卒業夜会で断罪されましたが、学則により正式な審議に付します
卒業記念の夜会の最中に、第二王子のオスカー殿下は、グラスを高く掲げた。
「皆に告げる! 私は今宵、リュシエンヌ・ヴァレンを断罪する!」
楽団の演奏が止まり、笑いさざめいていた生徒たちが、一斉にこちらを向いた。
壇上の殿下の隣には、男爵令嬢のポーラが、胸の前で手を組んで震えている。
「この女は、ポーラの教科書を破り、噴水に突き落とし、階段で足を引っかけた! 王子妃にふさわしくない悪行だ! 婚約は破棄する。そして学園から追放を――」
「お待ちください、殿下」
私は、壁際から一歩前に出た。
リュシエンヌ・ヴァレン。公爵家の娘で、この学園の生徒会書記。三年間、毎週の議事録を取り続けた人間だ。
「ただいまのご発言は、学園の公式の場で行われた告発と受け取ってよろしいでしょうか」
「何を今さら。見ての通りだ」
「では、学則第二十八条を適用します」
私は、会場を見渡した。
「学園で行われた告発は、いかなる身分の者によるものでも、生徒会審議に付されます。告発された者には、証拠の提示と弁明の機会が与えられる。そして、告発者にも、同等の義務が課せられます」
「は?」
「ちなみに、審議の書記は、私です」
どよめきが広がった。
この規則は、三百年前、貴族の子弟が平民の生徒を恣意的に追い出した事件を受けて作られたものだ。以来、学則の筆頭に近い位置に、静かに存在している。誰も読まないが、全員が署名して入学した。
殿下の口が、半開きになった。
「待て。これは卒業の夜会だぞ。裁判ではない」
「ええ、ですから、略式で行います。ここで始めて、一週間以内に結審します。学園長、いらっしゃいますか」
人垣の奥から、白髪の老人が手を挙げた。
「うむ。確かに、条文通りじゃな」
「ありがとうございます。それでは、告発の内容を一つずつ、議事録に起こします。殿下、ポーラ様、書記席までどうぞ」
私は、にっこり微笑んだ。
*
審議は、翌日の午後から始まった。
大講堂の長机に、生徒会の役員と、学園長、中立の教師三名が並ぶ。私は書記席から、立ち上がって宣言した。
「これより、告発第一号『教科書破損の件』の審議を開始します。告発者、オスカー殿下。ご説明をお願いします」
殿下は、ふんぞり返って口を開いた。
「ポーラの教科書が、三月に破られた。犯人は、リュシエンヌだ」
「日時と場所は?」
「三月……ええと、十日か十二日だったかな」
「場所は?」
「教室だ。ポーラが泣いていた」
私は、手元の台帳を開いた。
「学園の備品管理台帳によると、三月十日は、全生徒が実習のために南棟にいました。教室は施錠されています。入室記録は、生徒会の鍵当番が管理し、私は三月十日は鍵当番ではありません。別の生徒、ノエル・アシュレー君です。ノエル君、ご証言を」
傍聴席から、小柄な少年が立ち上がった。
「は、はい。三月十日、教室の鍵は、僕が午前中ずっと持っていました。誰にも貸していません」
「では、リュシエンヌ様が教室に入ることは、不可能でしたね」
「は、はい」
ざわめきが走った。
殿下は顔色を変えた。
「な、なら、日付を間違えただけだ! 十二日だったかもしれない!」
「承知しました。三月十二日も確認しましょう」
私は、台帳をめくった。
「三月十二日は、私は王都の屋敷で発熱しており、欠席しています。欠席届は医師の署名つきで、学園に提出済みです。こちらです」
書類を掲げると、学園長が頷いた。
「うむ、確かに受理しておる」
「次に、告発第二号『噴水への突き落とし』。ポーラ様、ご説明をお願いします」
ポーラは、細い声で答えた。
「あの……五月の、昼休みでした。リュシエンヌ様が、私を突き飛ばして……」
「五月のいつです?」
「えっと、あの……」
「噴水の使用記録によりますと、五月は改修工事で、噴水は水を抜いており、使えませんでした」
私は、淡々と読み上げた。
「工事は四月二十日から六月五日まで。その間、噴水には水が張られていません。ポーラ様、どうやって、水のない噴水に突き落とされたのでしょうか」
講堂が、しんと静まり返った。
ポーラの肩が、がくがくと震えはじめた。
*
審議は、三日続いた。
私は、一件ずつ、丁寧に、記録と照らし合わせた。階段の事件は、当日の私が生徒会室で会議をしており、七名の役員が証言した。ポーラの手の怪我は、本人が厨房で包丁を使った際のものだと、厨房の料理人が証言した。
最終日、学園長が結論を読み上げた。
「告発された全件につき、リュシエンヌ・ヴァレンの関与を認める証拠はなし。よって、無罪とする」
拍手は起きなかった。傍聴席の生徒たちは、息を詰めたまま、告発者席の殿下を見ていた。
「さらに、学則第二十八条の第三項により、虚偽の告発を行った者は、同等の処分を受ける」
学園長の声が、重々しく響いた。
「オスカー殿下、およびポーラ・ミレット嬢。両名は、学園の卒業資格を一年間、停止する。加えて、偽証に加担した者として、王室監督官への報告義務が生じる」
「ま、待て!」
殿下が、立ち上がった。
「私は王子だぞ! 学則など、私には――」
「学則は、全員が署名したものです」
私は、書記席から静かに告げた。
「殿下も、入学の際に、署名なさいました。『この学則を守り、これに従う』と」
殿下は、顔をひきつらせた。
その横で、ポーラが、へたり込んだ。
「ごめんなさい……私、殿下に言われた通りに……」
「ポーラ嬢。あなたも、署名しています」
私は、一冊の綴りを取り出した。
「でも、証言の際に、正直に話してくれましたね。『殿下に言われた』と。それは、虚偽の告発の加担者から、証人へと立場が変わる事実です。審議録に、そのように書いておきます」
ポーラは、涙で顔を濡らしながら、頷いた。
*
審議の終了後、私は書記席で、最後の議事録を閉じた。
大講堂は、がらんとしていた。
扉が静かに開き、一人の青年が入ってきた。
生徒会長のクリフォード・エイヴリー。同じ生徒会で三年間机を並べた、静かな人だ。
「お疲れさま、リュシエンヌ」
「会長。お疲れさまでした」
「すごかったよ。あの規則を、誰も思い出さなかったのに」
「思い出しただけです。三年間、毎週、議事録の最初に条文を写していましたから」
クリフォードは、くすりと笑った。
「そうだったね。君は、毎週、同じ条文を写してた。僕は、馬鹿だなと思って見てたんだ」
「馬鹿、ですか」
「違うよ。そんな風に、誰も読まない決まりを、大事に写す人を、僕は尊敬していた、という意味」
彼は、少し言葉に詰まって、手に持っていた小箱を差し出した。
中には、小さな銀の印章が入っていた。
「卒業祝いだ。学園書記の印。本来なら、学園に返納するものだけれど、学園長が特別に許可してくれた。君が持つべきだ、と」
私は、印章を取り上げた。握りの部分に、小さく、私の名前が彫られている。
「それと」
クリフォードは、耳の先まで赤くしていた。
「議事録の最後の項目に、もう一件だけ、書き足してもいいかな」
「どうぞ。書記は、私ですが」
「じゃあ、君に頼もう。議題、『クリフォード・エイヴリーとリュシエンヌ・ヴァレンの婚約に関する件』。賛成は、一名。反対は――」
「ありません」
私は、ペンを取った。
「全会一致で、可決します。……書記の署名は、私で」
議事録の最後の行に、私は、いつもよりほんの少し丁寧な字で、日付と名前を書き入れた。
学則第二十八条は、これからも、三百年先まで、誰にも読まれず、そこにあるのだろう。
けれど、読む人がいる限り、その条文は、必ず誰かを守る。
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