二人旅 終
三郎太と蚩尤の旅は順調に過ぎていた。そんなある日の昼下がり、二人は突然の大雨に打たれたため、蚩尤の導きで洞窟に避難していた。
「ひゃ~、これは止む気配ないね」
「雨を降らせることは出来ても、止めることはできないか」
「無茶言わないでよ……」
三郎太の無理難題に渋面をつくる蚩尤。
三郎太は「冗談だ」と言うと雨に濡れないように、岩の上にどっかりと座り、腕を組んで黙り込んだ。
自給自足の狩猟採集生活を送っているのにも関わらず、三郎太の顔色はすこぶる良く、健康そのものである。これは偏に蚩尤のおかげであった。
三郎太は食えそうなものならば何でも口にいれた。これは三郎太が幼児退行したからとかではなく、「毒を恐れ、未知に怯んでいてはこの世界に負けた気がする。我が胃に勝てるものならかかってこい」という三郎太の常軌を逸した理論がなせる技だった。
勿論毒は毒であって、三郎太の胃といえども致命傷は免れない。
蚩尤はそんな感じで何でも食おうとする三郎太を見かねて、いち早く安全な食料を確保して三郎太に与えていた。
またそれだけではなく、これは傷に効く薬草だ。これは頭痛に効く。これは腹痛に……といった情報まで与え、三郎太の世話をすると同時に生活力の向上に貢献していた。
「サブロー、お腹は大丈夫?」
「問題ない……しかし、なんだ。お主は俺の母上か、そんな心配までされる謂れはない」
「じゃあいっか、お腹空いたのなら言ってね、適当に獲ってくるから」
蚩尤はそう言うと三郎太の乗っている岩よりも一回り小さい岩に座り、僅かに見える外を眺めた。
しばらく二人の間に沈黙が流れる。
三郎太は沈黙の空間を好むが、蚩尤はそうではなかったらしい。沈黙に耐えかねたようで話を切り出す。
「時間もあるし、これから一緒に旅続けるんだしさ、お互いのこともっと話そうよ」
「互いのことだと……」
「うん、まずはサブローから」
――普通言い出した方からやるのではないのか……まぁいいか、しかし俺の話、何から話せば良いのやら。
三郎太は不満に思いながらも話を始めた。
「俺の話か……俺は日本というところの……」
「ねぇサブロー、この期に及んでまだそんなデタラメ言うの? 正直軽蔑するよ」
「あぁそういえば……」
――そういえばこやつと始めて会った時にそんな話しをしたな、どうしたものか……いや、この先長い付き合いになるのだと考えれば話しておくべきだな、それが礼儀というもの。
「いや、デタラメではない。俺は日本という、きっと、この世界とはまた別の世界にある国から来た」
「別の世界? そんな話聞いたことがないよ」
「そうであろうな。お主だけではない、俺が会った全ての人間が知らない場所だ。世界がどうのこうのというのは置いといても、それほど遠い場所から来たという事だ」
「う、なんかごめん……」
三郎太の言葉には僅かに棘があった。蚩尤はそれに気付き、三郎太の孤独を察して項垂れた。
しかし当の三郎太は確かに言い方はキツくなったものの、ほとんど孤独は感じていない。
正確には孤独を感じそうになると、すぐに心の内に崑崙の景色と、そこの四人の少女の顔が思い浮かび、孤独をかき消した。
「……その日本の、故郷にいたはずだったのだがな、突然気が付けば見知らぬ森に居て、そこを抜ければウェパロスの町だった。ウェパロス出たら今度はとんでもない盗人にあってな」
「うっ……、ってじゃああの時はその、こっちの世界? に迷い込んでそんなに日がたってなかったんだ」
そうだ、と首肯する三郎太。
「サブローの故郷か、どんなところなんだろ」
「崑崙に似ている。実によくな」
そう言う三郎太の表情は穏やかで、優しくて、蚩尤は、あの時の鬼がこんな顔をするのか、と以外に思った。
「その後はお主の知っているとおりだ、剣を盗むのが趣味とはいえ、やられた方はたまったものではない」
「へへっ、悪かったって。でもサブローのそれは本当に良い剣だと思うよ」
「こっちはどうなのだ」
いつぞやのマリアとのやり取りのように、兼定を見せる三郎太。
「そっち? う~ん、そっちはあんまり惹かれないんだよな~」
「ふん、モノの良し悪しには疎いようだな」
「世間様の評価なんて俺には関係ないよ、自分がいいと思ったモノを集めてるだけさ」
一理あるな。と三郎太は妙に納得した。
「俺から話すことなんぞもうない。今度はお主の番だ。この前多少聞いたがな、結局お主のことは良くわからん」
「俺のことねぇ……というか『炎』についての話になるのかな」
三郎太は無言のまま促した。
「う~ん、俺はね、気づいた時には生きていたんだ。自分でもよくわからない。この姿のまま突然山の中で目が覚めて、同時に記憶がババーッっと蘇ってきて、本当に自然に、自分の正体がわかったんだよ。名前は蚩尤で、アレやコレができる。そして将来『炎』になる。全部が分かっちゃったんだよね。その時はなんにも思わなかったけど、年が経つにつれて段々怖くなってね」
「記憶というのは」
「記憶っていうのは、今までの『炎』の記憶のこと。といっても先代のモノだってあんまりはっきりとしてないんだけど、それ以前のはなんだか事跡が箇条書きにされている感じ」
「その記憶というのはお主のものなのか」
「ううん、あくまで炎のものかな。なんだか他人の記憶って感じで、違和感があるよ。でも嫌な気はしないから、やっぱ俺の記憶なのかも」
三郎太は段々と悲しげな表情を浮かべる蚩尤を見て、話を変えようかとも思ったが、蚩尤は続きを話した。
「先代はね、あ、農って言う名前なんだけど。何処かは知らない山の麓に住んでいる人の良さそうなお爺さんだった。薬草とかを集めたり、それから薬を作ったりしては近くの村にタダで配っていてね、まったく姿の変わらない老人に村の人たちも不審に思っていたようだけど、でも心優しくて、自分たちをいつも助けてくれるから、山の神様だろうって、みんな安心していたんだ」
「農……か」
三郎太は何か引っかかるなと思いながら蚩尤の話の続きを聞く。
「そんなのがずっと続いていたんだけど、ある時、戦が始まって、そこが戦場になっちゃって、農の知っている村の全てが焼き尽くされて、殺し尽くされた。それを見た農はね……はぁ……ほんとにここは嫌いな記憶なんだけど……、農はね、怒り狂って炎になった。炎の力の全てを開放して、そこで戦っていた両軍に襲いかかって大暴れ。なんでかわからないけど、農の記憶のはずなのに農の顔が、様子が見えるんだよね。いつも穏やかにニコニコしていた顔がさ、本当に恐ろしい顔になって、胴は内蔵が見えるくらい透明になって……髪の毛も髭も振り乱して……結局殺されちゃったけどね、最期はよく覚えてないんだけど」
蚩尤は思い出すのも辛いといった風に顔を歪めて話をした。その様子を見た三郎太は僅かに哀れみを覚え、同時に魔人『炎』の運命の、人智を超えた不可解さに戦慄した。
「俺は、それが怖い、俺もいつかそうなると思うと本当に怖いんだ」
「あの時もか」
「そう、あの時、一歩間違えてたら『炎』になってたかもね……、趣味で剣を盗みに行って、ムキになって自分を見失うなんて笑えないよ」
そう言いつつも蚩尤は自嘲するように笑う。
蚩尤は自分が『炎』になることを本当に恐れていた。この世で何よりもそのことが怖かった。だからこそ、蚩尤は三郎太についてきているのだ。
あの時、人のままで、三郎太は三郎太のままで執念を武器にしていた。己の中の鬼を御していた。きっと三郎太の運命の中には、自分の運命を変えるヒントがあるのではないかと、蚩尤は思ったのだった。
「『炎』は、なにかきっかけがあって生まれる、いや、目覚めるのか」
「農や俺は確かにそうなのかも、でも確かに分かることは、一番最初の炎は最初から炎だよ、乱暴者で戦いが大好きなヤツ」
「その間の奴らのことは……、いや、思い出すのが嫌ならよそう」
慌てて訂正した三郎太だが、蚩尤は笑って言い返す。
「ははっ、別にその間の連中のことは正直あまり実感がないし、よく覚えていないから大したことはないよ。わかるのは名前や炎になったきっかけくらい。桀とか、辛とか」
そこまで聞いた時、三郎太はハッと思い出した。
――崑崙、炎、炎帝、農……蚩尤、それに黄、羲、咼、桀に辛、そうか! 何故今まで気づかなんだ。唐国の伝承!
三郎太は己の世界との共通点を見つけ出し、思わず身を乗り出して蚩尤に質問を投げかける。
「おい! 農とは神農のことか!?」
「えっ、何さ急に……シンノウ? 農は農だよ、他に名前なんて無い」
「では、黄帝、伏羲、女咼は聞いたことがあるか」
「無いよ、なんの話?」
蚩尤は少しムッとした。自分が嫌な話をなんとか話して気分があまりよくない時に、さっきまでは心配そうな様子を見せていた三郎太が、今度は急に嬉々としてわけのわからない事を尋ねてくる。別に同情が欲しかったわけでは無いが、その無神経さには苛立ち、話に水を差されたようで気に入らなかった。
「堯や舜というのは知っているか? 禹は?」
「知らないよ」
「そうか……」
三郎太は折角見つけた共通点が儚くも、「似ている」だけに終わったことを残念がった。その様子は普通に見てみれば、大したことのない、あまりはっきりとしない姿だったが、苛立っていた蚩尤には露骨な当てこすりに見えた。
そして、三郎太が最後に零した「何も知らなんだか……」という台詞が、遂に蚩尤を怒らせた。
勿論、三郎太は蚩尤を責めるためにそんな台詞を吐いたわけではなく、あくまで自分に言い聞かせるためのものだったのだが。
「何さ、その態度、何が「何も知らないか」だよ。何も知らないのはサブローの方じゃんか、俺がいなかったら今頃野垂れ死んでた癖に」
「なんだと……」
三郎太は蚩尤の台詞に明確に侮辱が含まれているのを感じて顔をしかめた。
「いつも食べ物を採ってきたのは俺!」
「……」
「何が食べれて、何が食べれないのか教えたのも俺!」
「……」
「薬草を教えたのも! 魔獣が出なさそうな道を教えたのも! 雨を凌ぐためにこの場所を教えたのも俺! そもそもあの時俺が助けてやんなかったら今頃は湖の底だったじゃんか!」
「我慢ならん!」
三郎太は立ち上がると言った。
「突然何を言い出すかと思えば、恩着せがましくなんだというのだ。そもそも俺はお主にそうしてくれと頼んだことなど一度もないわ! 己は己で好きなようにやろうとしたところを、お主が勝手に世話を焼いただけではないか! それを恩着せがましく吹っかけて、何を要求したいかしらんが全くもって言語道断!」
「へぇーっ! そうかよ、あーあ、サブローは義理とか恩とかにはしっかりした人種だと思ってたんだけど、俺の見当違いだったみたいだね!」
常日頃から義理や恩には報いたいと思っている人種の三郎太としては我慢ならない台詞と評価だった。
「言ったな! 獣畜生が義理や恩を語るか!」
人間社会にあまり関わらず、その生活は確かに獣に近い自覚のある蚩尤だが、出し抜けに三郎太から獣呼ばわりされるのは我慢ならない。というか普通に傷ついた。
「あーっ! 言ったな! 馬鹿の癖に、間抜けの癖に! 俺がいなければ死んでたんだぞ!」
「無礼者ッ! 死ぬか戯け!」
蚩尤の言い方も悪いが、確かに命の恩人であるのに変わらないのだから、三郎太はそこは認めるべきだった、しかしヒートアップしてしまって三郎太は礼を失ってしまっている。
「勝手についてきておきながら無礼千万……」
三郎太は思わず刀に手をかけた。
それを見た蚩尤は驚き、涙目になりながら洞窟の壁に片手を付き、いつでも剣を作れるようにした。
「だって、サブローがついてきて良いって、自分の姿を見て手本にしろって……」
「記憶にないわ! 今度は妄言か!」
「う、うぅ……」
確かにその話をしたのは、三郎太がまだ夢の中にいる時である。寝言で言っていたことを真実として押し付けるわけにはいかなかった。
蚩尤は死にかけた三郎太のために薬草を持っていったのが自分だということを言おうかとも思ったが、あれは三郎太を殺しかけたことへの侘びのつもりだったから、ここで言うのは卑怯だと思い、止めた。
「も、もうサブローのことなんて知らない! 馬鹿! 間抜け! 野垂れ死ね! 二度と助けてやんないからな!」
蚩尤はそれだけ言うと雨の中に飛び出していった。
「こっちから願い下げだ!」
三郎太は蚩尤の去っていった方に叫ぶと、再び岩の上に座り、腕を組んで黙り込んだ。
三郎太と蚩尤の同盟は僅か数日で潰えた。
二人は所謂「セトモノ」なのだった。




