっ、待て、俺がやる」


 三郎太は慌ててアデーレを遮った。

 そして再び刀を構え、太祖の首に狙いを定めた。


――何故動かぬ三郎太! ここで切れぬは武門の恥ぞ!


 必死に自分に向けて呼びかけるが、頑なに腕は言う事を聞かなかった。

 それどころか焦れば焦るほど体は不自由となっていき、ついにその体は震え始めた。


「三郎太っ! 何をしているのです。それは魔人です! 反撃するやも――」

「黙れッ!」


 異常に気付いたアデーレが呼びかけた。。

 三郎太は応えこそしたがその腕は相変わらず振り下ろされない。


「お、のれぇ……ドブネズミが、よくもやってくれたなぁ!」


 太祖はそう言い、血の溢れる目を抑えながら、手探りで三郎太の足につかみかかろうとする。

 その姿に魔人としての力は一切感じられない。

 より一層、三郎太は動けなくなってしまった。


「もういいでしょう! 私が!」


 我慢の限界に来たアデーレが太祖へと近づいた。そして剣を振り上げた時、この場に新たな闖入者がやってきた。


「待て。アデーレ」

「なっ、陛下!? 何故ここに」


 アデーレが驚き振り向いた先には数名の衛兵を連れたフリードが立っていた。

 三郎太もまたその姿を見て驚愕する。


「三郎太、アデーレご苦労だった。やはりこれは私が終わらせ、そして始めるべきことだ」


 フリードはそう言うとゆっくりと太祖へと近づき、優しげな声色で語り掛けた。


「太祖。すべては私のはかりごとです。もうお分かりでしょう」

「お前かフリードォ……! なぜこんな……これが……これが育ての親に対する仕打ちか! お前はヴォルフスを滅ぼすつもりか!」

「改革の為に、太祖には死んでもらわなければなりません」

「改革だと? はっ! 連合の真似事か。つくづく未熟者だなお前は。連合の清浄な、上澄みしか見えておらんのだなぁ!」

「変わらなければ緩やかな滅亡を迎えるのみです。民の声が聞こえませぬか」

「私がいる限りヴォルフスは滅びん」

「その慢心が今のヴォルフスを生んだ」

「お前ではあの貴族共も政治家共も纏められん」

「やって見せますとも」

「親を殺せるのならば粛清など造作もないか?」

「……もはや問答に意味はありますまい」


 フリードは腰のサーベルを抜くと、嘲笑を浮かべる太祖に剣先を向けた。


「お待ちくだされ!」


 その時、太祖の横に滑り込むようにやってきて跪いたのは三郎太だった。


「控えなさい、三郎太!」


 飛び出そうとするアデーレを手で制したフリードは三朗太を見下ろした。


「なんのつもりだ三郎太」

「なりませぬ! この者を殺してはなりませぬ!」


 三朗太は二人の問答を聞いて我慢ならなくなった。

 どんな豪傑であれ、これから殺そうという相手と言葉を交わしてしまえば剣は鈍ってしまう。ましてやフリードの相手は育ての親だという。

 問答の最中のフリードの必死に悲しみを抑えた表情を見て、三郎太はこの優しい青年に親殺しの大罪を背負わせてはならないと思った。


「新たな国家の門出を血を以て始めるは不祥に御座います! ましてや親殺しとなれば。この者は既に無力。拙者が責任を持って預かり申し上げ、ヴォルフス領内より追放して二度と立ち入らせませぬ。それゆえ、どうかお聞き届けくだされ!」


 これもまた三郎太の本心であった。

 三郎太は自分のしたことがフリードの覚悟を踏みにじるものだということは理解していた。

 部下に任せておけばいいものを、自ら出向いて自分の手を汚そうとした、その覚悟の程も理解していた。

 フリードがほんのわずかに抱いていた太祖を切ることに対しての躊躇につけこみ、国家の為によろしくないと、聞こえの良い大義名分、甘い言葉をかけた自分の卑怯さも十分に理解していた。

 それでも目の前の親殺しを見過ごすことができなかった。

 この青年から孝の心が失われるのが我慢ならなかった。


「三郎太……ふざけたことを、そなたは……」

「何卒、何卒!」


 額を地面にこすりつけんばかりに懇願する三郎太を見たフリードは、何かを言おうと何度か口を開いたり閉じたりしていたが、遂には黙り込んでしまった。

 そしてしばらくすると絞り出すようにして呟いた。


「……そなたに任せよう……命を尽くせよ。半端なことは許さぬ」

「……はっ!」


 フリードの言葉に頷いた三郎太は懐から手ぬぐいを取り出すと立ち上がり、蹲ったままの太祖の背後に回り込んだ。

 そして目を抑えていた太祖の腕をどかして、傷を覆うように手ぬぐいを結んだ。

 乱暴な処置に呻き声をあげる太祖を無視し、腕をつかんで強引に立ち上がらせると三郎太は歩き出した。

 アデーレの横を通り抜けようとした時、アデーレがいつの間にか持っていた三郎太の荷物袋を押し付けてきた。


「報酬は中に。このまま南に向かいなさい、森を抜け山を越えたら自由都市です」

「……かたじけない」


 三朗太は短く言葉を交わすとそのまま脇を通り抜けて進んでいく。

 忠の道を成せず、己の信条も貫けず、剣を見失い、三郎太に残ったのはその手に握られたか細い少女の腕だけだった。


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