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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
漂泊篇:第一章 病愛包めぬ俗の町
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ウェパロスの町

「くっ……ぬぬぬ……」


 三郎太は目を覚ますと同時に激痛を感じた。

 激痛の源は言うまでも無く腹部である。

 未経験の鈍痛激痛に思わずうめき声がこぼれた。


 ――あの世に傷が持ち込まれるとは聞いていないぞ。しかも寝台に寝かされているなど……。


 間違いなく自分は死んだと思い込んでいる三郎太が、理不尽な痛みに対してそんなことを考えていると。


「ほほほ、目が覚めたようですな」


 三郎太の目の前には朗らかに笑う老人がいた。

 神か仏か仙人か、兎にも角にも徳の高そうな御人だ、とすると俺は浄土に往生できたのか。

 三郎太がそんな間抜けなことを考えていると、それを見抜いたのか、老人が困ったように笑いながら三郎太に声をかけた。


「何を考えているかはわかりませんが、あなたは生きておられる」

「……いやはやなんとも信じられぬ、どうして腹を切って生きていられよう」

「ほれ、そこの聖女がの」


 三郎太が老人の指した指に従って部屋の隅を見てみると、マリアと呼ばれていた女が壁に寄りかかって不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいた。

 なにやら奇妙な術を用いて自分を負かした相手である。三郎太はあの試合の結果に納得していない。少なくとも剣技で負けたとは思っておらず、自然と態度は悪いものになる。


「マリアは聖女だけあって治癒魔法がよく使える。あなたの傷はとても深かったが、なんとかなったようだ」

「ふん、余計なことをしてくれたな。女に負けたうえ、切腹して死に損じるとは……」


 老人の説明を聞いた三郎太は己が切腹の最中に気を失った事を棚に上げて呟いた。

 覚悟を持って切腹に臨んだにも関わらず、それを助けられるなど、武士の尊厳を踏みにじられた気分だった。

 しかし、当然のことながら三郎太のそんな事情を知らないマリアは恩を仇で返されたことに激怒した。

 そして、髪を逆立てんばかりに怒気を発しながら、ずかずかと寝台に近づき三郎太に襲い掛かり、胸ぐらを掴みあげた。

 

「はぁ!? アンタねぇ、私がどれだけ苦労して治してやったと思ってんのよ! いいわ! そこまで言うならこれからもう一度アンタの腹を掻っ捌いて、元通り広場に放り棄ててやるわ!」

「何をこの女郎! ぬっ! ぐぐぐ……」


 三郎太は起き上がって応戦しようとするが、激痛で上手くいかない。体を起こすのも不可能なほどの激痛なのだ。

 

「まぁまぁマリア落ち着きなさい、彼のことはしばらく儂が対応する、教会に戻って一休みなさい。あれから寝てないのでしょう」


 老人はそう言ってマリアを三郎太から引き離して部屋の外に出そうとする。

 老人が見かけ以上に力持ちなのか、それともマリアが本気で抵抗していないのか、マリアは容易く引きはがされていく。

 

「クソ! 離せジジイ! あんたがねぇ! 目が覚めたらまず私に言うことは『助けてくださってありがとうございます聖女様』以外ないのよ。お礼なんてガキでもできるわ! どこの誰だか知らないけど情けない奴!」


 そこまで言うとマリアは扉を叩きつけるように閉めて出て行った。

 三郎太の心の中ではマリアに対する不満や罵倒が渦巻いたが、それを言葉に表すことは憚られた。

 今マリアが言った通り、命を助けてもらった恩人という事実、その一点だけで、三郎太はマリアに感謝こそすれ罵倒する資格は無いのだ。

 同時に、今更ではあるが、死に損なったのは己の未熟故であり、必死を狙うのならば腹を切った後、己の手で喉を突くべきだったのだと思い始めた。

 すると、やはり間違っていたのは自分であって、大義はあの女にあるのでないかと、あまり認めたくない事実が沸き上がってくる。

 なんだか恥ずかしくなってきた三郎太はこの場に居合わせた老人の顔も見れなくなっていた。

 

「マリアの癇癪も相当ですが、あなたもあなたですな。あれはよろしくない」

「む……」

「まぁ良いでしょう、とりあえず、あなたからいろいろと聞きたいことがある。アンドレが勝手に町に入れてしまったようだが」

「う、うむ……拙者も尋ねたいことが、いくつか」

「では、お互いに話し合いといきましょうか」



「ふーむ、日本……ヤパン……ジャパン……聞いたことがありませんな。いやなるほど、あの時の行動はそういう風習、考えがあってのことでしたか、ますます知らないことです。しかしこっちでは男より強い女なんていくらでもいます、特別恥と思うことはありません。皆あの試合をほめたたえていますよ」


 三郎太はこれまでの経緯を話した。

 国のことを――わずかではあるが――蘭学、洋学の知識まで使って説明したが駄目だった。

 老人は三郎太の話のほとんどに首を傾げており、三郎太はいよいよ何がどうなっているのかわからなくなった。

 また、老人はあの少女マリアが使った奇妙な術が『魔法』とよばれるものであることを説明したが、今度は逆に三郎太が首を傾げる番になっただけだった。

 老人はここがウェパロスという町で、自分がそこの町長まちおさであることも説明したが、当然そんな地名を知らない三郎太はどうすることもできなかった。

 

「あなたが迷ったというあの森は人が越えられるような森ではない、その向こうから森を通ってきたというのはありえない。そもそも森の向こうの都市はサンペリエというし……」

「しかし、道は森に伸びていましたが」

「あれは森の泉までです。その先は魔獣だらけで人が入れる場所ではありません。あぁ、魔獣というのは普通の獣と比べてより危険な存在であると思ってください、中には魔法を操るものもいます」

「それでは、拙者は一体……」


 老人の説明を聞いた三郎太を絶望が襲う。知らないことが多すぎていよいよ三郎太の頭はパンク寸前になる。果てには現実逃避を始めてしまうほどに。


 ――魔法だの、魔獣だの本当に異界に迷い込んだのか。ここは鬼術の蔓延る神仙世界か。それとも自分は既に死んでいて、どこかの如来の世界に転生してしまったのか。はたまた夢を見ているのか、おのれ、腹を切って覚めぬ夢とは不届きな。


「まぁそう悲観なさることはない。ここでしばらく養生して、それからいろいろ考えるといいでしょう。もしかしたら何かの拍子に記憶に何らかの不都合が生じているのかもしれない。ゆっくり休んでいればよくなるでしょう。マリアが明日には痛みがとれると言っていましたし。……これはこの町の地図です。田舎町で不便でしょうが必要最低限の店はあります。お金もしばらくは私が世話をします。この家は空家なので存分に使って下さい。服は洗って裏に干してあります。こんなところでしょうかな」

「何から何まで、かたじけない」

 

 老人が三郎太に対してあまりに冷静に対応しているのは、もしかすると三郎太が記憶喪失のような状態にあると思っているからかもしれない。

 それかこの田舎町に久々の客であるから単純にそれを喜んでいるということもあり得る。

 どのみち三郎太にとっては都合がよかった。

 三郎太は町長から地図を受け取り、それを開いて見てみる。そして固まった。


「……失礼、長殿」

「何か、あぁ、食事は時間になったら持ってこさせますが」

「いえ、そうではなく」

「はて?」

「……文字が読めませぬ」

「……」



 翌日、痛みの引いた三郎太は朝食に用意されたパンを食べると、ボロボロになっていた草鞋の代わりに用意してもらった靴下と西洋風の靴――ブーツというらしい――を履き、二刀を差して外に出た。

 三郎太は昨日、町長から教会では毎日朝夕に子供達に勉強を教えている、話をつけておくからそこに行くように。と言われたので教会に行くことにした。

 三郎太が外に出ると、意外なことに特別奇異な視線を向けられるようなことはなかった。驚いた人もいたが、皆事情を長から聞いたようで、珍しそうに見るだけである。

 文化が違うとなれば三郎太の姿は奇異なもののはずである。特にこの町は西洋の文化に近いように三郎太は感じていたから、かつて日本で噂に聞いたように、昨日今日の自分のふるまいはこの町の人間にとっては、野蛮未開なものに映るのではないかという懸念は少なからず持っていた。しかし三郎太が懸念していたそんな様子はまったく無かった。


「よお兄ちゃん、俺は人間の腸なんて初めて見たぜ、もう見せてくれんなよ!」

「兄ちゃん、今度その剣持ってきな、手入れしてやるから!」

「その髪型どうなってんのよ?」

「見ない服ねぇ、持ってきたら同じの仕立ててあげるわ」


 三郎太が想像していたよりもずっとこの町の人々はなじみやすく暖かい。そんな人々に三郎太は短く返事をしながら教会に向かった。

 教会に着いた三郎太はその全容を眺めて、切支丹キリシタンの教会に似ていると思った。

 日本において耶蘇教は嫌われ者である。三郎太のいた藩も耶蘇教の排斥については力を入れていた藩であったが、三郎太自身は宗門なんぞ心がけ次第だと考えていたため、教会という建物自体に入ることにはあまり抵抗はない。


「頼もう! おさの紹介により参上した。清浜三郎太で御座る!」

「うるさいわよ!」


 マリアが扉をはね開けて出てくる。見るからにその顔は不機嫌そうである。


 「む……」


 知ってはいたがやはりバツが悪い三郎太。

 昨日のことを思い出すと顔を合わせづらいのだ。


「人の顔をみるなり失礼な奴ね、話は聞いているわ。入りなさい」

「うむ」


 清浜三郎太という男は、基本的には頑固で短気、そしてあまり口を利かないやっかいな性格であった。兄達にたいそう可愛がられて甘やかされて育ったのもあるかもしれない。言って然るべき礼が出なかった。


 教会の講堂では既に子供たちが紙にペンを走らせている。

 教会で子供たちに勉学を教えているところを見ると、まさに寺子屋のようだなと三郎太は思いながら辺りを見回す。

 4.5歳程度の子供から12.3歳程度の少年までがいる。故郷と一緒で、それ以上になるときっと貴重な働き手として働かなければならないのだろう。三郎太がそんなこと考えていると、マリアが不機嫌そうな声と顔を三郎太に向けた。


「今度からもう少し早く来なさい、あんたの席はそこ、一番年少の組よ。読み書きだけじゃなくて時間やお金の数え方まで教えてやれって、全く面倒ね」

「……」


 子供たちの手前三郎太はこらえたが周りに誰もいなければ間違いなく反発していただろう。



 初めは付きっきりで文字の読みと時間、通貨等を習い、あとは自分で練習する。他の子供たちにはサラという年寄りの修道女が教えていた。

 

――てっきりまったくわからぬ文字だとばかり思っていたが、よくよく観察してみると日本語に似ていないこともないな。妙にきっちりとしているが……。

 銭の名は『エン』だけか、楽といえば楽だな、もっとも、銭勘定など商人に任せておけば良いがな、はっはっは……。

 

 そんなこんなで三郎太がこの世界の常識を頭に叩き込んでいるうちに鐘がなり、朝はここまでだと言われた。

 すると子供たちが三郎太に近づき周りを囲んできた。


「なぁなぁお前名前なんてんだっけ?」

「俺は三郎太という。武士だ。」

「ブシ! ブシってなんだブシって! ギャハハ!」

「武士は武士! 主に仕えて命を顧みず、ひとたび命あらばどこへでも馳せ参じ――」

「ブシ! ブシ! 大人なのに文字が読めないってほんと? これ読んでみてよ!」

「ま、マルコだ!」

「おぉーすげーもう読めてる!」

「おい、ブシ! その剣見せてよ!」

「これは刀であって……ならん! 触るな!」

「ケチ! ブシのケチ!」


 子供たちの中には広場での惨状を見たものもいたのではないかと思っていたが、物怖じせずにつっかかっていく。

 三郎太は己の腰にしがみつく子供たちに迷惑そうな顔をしているが、その実嬉しがっているのは明白であった。


「はいはい、もう帰った帰った、家の手伝いしてから夕方またおいで」


 マリアがそう言って子供たちを外に追い立てる。

 労働の合間をぬって子供たちが勉学に励むことができるのは良いことだ、きっとこの町の将来は明るいだろうと三郎太は満足げな顔をしていると、例によってマリアの不機嫌そうな声が三郎太に向けられた。

 三郎太はきっとこいつはいつもこうなのだろうと半ばあきらめてそちらを向いた。


「あんたは残りなさい、話があるから」


 マリアは三郎太を睨みながら言う。睨まれては三郎太とて穏やかに対応するわけにはいかない。睨み返して小さく頷いた。


「ひゅーマリアの姉さんお熱いねー」

「ちょっとやめなよ! ププッ!」 


 二人の睨み合いは、子供たちからは男女の逢瀬にでも見えたのか、年長の少年達がからかう。子供たちに知覚されていないという事は、今この二人の間にあるのは心からの負の感情などではなく、ただの意地だけなのかもしれない。


「今まで黙ってあげてたあんた達のテスト、全部お母様方に見せに行くから」

「ごめんなさい!」

「許して!」


 ちなみに、マリアをからかった年長の少年達はマリアの容赦無い反撃に対抗する術を持っておらず、哀れなほどすぐに白旗を掲げていた。 


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