ドロップアウト
『スイミーって、知ってる?』
あの子は、初対面の人とある程度の自己紹介を済ませると、決まってこの質問を投げかけていた。そして、こう続けた。
『あのね、私スイミーになりたいの』
黒と茶の分かりにくいオッドアイを柔らかく細め、チャームポイントだというえくぼを浮かばせ、屈託なく笑ってみせる。多分あの顔は、かわいい部類に入っていたのだろう。
あの子は至って普通だった。特に目立つ点はなく、強いて言うならそのオッドアイが珍しかった。
抑揚のない話し方が冷たく聞こえることをひどく気にしていたけれど、僕はさほど気にならなかった。スイミーのくだりの方がよっぽど変だと、何度となく思っていた。
高校を卒業後、あの子と会わなくなって早8年。成人式にも卒業5年の同窓会にも、あの子の姿はなかった。風の便りで、自殺したという噂を聞いた。名前よろしく海に入ったっきり帰ってこなくなったのだと、あの子の親友が話していたという。
痛々しい眼帯を右目に、赤い魚も黒い魚も捨てられなかったあの子は、きっと今ごろどこかでサメを追い払っているのだろう。
海に行くたびに、水族館に行くたびに、絵本を見るたびに、僕はそう思う。
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最初は、そのメガネに興味を持った。
自己紹介で前に出た時に、「あ、似合うな」って思った。だから、途中でイメチェンした時、ちょっとだけ残念だった。
次は声。
名乗って部活と好きな教科を言っただけの何の変哲もない自己紹介の、ただその声がいいと思った。低すぎず、高すぎず、少し癖がある通る声。
それからしばらくは何もなかった。
いいなって思ったことも、頭の片隅から消えかけそうになっていた。
掃除が一緒になったのはそんな時。
周りがサボる中、友達との会話に混じりつつも落ち葉集めを手伝ってくれたさりげなさが、いい人だって思わせた。
話したことはない。ただ、何となく気になる。
相手はきっとアタシなんて気にもとめてないだろうけど。
席近くになれたらいいなって、話すキッカケないかなって、そう思うだけ。
入海チャンが、彼とたまに言葉を交わすあの子が羨ましいのも、ただ仲良くなりたいから。
別に、恋なんかじゃない。ただ少し、気になるだけ。
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独りだった訳じゃないの。ただ私が弱かっただけ。
『スイミーって赤い方だっけ?』
『違いますー。力を合わせて充血したおっきい魚になりましたなんてオチ嫌だからね、私』
怪訝な顔をしながらも、話を合わせてくれた人がいた。彼は、たまに言葉を交わすクラスメイト。
縁なしメガネはあまり似合ってなかったけど、その奥の漆黒の瞳が羨ましかった。僅かな誤差の無い彼が、赤い魚に重なった。
ない物ねだりだとは解ってて、気にする違いでもないと言われてて、それでも欲しかったフツウ。子供が駄々をこねるみたいに、けれどそれよりは深刻な心境。
『あのね、私スイミーになりたいの』
その言葉の裏に気付いた人は何人かいて、彼もその中の一人だった。
私はオレンジの魚で、スイミーにはなれっこない。そんなことは知ってた。
本当は、赤い魚になりたかった。もちろん、それが叶わないことも、知ってた。
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同窓会で、彼に会った。高校生のころ、ちょっとだけ好きだった人。
しばらく忘れていた。というよりも、忘れようとしていた。
彼は、あの子と仲が良かったから。
3年前、入海チャンは朝いつも通りにシェアハウスを出て行ったっきり、帰ってこなかった。
彼女が何かを抱えていることは知っていたし、それがきっとそのオッドアイを気にしてのことだろうもいうことにも、薄々気づいていた。
だけど、何も言わなかった。
だから、何も言わずに海に行ってしまったのだと聞いたとき、それを責めることはできなかった。
私たちの関係は、自称親友同士だった。
干渉しない、干渉されない。近いはずなのに、遠い関係。
あの子が偶然片目を失明しようが、私が不自然な怪我をしようが、何も聞かない。
そんな心地い関係を先にドロップアウトした彼女を、それでもやっぱり私は責められない。
自分でも書きながら不思議な気分になります。
どこでどう思いついたのかも忘れた、けっこうお気に入りの短編小説。
ジャンルはこれで合っているのでしょうか(笑)