EP 31
黄金の香り、カレーライス伝説の始まり
グリフィン討伐から数日。
A級冒険者となり、懐も温かくなった太郎たち。しかし、太郎の心にはある一つの「飢え」が燻っていた。
(……食べたい)
異世界のシチューや硬いパンも美味しい。だが、日本人のDNAに刻み込まれたあのスパイスの刺激、そしてふっくらとした白米の甘み。
(……カレーライスが、食べたいッ!!)
一度そう思ってしまうと、もう止まらなかった。口の中が完全にカレーの口になってしまったのだ。
太郎は居ても立っても居られず、宿泊している『銀の月亭』の厨房へと直談判に向かった。
「おばちゃん! お願いがあるんだ! 厨房を貸して欲しい!」
「あん? 厨房を? うちは素人には貸さないよ……と言いたいところだけど、村を救った英雄さんの頼みじゃ断れないねぇ。昼の仕込みまでの間ならいいよ」
女将さんは渋々ながらも許可をくれた。
厨房に立った太郎は、手早く準備を始めた。
ウィンドウを開き、『食品・生鮮』カテゴリから必要なものを次々と取り出す。
【 無洗米(コシヒカリ・5kg):2000P 】
【 カレールー(中辛・10皿分):200P 】
【 真空パック野菜セット(じゃがいも・人参・玉ねぎ):300P 】
【 高級豚バラ肉ブロック:500P 】
「カ……レーライス? って何ですか?」
興味津々でついてきたサリーが、不思議そうに野菜を眺める。
「滅茶苦茶美味しい食べ物さ。僕の故郷の国民食と言ってもいい。まぁ見ててよ」
太郎はまず、土鍋を使って米を炊き始めた。
この世界にも米はあるが、パサパサした長粒種がほとんどだ。太郎が出したのは、粘りと甘みのあるジャポニカ米。
研いだ米を水に浸し、火にかける。
その間に、具材を一口大に切り、鍋で炒める。
ジュワァァァ……!
豚肉の脂が溶け出し、野菜の甘い香りが立つ。
水を入れ、煮込むこと20分。具材が柔らかくなったところで火を止め、例の「茶色い塊」を投入する。
「えっ、泥……?」
サリーが引いたような声を出すが、太郎はニヤリと笑ってかき混ぜた。
とろみがつき、再び弱火で煮込み始めた、その時だった。
ブワァァァン!!
強烈なスパイスの香りが、爆発的に厨房内に広がった。
クミン、コリアンダー、ターメリック、カルダモン……。複雑に絡み合った香辛料の刺激臭は、この世界の料理には存在しない「魔性の香り」だ。
「な、何これぇ!? 鼻がピリピリするけど……すっごく良い匂い! お腹が勝手に鳴っちゃう!」
「これがカレーの匂いさ」
同時に、土鍋からも湯気が上がり、炊きたてのご飯の甘い香りが漂う。
「よし、完成だ!」
太郎は皿にご飯をよそい、その横にたっぷりとカレーをかけた。
白と茶色のコントラスト。湯気と共に立ち上る黄金の香り。
「では、頂きます!」
「い、いただきます!」
食堂のテーブルに並べ、スプーンを持って構える三人。
サリーとライザは、恐る恐る一口目を口に運んだ。
パクッ。
「…………!!」
二人の目がカッ! と見開かれた。
「んん~~っ!! 美味しすぎるぅぅ!!」
サリーが頬を押さえて悶絶する。
「辛い! 辛いけど……甘い!? 野菜とお肉の旨味が濃厚で、この『白いお米』のモチモチした食感と合わさると……飲み込んだ後またすぐ食べたくなる!」
「本当に美味しい! 信じられませんわ……!」
ライザもスプーンを動かす手が止まらない。
「口の中が熱いのに、スプーンが止まらない! この刺激、身体中の細胞が活性化するような……まるで食べる魔法薬です!」
「う~ん、この味だよ……。やっぱりカレーは最高だ」
太郎も久しぶりの味に涙ぐみながら、自分の分をかき込んだ。
日本の国民食は、異世界の住人の舌をも一撃で陥落させたのだ。
その時だった。
「おい! なんだこの匂いは!!」
「たまらん! 腹が減って死にそうだ!」
ドヤドヤと、宿屋の二階から宿泊客や、匂いに釣られた外の通行人たちが食堂に入ってきた。
彼らの目は血走り、鼻をヒクヒクさせている。
「あぁ、え~っと……匂いが漏れちゃいましたね。いっぱい作ったんで、良かったらどうぞ」
太郎が大鍋を指差すと、客たちは猛獣のように群がった。
女将さんが急いで皿を用意し、次々とカレーが振る舞われる。
「うめぇぇぇぇ!!」
「辛ぇ! でも止まらねぇ!」
「何だよこの旨さは! 酒だ! エールを持ってこい!」
食堂は阿鼻叫喚、いや、歓喜の渦に包まれた。
汗をかきながらカレーを貪る冒険者たち。
お代わりを要求する商人。
レシピを聞き出そうとする女将さん。
たった一杯の料理が、アルクスの人々の胃袋を鷲掴みにした瞬間だった。
後に「アルクスの名物」として語り継がれることになる『タロウ・カレー』の伝説は、こうして幕を開けたのである。




