国家第一の下僕
「さぁ、次は誰だ」
三郎太は木刀で女を打ち据えて気絶させるとそう言った。
「すげぇな、容赦ねぇ」
時刻は夕方、酒場の前に集まった観客は僅かに非難を込めてそう言うが、三郎太はどこ吹く風といった様子である。
――当たり前だ。模擬戦とはいえ容赦などするものか。
三郎太が開拓に携わるようになってから数日が過ぎた。
三郎太は他の開拓者の集団に声をかけては開拓に同行させてもらい、存分に実力を発揮していた。
そうしている内に、腕の立つ異国の剣士の風聞が立ち、徐々に三郎太はこのあたりでは有名になり、ついには決闘まがいのことを申し込まれるまでになっていた。
今しがた三郎太が打ち倒した女も三郎太に決闘を挑んだ人間であった。
決闘とはいえ真剣を使って殺してしまったらこの町に居づらくなるため、仕方なく三郎太は森で手頃な木を採ってきて、自作した木刀を使っている。
「今日は終いか。では帰らせてもらうぞ」
三郎太は再び倒した相手が完全に気絶していることを確認してから、荷物を拾うと広場を後にした。
◆
三郎太が屋敷に戻り、あてがわれた部屋に向かっていると、廊下の向こうからフリードがやって来た。メイド姿のアデーレも一緒である。
「おぉ三郎太、噂は聞いているぞ。私の目に狂いはなかった。やはり相当腕が立つようだな」
「勿体無きお言葉、拙者などまだまだ……」
三郎太は脇に退いて道を譲りながら、頭を下げて返事をした。
「そうか。ところで三郎太、どうだ、私は折角そなたを屋敷に招いておきながら、忙しいなどと理由をつけて、そなたを碌に歓迎していなかった。故に今晩は伴に夕食を取りたいと思うのだが」
「はっ、是非お供させて頂きます」
「そうかそうか。では後で使いをよこす。それまでくつろいでいてくれ」
フリードは相変わらず人の良さそうな笑顔を見せるとその場から去っていった。
――皇帝陛下直々に食事の誘いとは、名誉なことよ。しかし……。
有り難く、嬉しいことだと思いながらも三郎太の顔は浮かない。三郎太はそのまま自分の部屋に入った。
「あっ、おかえりなさいませ。すみません、すぐにお茶を入れますね」
部屋の中では専属のメイドが簡単な掃除をしていた。三郎太は何か閃いたといった様子でメイドを眺める。
「おい、お主、少し頼まれてはくれんか」
「はぁ……」
この人が自分に頼みごととは珍しいな。メイドはそう思いながら続きを聞く。
「皇帝陛下と食事を伴にすることとなった。俺はこちらの食事の作法に疎い。教えてもらえないだろうか」
――今更かよ!
メイドは心の底から突っ込みたかった。自分の用意したものをマナーも何もなく乱雑に取り扱う様に、いままで不愉快の感を覚えなかったわけではないのだ。
――だけどこの常時不機嫌男が自分を頼るなんてそうそうないはず。ここは一肌脱いでやりますか。ついでに今まで蔑ろにされていた私の入れたお茶達の復讐もかねて!
「ええ、いいですとも! 任せてください!」
メイドは心の中で激しく突っ込みを入れながら応える。ちなみに三郎太はいつも不機嫌な訳ではない。
三郎太はメイドが一瞬意地の悪い笑みを浮かべたのが気にかかったが、一先ず問題が解決したため、安心した。
◆
「ハハハ、そうか、やはりいちいち決闘の相手をするのは面倒であろうな」
「はい。しかし己の腕を磨くためのよい訓練にもなっております」
付け焼刃ではあるが、メイドのスパルタ教育のおかげで三郎太は作法を身に付け、大した失敗もなく歓談と食事を進めることができていた。
「しかし、そなたは不思議な奴だ。その剣もそうだが、世間知らずで常識が無いのにも関わらず、立ち居振る舞いからは教養が感じられる。ウェパロスでは何をしていたのだ?」
フリードの質問に、三郎太は答えに詰まってしまう。まさか異なる世界で奉公をする身だったとは言えない。
「教会で学問をしながら剣を学び……役人ではありませぬが、町長に使えておりましたゆえ、振る舞いはそこで」
「成る程、ウェパロスは取るに足らぬ田舎町とばかり思っていたが、お主のような人間を生むとは、油断はできないな」
フリードは笑いながら杯を傾ける。
「ところで、三郎太。どうだ、そなたから見たこの国は」
「いえ、拙者には大した学など無く。公儀を論ずる資格など持ち合わせておりません。それにヴォルフスについてはこの街しか知りませぬ」
「そう言うな、率直な感想を言え。この街のことでよい」
率直な感想、それもまた難しい要求だと思いながらも、三郎太は何とか言葉を紡いだ。
「……新鮮な……自由な気風、と言うのでありましょうか、そのような可能性のある街といった印象を受け申した」
フリードは三郎太の答えに驚いたような顔をすると、次には笑い出した。
「やはりそなたはおかしな奴だ。そうかそうか、わかっているな。そなたはわかっている」
三郎太は何のことか分からずに困ってしまう。しかしフリードの人徳のなせるわざか、返答を笑われても嫌な気はしなかった。
「私がこの街で目指しているのはそれなのだよ、三郎太」
フリードは嬉しくて仕方がないといった様子である。
「自由だ。自由を私はこの国のエネルギーにしたいのだ。ここはそのための、ある意味では実験場とも言える」
「実験場……」
「別に変な意味ではないぞ。開拓者達の持っている気風、恐れることなく未知へと挑む活力。私は中央から離れてそれを直接知りたかった。そして、それをこの国に広めたいと思っているのだ。だから私はこの街を作り、こうしてその指揮にあたっている」
フリードは続ける。
「ヴォルフスは古い体制の国家だ。連合を見よ、各都市が、その民一人一人が自由な気風と活力を持っている。それでもなお協調性は失っていない。開拓事業を一番推し進めているのも連合だ。勿論、他所のものは大抵良い様に見えるものだからな。私が連合に幻想を抱いている可能性も否定はできない。しかし、数字にはもう出ているのだ、連合とヴォルフスの差がな」
「……」
為政者の顔だ、名君の相だ。
三郎太はそう思った。しかし同時に解せないこともあった。
三郎太は自由を重視する国を知っている。故に、皇帝を頂く国家にとって、自由というものが扱いに困るものだというのも知っていた。そして三郎太自身、自由が何よりも尊いなどとは思っていなかった。
「自由……」
「そう、自由だ。三郎太、この国は古いのだよ。凝り固まった古いシステムに囚われている。一人の強力な個人と、それにおもねる卑怯者が支配する国。圧政のもと、緩やかに滅びにむかう国。それがヴォルフスなのだよ。」
「ヴォルフスは軍事大国だと、拡大の著しい新興の国家だと聞いておりました」
「それはもう過去の話だ。しかし、未だなお、その過去に縛られている。声の大きい一部の卑怯者達には、この国の大多数の民の声が聞こえないようだ。弱者がいつまでも弱者のままだと思い込んでいる。このままではいずれ……。ヴォルフスは変わらなければいけないのだ……」
三郎太は戸惑う。フリードの為政者としての顔が、まるで己に縋っているかのように見えるのだ。
何故かはわからない。突然現れた異国の人間、そんなやつに皇帝が何を求めているのか。今の話は何を意味しているのか。
三郎太には何ひとつわからなかった。しかし、これだけは言えると思った。
「重ねて拙者は無学の身でありますが、僭越ながら申し上げますと、拙者は陛下の導くヴォルフスのこの先はきっと明るいと、どんな困難にも打ち勝てるのではないかと、そう思いまする」
三郎太の言葉を聞いてフリードは少し驚いた後、満足そうに微笑んだ。
「いや、すまんな。食事の席でこんな話をしてしまうとは。さぁ三郎太もっと飲め、食え。どうだ、何か欲しいものがあれば言うが良い。侘びもかねて何でも用意するぞ」
「いえ、そのような……」
◆
その後しばらく歓談と食事が続いた。
そして、食事が終わり、三郎太が礼を述べて退出したのを見計らうと、フリードは先程から給仕をしていたアデーレの方を向いて話しかけた。
「十分だ。相当の人物だぞ、彼は」
フリードが満足そうに言う。
「しかし、経歴が怪しいと言わざるを得ません。素性の話をする時だけ彼は間違いなく嘘をついて誤魔化そうとしていました」
「あぁそうだな、しかしそなたもわかっているだろう。彼は――」
「はい、刺客や間諜にしては不器用過ぎます。陛下でなければ間違いなく処罰している程に不自然です」
「あぁ、お主がそう言うのならば間違いあるまい。では、合格か」
「はい」
返事を聞いたフリードは目を閉じて、再び自分に言い聞かせた。
――私はヴォルフス皇帝だ。私がやらねばならないのだ。
嵐は近づきつつある。




