EP 22
愛の重さと、死骸の山
朝日が差し込むダイニングルーム。
普段ならコーヒーの香りと共に優雅な時間が流れるはずのその場所は、今朝に限っては戦場と化していた。
昨日の「ラーメン屋での敗北」が、彼女たちの導火線に火をつけてしまったのだ。
「旦那様ぁ♡ あ~ん、してくださいませ♡」
フレアがフォークを突き出す。そこにはドレッシングでドロドロになった野菜の塊が刺さっていた。
「ほら、私が愛情込めて作った特製シーザーサラダですわ! 栄養満点、愛も満点! さぁ口を開けて!」
「い、いやフレア、ちょっと量が多くないかな……?」
「愛の重さですわ♡ 残したらお仕置き(ディープキス)ですわよ?」
逃げ場を失う太郎の左腕を、今度はサリーがガッチリとホールドする。
「太郎様! そのような大雑把な料理より、こちらを! お肉を一口サイズに切って差し上げましたわ!」
サリーの皿には、もはやミンチに近い状態まで細切れにされたステーキが乗っていた。
「消化に良いように、魔導制御のナイフで繊維一本一本まで断ち切っておきました! これなら顎も疲れません!」
「いや、サリー? これはもう離乳食……」
「さぁ、私の愛を咀嚼してください!」
さらに右側から、不穏な破壊音が響く。
ベキョッ!! グシャァァァッ!!
「何の! 小手先の技術など不要!」
ライザが両手に新鮮なオレンジを握りしめ、握力だけで粉砕していた。
果汁と共に、皮の油も、種も、実も、全てが混ざり合った液体がグラスに滴り落ちる。
「私の手で直接搾り出した、100%フレッシュなオレンジジュースです! さぁ、飲み干して私の『パワー』を取り込んでください!」
「ライザ!? それ皮の苦味とか凄そうだけど!?」
三方向からの波状攻撃。
太郎は椅子の上で縮こまりながら、助けを求めるように視線を彷徨わせた。
「う、うん……皆……自分のペースで食べられるから……あはは……」
しかし、その声は彼女たちの愛の暴走にかき消される。
そして、そんなカオスな食卓の端で、もう一つの火種が燻っていた。
ガツガツガツッ!
行儀悪く骨付き肉にかぶりつく狼王フェリルを、竜王デュークが冷ややかな目で見下ろしていた。
「……おい、フェリル」
「んぐ? なに、デューク?」
「貴様、毎日毎日……食って寝て、食って寝て。世界の管理者たる自覚はあるのか? 最早ただの駄犬だな」
デュークが鼻で笑う。
その言葉に、フェリルのこめかみに青筋が浮かんだ。
「なんだと!? お前こそ、最近ラーメンばっかり食ってるじゃないか!」
「なっ……!」
「見ろよその腹! 絶対太ったぞ! 『竜王』じゃなくて『豚王』なんじゃないの!?」
フェリルの指摘に、デュークの顔色がさっと変わる。
彼は慌てて自分の腹部――ローブの上からでも分かる、若干の膨らみ――をさすった。
(ば、バカな……。スープまで完飲っているのが原因か……!? いや、これは筋肉だ、筋肉に違いない!)
認めたくない現実を指摘され、デュークは逆ギレした。
「だ、誰が太るか! この無礼者が! 貴様のような駄犬と一緒にするな!」
「あー! 図星だ! 顔が赤いぞ!」
「ええい、五月蝿い! よぉし、貴様と決着をつけてやる! 表に出ろ!」
デュークが椅子を蹴倒して立ち上がる。
「上等だ! どっちがデカイ獲物を狩ってくるか、狩猟勝負だ!」
「望むところだ! 我の力を見せつけてくれるわ!」
ドカカカカッ!!
二柱の最強種は、窓を突き破らんばかりの勢いで外へと飛び出していった。
しかし、太郎はそのことに気づかない。
目の前で繰り広げられる「あ~ん」の強要と、握り潰されたオレンジジュースの処理で手一杯だったからだ。
「ほらほら旦那様! 口を開けて!」
「太郎様、お肉を! お肉を!」
「ジュースを一気飲みです! 精がつきますぞ!」
「ちょ、まっ、待ってぇぇ!」
それから数分後。
ズドォォォォォン!!
城全体が揺れるような地響きがした。
「きゃっ!?」
「地震!?」
ヒロインたちが動きを止める。
続いて、また地響き。
ズズゥゥゥン!!
「た、太郎様ぁぁぁぁ!!!」
ダイニングルームに、顔面蒼白の宰相マルスが飛び込んできた。
「た、大変です! 中庭が! 中庭があぁぁ!!」
「えっ、マルスさん? どうしたの?」
太郎がようやくフォークから解放され、マルスが指差す窓の外を見る。
そして、絶句した。
「な……!?」
窓の外、手入れの行き届いた中庭に、山ができていた。
それも、ただの山ではない。
全長10メートルを超える「ベヘモット」。
空の支配者「ワイバーン」。
深森の主「キラーベア」。
本来なら国が軍隊を動かすレベルのSランク、Aランク魔獣の死骸が、雨あられのように空から降ってきているのだ。
ドォォン!
(『どうだ! これが我の力よ!』)
空からデュークの声が響く。
バシュッ!
(『僕だって負けないもんね!』)
フェリルの遠吠えと共に、巨大な大蛇が追加で降ってくる。
「えぇぇぇぇぇ!? 魔獣たちが!? 何これ、空襲!?」
太郎が悲鳴を上げる。
中庭の美しい花壇はすでに圧死し、城壁の一部にはヒビが入っている。
このままだと城が死骸で埋まってしまう。
「こらぁぁぁ! デューク! フェリル! 止めろぉぉぉ!!」
太郎が窓に駆け寄ろうとする。
だが、その腰に三人の女性がしがみついた。
「旦那様ぁ! よそ見しちゃ嫌ですわ!」
「太郎様! あの程度の魔獣、放っておけば良いのです!」
「そうです! 今はこのオレンジジュースを飲むのが先決です!」
彼女たちの目には、外の惨状など映っていない。
映っているのは太郎のみ。
周りが見えなくなるほど視野が狭くなっているのだ。
「い、いや、放っておけないでしょ!? 城が壊れる! マルスの胃に穴が開く!」
「私と城、どっちが大事なんですの!?」
「そりゃ今は城だよ!!」
「ひどいぃぃぃ!」
ズガァァァン!!
新たに「ギガントトータス(巨大亀)」が落下し、噴水が粉砕された。
「あぁぁぁ……僕の憩いの噴水がぁぁぁ……」
外では最強種の狩り競争による死体の山。
内では暴走する愛妻たちによる拘束。
そして、キッチンの奥では……。
「あらあら。皆様元気ですわね。今日の夕食はジビエ料理にしましょうか」
サクヤだけが、全く動じることなく優雅にお茶を啜っていた。
「も、もう勘弁してくれぇぇぇ!!」
太郎の魂の叫びは、魔獣の断末魔と妻たちの愛の囁きにかき消され、虚しく城内に響き渡るのであった。




