EP 11
パパは心配性 〜名前と字画と狩りの時間〜
ツリーハウスのリビング。
そこで、奇妙な振動が起きていた。
ズズズッ……ズズズッ……。
太郎が、猛スピードで行ったり来たりを繰り返している足音だった。
妊娠の報告を受けてから数日。太郎の精神状態は「喜び」を通り越して「極度のパパ・パニック」に陥っていた。
「名前はどうしよう……。長男なら『一郎』、次男なら『二郎』、三郎……いや、安直すぎるか?」
太郎はブツブツと独り言を呟きながら、空中に指で文字を書いては消していた。
「いや、字画とか考えないと……。総画数が凶だったら大変だ。やっぱり『大吉』になる縁起が良いものが良い……。待てよ、女の子かも知れない!? その場合は……『花子』? いや、もっとハイカラな『キャサリン』とか? いやいや、この世界の文化に合わせて……」
「……あの、太郎様」
部屋の隅で槍の手入れをしていたヒブネが、呆れ顔で声をかけた。
「さっきから床が擦り減りそうです。今からそんなに気にしていたら、生まれる前に貴方の気が持ちませんよ?」
「ヒブネぇ……」
太郎は泣きそうな顔で振り返った。
「だって、一生モノなんだよ!? 名前でその子の人生が決まるかもしれないんだ! 『悪魔』とか付けたら役所に受理されないし!」
「アクマ? ……よく分かりませんが、サリ―さんもライザさんも今はぐっすり眠っています。貴方が騒いでは、お腹の赤ちゃんに障りますよ」
「はっ! そうだね……静かにしないと……」
太郎はハッとして口を押さえたが、手足の震え(貧乏ゆすり)は止まらない。
何もしていないと、不安と期待で爆発しそうになるのだ。
ヒブネは小さく溜息をつき、手入れを終えた槍を立ち上げた。
「……じっとしているのが辛いのなら、狩りにでも行って気分転換しましょう。妊婦には栄養が必要です。滋養強壮に良い獲物を狩りに行きませんか?」
「! 狩り……!」
その提案に、太郎の目が輝いた。
悩むより、体を動かして家族のために貢献する。今の太郎に必要なのはそれだ。
「そうだね、ヒブネの言う通りだ! じっとしてても始まらない! 美味しいお肉をゲットして、二人を喜ばせるんだ!」
「えぇ、その意気です。行きましょう」
こうして、太郎とヒブネはエルフの里周辺の森へと狩りに出かけた。
森は静寂に包まれているが、太郎の頭の中はまだ騒がしい。
「ねぇヒブネ。もし男の子だったら、槍の使い方を教えてやってくれる?」
「気が早いですね……。まあ、素質があれば」
「もし女の子だったら、悪い虫がつかないように僕が全力で守らないと……。そうだ、防犯ブザーを大量に取り寄せて……」
「過保護すぎます」
そんな会話をしながら森の奥へ進むと、茂みの奥からガサガサという音がした。
「しっ。……獲物です」
ヒブネが鋭い視線を向ける。
現れたのは、巨大な角を持つ**『グレート・ボア(大猪)』**だった。
その肉は脂が乗っており、煮込めば極上のスタミナ食になる。
「ブモオオオッ!!」
ボアがこちらに気づき、突進してきた。
「来ますよ、太郎様!」
ヒブネが槍を構える。
しかし、太郎はボアを見てもまだ上の空だった。
「(猪……猪か……。干支で言うと亥年生まれになるのかな? いや、この世界に干支はないか……)」
「太郎様! 避けて!」
「うわっ!?」
ドガッ!!
ボアの突進をギリギリで回避する太郎。背後の大木がへし折れる。
その衝撃で、ようやく太郎のスイッチが入った。
「危ないなぁ! ……でも、あの立派な太もも……」
太郎の脳裏に、ぐつぐつと煮込まれる『猪鍋(ぼたん鍋)』のビジョンが浮かんだ。
味噌仕立てで、根菜をたっぷり入れて。栄養満点で、つわりで食欲がない時でも食べやすいはずだ。
「よし……! 狩るぞ! 愛する妻と子供のために!」
太郎は『雷霆』を構えた。
「ヒブネ、足止めを頼む!」
「任せてください!」
ヒブネが疾風のごとく駆け出し、槍の石突きでボアの足を払う。
バランスを崩したボアがよろめく。
その隙を逃さず、太郎は矢を放った。
「食らえ! 『安産祈願ショット』!!」
「ネーミング……!」
ヒブネがツッコミを入れる間もなく、矢は正確にボアの眉間を貫いた。
ドサリ、と巨体が倒れる。
「ふぅ……やった」
太郎は弓を下ろし、汗を拭った。
体を動かし、目的を達成したことで、先程までのそわそわした気分は霧散していた。
「お見事です。これで当分、お肉には困りませんね」
「うん! ありがとう、ヒブネ。おかげでスッキリしたよ。……名前は、二人が起きてから一緒に考えることにするよ」
「それが良いでしょう。父親が笑顔でいることが、家族にとって一番の安心ですから」
ヒブネは優しく微笑んだ。
二人は巨大な猪を引きずりながら、愛する家族が待つツリーハウスへの帰路につくのだった。




