EP 13
宿屋の夜と、シャンプーの革命
アルクスでの長い一日が終わり、太郎たちは『銀の月亭』という中級宿屋に部屋をとった。
予算を抑えるため、そして護衛という観点から、三人は同じ部屋に泊まることになった。
部屋に入ると、そこにはベッドが二つと、簡易的なソファがあるだけのシンプルな空間が広がっていた。
「…………」
沈黙。
年頃の男女が一つ屋根の下、それも狭い個室に三人。
ポポロ村ではサトウ家が広かったため気にならなかったが、こうして宿屋の密室にいると、急に意識してしまうものがある。
サリー 「えっと……そうだ! 何か飲み物を買ってこようかな! 下の酒場に行って!」
この微妙な空気に耐えられなくなったのか、サリーが唐突に立ち上がった。顔が少し赤い。
ライザ 「サリー、必要ないわ。明日は早朝からクエストよ。裏の井戸で水浴びをしたら、すぐに寝ましょう」
ライザが冷静に諌める。さすがは騎士、規律正しい。
サリー 「そ、そうね……。汗もかいたしね」
太郎 「じゃあ、僕が先に浴びてくるよ。男の方が早いし」
太郎は気まずさを誤魔化すように、タオルを持って部屋を出た。
宿屋の裏手にある井戸端。
夜風が涼しい。周囲には誰もいない。
太郎は桶に水を汲み上げると、ウィンドウを開いた。
「この世界、石鹸はあるけどゴワゴワするし、髪がきしむんだよな……」
彼が取り出したのは、『トラベル用・お風呂セット(シャンプー・コンディショナー・ボディソープ)』だ。
100円ショップでよく見かける、小さなプラスチック容器に入った3点セットである。
「よし」
ザバァッ!
頭から冷たい水を被る。
シャンプーを手に取り、泡立てる。
「うぅ……やっぱりこの世界には『お風呂』はないのか? あったとしても貴族の贅沢品か……」
日本人の太郎にとって、湯船に浸かれないのは辛いところだ。
だが、久しぶりのキメ細かい泡の感触と、化学的だが心地よいフローラルの香りに、太郎は少しだけ癒やされた。
身体を洗い、タオルで拭いて服を着る。
髪は濡れたままだが、サッパリした気分で部屋へと戻った。
ガチャ。
太郎 「ただいま。空いたよ」
部屋に入ると、ベッドに座っていた二人の視線が一斉に太郎に向けられた。
クンクン。
サリーが鼻をひくつかせた。
サリー 「……! 太郎さんから、すごく良い香りがする!」
ライザ 「本当ですわ……。お花畑のような、でももっと上品な……」
汗と土埃の匂いが当たり前の冒険者において、太郎が放つ清潔な香りは異質であり、強烈な魅力だった。
二人は吸い寄せられるように太郎に近づいた。
ライザ 「それに、髪が……」
ライザが思わず太郎の濡れた髪に触れる。
ライザ 「サラサラですわ。ゴワつきが全くありません」
兜を被る機会の多いライザにとって、髪の痛みは悩みの種だ。この世界の粗悪な石鹸では、どうしても髪が箒のようになってしまうのだが、太郎の髪は指通りが滑らかだった。
太郎 「あぁ、これを使ったからかな。良かったら、二人も使う?」
太郎は手に持っていたトラベルセットを差し出した。
「これがシャンプーで髪を洗うやつ、こっちが身体を洗うボディソープ。で、最後にこのコンディショナーを髪に馴染ませて流すと、サラサラになるんだ」
サリー 「えっ!? い、いいの!?」
サリーが目を輝かせて食いついた。
太郎 「もちろん。消耗品だし、気にせず使って」
ライザ 「……お言葉に甘えさせて頂きますわ」
ライザもまた、抗いがたい誘惑に頬を紅潮させて頷いた。
美容と清潔さは、乙女にとって戦いよりも重要な事項かもしれない。
「行きましょう、サリー!」
「うん! 借りるね、太郎さん!」
二人はトラベルセットを宝物のように抱きかかえると、鼻歌交じりのルンルン気分で部屋を飛び出していった。
「ふふっ♪ 楽しみ~!」
「背中の流しっこをしましょうか!」
廊下から楽しそうな声が遠ざかっていく。
部屋に残された太郎は、ふっと息を吐いてベッドに腰掛けた。
「100均のシャンプーで、あんなに喜んでもらえるとはなぁ……」
異世界の文化レベルの差を改めて感じつつ、太郎は二人が戻ってくるまでの間、明日のクエストに備えてウィンドウの中の商品リストを眺めるのだった。




