EP 24
エルフの料理人が、鍋に込める魔法
城の朝は、今日も今日とて騒がしかった。
「旦那様ぁ! 今日の私のドレス、何点ですか!? 100点ですよね!?」
「太郎様、ネクタイが曲がっていますわ。私が直して差し上げます(と言いつつ抱きつく)」
「太郎様! 朝稽古のついでに、プロテイン入りの特製スムージーを作りました! 一気飲みしてください!」
フレア、サリー、ライザの三人が、太郎を取り囲んで愛の波状攻撃を仕掛けている。
その横で、竜王デュークと狼王フェリルが「目玉焼きには醤油かソースか」で取っ組み合いの喧嘩を始めていた。
「はぁ……いつもの風景だなぁ」
太郎は遠い目をしながら、嵐が過ぎ去るのを待っていた。
そんな喧騒をよそに、一人の影が静かに勝手口から抜け出した。
完璧超人メイド、サクヤである。
「皆様がお元気な間に、夕食の買い出しを済ませてしまいましょう」
彼女は買い物かごを手に、軽やかな足取りで城下町へと向かった。
城下町は活気に満ちていた。
サクヤは厳しい目利きで野菜や肉を選んでいく。彼女が歩くと、八百屋の親父も魚屋の店主も背筋を伸ばす。彼女は市場でも一目置かれる存在なのだ。
買い物をあらかた終えた帰り道。
路地裏から、すすり泣く声が聞こえた。
「うっ、うっ……」
サクヤが足を止めると、建物の陰で一人の少女が膝を抱えて泣いていた。服は薄汚れており、ひどく痩せている。
「お嬢さん。どうなさいましたの?」
サクヤが目線の高さを合わせてしゃがみ込み、優しく声をかける。
少女はビクッとして顔を上げたが、サクヤの慈愛に満ちた碧眼を見て、少しだけ安心したように口を開いた。
「えっと……お母さんが、病気で寝込んでて……。お仕事に行けないから、ご飯がなくて……お腹空いたよぉ……」
「まぁ……」
サクヤの表情が曇る。
この国は太郎の統治で豊かになったとはいえ、全ての家庭に手が届いているわけではない。
彼女は迷わず、少女の手を取った。
「大変でしたね。少し、お家にお邪魔してもよろしいかしら?」
少女に案内された家は、隙間風が吹く小さなあばら家だった。
部屋の奥のベッドには、痩せ細った母親が力なく横たわっていた。
「ゴホッ、ゴホッ……。す、すみません……何のお構いも出来ませんで……」
「いえ、お気になさらないで。私が勝手に押し掛けたのですから」
サクヤは母親に布団をかけ直すと、すぐに袖をまくった。
「キッチンをお借りしますね」
サクヤは買ってきたばかりの新鮮な野菜と牛乳、そして太郎から預かっている『100円ショップスキル』のアイテム(コンソメやバター)を取り出した。
「お嬢ちゃん。名前は?」
「……ミナ」
「良いお名前ですね。ミナちゃん、一緒にシチューを作ってみましょうか」
「うん!」
サクヤはミナに包丁を持たせ、手を添えながら野菜の切り方を教えた。
「そうです。猫の手にして、ゆっくりと……。野菜はね、優しく切ると美味しくなるんですよ」
「こう?」
「えぇ、とても上手ですわ」
鍋の中でバターと小麦粉を炒め、牛乳でのばしていく。
コトコトと煮込む音と共に、家の中に温かく甘い香りが満ちていく。
それは、凍えた心を溶かすような「幸せの匂い」だった。
鍋をかき混ぜながら、ミナがふと尋ねた。
「お姉ちゃんは、どうして料理人になったの? 魔法もすごく上手そうなのに」
サクヤは鍋の中を見つめながら、懐かしそうに目を細めた。
「……そうですね……」
彼女は静かに語り始めた。
「わたくしたちエルフは、元々、森の恵みに感謝し、あまり手を加えず、素材そのものの味をいただく……木の実や草をそのまま食べるような、質素な食事で満足する種族でした」
エルフにとって食事とは、生命維持のための摂取に過ぎなかった。
「でも、わたくしは若い頃に少しだけ、森を出て人間の街で暮らす機会があったのです。そこで見た光景に、衝撃を受けました」
硬い肉を煮込んで柔らかくし、苦い野菜を工夫して甘くする。
火を使い、調味料を使い、知恵を使う。
「そこで初めて、『料理』というものが持つ、素晴らしい力を知ったのですわ。ただの食材が、人の手によって、心を温める『魔法』に変わる瞬間を」
サクヤはミナを見て、優しく微笑んだ。
「丁寧に真心を込めた料理は、人を笑顔にします。疲れた体を癒やし、明日を生きる活力を与えてくれる。……だから、わたくしは剣を置くよりも、包丁を握ることを選んだのかもしれませんね」
「へぇ~……。料理って、すごいんだね」
ミナの目がキラキラと輝く。
「えぇ。さぁ、美味しくな~れ……」
出来上がったシチューは、白く輝いていた。
テーブルに並べると、湯気だけでお腹が鳴りそうだ。
「わぁ! いただきます!」
ミナが一口食べる。
「ん~っ!! 美味しい! すごく温かいよ!」
少女の顔に、花が咲いたような笑顔が戻った。
サクヤは、体を起こした母親の口にも、スプーンでシチューを運んだ。
「……っ……」
母親の目から涙がこぼれた。
「美味しいです……。体が、中からポカポカして……力が湧いてくるようです……。本当に、ありがとうございます……」
「いえいえ。たくさん食べて、早く元気になってくださいね」
鍋いっぱいのシチューと、残りの食材を置いて、サクヤは家を後にした。
「またね! ありがとう! お姉ちゃん!」
ミナが家の前でいつまでも手を振っていた。
その笑顔は、どんな宝石よりも輝いて見えた。
夕暮れ時。サクヤは城に戻った。
城内では、まだ花嫁バトルの余韻(という名の残骸)が残っていたが、不思議と騒がしさは感じなかった。
キッチンに入ると、つまみ食いを探していた太郎と鉢合わせた。
「あ、おかえりサクヤ。……あれ?」
太郎はサクヤの顔を覗き込んだ。
「何か良い事でもあったのかい? なんだか、すごく優しい顔をしてるというか……にっこりしてる」
普段の「完璧な微笑み」とは違う、もっと自然で、内側から発光するような柔らかい表情だった。
サクヤは自分の頬に手を当て、ふふっと笑った。
「いえ……ただ、料理の素晴らしさを、再確認できただけですわ」
彼女はエプロンの紐をキュッと締め直した。
その背中からは、いつにも増して気合と愛情オーラが立ち上っている。
「さて! ご飯を作りますね! 今日は……何時もより、もっともっと美味しく作れそうな気がします」
「おぉ! それは楽しみだ! 手伝うよ!」
「ふふ、お願いしますね、私の『戦友』さん」
その夜の夕食は、太郎たち全員が言葉を失うほど絶品だった。
一口食べるたびに心が洗われるようなその味に、喧嘩をしていたフレアやデュークたちも、いつしか穏やかな笑顔になり、静かで幸せな食卓を囲むのであった。




