祭の日
祭の前日はほとんどすることがなく終わった。刀を振り、風呂に入り、座禅をし、時折娘の内の誰かと雑談をする程度だった。
本当は、三郎太はここの村長に会いに行き、神話や伝説、この辺りの歴史について聞きたかったが、四人の娘も祭の準備で忙しそうであったし、それならば村長はなおのこと忙しいに違いないと思い自重していた。
――だいぶ元気になった。風呂がいいのか、食事がいいのか。
食事も睡眠もろくに取らず、疲労困憊であった数日前に比べれば見違えるようである。
――祭が終われば再び盗人を追いに行かねばならぬ。今はよく養生し、備えねばなるまい。しかし問題は金、金はどうするか。金がなければ二の舞よ……。
三郎太が布団の中で考えていることは極めて現実的な話題であった。
三郎太の家は四五〇石取りと比較的裕福ではあったが、あの時代、下級武士は言わずもがな、武士というものの多くが今の三郎太と同じようなことを毎晩考えてはうなされていたのだろう。このボンボンも今に至ってその苦労に直面している。
――考えても仕方あるまい、そもそも俺は武士、剣に生き、剣に死ぬ。忠に生き、忠に死ぬのみよ。
どこまで行っても三郎太は三郎太なのだった。悪く言えば楽観的なボンボン息子。良く言えば元禄の武士であった。
◆
祭の当日は生憎の雨だった。雷まで鳴るほどの大雨である。黒々とした雨雲はまったく祭りにふさわしくなかった。
「この雨だと祭はどうなる」
「大丈夫です。祭は夕方、それまでには晴れるでしょう。いつもこうなんですよ」
「そういえば、祭のことを、作法も含めて全く知らぬ。一体何の祭なのだ」
「祭が終わるまで、教えてはいけない決まりになっているんです。すみません」
――変な話だ、しかし土地の祭というのは案外そういうものかもしれない、この娘達が個人的に俺に祭をみせようとしているだけで、基本的には排他的なものなのだろう。
「私たちは昼過ぎにはもう神社の方に行きます。三郎太さんは夜、神社に来てください。それと、今日は祭が終わるまで決まったものしか食べられないので、朝と同じものを用意しておきます」
朝の食事は三種の穀物を炊いたものだけだった。質実剛健の三郎太にはなんてことはないが、今までの食事に比べれば貧しいものである。
大雨であるから迂闊に外に出ることも出来ない。三郎太にできることは外を眺めながら、思案に耽ることだけであった
――そういえば、失念していたが、この世界の公儀は一体どうなっているのだろうか。ウェパロスやその周辺の都市は領主が支配しており、何人もの領主と、その支配下の都市達が連合して国に近いものを作っていた。実質的にはそれぞれの都市ごと民衆が政治を取り仕切り、その点では西洋的な政治であった。
しかし文化のまったく異なるここはどうなのだろうか、昨日聞いた話では、一番の年寄りが村長になり、その中でさらに最年長の者が4つの村を束ねて崑崙の指導者になると言っていたが、その上に領主がいるとも思えん、すると崑崙は世襲の領主がいない、4つの村からなる国家になるということか、そもそも西洋的な国家の概念自体がないのかもしれん。
三郎太は西洋の学問にも東洋の学問にも多少の理解がある、あの時代にあっては数少ない開明的な男であった。
その能力だけを見れば、ともすれば維新の中で何かしらの名前を残せたかもしれないほどの男である。
しかし、それはありえないことだった。なぜならこの男には幕末の志士に必要不可欠な志というものがあまりに無かった。学んだことを「日本国」という範囲で活かそうとは露ほども考えていない。
学んだ学問は全て己のためだけの知識、教養に留まっていた。自分の役目は藩のため、お家のために剣振るうこと。それ以外は考えなかった。剣しか振れぬ幕末の士程度なら掃いて捨てるほどいるのだ。
たった一人、思案を続けていると、思い出したようにこの地域への嫌悪感が頭をもたげた。
――ふん、雨まで似ておるわ。紛い物もここまで来ると一流よ。
四人娘と話をしているときなどは何も感じないくせに、一人になるとこうなってしまうのは、三郎太のひねくれた心に孤独感や寂寥感、望郷の念がいたずらをしているからなのかも知れない。
物事とは、大体においてその本質に関わらず、個人の受け取り方次第でその性質が変わってしまうものである。
やがて、三郎太があれこれ考えている内に約束の時刻になった。確かに雨は止んでいる。
「本当に止むとは」
――しかしこの曇天では祭も映えぬ。まぁ外様の俺にはあまり関係もあるまい。
季節は夏頃だが、天気のせいもあるが、じっとしている分には夜は肌寒い、三郎太は羽織を着ると兼定を差し外に出た。一本差しの寂しさに顔をしかめつつ、祭が終われば日の出とともに此処を立とうと決意を固めて、神社に向かって歩き出した。
◆
神社に着くと、その雰囲気の物々しさに、気づかないわけにはいかなかった。
三郎太の武人としての勘が何かを訴えていた。
――まるで奉納試合の前のようだ
当然、三郎太は道場に通った身であるから、そういう経験は何度かある。
しかしそれにしても、何か異様ではないか。三郎太は眉をひそめた。
神社の敷地はかなり広い。鳥居を潜り、石の階段を上り、本殿の前に出た。
大きな本殿の前には、やはり相応に大きな空間が空いていて、その周りを村人が囲っている。山の斜面にも桟敷が設けられ、そこにも人が詰めている。おそらく、四つの村のほとんどの人が集まっているだろうと思われる大人数だ。
三郎太が到着すると、それに気づいた輪の外側の村人が、素早く三郎太を捕まえて中に引き入れた。
あれよあれよという間に輪の内側に弾きだされ、気づけば広場の中央にただひとり。周辺を人と篝火に囲まれ、三郎太は異様な雰囲気に飲まれそうになった。
「巫女殿! こちらの用意はよろしいぞ!」
輪の何処かから、老人の声がこだまする。
本殿の扉が開き、例の四人の娘が出てきた。
クヌギはそのまま本殿に向かって額づき、残りの三人は本殿の階段を降りると、三郎太を中心に三角に囲む。
その姿は普段の格好の上に白い衣を纏い、そして――この地域特有の直刀を佩いていた。
――なんだこれは、これではまるで……。
じわりと、冷や汗が三郎太の背を濡らした。
「崑崙征せし黄よ、炎を封じし神剣よ、これより、血と戦の儀を捧げ奉ります」
クヌギが再び本殿に向けて深々と礼をし、立ち上がり広場の方を向く。
そして鐘が一つ鳴り、それを合図に広場の三人は抜刀した。
「おのれ、謀ったな!」
この時、三郎太の頭に己の不覚を証明する単語が浮かび上がった。
――アヅマ。




