すれ違い
「あなたのやることは至って単純です。森で待ち伏せ、合図が出たら通りがかった太祖を切る。それだけです」
三郎太は黒い森へと向かう馬車の中で、向かい側に座るアデーレより作戦について説明を受けていた。
作戦といっても戦略・戦術的な話はほとんどされず、ただ相手を斬れという指示だけだった。
最も、三郎太は是非もないこととして不満にも思っていない。
――上意討ちの役を任されたに過ぎぬ。ならば黙ってその指示に従うまでよ。その他一切の事情など知ってどうにかなるものではない。
先ほど、フリードの一喝で場が収められ、三郎太が一時的ではあるがフリードに従うことを決意するとすぐに命令が下された。
「アデーレと共に黒い森へ向かえ、アデーレの指示は我が指示と思って従え」
命令はただそれだけだったが、そうであるが故に、三郎太は命令を与えられたアデーレや自身に対するフリードの信頼、この命令の意味するところの重大さを察した。
そして、一度部屋に戻り傷の応急手当受けたあと荷物を纏め、逆安珍と兼定を受け取るとすぐに出発したのだった。
――そういえば屋敷を出る前に女中に渡されたものがあったな。
三郎太は懐から、渡された小瓶を取り出した。
三郎太の手当をしたメイドは、三郎太が部屋から出る時に三郎太を呼び止め、言った。
「いきなり投獄されたり、脱獄したり、今度は陛下の命令に従ってどこかに行ってしまうとか、私には何が起きているのかわかりませんけどっ! でも、三郎太様は決して悪い人ではないと思いますし、何があってもきっと大丈夫なのだと思いますから! あのぉ、え~っと……これ! 私が調合した薬です! 怪我をしたらこれを掛けてください、きっと良くなりますから! それと、またお茶を飲みに帰って来てくださいねっ!」
三郎太はその言葉に後ろ髪を引かれるような感覚を覚えた自分が恥ずかしくて、適当に礼をして出てきたのだった。
三郎太はこの世界に来て以来、自分の心が弱くなったような気がしていた。
情に脆くなった、人と心を通わすことが容易く、そして多くなったと感じていた。
三郎太にとってそれは弱さにつながるものだった。
死地に赴くにあたって枷になるものだと思っていた。
だからこそこの街ではあまり人付き合いというものを意識して行わなかったが、それでも、こうも容易く身近な人間に未練が残ってしまうのだった。
三郎太が小瓶の中の透明な液体に視線を落として思いに耽っていると、アデーレの冷たい声がそれを遮った。
「あの、聞いていますか?」
「いや、すまぬ。考え事をな……」
「それでは困ります。雑念を持って太祖に挑むことは死を意味します」
「わかっておる」
「大方、私に勝てなかったことが悔しくて仕方がないのでしょうが、今は私情を捨ててください」
「今、何と言った……」
三郎太は聞き捨てならない台詞に敏感に反応し、アデーレを睨みつけた。
「私に勝てなかったのが悔しいのではないのですか?」
「はっはっは、俺はお主のことを堅物とばかり思っていたが、冗談を解せる者とは思わなんだ、なかなか面白いことを言う」
「冗談とは何のことですか? ふふっ、まさか、まさかあれで勝ったつもりではないですよね? 百歩譲って引き分けとしても一勝一分けで総合では私の勝ちです」
「それなら今から決着をつけるか、お主が死んで総合俺の勝ちだ」
「抜いてご覧なさい、この狭い馬車では私の剣の方が数倍早い」
兼定の鯉口を切る三郎太に、腰の剣に手をかけるアデーレ。
一触即発の空気の中、暫く睨み合う二人だが、本来の目的を思い出しお互いに浮かせた腰をもとにもどした。
「くだらないことで私の手を煩わせないでください。……まぁしかし、あなたが魔法を使えた事には驚きましたよ。脱獄もそれで?」
「魔法だと? 俺はそんなものを使った覚えはないが……」
予想外の指摘に三郎太は困惑した。脱獄に関しては蚩尤の話をするのも面倒であるし、そのまま流すことにした。
「最後の時ですよ、まさか無自覚にやっていたのですか」
「あぁ、そうか……」
――確かにあの時はなんだか奇妙な感覚であった。体が軽く感じて、力がみなぎるような……あれが魔法なのか……。
「本当に知らなかったのですか……。まぁでもたまにそういう人もいるそうです。うぬぼれないように。あなたのやった魔法は『身体作用』の魔法ですね。そもそも魔法というのは――」
アデーレから魔法の理論について説明を受けた三郎太だが、最後まで聞いたところで難しい顔をしていた。
「想像力が肝要……か、『身体作用』はなんとかなるのだろうが、『自然作用』についてはなぁ……」
人が火や水や風や土等の自然を思うがままに操るなどというのは三郎太には到底想像できなかった。
こちらの世界に来て以来何度か目にしたことはあっても、自分がそれをできるとは思えなかった。
そう思った時点で、三郎太にとって『自然作用』の魔法は遠い存在になってしまうのだが。
「お主もあの時身体作用の魔法を使ったのか」
「ええ、そうですが。」
三朗太は自分がある人物を思い描いて魔法を発動させたように、この女もまた誰かを思い描いてあの魔法を発動させたのか、それならばそれは誰か。そう疑問に思った。あの剣技はなんだか薄気味悪いものだったのだ。
それを察してか、アデーレは仕方がないといった様子で話を始めた。
「あれは昔の私ですよ」
「昔の……そういえば暗殺者がどうのこうのと言っていたな」
三朗太はアデーレが暗殺者とも呼ばれていたことを思いだし、気になっていたことを尋ねた。
「私は貧民街生まれの、親の顔も知らない子供でしたの、で生きるためにはいろいろやったんですよ。初めは気に入らない相手を殺したのがきっかけだったんですが、それ以来人殺しが楽しくなりまして、そればかりをやっていたら、ある時偉い方に見つかって政治家や貴族の暗殺を頼まれるようになったんです。まぁその後もいろいろあって、今は陛下に雇われているわけですが」
三朗太はさらりととんでもないことを告白されて驚き、動揺した。
目の前の女が快楽殺人者と知っていい気分はしなかった。
「自慢ですが、私は暗殺者になってからの殺人では相手方に正体がバレたことがありません。それにほとんど成功させています」
故にあの剣は見えなかったのか。身体作用はそのような効果があるのか。そう三郎太は納得しかけたが、問題はそこではない。
「それは――、いやそうではなくてだな……」
「まぁ何が言いたいのかは分かりますよ。今はもう大人になっていろいろな事を知りましたから、自分を客観視することもコントロールすることもできます。勿論殺しが楽しいのは変わりませんけど」
「悪党め、感心せんと言っているのだ」
悪びれる様子も、過去を悔いる様子も全く見せないアデーレを三郎太は不快に思った。
暗殺者としての仕事で殺しを行ったことを責めるつもりは無い。
しかし、今になっても快楽のために殺しを行っているのなら、それは許せないことだった。
「今は無分別な殺人はしていませんよ。それにそもそも、動機が何であれ殺しは殺しでしょう。それに見たところ……あなただって相当殺している」
「……」
アデーレは確信めいた声色で静かに告げた。
アデーレの言葉に理があった。
三郎太にアデーレの過去の殺人を断罪する権利などあるはずがない。
そして当然、仕事と嗜好を一致させていることについても責めるのはお門違いだろう。
それに三郎太が故郷にいたころ何度か人を殺しているのは事実だ。
三朗太は公の為の殺人や面目を守る為の殺人は、快楽の為の殺人とは一線を画すものだと思っている。
しかし、それを他人が納得できるように説明できるかと言われれば、それはできなかった。
三朗太が黙り込んだのを見てアデーレは話題を変えた。
これから大仕事を成そうというには相応しくない雰囲気になってしまったからだ。
アデーレは快楽殺人者であり暗殺者であると同時に、今はフリードに仕える身なのだ。フリードの命を確実に遂行する使命がある。
「まぁとにかく、魔法に関してですが、全て精通する必要はないでしょう。あなたの剣技は見事なものです。それを追い求める方が似合ってますよ」
「なんだ急に褒めだして、気持ちの悪い」
「あなたねぇ……」
好意を無下にされて青筋を立てるアデーレだが、雰囲気がもとに戻ったことには安心していた。
二人がそのまま終始剣呑な雰囲気を出しながらも仲がいいのか悪いのかわからないやり取りをしている内に目的地、黒い森の入り口に着いたらしく、馬車が止まり御者が声をかけてきた。
三郎太が馬車から降りると、少し離れたところに太祖が乗ってきたのであろう装飾が施された馬車が見えた。御者がいないところを見ると太祖自身か従者の女が操ったのだろう。
「……では行きましょうか。成功するにしても、失敗して殺されるにしても一瞬です。楽にいきましょう」
「馬鹿を言うな。陛下の命だぞ、何としても成し遂げるのだ」
「……意外と熱心なのですね」
「……」
二人は森の中へと入っていった。
◆
「ふん、こんなものか。フェンリルの子などと呼ばれているようだったから、期待していたが……」
黒い森のゼーブック。太祖はその手の槍で突き刺した巨大な狼を、値踏みするように眺めていた。
「まったく、期待外れも良いとこだな」
太祖は持ち上げていた巨体を地面に叩きつけるようにして降ろすと、いったん槍を抜いてから再び心臓めがけて槍を突き刺した。
「お見事です太祖様。これで皇帝陛下の開拓事業はずっと進むでしょう」
「当然だ」
――これでフリードは喜んでくれるだろうか……。
太祖が思い出したのは、幼いフリードと共に過ごした日々だった。
早世したフリードの母に代わってフリードを育てたのは太祖だった。
そのころのフリードはよく笑い、よく太祖を慕っていた。
病弱ではあったが粉うことなき秀才、一を聞けば十を知ったフリードを太祖は愛し、将来ヴォルフスを率いる皇帝として相応しくなるように育てた。
太祖はそれまでも多くの歴代皇帝を育ててきたが、その中でもフリードへの執心ぶりは格別だった。
しかし、フリードが十八で皇帝となり、数年も経つと太祖とフリードの仲は疎遠になっていた。
理由は単純なものだった。
それは有史以来、人の社会から切っても切り離せない保革の対立だった。
太祖はフリードを信じ、愛し、認めている。
しかし、同時に若さゆえに理想に燃える未熟者だとも思っていた。
そして、フリードに対する太祖の態度は未熟者に対するそれだった。
もっと正確に言えば不出来な子を見守る母の態度であった。
既に皇帝となったフリードがそれに反発したのは言うまでもない。
未だ政界を巻き込んだ大きな対立構造にはなっていないが、日に日に二人の間の溝は深まっていった。
今回太祖が突然フリードのもとを訪ね、開拓事業に協力しだしたのは、その対立を解消するためでもあった。
フリードが狙う革新的な政策の中でも、開拓事業は太祖も認めるものであったから、それへの協力を機に和解の場を探り、ひいてはかつてのように仲の良い親子としてよりを戻せればと、太祖は考えていた。
「太祖様。そろそろ引き返しませんと……」
太祖が思いに耽っている間に巨狼の首を取り、槍を鞘に納めたベルタが言った。
太祖は頷き、もと来た道を引き返していく。
――フリードはきっと喜ぶだろう。そうに違いない。
誠心を以て腹を割って話し合い、仲直りをする。
300年もの間生きた英雄、太祖の数少ない、苦手とすることの一つであった。
むしろ、300年間戦場と政界を生き抜いてきたからこそ、気づかないうちに出来なくなってしまったことなのかもしれなかった。




