別れと旅立ち
「それでは! 三郎ちゃんの回復を祝ってぇ~!」
「「「「かんぱ~い!」」」」
――またか。
マキの腕がよほど良かったのか、贈り物の薬草とやらがよほど効いたのか、傷の深さにしては三郎太の回復は驚くほど速かった。
聞けばそろそろ巫女としての外征の日も近いという。その門出という意味もあるかもしれなかった。
いつもの四人だけではなく、マキや崑崙の有力者達も、少し離れたところで酒盛りをしている。
「三郎太さん飲んでるか~?」
「まあな」
「アハハハ! まったくもう!」
何が楽しいのか、アザミはバシバシと三郎太の背中を叩く。
「いや、驚いたよ、逆安珍。切れ味ヤバいな! あれが三郎太さんの本当の剣か?」
「どちらが本当も何もない。兼定も逆安珍も共に大切な……大切な……ものだ」
「相棒、従者、伴侶、みたいな? そういう心がけって大切かもな、私も剣を折られた時、結構きつかったし。ずっと大切にしてきたんだけど……」
「そうか……」
微妙な沈黙が流れる。三郎太の嫌いな沈黙ではないがアザミは落ち着かない様子だった。
「……あのさ、三郎太さんさ」
「なんだ」
「あの時助けてくれてありがとな。正直もう駄目かと思ってた」
「不心得だな。刀が折れれば腕で戦い、腕が折れれば足で戦う、そういう気でやらねば何もならぬ。それに礼には及ばぬ、成り行きよ」
「そんなんだから三郎太さんは強いのかもな、それと、そんなんだから……」
「なんだ、言え」
「なーんでもない!じゃ、向こう行ってくるから!」
――へんなやつだ。
三郎太は酒を一杯呷った。
「次は私が酌をしてあげるわ、感謝しなさい」
「……」
無視をして掴んだ徳利が奪い取られた。
「私も一応、あなたのおかげで命拾いしたし、感謝してるわよ。別にだからってうだうだと何か言う事は無いわ」
「それがよい」
「……調子狂うわね」
「マツリよ」
「何よ」
「……血に怯えるなよ。あれは俺にとって誉の血だ」
「っ!……ふん!」
怒ったように、マツリはそっぽを向く。しかし、すぐに真剣な顔になって三郎太を正面から見つめた。
「……でも、次は、次こそはあなたに血を流させない。私が守る。守ってあげる」
「またあんな奴と戦わなくてはならんのか」
「あんなのじゃなくても! 言ったでしょ、危なくなったら私達を呼びなさいって」
「なんの話だ」
「あっ、そっかぁそういえば……」
マツリは難しい顔をして頭を抱えだす。勿論当然当たり前だが、悪いのはあの日のことの責任を全て酒に負わせた三郎太である。
「まっ、いいわ。じゃあ改めて。危なくなったら私たちを呼びなさい、三郎太。絶対助けに行ってあげるから」
「ふん、助けなどいらん。碌に頼りにならんだろう」
「ふふっ、そうね!」
あの日と同じことを言う三郎太に、マツリは優しく微笑みかけた。
正気を保ったままの三郎太が、あの日と同じことを言うという事は、きっとあの日の言葉は酒のせいとはいえ、間違いなく本心だったのだろうと確信できたからだった。
――こやつは普段は小娘らしいのに、時に大人びて見えるのがなんとも言えず不思議だ。
なんとも言えず不思議、だから男はこんな女に惹かれるのだが、三郎太はそこまではたどり着けなかった。
宴会は終わりに近づきつつあった。
三郎太は途中有力者の挨拶を適当にすましたり、マキから「飲みすぎると腹に穴が開くように細工をした」などと脅かされたりしながらも楽しい時間を過ごしていた。
スミレとクヌギは時折三郎太の方を確認しているが、直接傍までは来ていなかった。
――今日は他に客がいる。供応するのも大変なのだろう。
三郎太がそんなことを考えながら酒盛りをしているうちに、段々と人々は帰りはじめ、終には四人と三郎太だけが残った。そして三郎太は困ったことになっていた。
「三郎ちゃ~ん、三郎ちゃ~ん、強くて可愛い三郎ちゃ~ん」
「……」
「三郎ちゃんはね~、照れ屋さんで、意地っ張りで、仕方のない人なんだけどね~強くてかっこいいんだよね~、ねーっ!」
「……」
――酔っ払いめ、手に負えん!
三郎太も今日はよく飲んでいるが、あの日のような姿は晒していない。あの日が特別三郎太が追い込まれていた日であったというのもあるが、何よりもこんなに近くに醜態をさらしている者達がいれば、それが反面教師となって酔うことなどできなかった。
「ぬぁ~、だめだ~、それは~いくな~ばか~」
「……」
アザミは大の字になって夢の中。マツリも何処からか持ってきた布に包まり丸くなって右に同じく。
クヌギは盃をもったまま何やら物憂げな表情をしてうつむいている。
そして、スミレは、
「三郎ちゃん! 三郎ちゃん! えへ~、三郎ちゃん! 呼んでみただけ~」
「……」
――こやつが一番厄介だ!
スミレは三郎太の背中に抱き着き、首に手をまわして体重の全てを三郎太に任せている。
――うーむ、まずい、まずいぞこれは。なにがまずいのか、いやまずいだろう。
三郎太を悩ますのは、まず背中の柔らかな感触。まだ慎ましいものとはいえ、女の体であることに変わらない。
次には、かすかに三郎太の頬にかかってくる、スミレの長く美しい水色の髪。さわさわと頬に触れてくる感覚がこそばゆいし、スミレがよくわからないことを言いながらリズムをとって左右に揺れるたびに、女の匂いが漂ってくるのだ。
三郎太が女の心を理解できないのは確かな事実であるが、その体が女を理解できないかと言えばそうではなかった。その理由は既に先人達が明らかにした『口では嫌がっていても体は正直の法則』において説明済みであるのでここでは省略させてもらう。三郎太の例もまた一根拠となりうるだろう。
「ねえねえ三郎ちゃんさ!」
「な、なんだ急に……」
スミレが急に身を乗り出して、ずいと三郎太の顔を正面から見つめる。
「……三郎ちゃんはさ、……やっぱなんでもない! お休み!」
「は?」
言うや否や、ごろんと横になり眠りだす。
「全く酔っ払いめ……」
ひとまず危機を脱して、安心した三郎太。
思わずクヌギの方を見ると、クヌギは困ったようにこっちを見て笑っていた。
「みんな、寝ちゃいましたね」
「あぁ、酒乱とは困ったものだ」
「こんな姿を見せるくらい。みんな三郎太さんに心を開いてるんですよ」
「……」
直球で好意を向けられては三郎太は困ってしまうのだった。
「ふふっ、風邪をひいてもいけません。何か掛けるものを持ってきますね」
「あぁ」
――クヌギの奴、なにやら思い悩んでることがあるようだが……。
三郎太は酒の入った頭で考えてみるが何も思い浮かばない。そんなことをしていると、急に場が静かになったせいか、強烈な眠気が三郎太を襲った。
――む、いかんいかん。クヌギ一人の残して勝手に寝るのも無礼だろう。
そうは思ったがやはり眠気には勝てず。それにクヌギになら多少迷惑をかけても、甘えても許してくれそうな気がして、三郎太は欲望に身を任せた。
◆
朝、目が覚めると、まだ日がほんの少し顔をのぞかせている程度の時間だった。
――よく飲んだ気がしたが、何故だか気分はすがすがしい。とりあえず外の風でも浴びようか。
部屋の者を起こさないように、ほんの少しだけ襖をあけて縁側に出た。
「……」
「む……」
縁側には先客がいた。クヌギが朝日に照らされて、集落に向けて物憂げな視線を送りながら座っている。
美しい。三郎太は本心からそう思い、見惚れた。だがその先はやはり形にならなかった。
「あら、三郎太さん。おはようございます」
「あ、あぁ」
なんとなく三郎太はクヌギの隣に腰かけた。
「よく眠れましたか? まだそんなに経ってないと思いますが」
「お主こそどうなのだ、ちゃんと寝たのか」
「秘密です」
「なんだそれは……」
しばらくお互いに沈黙して集落を眺める。
三郎太は確かになんだか寝足りない気がして、うとうととしてきた。
「ふふっ、もう少し寝ましょう。ここを貸してあげます」
クヌギはそう言うと三郎太の肩を抱き、自分の膝の上に三郎太を寝かした。
普段の三郎太ならそんな恥ずかしい真似は絶対に断るだろうに、この時は全く抵抗しなかった。
――これはなかなか落ち着く、微かな朝日が気持ち良い。
三郎太は再び夢の中へと落ちていった。
◆
三郎太が寝入ってしばらく、クヌギは緩んだ三郎太の寝顔に話しかけた。
「三郎太さん、寝ましたか」
返事はない。
「……三郎太さん、あなたはこれから何処に行くのですか。あなたは何を成すのですか」
クヌギの顔は慈愛にも満ちているし、悲哀にも満ちていた。
「私達も、近い内にここを出ます。外に出て、いろんなところを回り歩くんです。三郎太さんとやることが似てますね」
クヌギは、いよいよ思いつめた顔になった。
「三郎太さんさえよかったら……私達と、一緒に……ひゃんっ!」
最後の言葉を言い終わる前に、前触れもなく三郎太が飛び起きた。
「え、ど、どうしました。三郎太さん……」
「……」
三郎太は何故か鳩が豆鉄砲をといった顔をしていた。
――な、なんだ今のは、なんなのだ。まずい! よくわからんがまずいぞ! 動悸が早まって仕方がない!
三郎太は夢を見ていた。さっきまでは明確だった夢だが、これ以上はまずいと思って目覚めたとたんに、その形は急速に崩れて何が何だったのかわからなくなってしまった。
ただはっきりと覚えているのは、その夢が大層幸せであったこと。こんな風になったのなら、と思えるくらい羨ましいものだったこと。
「三郎太さん?」
「あっ、あぁ?」
クヌギの存在を思い出してそちらを振り向いた三郎太だが、そこでクヌギの顔を見た瞬間。
――まずい、動悸が早まった! 頬までなぜか突っ張る! ピリピリとしてきおった!
頭で考えるよりも先に体が動いた。
三郎太は部屋の中に戻ると、隅に置いてあった荷物を手早く纏め始めた。
幸い、昨日から羽織に袴であるから着替えの必要はない。
三人を起こさないように気つけながら支度をし、部屋から出ようとするとき、今度は寝ている三人の顔をちらりと見た。
――いやいや、やはりまずい! これでは死んでしまうぞ! 一生分の動悸を使い切ってしまう!
やはり、静かに且つ大急ぎで外に飛び出した。
しばらく行って立ち止まっていると、クヌギが追いついてきた。
「一体どうしたんですか三郎太さん……」
「いや、その……」
クヌギは三郎太が真っ赤な顔をして、しどろもどろに言い訳を並べるのを見て全てを悟った。
「用事を思いだしましたか?」
「そう! それだ。失念していたことがな……」
「そうですか。ふふっ、顔が真っ赤ですよ、大丈夫ですか」
「いや、これはな、朝とはいえ夏であるからな、羽織は少し厚着が過ぎた」
「そうですか、そうでしたか」
クヌギは三郎太に近づいて三郎太の服の乱れを直す。
「や、自分でできるが、その……近くはないか……」
「こんな大慌てで出ていくほどの用事ですか?」
「や、ゆるせ、なんともな……」
――何をいっているのだ俺は、らしくもない! しかし原因も何もわからぬ。いや、わかることは唯一つ。ここにもう少しでもいたとしたら、俺はこの四人から逃げられなくなってしまう。
今だって三郎太はクヌギの言葉や動作の中に魔性を垣間見てしまい、クラクラとしていた。
「……きっとみんな怒りますよ。挨拶も無しに出ていくなんて」
「……真にすまぬことなれど……」
己に非があると明らかな以上。それ以外に答えようがなかった。
「まったく仕方がない人ですね。ヒツ!」
クヌギが呼ぶと全身黒装束の小柄な人間がどこからともなく現れた。
「この人を西口へ」
「……」
うなずくヒツと呼ばれた小さな黒い影。
「や……それでは、それでは……」
三郎太はなにかいろいろと、気の利いたことを言おうと思ったがそれしか出てこなかった。
全てを悟り、三郎太の内心を読み透かしたクヌギは最後に特大の意地悪をした。
「はい」
そこでヒツが歩き出したため、三郎太はついて行かざるを得なかった。
◆
集落を出て山道に差し掛かり、その中ほどになってようやく三郎太の動悸は落ち着いた。
しかし今度は引いて行った熱が寒波となって帰ってきた。
三郎太は急に物悲しくなった。足元がおぼつかなくなり焦燥感が心を締め付けた。
(何をしている、今なら間に合うぞ。走って戻って娘たちに詫びればそれで万事解決ではないか)
――バカなことを言うな。今更戻れるか。
(少なくともお主は別れの挨拶をしておらぬ。最低限の礼くらいは守らんか)
――そうか、別れの挨拶、それだけはするべきだ。いや、何としてでもしたい。さっきクヌギとすらまともにしていないではないか。そうだ戻って彼女たちの顔をしっかりと見て、別れの挨拶と再会の約束を……。
「……くっ……ぅぅ……」
――駄目だ! もう誤魔化せぬ! 俺はここがたまらなく気に入ってしまったらしい。俺はここを故郷と思ってしまっているらしい。あの四人娘との日々があまりにも楽しかったらしい。
前を歩くヒツとかいう者に気取られないように、三郎太は声を押し殺した。
――これは郷愁か、旅愁か! たまらぬ! たまらなく悲しい!
気づけばヒツとやらは居なくなっていた。もう出口が近いのかもしれない。
流れる涙をそのままに、決して三郎太は振り返らず、そして決意した。
――さらばだ崑崙! 俺は必ず帰ってくる! その時まで変わってくれるなよ! また会おう!
三郎太は再び旅に出た。




