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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
第二章 神を捜すは山海の地
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望郷

 この日、三郎太は縁側に座り崑崙こんろんの集落を眺めていた。

 もしかすると、またこの地に来て以来の悪癖が出て、「偽物、紛い物」と喚き散らしているのかもしれない。

 しかし、そうではなかった。普段とは異なり、三郎太の仏頂面には僅かに憂いの影が見えていた。


――父上はお怒りであろうか。母上はお心を痛めておいでだろうか。兄上達は心配しているだろうか。鶴は……。


 三郎太は崑崙の集落を眺めて故郷に思いを馳せていた。今までに無い姿であった。

 三郎太の傷はほとんど塞がり、同時に発症した熱の病も回復し、あとは体力の回復に努めるだけとなっていた。

 しかし、まだ外に出るのは控えろと四人娘が言うので、それに素直に従うことにしていた。

 それでも兼定だけは早く修理してやりたかったので、数日前にそのことをアザミに頼むと、腕の良い職人に頼んでくると快く引き受けてくれたので信用して任せてあった。


――郷里でも、この時間辺りになると女衆が買い物に出て、人の往来が増して賑やかになっていた。


 時刻は既に夕方になろうとしている。三郎太の、黄昏たキザな姿を西日が照らしていた。

 祭と、その後の4人の看病、崑崙の村長をはじめとする有力者の見舞いなどを通して、三郎太の心は、急速に崑崙に近づいていった。

 以前は偽物、紛い物と軽蔑し、嫌悪していた崑崙が、今では故郷と血を分けた愛すべき兄弟のように見えていた。

 故郷との僅かな差は、崑崙の個性となり三郎太を楽しませた。

 そして、故郷を思い起こさせる崑崙に愛着が湧いていた。

 すると、今までは崑崙を憎むことで紛らわされていた望郷の念が頭をもたげてくる。三郎太はその処理に苦悩していた。


――戦場を枕に死ぬべき武士たるものが、望郷の念に引きずられて気分を沈めるとは、情けない話ではあるが……。


 三郎太は思う。


――あぁ、集落に出て行きたい。あの世界の中に入っていきたい。少しでも良い、故郷の香りを嗅がせて欲しい。


 もしかすると集落に行けば、昔馴染みの知り合いが誰かしらいるのではないか。

 そんなありえないことを考えてしまうほど、三郎太の心は揺れ動き、疲れていた。

 突然、独り常識の通じない異世界に飛ばされた武士など、今までに存在しないのだから、ここで三郎太が武士からぬ振る舞いを見せてもきっと誰も咎めないだろうに、三郎太は人前――あの四人の前――で、そういった様子だけは絶対に見せなかった。それは弱さであると思ってたのだ。


「あぁ~疲れたぁ~……」

「やっと終わったよぉ~……」

「まったく、二人共だらしがないわね……」

「マツリとスミレは荷物を台所に持って行って頂戴」


 仕事が終わって帰ってきたらしく、玄関から四人の声が聞こえた。

 今日は特別忙しいらしく四人全員が出ていた。慌てて三郎太は顔を引き締めた。いつもの仏頂面である。


「あっ、なにこんなところで黄昏てんだよ三郎太さん」

「悪いか」

「べっつにー、はいこれ。修理できたって」


 アザミはそう言って兼定を渡した。


「おぉ! 感謝する。どれ……成る程、確かに良い腕だ」


 三郎太は目に見えて上機嫌になった。


「わっかりやすいなー三郎太さん。あっ、代金はいらないからね」

「そうか、かたじけない」


 崑崙に来て以来ほとんど財布の口を開けていないことに、多少申し訳ない気持ちはあるが、実際金銭的に余裕のない三郎太としては、ありがたいことであった。


「三郎太さん、ご機嫌はいかがですか」


 アザミの後ろからクヌギがやって来て言う。


「あぁ、すこぶる良い」

「それは良かったです。今日で私たちも仕事に一区切りが付いたので、三郎太さん回復のお祝いも兼ねて、ちょっと豪華な夕飯にしようかなと思っています。楽しみに待っていてくださいね」

「そうか、それは良いな」


 二人は食事の準備をしに台所に向かった。


――そうか、回復記念か、俺もいい加減に此処を立つ時が来たようだ。しかし……。


 二人がいなくなると三郎太は再び悩み始めた。己の理想とする生き方と、己が率直にしたいと思う生き方が矛盾していた。溜め込んだ心労がどういう結末を迎えるのか、想像に難くなかった。



「三郎ちゃ~ん! おっまたせい!」


 食事が出来上がったようで、スミレが迎えにきた。

 三郎太が自分の部屋を出て台所の隣の部屋に入ると、そこには見事な料理が並んでいた。

 獣、魚、貝、その他野菜やきのこ類、山川の珍味が一同に集っていた。ここに来て以来の最大のもてなしである。


「まだまだ料理は出しますからね、三郎太さん」

「酒もあるわよ、良い酒がね!」

「「さ~け! さ~け!」」


 四人の、心の底から楽しいといった雰囲気につられて、三郎太も微かに笑い、席に着く。


「実に豪勢な食事じゃ」


 清酒が注がれて差し出される。

 全員が席についたのを確認したクヌギが音頭をとる。


「それでは、私達の神事が無事終わったことと、三郎太さんの回復を祝して」

「兼定の修理もな!」

「「「「かんぱ~い」」」」


 乾杯。そう呟いて、普段するように、酒を飲み干す。


――この宴会に水を差してはいけない。表面上だけでもとにかく上手く繕え、内心を隠し通せ。


 また一つ三郎太の心労が増えた。



「ねぇねぇマツリちゃん! マツリちゃん! カクおじさんに呼び出された時に何言われたかおしえてよぉ~」

「あのジジイ、なんて言ったと思う! 『幼いころから目をかけてやった甲斐があったというもの、恩を感じているなら俺に協力しろ』だって。私はあんたの世話になった覚えはないわ! しかも政争なんかまっぴらごめんよ!」

「あらあらまぁまぁ」

「わははは! カクのおっさんピンチだもんな~、近い親戚なんだし少しくらい協力してあげたらいいんじゃないか」

「ぜったいイヤ!」


 宴もたけなわ。皆一様に盛り上がり、三郎太とて今でこそ黙っているが、何度か会話に混ざっては微笑を零していた。しかし、三郎太の内心は僅かに暗く、沈んでいた。


――残酷な仕打ちだ。


 ここにきて料理が三郎太を苦しめた。

 今まで、三郎太はまともに崑崙の料理を感じることがなかった。最初の頃は意識してそうしていたが、病人食も含めてその後の料理もほとんどがそうだった。

 三郎太の心が崑崙を受け入れたためか、今になって初めて崑崙の料理を、目で、耳で、鼻で、口で、食事に関する全ての器官で感じ取った。そして、嫌でもわかったことは故郷の料理との類似性だった。

 日本の中でさえも、地方によって料理というのは大きく異なる。なのに、崑崙の料理は三郎太がよく食べた故郷のものに似ているのだ。偶然の一致にしてもあまりに残酷な仕打ち。これでは三郎太の故郷への思いは募るばかりであった。


「おぉ~? どうしたんだ三郎太さん。酒があまり進んでないじゃんか」

「む、いやそんなことは……」


 三郎太が誤魔化していたことをアザミが目ざとく見つけてしまった。

 三郎太は元々、本当に親しい人としか酒は飲まない。付き合いで飲む時はほとんど飲むふりをして誤魔化している。

 というのも、三郎太は、酒に強い弱いに関わらず、酒というものは人の心に必ず隙を作ってしまうものと考えているからで、その隙から不覚が漏れても心配の無い人間としか飲まなかった。

 今、三郎太はこの四人を親しい人だと思っていないわけではないが、知られては都合が悪い内心が漏れてしまうのではないかと警戒していた。


「ほらほら~もっと飲め~」

「うむ、うむ……。」

「アザミ、無理に強いてはいけませんよ」


 三郎太の心はかつてないほどに揺れていた。


(お前は何を悩んでいる。お前のすべきことは何だ。したいことは何だ。)


――まずは逆安珍を取り返す。そして日本に、故郷に帰る。


(世迷言を申すな。日本だと? 故郷だと? お前は何を聞いてきた。本当に日本がここにあると思っているのか。故郷に帰る手段があるとでも思っているのか。)


――傲慢な。お主が世界の何を知っている。たかだか数都市を歩いただけで、世界の理の全てを知ったつもりか。


(成る程な、魔獣は化生、魔法は妖術、奇術。よろしい。お主が愚かにも未だ僅かに信じている、ここが地球の一部であるという仮説を正しいものとしてやろう。それで、閉ざされた海は何とする。お前はそれが真実であることを聞いただろう。お主一人に海を越えることなど不可能であろう。……そうかそうか、わかったぞペルリだな。ペルリに海を拓いてもらうのだな。黒船に大砲、海の魔獣にも引けをとらぬ。いや実に名案よ。)


――なんたる侮辱! 誰がそのようなことを考えるものか。ここが地球、俺の知っている世界と全く違うものとしても、入れるものが出られぬ道理は無い。必ず行き来の手段はあるのだ。


(ははは! おぉ何とありがたい御言葉よ! 世界中の鼠を集めて聴かしてやりたいわ。入れたからには必ず出られるぞ。それ、ご馳走は目の前だ!)


――……。


(分かっているのなら誤魔化すことはないだろう。お前の目的地は、望みは、お前の楽園は崑崙だ。ここがこの世界に於けるお前の故郷だ。ここに甘えていればいつか望郷の念も落ち着くだろう。どんな豪傑にとっても故郷は故郷、望郷の念に憑かれることは何もおかしくは無い。それに帰れぬものは仕方ないだろう。誰がここに残ったお前を責めるのだ。)


――ふざけるな、武士ならば初志を貫徹せよ。己の楽を優先し、心の弱さから来る甘えに身を任せるなど言語道断。ましてやあれこれと理屈をつけて正当化しようなど、武士の道ではない。


 (武士の道、武士道を説くか。武士道とは何だ? 頑なに意思を貫くことか? 名を汚さぬことか? そうではない、武士の道とは、体制に従い、主君に忠を捧げることを最上とし、そのためには名も信念も何もかも一切を捨て去ることを言うのだ。お前のやっていることは、今の世の中が己の信念にそぐわぬと言って山に籠った腰抜けか、いつまでもフラフラとする傾奇者や素浪人と同じよ。天下に仇なす大悪党! 偽りの武士道で己すら騙すか大嘘つきめ! 恥を知れ!)


――……。


 三郎太は何者かとの対話から逃げた。今ここに、逃げる手段はひとつしかなかった。


「ちょっ、三郎太さん! そんなに一気に飲まなくたって……、いやホントごめんってば! 私が悪かったって!」

「なによあんた飲めるんじゃない。ほらもっと飲みなさい」

「いぇ~い! 飲め飲め~!」

「ちょっと! みんな無理をさせては……」


 一杯、二杯、三杯、注がれる度に飲み干し、必死に逃げようとする。しかし奴は着実に距離を縮めてきた。足元から湧き上がる焦燥感に胸のあたりが締め付けられる。酒とは何か別の力により頬が熱くなる。どうすればいいのか、どうすればいいのか。そうしているうちに、追いつかれた。


「あれ、三郎ちゃん……?」

「……」


 三郎太の目から溢れたものに、一番最初に気がついたのはスミレだった。勿論すぐに他の娘達も気がついた。


「え、ええっ! ちょ! や、やっぱ私が悪いんだな! ごめんよ三郎太さん! ちょっと悪ノリが過ぎたというか……」

「あわわわわ……」

「さ、三郎太さん!? 如何しましたか!?」


 突然一気に酒を呷り始めた男が、今度は突然泣き出せば驚くのは当然の事であった。


「おっ……お主らにはぁ!……わかっ、わからんであろうなぁ!」


 三郎太が母以外の女の前で涙を流すのはこれが初めてであった。酒を用いて逃げることなど不可能だった。

 溜まった水を解放しない水門がどうなるか、結果はひとつである。しかし、勘違いしてはいけない。三郎太の水門は決して壊れた訳ではない。水を解放することを恥としていた水門が、酒に酔って思わず、ほんの少し、門を開けた。ただそれだけなのだ。


「俺の故郷は……ここに、似ているのだ……。ここにいては嫌でも故郷を思いだす! でも俺はもう故郷へは帰れんのだ! そもそも俺がどうしてここにいるかもわからん! 俺は確かに故郷にいたはずなのに、気づけばわけのわからん場所にいて、誰も俺を知らぬ! 俺の知っていることを誰も知らぬ……! なのに、ここは、ここだけは似ているのだ……本当に、だから離れたくないと思う。しかしそれは逃げだ、甘えだ……。逃げてはならんのだ、甘えてはならんのだ。それは俺の道に反するのだ。だが、此処を離れて不確かな故郷を探しに行くなど、あまりに……あまりに寂しく……辛いのだ、俺はここが忘れられぬ。ここを離れたが最後、もうここには戻って来れぬような気がして、手放せぬ……」


 そう言って、三郎太は咽び泣いた。

 大の男が、二十も後半の男が、涙を流して訴えていた。

 広すぎる世界で迷子になり、寂しいのだと。故郷が忘れられないのだと。しかし崑崙も好きだから離れられないと。何より道が定まらず、心も定まらない情けない自分が辛いと。

 不謹慎かもしれないが、この哀れな男の姿を見た四人は皆一斉に、そして一様に、己の中の母性が覚醒するのを認めた。そして、母性に由来するある感情が芽を出したのも感じ取った。

 いつも仏頂面で、気難しい性格の三郎太が、崑崙に来て以来ずっと郷愁と戦い、繊細な心の内で葛藤し続け、そしてそれをひた隠しに気丈に振舞っていたなど、四人には想像もつかなかった。

 そんな男が、酒のせいでもあるが自分達に心を開いて、寂しい。辛い。と告白をしたのだ。

 酔いも吹き飛ぶ。無性に愛情が湧いてくる。この男をどうにかしてやりたい、助けてやりたい、背中を押してやりたいと心の底から思い始めた。


「三郎ちゃんはさ、大丈夫だよ、大丈夫。何でもできるよ、三郎ちゃんなら」

「わけがわからん……」

「できないの?」

「……できるとも」

「ほらね、大丈夫。何でも上手くいく。三郎ちゃんなら大丈夫。それでも、どぉーしても無理ってなったらここに帰っておいで。皆歓迎するから、絶対に」


 人心を理解し交渉する術を仕込まれた巫女達は三郎太が何を自分たちに望んでいるのか理解している。


「らしくもなく弱気だな、三郎太さん。世界は広いんだぜ、もっともっと世界を歩き回ってさ、いろんなものを見て回って、それで最後に結論を出せばいいじゃないか。三郎太さんの道は三郎太さんが決めるんだ。まぁ、無理って言うなら私たちが手を引っ張ってやってもいいんだけど」

「……必要ないわ戯け」


 アザミの人を小馬鹿にした言い方に三郎太は思わずムッとする。


「なかなか馬鹿にしてくれるわよね、あんた。崑崙がどっかに行くわけないじゃない。私達だってそうそう簡単にはくたばらないわよ。私達は外の世界を巡っているから、会いたくなったら、助けが欲しくなったら、いつでも何処にいても呼びなさい。あ、でも小さい声じゃだめよ。大声で私達のことを呼んだら助けてあげる。だからなーんの心配もいらないわ、好きなことを好きなだけしなさい」

「助けなどいらぬ。碌に頼りにならん」


 照れ隠しか、さらにもう一杯呷ろうとした三郎太の手を優しく包んで止めたのはクヌギだった。


「三郎太さん、あなたは気づいてないかもしれないですが、祭以来、あなたは崑崙の一員なんですよ。もう、皆、あなたのことを仲間だと思っています。だからあなたがここを故郷だと思うことに何の妨げもありません。辛くなったら、苦しくなったら、いつでも故郷に甘えていいんです。私達はいつだってあなたを支えてあげます。立たせてあげます。背中を押してあげます。それに、甘やかしてもあげますよ?」

「いよいよ以てわけがわからぬ。お主らのは参考にならんな」


 三郎太の顔はいつもの仏頂面に戻っていた。しかし態度と台詞に反して、上喜した頬と泣きはらした目があまりに滑稽だった。


「もうよい、寝るぞ」


 そう言って盃を置いてゴロンと横になると、腕を枕にいびきをかきだす。

 残された四人の少女達は、そんな三郎太の珍しく緩んだ寝顔を、いつまでもにこにこと慈愛の眼差しで見つめていた。


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