4、解ける心
その日の夜、僕は布団に入ったものの中々寝付くことが出来なかった。
「ああー、何だよ、あの顔」
昼間の次ノ介の弱々しい笑み。何だか、今にも泣きそうで。その彼の顔が脳裏にチラついているのだ。
「……俺、何か悪いこと言ったっけ」
悶々と考えるが、考えれば考えるほど頭の中はグチャグチャに掻き回されるだけだ。
チラリと壁に掛けられた、年季の入った時計を見る。
午前一時。
「水でも飲んでくるか……」
僕は、小さな溜め息を付きながらそっと布団から出た。
「おや? まだ起きてたのか、伊織」
僕が水を飲みに台所まで行くと、彼の寝室の方から桜木さんの声がした。それはこちらのセリフなのだが……と思いながらも「はい」と軽く返事をする。
「眠れないのか?」
「……ええ、まあ」
桜木さんとは、幼い頃もあまり関わりが無かった為か、僕の人見知りが発動する。言葉がするすると出てこない。
「そうか、それじゃあ……ちょっと話に付き合ってくれないか?」
「え、あ、まあ、いいですよ」
本心は、早く自分の部屋に戻りたい気持ちでいっぱいだった。しかし、僕は「頼まれた」とはいっても、居候の人間。断る事など出来なかった。
「悪いな、伊織。ちょっと話しておきたいことがあってなあ」
「はい。何でも聞きます」
「おいおい、そう固くなるなよ」
桜木さんは苦笑しながら、僕に、彼の布団の隣に座るように促してくる。そして、一冊の古びたアルバムを差し出してきたのだった。
「せっかく、大切な夏休みを使ってきてくれたんだから、じいちゃんの事でも教えてやろうと思ってなあ」
明るい笑みを零しながら、彼は豪快に笑う。その笑顔に、僕は先程までの緊張がだんだんと解けていくのを感じたのだった。
「お前のじいちゃん……太助はなあ、わしの弟と大親友だったんだよ」
「え、そうなんすか?」
柔らかい笑みを浮かべながら、アルバムをパラパラとめくる桜木さん。何度も何度も小さく頷きながら。
『なあ、伊織、大きくなっても忘れちゃあいかん。このお地蔵様はな、じいちゃんの大親友を祭ってあるんだよ。だから、大事にしなきゃならん』
『じいちゃんの大親友?』
『ああ。昔、事故で亡くなった、家族の様な友だちだ。伊織にも大きくなったらそんな大事な存在が、出来るといいなあ』
幼いあの日、祖父がそういった事を僕は今でも鮮明に覚えている。つまり、あのお地蔵様は……。
「伊織がもう見つけたかどうかは分からないがなあ、わしの弟を祭ってあるお地蔵様があるんだよ。あいつは、まだ伊織くらいか、それより小さい頃に川の事故で死んでなあ」
「……」
桜木さんの目の奥で、小さな粒が光っている。本当に大事に思っていたのだろう。彼の気持ちがヒシヒシと痛いくらい伝わってきた。
「じいちゃん、大親友のこと……弟さんのこと、凄く大切に思ってました。俺も、じいちゃんにお地蔵様の話を聞いたことがあります。だから、もしよければ、じいちゃんだけでなく弟さんの話も聞かせてもらえませんか?」
僕は真っ直ぐに桜木さんの目を見る。
「……伊織。ああ、良いだろう。ぜひ、聞いてやってくれ」
「はい、聞かせてください」
夜の闇が益々深みを増してゆく。そんな闇を、淡いオレンジ色の光が優しく照らすのだった。
アルバムをめくる静かな音と、桜木さんの声だけが響く。
この様子を見ていた人物がいることを、僕はまだ知らない。