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夏のホラー2026『ブラウンノイズ』

掲載日:2026/07/06

 これはね、去年の秋ごろ来た疲れた顔のお客さんが話してくれた話。

 奥さんが入院したって、しんどそうに飲んでたの。

 気の毒な話よ。


◇


 眠りが浅くなったのは、更年期のせいかもしれない。

 奥さんがそう言ってたんだって。

 それでね、あちこち相談した末に、「睡眠用ブラウンノイズ」っていうのを試してみることにしたの。

 滝の音とも海の音とも雑踏の音ともつかない、「ざぁー」っていうだけの動画をスマホで流して、枕元に置いて眠るやつ。

 試した最初の朝ね、奥さんが「朝までぐっすり眠れた」って喜んだのよ。

 それが始まりだったのね。


 数日したある夜中に、旦那さんが目を覚ましたの。

 部屋の中で誰かが囁(ささや)いてる声がする。

 どこかから聞こえるのか探したら、奥さんのスマホから聞こえてくるみたいだった。

 別に大きな音でもないし、別な動画でも再生しちゃったのかなって、その日はあまり気にしないで眠ったんだって。


 それからまた数日して、奥さんの様子がおかしくなってきた。

 朝起きると、なにかブツブツ呟いてる気がする。

 聞いたら「なんか変な夢を見るようになった」「誰かと一晩中罵り合ってた気がする」って。


 そこで旦那さんは夜中の声のことを思い出したんだって。

 すごく驚いてね「早く言ってよ。気持ち悪いから、もうやめる」って。

 奥さんは、それからブラウンノイズは聞くのをやめたの。


 でもね、体調不良は続いたんだって。

 だんだんと目が落ち窪んで、やつれていく奥さんを心配してね、今度の土曜にでも病院に行こうかなんて話てたんだけど。

 お互い仕事もあるし、その日は早く寝ようってことになったのね。


 早く寝すぎたせいかしらね、旦那さん、また夜中に目が覚めた。

 横を見ると奥さんがいないの。

 トイレかなと思って自分も部屋を出たら、台所からね、声が聞こえた。

 そっとのぞいてみたら、誰もいない真っ暗な部屋に向かって、奥さんがブツブツ言ってたの。


 ゾッとして、恐る恐る「どうした?」って声をかけたらね、突然「うるさいっ! もうしゃべるな!」って叫んで。

 両手に持ってた菜箸(さいばし)をね、自分の耳に突っ込んだんだって。


 それからはもう大変だったらしいわ。

 暴れる奥さんを血だらけになって抑え込みながらね、救急車を呼んで。

 DVまで疑われて、旦那さんは取り調べを受けたらしいのよ。

 まぁ疑いはすぐ晴れたらしいんだけどね、奥さんはそのまま入院することになったんだって。


 お医者さんが奥さんから聞き出した話によるとね、毎晩眠るたびに耳元で「死ね」「気持ち悪い」「居なくなれ」って声が聞こえる。

 耳をふさいでも遮れない。

 自分の耳の穴の中で誰かが騒いでいるんだって気がついて、菜箸で潰してやったんだって。

 鼓膜は破れてた。


――でもね、声はまだ聞こえてるんだって。


 鼓膜が破れてるのに、あの声だけははっきりと。

 その人はしばらく黙って飲んでたんだけどね。

 いくら飲んでも酔わないみたいで、大きなため息と一緒に、こんなこと言ってた。


「最初に声が聞こえたときに、止めてやればよかったんですよね」


「しかたないわ。だってまさかこんなことになるなて、誰にも予想できないじゃない」


「いや、止めるべきだったんです。……だって今度は、わたしの耳元でも聞こえるんですから」


 あたしはなんにも言えなかったわ。

 ただね、テーブルの上にあったマドラーは、さすがに隠したわよ。


――了

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