EP 19
男たちの頭皮戦線、異状アリ
エルフの移住も落ち着き、太郎国に再び平和な日々が訪れていた。
国王である太郎は、執務室で書類仕事に追われる宰相マルスの背中を眺めていた。
(……あれ?)
太郎は目をこすった。
窓から差し込む午後の日差しが、マルスの頭頂部で鋭く反射した気がしたのだ。
(マルス……頭の毛、減ってきてないか?)
建国以来、マルスには苦労をかけ通しだ。
最初はおっちょこちょいな家令だった彼も、今や一国の宰相として、太郎の丸投げした政務を一手に引き受けている。
そのストレスは計り知れないだろう。生え際が後退し、頭頂部が寂しくなるのも無理はない。
(しかし……如何に王と言えど、「君、ハゲたね?」なんて言えるわけが無い!)
それは立派なパワハラだ。デリケートな問題なのだ。
だが、このまま放置すれば、マルスの頭皮は不毛の大地(サバラー砂漠)と化してしまう。
(どうしたものか……。傷つけずに、ケアさせる方法は……)
太郎は知恵を絞り、ある一つの答えに辿り着いた。
「マルス、ちょっといいかな?」
「はっ! 如何なさいましたか? 太郎様」
マルスは羽ペンを置き、恭しく頭を下げた。その動きに合わせて、心なしか頭頂部の頼りない毛がフワリと揺れる。
「いや、いつも頑張ってくれているからね。これ、労いの品だよ」
太郎はウィンドウを開き、一本の青いボトルを取り出した。
100円ショップのロングセラー商品、『薬用育毛トニック【男達の頭皮戦線】(エクストラクール)』だ。
「そ、それは?」
「ポーションの一種……みたいなものさ」
太郎は真剣な眼差しで、マルスの肩に手を置いた。
「マルス……諦めるなよ。男だろ?」
「は、はい?(何の事でしょう?)」
「これを頭皮に付けたら、すっごく気持ち良いんだ。リフレッシュになるから、試してみなよ」
「は、はぁ。太郎様がそう仰るなら」
マルスは不思議そうにボトルを受け取った。
キャップを開けると、鼻にツンとくる爽快なミントの香りが漂う。
「逆さにして、頭にトントンと押し当てるんだ」
「こう、ですか?」
マルスがおずおずと、トニックのノズルを薄くなった頭頂部に押し当てた。
シュワァァァァァ……!!
「おぉッ!?」
マルスが声を上げた。
「冷たい! いや、熱い!? 何ですかこの、頭皮が目覚めるような刺激は!」
「炭酸ガスと有効成分が浸透している証拠だよ。そこで、指の腹を使って頭皮マッサージを忘れずにな。こう、揉みほぐすように……」
「こ、こうですか……? おぉ……おぉぉ……」
マルスが入念に頭皮をマッサージし始める。
血行が促進され、凝り固まった頭皮が解れていく。
「……気持ちいいですなぁ」
マルスの顔がとろけた。日々の激務で疲れた脳髄に、爽快感が染み渡っていく。
「気に入って貰えて良かった。あげるよそれ。毎日風呂上がりに使うといい」
「ありがとうございます! 太郎様! このご恩は忘れません!」
マルスは大事そうにトニックを抱え、スキップしそうな足取りで執務室を出て行った。
「うむ。これで良くなるといいな……」
太郎は安堵の息をついた。
それから数週間後。
城の練兵場や詰所で、騎士たちがヒソヒソと噂話をしていた。
「おい、見たか? マルス様の髪」
「あぁ! 最近、明らかにボリュームが増えたよな!?」
「前はこう、ペタリとしていたのが、今は根元から立ち上がっているというか……」
「肌艶もいいし、若返ったみたいだぞ」
その噂は、瞬く間に城中の「頭皮に悩める男たち」の間で広がった。
「何でも、太郎様から貰った『青い瓶』に秘密が有るとか……」
「太郎様直々の秘薬か!」
「俺たちも欲しい……! 兜を被り続けて蒸れた、この頭皮を救ってほしい!」
彼らの悩みは切実だった。
ある日の午後、太郎が庭を散歩していると、騎士団長を筆頭に、数十名の騎士たちがズラリと整列し、片膝をついて待ち構えていた。
「た、太郎様!」
「どうしたんだ皆? 敵襲か!?」
太郎が身構えると、騎士たちは兜を脱ぎ捨てた。
そこには、寂しい頭頂部や、後退した生え際が露わになった男たちの悲痛な叫びがあった。
「私達にも! どうか、マルス様が使っている『髪が増える魔法の液』をお恵みください!!」
「この通りです! 最近、妻や娘の視線が冷たくて……!」
「守りたいんです! 国だけでなく、自分の毛根も!」
騎士たちが涙ながらに訴える。
その光景は、魔王軍との決戦前夜よりも悲壮感が漂っていた。
「お前達……」
太郎は胸を打たれた。
男たちは皆、戦っていたのだ。見えない敵と。
「分かった! 僕は君達の味方だ! 恥じることはない!」
太郎は高らかに宣言し、スキルを発動させた。
『薬用育毛トニック【男達の頭皮戦線】』×1000本 購入。
「持っていけぇぇぇ!!」
「「「太郎様あああああ!!!」」」
歓喜の雄叫びが城に響き渡る。
こうして、太郎国で「育毛トニック」の生産(という名の大量購入・配布)が始まった。
城内では、夜な夜な「シュワァァァ」という音と共に、男たちが鏡に向かって入念なマッサージを行う姿が見られるようになったという。
後にこのトニックは、エルフの里で作られた米や味噌と並び、太郎国の名産品として他国の貴族たちにも爆発的に売れることになるのだが、それはまた別の話である。
太郎国の『頭皮戦線』は、見事に勝利を収めたのであった。




