怪しい奴等
宿に戻るとアザミが神話の本を持ってきた。
「これから食事の準備だからな、これ読んで待ってて!」
そう言うと慌ただしく部屋を出て行った。
初夏とはいえ夕方は薄暗い。三郎太は魔石の灯りをつけて本を開いた。
◆
まだ世界が闇に包まれ、空も地も海も魔獣が支配していた頃、人間は魔獣に怯えながら肩を寄せ合ってひっそりと暮らしていた。そんな人間を哀れんだのか、天から三人の神がこの世界に現れた。
一柱目の神はまず空の魔獣を制した。空は薄く、魔獣が少なかったので、力の余っていた神は輝く太陽となって世界を照らした。
二柱目の神は地上の魔獣を制した。地上は形が複雑なうえ魔獣が多く、空から逃げ込んだ魔獣もいたため、神は力のほとんどを使ってしまい、微かに輝く月となって闇を封じた。
三柱目の神は海を制そうとした。しかし海は広く深く、空と地上から逃げ込んだ魔獣がたくさんいた。そのために神は海を制することなく力尽きてしまった。しかし神は力尽きる直前に地上に沿って体を横たえ、海の魔獣が地上に入る事を防ぎ、海岸から僅かに人が漁をできる範囲の海を確保した。
本の前半、創世神話の内容はまとめるとこのようだった。
――まったく聞いたことのない話だ。
三郎太は神話や伝説、迷信と呼ばれる類のものを全て否定するような人間ではなかった。
こういった話にはその根拠となる事物が存在するはずだ。そう考えている三郎太はこの話から嫌な想像をしてしまった。
――ここまで日本に似ている場所でも日本に繋がる情報はない、それに日本にウェパロスのような西洋風の文化と陸続きの場所があるなど聞いたことがない。この神話によると海は魔獣のもの、人が踏み入る事のできる範囲は限られている。そもそも魔獣や魔法といった存在からしておかしいのだが……。
三郎太はウェパロスの町長の話を聞いた時もどこか楽観していたのかもしれない。
突然自分が神隠しめいたものに遭遇して、知らない世界に来てしまうなどありえないと思っていたのかもしれない。いつか帰れるだろうと根拠もなく思っていたのかもしれない。
しかし、今は違った。
この世界は自分の知っている世界ではない。そして、きっと自分は故郷に帰ることはできないだろう。
そんな考えがジワジワと確信に近づいていく。
お前がどんなに故郷を求めても、どんなに近づこうとしても、ここ崑崙がその限界だ。そう誰かに笑われているような気がしてならない。
気づけば、この村に対して嫌悪感が湧いていた。疎外感と孤独感が容易く怒りに転じた。
――偽物め、紛い物め、日本の皮を被りおって。
その時襖の外から声をかけられた。
「お食事をお持ちいたしました。よろしいでしょうか」
適当に返事をすると襖が開いて四人が膳を持って入って来て、慣れた手つきで食事を並べた。
「お口に合うかわかりませんが、どうぞお召し上がりください」
「うむ」
出てきた食事は一見和食だった。しかしそれがまた三郎太を苛立たせた。味はわからなかった。
録に料理も見ずにただ黙って食べた。
四人も三郎太の機嫌が悪いことを察してか、何も言わずに座っていた。
「馳走になった」
三郎太が言うと四人が膳を下げ始める。
「明日此処を立つ。世話になったな」
三郎太はすぐにでもこの村から出て行きたかった。
それに、あのシユウとかいう盗人から逆安珍を取り返さなければいけなかった。
「……ッ!」
「ほえ?」
「えっ!」
「ちょっ!」
「……なんだ」
そんなことを言い出すとは予想していなかったというふうで驚く四人。
三郎太にしてみればそれほど驚かれる理由などない。意外な反応に眉をひそめて四人を見る。
「……そんなにお急ぎにならなくても。何か至らないところがありましたでしょうか?」
――至らないところといえば、ほとんどの女中の態度がまったく至っていないがそこが問題ではない。
「人を……盗人を追っていると言っただろう」
「まだお疲れでしょう、温泉もありますし、しばらくここで逗留なさってからでも遅くはないのでは?」
「一刻を争う」
「……」
「もう寝る。布団を頼む」
そっぽを向いて座禅を組む三郎太。クヌギも取り付く島のないことを悟り、わかりましたとそれだけを言って下がっていった。
◆
客間より離れた一室に、魔石の明かりに浮き出た四人の女の影があった。
「どうすんだクヌギ」
「……」
「祭は3日後、最悪、一人一夜でもお釣りが来るわよ」
「なんか、ここが気に入らないっていうか、すぐにでも出ていきたいって雰囲気だったよな」
「ああいう手合いは勘が鋭いわ。何が何でも引き止めないと」
「そうね、悟られて、逃げられては仕方ないわ。スミレ」
「は~い! 私が一番手だね!」
「上手く、やりなさい」
穏やかとは言えない様子で、四人は密談を交わしていた。
「今回こそ、きっと成功させてみせましょう」
クヌギの言葉に、三人は力強く、頷いた。
◆
寝支度をして布団に横になると急に眠気が襲ってきた。
――だいぶ疲れたな、それもそうか……。
以前の反省を踏まえたのと、この村への不信から三郎太は兼定を抱えたまま横になっていた。
三郎太がまどろみの中に消えようというその時、不意に、布団の中に入り込んでくる他者の存在を感じた。
「なっ! お主何を!」
「いやー、えへへ……」
正体はスミレだった。薄い寝巻きのスミレは照れるように笑いながら三郎太に絡みつき、三郎太の手を自分の胸元に持っていきながら、
「お相手をしようかなって、こういうのは嫌い?」
そう、三郎太を誘った。
普通の男ならば、もしかするとそのまま溺れていたかもしれない。しかし残念ながら三郎太はそうではなかった。
むしろスミレの言葉、態度に含まれた淫靡の感は三郎太の神経を逆撫でした。
「余計な世話をするな戯け!」
「きゃっ!」
三郎太は跳ね起きると同時にスミレを振り払い、さっと兼定を鞘走らせた。
「飯盛り風情が無礼な、手討ちに致すぞ!」
疲れていたとはいえ、夜陰に接近を許したのは三郎太の不覚であった。もし忍び込んできたのが、刺客の類だったとすればぞっとしない。
三郎太は己の失態への憤りも込めて、スミレを怒鳴りあげた。
しかしそこではっと気付いた。
――止むにやまれぬ事情で娼婦まがいのことをしたのかもしれぬ。この娘の立場もある。下手なことをすると気の毒か。
三郎太にしては珍しく一瞬冷静になり、できるだけ穏やかに尋ねた。
「何故こんなことをした。ここではいつもそうするのか」
「えっと……なぜって言うと……。それにいつもってわけでは……」
困ったように笑いながら言う。
「では強いられたか!」
「やっ、そういうわけでも……」
歯切れが悪いスミレに業を煮やした三郎太は短気をおこす。
「ここの主人か女将を呼べ、出せ! どのみち言ってやらねばならぬ!」
さっきまでスミレの立場を案じていたとは思えない言葉であった。
女将か主人を呼んで問い詰めてしまえば、このことはスミレの失態になるというのに。それに、そもそも夜這いに来た女に恥をかかせて追い返すなど、あまり感心した振る舞いではなかった。
しかし、残念ながら、据え膳食わぬはなんとやら。そんな言葉が三郎太は大嫌いであった。
――毒と知ってなお食うのは勇気でもなんでもない。蛮勇である。そもそも貴様は情欲に負けただけではないか。それをさも男らしい振る舞いだと、天晴れ天下の豪傑だと、ふざけた自己弁護をしおってからに!
そんな考えの持ち主が、我らが三郎太なのであった。
「えぇ……」
まったく予想外の事態にスミレが困惑していると、
「どうかされましたか?」
普段と変わらない様子でクヌギが部屋にやってきた。
「この娘に娼婦まがいのことをさせたのはお主か!」
「はい」
「下賤な女郎屋でもあるまいに、頼みもせぬ余計なことはするな! このような真似は一切不要!」
三郎太がそう言い捨てると、一瞬思案したように見えたクヌギは床に手をついて跪いた。
「……実は、三郎太様にお願いがありまして。それ故このような手を取らせていただきました」
「なんだと?」
「三郎太さまに是非、三日後に予定されている祭りを見ていただきたかったのです。なので、どうにかしてお引き止めをしようと……。申し訳ございません」
深々と額づくクヌギに三郎太の気勢も削がれた。
「うーむ……。やめい、よいよい! わかった、それならば、祭までここに留まろう。だからこんなことはもうよせ!」
三郎太は刀を納めると、そう言って2人を部屋から追い出し、ようやく落ち着いた。
――まったく変な連中に捕まってしまった。今はとにかく眠い。
疲労は限界だった。約束した祭の事などあまり深く考えずに、今度こそ三郎太は夢の中に落ちていった。




