EP 32
王宮からの使者、執事マルスの涙
「タロウ・カレー」の衝撃は、一晩にしてアルクス全土を駆け巡った。
今や街の食堂という食堂が、見よう見まねでカレーライスを提供し始めていた。もちろん、太郎の出す本物のルーには遠く及ばないが、それでも「辛くて旨い」という新感覚は人々の舌を虜にしていた。
冒険者ギルドの併設食堂にて。
ここでも、昼時のメニューはカレー一色になっていた。
「ガハハハ! いやぁ、太郎さん! このカレーは本当に旨いな!」
ギルド長のヴォルフが、大盛りのカレーを豪快にかき込んでいる。スプーンが皿に当たる音が小気味よい。
「スパイスがエールの苦味と合う! 汗をかきながら食うのがまた良い!」
「良かったです、ヴォルフさん。気に入ってもらえて」
太郎は苦笑いしながら自分の水を飲んだ。まさかここまで流行るとは思っていなかった。
その時だった。
ガシャン、ガシャン、と重厚な金属音が響き、ギルドの扉が開かれた。
入ってきたのは、煌びやかな鎧に身を包んだ一団――王宮騎士団だ。
その中央に、燕尾服を着た初老の男が一人、恭しく立っていた。
「……!」
ギルド内の空気が凍りつく。荒くれ者の冒険者たちも、正規軍のエリート集団の前では口をつぐんだ。
「失礼致します」
燕尾服の男――執事のマルスが進み出た。洗練された所作で周囲を見渡す。
「私、デルン王国のバゴール王にお仕えする執事、マルスと申します。……佐藤太郎様はいらっしゃいますか?」
指名された太郎は、カレーを吹き出しそうになった。
「えっ!? は、はい、僕ですけど……」
おずおずと手を挙げる太郎に、マルスはツカツカと歩み寄り、深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります、英雄殿。此度は我が君、バゴール王より勅命を預かって参りました」
「ちょ、勅命!?」
「はい。巷で噂の『カレーライス』なる料理に、王は大変興味をお持ちなのです。是非とも王宮にて、太郎様直々にカレーライスを作って頂きたく、参上した次第です」
マルスの言葉に、ギルド中がどよめいた。
王様が、太郎のカレーを食べたがっている。
「ええええ!? 王宮でカレーライスを作れって!?」
太郎は椅子から転げ落ちそうになった。
「いやいや、無理ですよ! 僕なんかただの冒険者ですし、滅相もないですよ! 王様の口に合うかどうかも分からないし……!」
相手は一国の王だ。もし「不味い」なんて言われたら不敬罪で首が飛ぶかもしれない。太郎はブンブンと首を横に振った。
「どうか、どうかお願い致します! 太郎様!」
マルスは食い下がった。いや、その表情は必死すぎて鬼気迫るものがあった。
「王は一度言い出したら聞かないお方なのです! 『噂のカレーとやらを食わせろ、さもなくば……』と!」
「さもなくば……?」
「太郎様が来られないと、私はクビになるかもしれません!」
マルスはなりふり構わず、太郎の手を両手で握りしめた。
「私には、故郷に年老いた母親が居まして……薬代がかかるのです! それに愛する妻や、まだ小さい子供も居るんです! もし私が失職したら、路頭に迷うことに……!」
「えぇ……」
さっきまでの威厳はどこへやら、マルスは涙目で訴えかけてきた。
「どう、か……どうかお慈悲を! 私の家族の命がかかっているのです!」
「そ、そんな事言われても……」
困り果てる太郎に、ヴォルフが小声で耳打ちした。
「(太郎さん、良いじゃないですか。受けなさい)」
「(えっ? でも……)」
「(王族にコネを作る良い機会だ。A級冒険者といえど、権力者とのパイプはあって損はない。それに、王を喜ばせればカレーを作るだけで、何か特別な褒美が貰えるかも知れないぞ)」
ヴォルフはニヤリと笑った。確かに、彼の言うことは一理ある。それに、目の前の執事があまりにも不憫だった。
「うぅ……」
太郎はマルスの潤んだ瞳と、背後の騎士たちの無言の圧力、そしてヴォルフの打算的な視線に挟まれ、観念した。
「わ、分かりましたよ。い、行きますよ! 作ればいいんでしょ、作れば!」
その言葉を聞いた瞬間、マルスの顔がパァァッと明るくなった。
「おぉ! ありがとうございます、太郎様! 貴方様は本当に慈悲深い英雄だ!」
マルスは太郎の手をブンブンと振った。
「では、善は急げです! 馬車を用意しておりますので、直ちに王宮へ!」
「えっ、今から!? 心の準備が!」
「さぁさぁ、こちらへ!」
有無を言わさず連行される太郎。
リュックを背負ったまま、王家の紋章が入った豪華な馬車へと押し込まれる。
慌ててサリーとライザも乗り込んだ。
「行ってらっしゃーい! お土産期待してるぞー!」
ヴォルフの能天気な声に見送られ、太郎たちはデルン王国の心臓部――王宮へと向かうことになったのだった。




