EP 27
太公望とサウナ、そして月下の覇道論
「行ってまいりますわ、太郎様」
「必ずや『竜殺しの魔剣』を使いこなしてみせます」
「私は『究極魔法』を極めてきます!」
そう言い残し、ライザとサリーは修行の旅へと出て行った。
城に残されたのは、国王太郎と、居候の竜王デューク。
妻たちの不在は寂しいが、同時に訪れたのは、男だけの気兼ねない時間だった。
「さて、デューク。今日は何をしようか」
「うむ。腹が減ったな」
「その前に、食材調達だ」
二人がやってきたのは、王都から少し離れた静かな湖畔。
太郎は100円ショップの**『釣り具セット(初心者用)』**を取り出し、糸を垂らしていた。
湖面は穏やかで、鳥のさえずりだけが聞こえる。
「…………」
「…………」
一時間が経過した。浮きはピクリとも動かない。
デュークが欠伸を噛み殺し、不満げに口を開いた。
「主よ。何故こんな事をするんだ? まどろっこしい」
デュークは湖面を睨みつけた。
「我に任せれば、ブレスで湖水を蒸発させ、湖の魚を全て干物にして取ってくるのに」
「バカ言わないでよ。それじゃ生態系が壊滅しちゃうだろ」
太郎は苦笑しながら、リールを少し巻いた。
「いいかい、デューク。釣りっていうのはな、魚を釣るだけが目的じゃ無いんだ」
「では何が目的だ?」
「『時間』を楽しむんだよ。何も考えず、自然の中で糸を垂らし、魚との駆け引きを待つ。このゆったりとした『無駄』こそが、最高の贅沢なのさ。魚はオマケさ」
「時間を楽しむ、か……。人間とは、我ら長命種よりも遥かに短い生を生きるくせに、妙なところで悠長な生き物だな」
デュークは呆れたように言ったが、不思議と悪い気はしなかった。
彼は太郎の真似をして、じっと湖面を見つめた。
しばらくして、二人は小さなワカサギを数匹釣り上げただけだったが、その顔は晴れやかだった。
釣りの帰り道。
西の空が茜色に染まり始めていた。
「主よ。またアレに行きたい」
「ん? アレって?」
「蒸し風呂だ」
「あぁ、良いぞ。行こうか」
二人は城下町の「極楽湯」へと足を運んだ。
すっかり常連となった竜王は、慣れた手付きで体を洗い、サウナ室の最上段に陣取った。
「ぬぉぉぉぉ……。この熱気、染みるわ……」
「ああ……溜まらないな」
じっとりと汗をかき、冷水浴で体を締め、外気浴で風に当たる。
二人のオッサン(片方は竜)は、並んでベンチに座り、放心状態で空を見上げていた。
風呂上がり。
腰に手を当て、瓶入りのフルーツ牛乳を一気飲みする。
「プハァッ! 旨いな!」
「これが良いんだ。労働(釣り)の後の牛乳は」
帰り道、二人は城へと続く長い坂道を歩いていた。
空は紫色とオレンジ色が混ざり合う、美しいマジックアワーを迎えていた。
デュークが足を止め、沈みゆく太陽を見つめた。
「……主よ。我は何万年と生きて来たが、夕日がこんなに綺麗だとは知らなかったぞ」
空を飛び、地上を見下ろすことしかしてこなかった竜王。
誰かと並んで、地上から見上げる空がこれほど美しいとは。
「そうか。……また見に来ような」
太郎の言葉に、デュークは無言で頷いた。
その夜。
城のバルコニーで、月を見ながらの酒盛りが始まった。
太郎が出した『特級純米酒』と、昼間釣ったワカサギの唐揚げをつまみに、二人は盃を交わした。
心地よい夜風が吹く中、デュークが真剣な眼差しで太郎を見た。
「主よ。一つ聞きたい」
「ん? 何だい?」
「貴様は、この世界をどうしたいのだ?」
デュークは月を指差した。
「貴様には力がある。我という最強の矛(竜王)も手に入れた。その気になれば、世界を思うままに出来るぞ。周辺諸国を蹴散らし、全大陸を制圧して覇王になるか? それも面白い」
竜王らしい、力こそ正義の提案。
しかし、太郎はきょとんとして、すぐに笑って首を横に振った。
「そんな事は思った事も無いよ」
「……何?」
「世界征服なんて面倒くさいし、管理も大変だ。僕はただ……」
太郎は酒を一口含み、夜景が広がる城下町を見下ろした。
「皆が朝起きて、『今日も頑張るか』って仕事に行って。がむしゃらに働いて。終わった後に『あー疲れた!』って笑い合って。……こうやって月でも見ながら、美味しいご飯とお酒を飲めれば、それで良いと思ってる」
「…………」
「それが一番難しいんだけどね。でも、僕はその『当たり前の幸せ』を守るために、王様をやってるんだと思うよ」
戦いも、支配もいらない。ただ、今日という日を無事に終え、旨い酒を飲む。
それが、元社畜・佐藤太郎の辿り着いた境地だった。
デュークは呆れたように、しかしどこか嬉しそうにフンと鼻を鳴らした。
「……野望の無い奴だ。つまらん」
デュークは盃を差し出した。
「だが……貴様と飲む酒は旨い」
「そうか。なら、もう一杯どうだい?」
「貰おう」
月光が二人を照らす。
覇道を捨てた王と、孤独を捨てた竜王。
種族を超えた奇妙な友情は、この静かな夜に確かなものとなった。
二人の笑い声が、夜空に吸い込まれていった。




