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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第三章 英雄敵わぬ親子の血
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ヴォルフス

 翌日になってようやく雨は止んだ。

 三郎太は出発しようと洞窟を出たところで気付いた。


「道がわからぬ……」


 そもそもあてもなく西に向かっていた三郎太だが、途中蚩尤の案内で、安全な道はこっちだなんだと言われ、あっちこっちに進み方角を完全に失っていたし、この洞窟に避難した時も蚩尤に付いてきて山の中に入ったため、自分がどの辺りにいるのか皆目検討がつかない。


「まぁ良いか。無限に続く山など無い、適当に降りればやがて何処にたどり着くはずだ」


 三郎太は楽観的にそう呟いて歩きだす。その判断があまりに甘かったことはすぐに証明された。



 山を降りた先にあるのは山だった。


――山脈か?いやいや、山に入った時にそんな大層な山には見えなかったぞ。方角を間違えたか。


 見事に三郎太は遭難していた。さらに悪いことに、途中で食べた木の実があまり良くなかったらしく、腹痛も起こしていた。


――蚩尤め、デタラメを言ったな。あれは大丈夫な木の実だったのではないか……


 単純に三郎太が思い違いをしているだけで、蚩尤は嘘をついていない。

 魔獣に出会っていないのは幸運という他なかった。相手によっては三郎太一人でも勝てるかもしれないが、湖で会った化け鰻ほどの相手に出会ってしまったら間違いなく三郎太は餌にされるだろう。

 そうでなくとも、三郎太がずっとこの調子であったら、飢えで死ぬか毒で死ぬかのどちらかになるのは明白であった。

 しかし、幸か不幸か、この時事態が動き出した。


「陛下ッ! お下がりください!」


 斜面の上から女の叫ぶ声が聞こえた。


――人か! ひとまず合流できればここから出れるかもしれん!


 三郎太が斜面を駆け上がると、藪の向こうには気品のある西洋の軍服のような服装をした青年と、青年をかばうように立つ軽装の鎧の女がいた。

 彼らの視線の先には巨大な牙を持つ猪がいる。

 命のやり取りが始まる直前だった。


――捨て置けぬ。


 三郎太は逆安珍を抜くと同時に藪から飛び出した。

 ほぼ同時に猪も二人に向けて突進を始める。


「むっ!」

「誰っ!」


 青年と女が突然藪から飛び出してきた三郎太に驚く。

 三郎太はその声を一先ず無視し、猪に真横から近づくと、猪の首を斜めに斬り上げた。首を落とすまでにはいかなかったが、致命傷なのは間違いない。

 猪は首から血を噴き出しながらも突進を続けるが、すぐに足元がおぼつかなくなり倒れこむ。

 慣性に従って二人の足元まで転がっていった猪は数回体をばたつかせたあと、動かなくなった。

 猪が死んだのを見届けた三郎太は逆安珍を鞘に納める。


「……」


――飛び出したはいいが、なんと声をかけたものか……。


「う、うむ……、ご両人、無事で――」

「何者です!」


 女は顔を険しくして三郎太に剣先を向ける。青年の方も僅かに怪訝そうな顔をしている。


「お……拙者は――」

「こんなところで何をしているのです!」

「や、拙者は旅の――」

「旅ですって!? こんなところに入り込む旅人がいるものですか! それにその格好、まさしく浮浪者か罪人!」

「話を聞かんか!」


 遂に三郎太までもが抜刀し、女と対峙しだす。

 ながらく風呂に入っていない、服も洗っていない三郎太の姿は怪しまれて当然のものだった。

 二人が熱くなって今にも斬り合おうとする中、ただひとり冷静になった青年が声をかける。


「落ち着くのだアデーレ、そなたもだ。まずは互いに剣を納めよ」


 威厳と気品を備えた口ぶりに三郎太は僅かに驚き、これは相応の人物だと思い刀を納めた。


「しかし、陛下……」

「アデーレ」

「……申し訳ございません」


 渋々といった様子でアデーレと呼ばれた女も剣を納める。しかし三郎太に対する警戒は緩めない。三郎太を睨み続けている。


「どうやら我らは助けられたようだが、そなたは何者だ」


 青年の質問にやはりなんと答えたものか悩む三郎太。


「拙者は、うーむ、ウェパロスから――」


 そこまで言ったところで、三郎太はウェパロスで町長からもらった身分証明書を見せればいいのではないかと気付いた。


「あぁそうだ、こういうものだ」


 背中の荷物袋から身分証を取り出しながら青年に近づくと、


「止まりなさい! これ以上は近づけません!」


 再びアデーレが立ち塞がる。

 三郎太は、流石に今のは匕首で以て暗殺を試みているようだなと思い、素直に離れてアデーレに身分証を渡した。


「陛下、確かにウェパロス出身みたいですが……」

「ウェパロス、確か連合の田舎町だったな、かなり距離があるが……旅と言っていたな、迷い込んだか――」

「しかしあの格好は、それに旅といっても普通はこんなところには寄りませんよ」


 三郎太を置いて話しを始める二人。


「まぁそうだな、取り敢えず――」

「はい、そうしましょう」


 何らかの結論がでたようでアデーレが三郎太に近づいて言う。


「ここで話しをしても始まりません。取り敢えず我々のところに来て、そこで落ち着いて話をしましょう」

「承知した」


 崑崙の時もこんな始まりだったなと思いつつも、

このままでは旅もままならない。何かしら食い扶持を得なければならんし、これは僥倖かもしれん。

そう思い、三郎太は二人を信頼してついていくことにした。



 二人についていった三郎太は簡単に山から出ることができた。

 そして夕方には小さな町に到着した。大きな屋敷に案内されると、まず風呂に入ることを勧められた。

 屋敷のメイドは三郎太の姿を見て僅かに顔をしかめていた。匂いも汚れも凄まじいのだから仕方がない。

 しばらくして風呂から上がった三郎太は言われたように部屋で待っていた。


「陛下、と呼ばれていたな……」


――陛下というのは何なのだ、都市の領主を指すにしては大仰だ、この町もなんだか真新しい、町の隅にはまだ資材が置かれていた。それに連合の都市とはなんだか雰囲気が違う。


 例によって三郎太は不審に思ってはいるものの、今回はそこまでネガティブには考えていない。

 三郎太はここまで来る途中に陛下と呼ばれていた青年を観察していたが、全く嫌な雰囲気を感じなかった。顔色が悪く病弱そうには見えたが、人物としては最高峰のものだと思った。


「お客様、失礼します」


 部屋がノックされ、声をかけられる。


「あぁ」


 三郎太がいつもどおりそっけない返事をするとメイドが入ってきて言う。


「陛下がお呼びですので、ご案内いたします。どうぞこちらへ」

「うむ」


――英国のお仕着せか、本物を見たのは初めてだ。


 メイド服を珍しそうに横目で見ながら三郎太はメイドについていった。



「お、よく来てくれたな。まぁそこに座れ。楽にせよ」


 三郎太が屋敷の一室、執務室に入るとそこには例の青年とメイド服のアデーレがいた。


――あやつも女中の一人だったのか、しかし、この青年は何者なのか。やはり雰囲気が只者ではない。


 武士としての勘が働いているのかもしれない。三郎太はこの青年に支配者としての風格を見た。


「まずはお互いのことを知らねば話にはならないな」


 青年は佇まいを僅かに直し自己紹介を始める。


「私はフリード・ザリア。第12代ヴォルフス皇帝だ」

「なっ!?」


 三郎太は反射的に椅子から飛び降りると床に手をついて正座で座った。


――こ、皇帝か! それはそうか、陛下となればそれはそうか!


「知らぬこととはいえ、無礼を振舞い申した。申し訳ござらん!」


 三郎太はこの青年に仕えているわけでも、禄を食んでいるわけでもないが、身分の圧倒的に上の相手に礼を尽くさなければならないのと思うのは武士の性だった。


「ハハハ、なんだそれは。別に畏まる必要は無い。楽にせよと言っているではないか」


 朗らかに笑いながら青年は三郎太に椅子を勧める。


「では、失礼して……」


 次に青年はアデーレを指して言う。


「こっちはアデーレ、見ての通りメイドだが、腕が立つ。護衛も兼ねている……さて、次はそなたの番だ」


 アデーレは黙ったまま一礼する。

 促された三郎太は佇まいを直すと口を開いた。


「拙者は清浜三郎太と申す者でござる。思うところあってウェパロスを立ち、身一つで旅を始めたはいいものの、路銀尽き、道を失い、あの山に迷い込んでおりましたところ、ご両人の姿を見つけ、あの場に参上した次第でござる」

「成る程な、迷い込んでか。どうやらそなたは相当の世間知らずか。衣服も見たことないものを着ておるし、相当の変人のようだな」

「はぁ……」


 気の抜けた返事をする三郎太を見て、笑みを浮かべて諭すように言う。


「ここはヴォルフスなのだぞ。連合とはこの前の大戦で戦火を交えておる」

「あっ、いや、これは」


――しまった、間諜か何かかと疑われてしまうか。


 三郎太が思わず狼狽すると、それを見てフリードは再び笑った。


「やはり世間知らずか、もう遺恨は過去のこと。我が祖父の代から連合とヴォルフスの親交は進んでおる。今はもう協調の時代だ」

「申し訳ござらん……」


 三郎太は面目なくうなだれる。ここ最近はまったく社会に触れていなかった。崑崙も閉ざされた世界であったから、世上には疎かった。


「しかし、拙者は確かに長く歩き回りましたが、ヴォルフスまでたどり着くとは思っておりませんでした」

「まぁそうだろうな、ここは連合の中に飛び出した、少し特殊な形のヴォルフス領だ。戦争になったら真っ先に包囲されて潰されるな。ヴォルフスの首都はもっと西にある」


 そう言って大笑するフリード。


「しかし、それではなぜ皇帝陛下ともあろうお方が、そんな僻地に……」

「そなたは『開拓』というのを聞いたことがあるか。最近連合とヴォルフスで協力して行っている事業だが、まだウェパロスのような地方には広まっていないか」

「開拓……」


 三郎太は聞いたことがない。当たり前だが。


「まだ人の踏み入れることのできない、魔獣の生息する地域がそこらじゅうにあるのは知っているだろう。そこの魔獣を討伐し、人間が利用できるようにするのが開拓だ。丁度ここの北方にはその地域が広がっている。ここはそのための前線拠点として整備されているのだ。私は、まぁなんだ、開拓の指揮を執るためにここにいる。さっきのは視察に出ていたのだがな、まさかあんなところにも魔獣がいるとは思っていなかった。そなたがいなければどうなっていたか」

「私でもあれくらいの魔獣はどうにか出来ました」


 今まで黙っていたアデーレが口を挟む。主に言い返すとは度胸のあるヤツだなと三郎太は思った。


「ははは、そうか、すまんなアデーレ。そこでだ、三郎太。そなたはどうやら相当腕が立つようだ、開拓のためには少しでも強者が欲しい。私に仕えんか、開拓に協力してもらいたい」


 突然の要望だった。三郎太は困惑する。

 確かにこの皇帝はかなり優れた人物であるようで、仕える者は相当幸せ者だろうと思える。しかし――


「拙者は、拙者にはすでに仕える主がおります。二君を頂くことはできませぬ。しかし、これも何かの縁、開拓への協力はしたいと思いまする。客分ということでしたら……」

「あなたねぇ……」


 アデーレがなにか言いかけたが、フリードがすぐにそれを遮る。


「いや、それならば仕方のないこと。むしろ客分であっても開拓に協力してくれるというのは大変有難い。是非協力してくれ」

「はっ」


 フリードは、早速明日から開拓に携わってもらうから今日はゆっくり休むように、と言うと、アデーレに三郎太を送るように命じた。

 三郎太は並んで歩くアデーレを横目で見る。薄茶の髪の毛が揺れている。


「何か?」


 アデーレが厳しい眼差しで反応する。


「女中と戦士を兼ねるとは珍しいことだ」


 三郎太も負けず劣らずの突き放すような態度で返す。


「陛下は人がいいのであなたのことをもう信じているようですが……あまり下手な真似はなされませんように。私には陛下の身を守る義務があります」

「そうか、励めよ」


 三郎太はもうアデーレの方を見ることもなく部屋に入っていった。


――魔人もそうだが、人間というのも面倒なものだな


 面倒な人間筆頭、清浜三郎太はそんな勝手なことを考えながら寝台に飛び込むと、すぐに眠りに就いた。



「失礼いたします。ミルクティーをお持ち致しました」


 三郎太の担当のメイドが部屋をノックしてそう告げる。しかし部屋からの応答はない。

 何かあったのかと思ったメイドは僅かにドアを開けて中を覗き見る。


「寝るのはやっ」


 メイドは思わず丁寧語も忘れてそうつぶやいた。


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