EP 4
王の渇望と、黄金の丼
【タロウ城・執務室】
とある日の午後。
書類仕事の手を止め、太郎は窓の外を見つめながら、魂の底から湧き上がる衝動に震えていた。
(ああ……牛丼が食べたい……!)
それは、高級フレンチでも、ドラゴンのステーキでも満たせない渇望。
(特に、あの、駅前とかによくある某チェーン店の……甘辛いタレが染み込んだ薄切り肉と、クタッとなった玉ねぎ……それを白米と一緒にかき込む、あの味が……!)
一度想像してしまうと、もう止まらない。口の中が完全に「牛丼の口」になってしまった。
太郎は羽ペンを放り投げ、猛ダッシュで部屋を飛び出した。
「サクヤーーッ!! どこだーーッ!!」
【城・厨房】
「サクヤ! 緊急要請だ! 『牛丼』を作ってくれ!」
厨房に飛び込んできた太郎の形相に、サクヤは目を丸くした。
「ぎゅうどん……でございますか? それは、どのようなお料理なのでしょう? 新たな魔獣の料理法ですか?」
「いや、違う! これはな、人類が……いや、日本のサラリーマンがこよなく愛する、最高に美味しくて、最高に元気が出る食べ物だ! 作り方は、これだ!」
太郎はスキル『100円ショップ』を発動。
空間の裂け目から、一冊の古びた本を取り出した。
『これで完璧! 男のどんぶり飯・ベスト100(中古・105円)』
「なるほど……」
サクヤはレシピに目を通し、真剣な眼差しになった。
「醤油、砂糖、みりん、そして出汁……。シンプルでありながら、素材の旨味と調和が重要となる、実に奥深い料理のようですわね」
彼女はニッコリと微笑んだ。
「……かしこまりました、太郎様。わたくしの技術で、最高の『ぎゅうどん』を再現してみせますわ」
調理が始まった。
サクヤは、太郎国特産の「オークキングの霜降りバラ肉」を極薄にスライスし、大鍋に秘伝のタレを合わせる。
グツグツグツ……
醤油の焦げる香ばしさと、砂糖の甘い香り、そして肉の脂が溶け出す匂いが、換気扇を超えて城中に拡散された。
その破壊力は、広範囲魔法に匹敵した。
「くんくんくん……! なにこれなにこれ!?」
ドバンッ!!
厨房のドアが蹴破られた。
「めっちゃくちゃいい匂いするんですけどーーーっ!!」
銀髪を振り乱し、元・狼王フェリルが飛び込んできた。その瞳は野生に返り、口の端からはヨダレが垂れている。
「お、落ち着け! フェリル! 気持ちは痛いほど分かるが、ハウス! ハウスだ!」
太郎が必死に制止する。
「だってご主人! この匂い、暴力だよ! 抗えないよ!」
さらに、足音は一つではなかった。
「ほう……。今日はまた一段と、食欲をそそる香ばしい匂いがするではないか」
竜王デュークが、すました顔で現れる(が、歩く速度が普段の倍速だ)。
「わぁ! 甘くていい匂い~! お勉強してたらお腹すいちゃいました!」
「あらあら、これは……抗えませんわね」
サリーとライザも吸い寄せられてくる。
「まあ、お肉と玉ねぎ……栄養もありそうですわ」
ヒブネも槍の手入れを放り出してやってきた。
「パパ! いいにおーい!」
「月丸、食べたい!」
子供たちも大集合だ。
「はぁ……。結局こうなるのか。サクヤ、全員分いけるか?」
「ふふ、予想しておりましたので、大寸胴でご用意しておりますわ」
サクヤは手際よく、炊きたての白米を丼によそい、その上にたっぷりと、黄金色に輝く具材を盛り付けた。
最後に煮汁を適量かける。いわゆる「つゆだく」だ。
「お待たせいたしました。『特製・極上牛丼』です」
ドンッ! とテーブルに並ぶ丼の山。
全員が席につき、手を合わせた。
「「「「「いただきます!!!!!」」」」」
全員が一斉に牛丼をかき込む。
ガツガツッ! ハフハフッ!
その直後、城内に感動の絶叫が響き渡った。
「美味しいぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーっっ!!!!!」
フェリルが天井に向かって遠吠えした。
「最高だ! 何これ!? この甘辛いタレと、とろけるような柔らかい牛肉! そしてタレが染みたご飯の組み合わせ! 無限に食べられる! おかわり! いや、寸胴ごとちょうだい!」
「お肉が……口の中で解けますわ! 噛む必要がありません!」
サリーが頬を抑えて恍惚の表情を浮かべる。
「あむあむ……パパ、美味しいね!」
「月丸、これ好きー!」
子供たちの口の周りは、すでにタレでテカテカだ。
フェリルはもはや犬食い状態で、一杯目を数秒で平らげている。
太郎も一口食べた。
(……っ!!)
「うん! 美味しい! さすがはサクヤだ! 高級な肉を使ってるのに、ちゃんと『あのジャンクで懐かしい味』がする! 僕が求めていた味、そのものだよ!」
「ありがとうございます、太郎様。お口に合ったようで、何よりですわ」
サクヤも嬉しそうに、自分の分を上品に一口食べる。
全員が夢中で食べているのを見て、太郎はニヤリと笑った。
「ふふふ……皆、驚くのはまだ早いぞ」
太郎は箸を置いた。
「実は、この牛丼を、さらに……さらに美味しくする、魔法のアイテムがあるんだな!」
「なんだと!?」
デュークが顔を上げた。
「これ以上美味くなるというのか? 嘘を申すな主よ」
「ふっふっふ。これだ!」
太郎は再びスキルを発動。
『紅生姜(お徳用パック・1kg)』
「べに……しょうが?」
皆が首をかしげる中、太郎は鮮やかな紅色の細切りを、茶色い牛丼の上にたっぷりと乗せた。
茶色一色の世界に、紅色の華が咲く。
太郎は、肉で紅生姜とご飯を巻くようにして持ち上げ、口へと運んだ。
カリッ。ジュワッ。
「んーーーーーっ! 最高だ!!」
太郎が悶絶する。
「この、肉の脂っぽさをリセットしてくれる、生姜の酸味と辛味! そしてシャキシャキとした食感のアクセント! これがあるからこそ、次のひと口が欲しくなるんだ!」
太郎の熱弁に、皆の視線が紅生姜のパックに釘付けになる。
「……ごくり」
「わ、私にも、それを!」
ヒブネが身を乗り出した。
「我にも寄越せ、主よ! 毒見は貴様が済ませたからな!」
デュークが皿を突き出す。
太郎は皆の丼に、山盛りの紅生姜を取り分けた。
そして、第二ラウンド開始。
「「「「「美味しいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!!!!!」」」」」
今度は先程より大きな歓声が上がった。
「美味しい! 甘いタレに、この酸っぱさが絶妙ですわ!」
サリーが目を輝かせる。
「このアクセント! たまりませんわ! 味が引き締まります!」
ライザが猛スピードでかき込む。
「これは……危険だ。サッパリしてしまうせいで、満腹中枢が麻痺する。何杯でもいけてしまうな……」
デュークが恐怖しながら三杯目に手を伸ばす。
「紅生姜マシマシでー!!」
フェリルに至っては、牛丼を食べているのか紅生姜を食べているのか分からない状態だ。
その日、タロウ城の米備蓄が一気に底をついた。
そして翌日から、城下町の食堂という食堂に「GYUDON」という新メニューが登場し、付け合せの「赤い漬物」と共に、国中で爆発的なブームを巻き起こすことになるのであった。




