村の子ども ―― 泥だらけの手が、彼女の心を洗う
村へ向かう道は、思っていた以上に静かだった。
街を出てしばらくは、踏み固められた石畳が続いていたものの、やがてそれも途切れ、靴底の下には雪解けの泥と、まだ陽の当たらぬ薄氷が交互に現れ始める。空は一面の雲に覆われ、太陽の位置さえ曖昧だ。
吐く息が白い。
肩をすくめながら歩く子どもたちの列を見送り、院長は小さく息をついた。
「……あの兄妹は、もともと近くの村の子どもでした」
孤児院の玄関先で、彼女はそう打ち明けたのだ。
幼い妹の手をぎゅっと握っていた兄の顔が、脳裏に浮かぶ。雪の街に来たばかりの、不安そうで、それでもどこか諦めたような瞳。
「村のほうの様子も、本当は見に行きたいのですが……冬場はどうしても、こちらで手が足りなくなってしまって」
その言葉に、わたくしは思わず口を開いていた。
「もしよろしければ――わたくしたちが、様子を見に行ってもよろしいでしょうか」
院長は一瞬、驚いたように目を瞬かせ、それからゆっくりと頷いた。
そうして今、わたくしは“リリア”として、ミラ、侍女、それから護衛騎士を一人連れ、街道を歩いている。さらに、案内役として、例の少年も渋々といった顔で同行してくれることになった。
「馬車じゃないんですねえ、公爵……じゃなかった、“リリアさん”」
前を歩きながら、ミラが振り返り、口元だけで笑う。
「この道を、馬車で通るには少し狭すぎますし、ぬかるみも多いと聞きましたもの。何より――」
わたくしは、泥に小さく滑りかけた足を立て直しながら、そっと続ける。
「ここを普段歩いておられる方々と、同じ高さで見てみたいのです」
言いながら、自分の言葉に少し照れる。格好をつけているようにも聞こえないだろうか、と。
しかし、ミラはからかうこともなく、肩をすくめた。
「まあ、実際、馬車で来たら途中でハマってましたよ、これ。護衛さんの肩が泣くところでした」
そう言って、足元のぬかるみを器用に避けていく。
視線を落とせば、道端の雪はすでに灰色に汚れ、ところどころに残る氷はひび割れている。その割れ目から、黒い泥が顔をのぞかせていた。
街を出てから、しばらく人影はない。時折、荷を積んだ小さな荷車が、軋む音を立ててすれ違っていくくらいだ。その荷台の上には、乾ききらない薪束や、わらを詰め込んだ粗末な布袋が見える。
(……わたくしは、この街の孤児院だけを見て)
靴底に伝わるぐしゃりとした感触を確かめるように、歩幅を少し狭める。
(そこで暮らす子どもたちの冬を、あれほど真剣に案じておきながら――)
ふと、薄い雲の切れ間から、冷たい光が差し込む。雪解け水が細い筋になって道の端を流れ、そこに映るわたくしの姿は、相変わらず旅装のマントに身を包んだ、“よそから来た人間”だ。
(“冬の全てを分かったつもり”になりかけていましたのね)
街の石造りの家々、煤けた屋根、孤児院の寒い寝室。
それらを見ただけで、ここで生きる人々の冬を理解した気になっていた。
けれど、今歩いているこの道は――そのさらに先へと続いている。
街から徒歩で一時間。荷馬車なら、もっと時間がかかるかもしれない。
配給の荷車が、雪深い日にも本当にここまで辿り着けているのかどうか、わたくしにはまだわからない。
「ねえ」
少し前を歩いていた少年が、不意に振り向いた。街で会ったときと同じ、どこか醒めた目をしている。
「村ってさ、街より寒いよ」
唐突な一言に、わたくしは瞬きをする。
「そうですの?」
「風が、街より止まらないから。隠れる家も少ないし。
だから、ここから先で迷ったら、すぐ冷えちゃう」
淡々と告げられた言葉は、経験から滲み出た事実に違いなかった。
ミラがその背中を見ながら、小さく笑う。
「案内役、頼りになりますね」
「別に……」
少年はそっぽを向くが、足取りは確かだ。ぬかるみや薄氷の気配を、身体で覚えているのだろう。
(冬は、この街だけで完結しているわけではありませんわ)
わたくしは、改めて周囲に目を凝らす。
遠く、白く煙る山の裾に、小さな影のようなものがぽつぽつと見える。
あれが、これから向かう村の家々なのだろうか。
(街より、さらに厳しい場所が――)
ひとつではない。ふたつでもない。
この国の地図の上には、わたくしの知らぬ冬が、いくつも、いくつも広がっているに違いない。
マントの前を握り直し、息を整える。
(“冬を案じる貴族令嬢”などと呼ばれていたわたくしが、
どれほど狭い範囲の冬しか知らなかったのか――)
その事実に、少しだけ頬が熱くなった。
けれど同時に、胸の奥には、別の熱も灯り始めていた。
(ならば、歩きましょう。
泥に靴を取られようとも、冷たい風に頬を打たれようとも――)
わたくしは、足元の泥を強く踏みしめる。
(わたくしが“自由でありたい”と願ったのなら。
その自由で、どこまでこの冬の先へ歩いていけるのかを、確かめてみるべきですわね)
曇り空の下、小さな一行は、街の外の冬へと、静かに踏み出していった。
ChatGPT:
小さな山裾の村は、遠目に見たときから、どこか息を潜めているように見えた。
近づくにつれ、その印象はますます強くなる。
低い石壁がところどころ崩れ、積み直した跡も粗いままだ。納屋の屋根は一部が抜け、そこから覗く梁には、古い雪解けの染みが黒く残っている。家々の周りに広がる畑は、雪混じりの泥に覆われ、生命の色といえば、枯れ残った茎がいくつか突き出ているだけだった。
村の入口を過ぎたとき、わたくしはふと足を止める。
(……静か、ですわね)
街の路地には、たとえ厳しい冬の日でも、どこかしらで子どもの笑い声がしていた。
雪玉を投げ合う声、店先で叱られる声。あの喧騒が、ここにはない。
耳に届くのは、風が屋根の隙間を抜ける音と、どこかの家の戸が軋む音だけ。
外にいるのは、薪を運ぶ大人や、腰を曲げた老人、そして年のいった子どもがちらほら見えるだけで、小さな子の姿はほとんど見当たらない。
横に並んだミラが、声を潜めて囁いた。
「……街のほうが、まだましですね」
その言葉には、誇張の気配はなかった。
「ここ、配給の馬車、あんまり来てない感じがします」
彼女の視線の先には、村の中央にあるであろう広場の空き地が見える。石を積んで作られた、粗末な水場。その横には、古い車輪の残骸が転がり、その周囲の雪は薄く、泥がむき出しになっていた。
やがて、一軒の家の戸が開いた。
杖をついた老人が、慎重な足取りで近づいてくる。その後ろから、働き盛りの女性も顔を出した。二人とも、院長から届いた手紙に目を通していたらしく、わたくしたちの訪問を「知らなかった」わけではないらしい。
「遠いところを……ようこそいらっしゃいました」
老人は丁寧に頭を下げたが、その声には、どこか疲れが滲んでいる。
礼儀は保たれている。けれど、歓迎の明るさとは、少し違う。
ミラが一歩下がり、わたくしが前へ出る。
「街でお世話になっております孤児院から、様子を伺いに参りました。
わたくしたちは、リリアと申します。こちらは――」
簡潔な自己紹介を終えると、老人と女性はお互いに目を見交わし、小さく息を吐いた。
「街の方には、お世話になっております。あの二人も……よくしてもらっていると、聞きました」
あの兄妹のことだろう。
その話題をきっかけに、ぽつりぽつりと、村の事情がこぼれ始める。
「本当は、ほかにも街へ出したい子はおりましてね。
でも、あそこまで行ける足がなかったり、家の仕事を手伝える子を、簡単には手放せなかったり……」
働き盛りの女性が、苦笑とも溜息ともつかない表情で続ける。
「配給も、冬支援も、“街の中心部”までしか来ないことが多くてね。
そこまで歩ける足があるかどうかで、生き延びられるかが変わっちまうんだよ」
その言葉に、胸の奥がきゅう、と音を立てた気がした。
(“配給の地図”に、ぎりぎりで入る街と――)
王都で見てきた地図を思い出す。
支援物資の配分表、配給ルート。そこに描かれていた線は、確かにこの地方都市まで伸びていた。
だが、その先にある、この村の名前は――地図の片隅に小さく記されていたとしても、“主要な配給先”として色がついていたわけではない。
(そこから、さらにこぼれ落ちてしまう村)
街まで歩ける者は、まだましなのかもしれない。
だが、歩く足を持たない子どもや、老人は。
家を空ければ日々の薪さえ集められない者は――。
わたくしの視線の先で、ひとりの年長の少年が、小さな子を背負って家の中へ戻っていく。
背負われていた子どもの頬は、ひどくやせ細り、その目には冬の色しか映っていないように見えた。
(わたくしが“冬を案じる視線”を向けるべき場所は――)
この村だけでもない。
この地方だけでもない。
王都の温かな室内で、暖炉の火を背に「冬の施策」を論じていた頃。
そこに載せていた数字は、どこまでを本当に見ていたのだろう。
(まだまだ、数えきれないほどあるのかもしれませんわ)
言葉を失いかけたわたくしの横で、ミラが小さく呟く。
「“街まで来られた子”が孤児院にいて……
ここには、“街まで来られなかった子”もいる、ってことですね」
ミラの言葉は、決して責めるものではない。
ただ、事実としてそこにある「段差」を、まっすぐに指差しただけだった。
老人が申し訳なさそうに笑う。
「こんなところまで来てもらっても、大したものはお見せできませんが……
せめて、今ここで起きていることくらいは、知って帰っていただければ」
わたくしは、深く一礼した。
「はい。
“街の冬”だけでなく――
ここで生きる方々の冬も、わたくしの目で確かめさせていただきたく存じます」
そう口にした瞬間、背筋に冷たい風が通り抜けた。
それはこの村の冬の気配であり、わたくしの中にまだ知らぬまま残っていた「世界の狭さ」を指摘するような、鋭い気配でもあった。
村はずれ、小さな川が細く蛇行している。
雪解けの水が、まだ冷たさを手放しきれないまま流れ、川岸の斜面はすっかりぬかるみに変わっていた。
踏みしめるたび、ぐちゅ、ぐちゅ、と靴の裏で泥が鳴る。
リリア――いまこの村でそう名乗っているわたくしは、足元を確かめながら、斜面の上から川辺を見下ろした。
薄い上着を身にまとった子どもたちが、数人。
小さな背中を丸めて川面を覗き込み、ときおり流れてくる木片や、どこかから流れついた板切れを拾い上げている。
「……燃やせそうなもの、探しているのですわね」
呟くと、隣のミラが腕を組んで頷いた。
「薪が足りないなら、こういう場所に来るしかないんでしょうね。
ただの遊びって感じじゃないですし」
子どもたちの手は、肘のあたりまで泥で染まっていた。
木片を引き上げるたび、水と泥が跳ねる。薄い服はあっという間に染みを吸い込み、冷たい風が吹き抜けるたび、小さな肩が震えた。
危険すぎる場所ではない。流れも深さも、命を奪うほどではない。
それでも――決して「楽しい水遊び」と呼べるものではなかった。
(ここでは、“燃やすもの”を拾うことさえ、子どもたちの仕事になるのですわね)
そんなことを考えていた、その時だった。
「わっ――!」
甲高い声が、空気を裂く。
わたくしの視線が、一番小さな影を捉えた。五、六歳ほどだろう。足元の泥に取られて踏ん張りを失い、子どもはそのまま斜面の途中で尻もちをついた。
ぐしゃり、と嫌な音がする。
薄い服が一気に泥を吸い込み、冷たさをまとって肌に貼りついていくのが、遠目にもわかる。
「だいじょぶか!」
「おい、立てるかよ!」
近くにいた年長の子が慌てて駆け寄る。けれど、彼ら自身の手も服もすでに泥まみれで、掴もうとした手が滑るたび、子どもの身体がまた泥へ沈み込みそうになる。
その光景を見た瞬間、身体が先に動いていた。
「――失礼いたしますわ!」
裾をつまむ余裕もなく、わたくしは斜面を駆け降りた。
泥が跳ねる。ブーツの側面に、次いで裾に、じわりと冷たい感触が広がる。
そんなことを気にしている暇はなかった。
半ば飛びつくようにして、泥に座り込んだ子どもの腕を掴む。
小さな手は冷え切っていて、泥と水でぐしょぐしょだった。その冷たさに、思わず息を呑む。
「大丈夫ですわ、立てますか?」
腰を低く落とし、ゆっくりと体重を引き上げる。
子どもは膝を震わせながらも、わたくしの腕にしがみつき、どうにか立ち上がった。
その間にも、足元の泥がぐちゅりと音を立てる。
さらに何度も跳ねた泥が、ブーツからふくらはぎへ、裾へと飛んでいく。
(ああ――また、汚してしまいましたわ……)
一瞬だけ、頭の隅で、公爵令嬢として身についた反射が顔を出す。
“服が汚れた”という事実が、条件反射のように心をよぎる。
だが、その直後、子どもの指先の震えが、強くわたくしの意識を引き戻した。
(いいえ。今、気にするべきは服ではなく――)
握り返してくる小さな手の力。
泥の下で隠れてしまっている、痩せた手首の細さ。
肩を伝って伝わる、小さな震え。
(この子の手と、震えですわ)
わたくしは、自分のマントの裾を少し持ち上げ、その内側のまだ乾いた部分で、子どもの指先をそっと包んで拭った。
「冷たかったでしょう。少し、ここで待っていてくださいませ。
すぐに、乾いた布と、温かい飲み物を用意させますわ」
年長の子どもたちが、不安そうにこちらを見ている。
「……すみません、あの、小さいの、慣れてなくて……」
「川まで来るの、今日が初めてだから……」
謝る声音には、叱られ慣れた子どもの気配があった。
わたくしは首を振る。
「謝る必要はありませんわ。
一緒に連れてきてくださらなければ、この子は、もっと寒い場所で一人だったかもしれませんもの」
そう答えると、年長の子の表情が、驚きに揺れた。
足元では、ぬかるみがなおもじわりとブーツを飲み込もうとしている。
けれど、その重さは――ほんの少しだけ、違って感じられた。
かつて、ドレスの裾に泥がつくことは、「恥」だった。
見栄えを損ねる汚れ。誰かに見咎められる前に、侍女たちが慌てて拭い落としてくれるべきもの。
しかし今、同じ泥が跳ねているはずなのに、胸の内に浮かぶのは別の感情だった。
(この泥は――)
わたくしがここに足を運び、手を伸ばしたという、ただ一つの証のように思えた。
「行きましょう。足元に気をつけて」
わたくしは、まだ震えの残る小さな手を握ったまま、一歩ずつ斜面を上がっていく。
その後ろを、年長の子どもたちが、おっかなびっくりついてくる。
泥は冷たく、重く、決して心地よいものではない。
それでも――その冷たさに触れた指先を通して、この村の冬が少しだけ近づいた気がして、わたくしはそっと息を吐いた。
川から吹き上げる風が、さっきよりもいっそう冷たくなっていた。
雪解け水の匂いに、土と錆びた鉄のような冷気が混じる。
ぬかるみの斜面で尻もちをついた子どもは、まだ立ち上がりきれていない。
小さな掌は泥に沈み、指の間には細かな小石が入り込んで、じわじわと赤くなっていた。
わたくしは、そのすぐそばに膝をつく。
泥の水気が、布越しにひやりと染み込む感覚がした。
「失礼いたしますわね」
そう告げて、子どもの手を取った。
冷たい。
泥と小石でざらざらしていて、皮膚はひび割れかけている。
貴族の令嬢として過ごしてきた年月のなかで、あまり触れてこなかった種類の“汚れ”だった。
本能的に、身体のどこかがわずかに身構えるのがわかる。
けれど、その反射を、わたくしは意識的に押し流した。
指を一本ずつ、そっとほどくように包む。
両手で、小さな手をゆっくりと包み込むと、子どもの瞳に驚きが走った。
大きく見開かれた目が、まっすぐこちらを見上げる。
「……つめたい、ですわね」
思わず漏れた言葉に、子どもはびくりと肩を震わせた。
叱られるのではないかと、身構えるような気配。
わたくしはすぐに首を横に振る。
「あなたの手が、ですわよ。
こんなに冷たくなるまで、よく頑張りましたわね」
子どもの眉が、ほんの少しだけふるえた。
マントの留め具に手を伸ばし、肩から外す。
まだ温もりの残る裏地を、そっと子どもの肩にかけた。
「お嬢様!」
後ろから侍女が慌てた声を上げる。
すぐさま、予備の布と古いマントを抱えて駆け寄ってきた。
「予備はございます。お身体が冷えてしまいますわ」
「わたくしの分は、あとでお借りしますわ。
この子の震えが収まるほうが先ですもの」
そう言いながら、子どもの腕を布で包み、できるかぎり泥を拭い取る。
泥は簡単には落ちない。指の腹を滑らせるたび、爪の間に新しい茶色が入り込んでいく。
自分の指先が汚れていくのを、まじまじと見る子どもの目。
その視線の奥にあるのが、“申し訳なさ”なのか、“信じられなさ”なのか、わたくしにはすぐには判別できなかった。
とにかく、笑って見せる。
「ほら、ご覧なさいませ。
わたくしの手も、すっかり泥だらけになりましたわ」
冗談めかしてひらひらと指を振ると、子どもはぽかんと口を開けたまま、その指先を見つめた。
「だいじょうぶ、ですわ。
手なら、洗えばまた綺麗になりますもの。
でも、冷たくなりすぎた身体は……少し、温めるのに時間がかかりますわね」
そっと抱き起こし、腕の中に引き寄せる。
泥で湿った服越しに伝わる冷たさと、痩せた体躯の軽さが、胸の内側にずしりと落ちた。
「大丈夫ですわ。少し冷たかっただけですもの。
すぐ、温まりに戻りましょう?」
わたくしがそう言うと、子どもの喉が小さく鳴った。
何か言いたげに唇が動くが、言葉にはならない。
そこへ、斜面の上からミラの声が降ってきた。
「……ほんと、そういうとこですよね」
振り向くと、ミラが腰に手を当てて、半ばあきれたように、半ばおかしそうにこちらを見下ろしていた。
「“公爵令嬢らしくない”っていうか……
最近は、もう“リリアらしい”って言ったほうがしっくりきますけど」
「褒め言葉として、受け取っておきますわ」
そう返すと、ミラは肩をすくめ、斜面を降りてきてくれる。
侍女も一緒に、泥を払ったり、足元を確かめたりしながら、わたしたちはゆっくりと安全な場所へと子どもを運んだ。
腕の中で、小さな手が、きゅっとわたくしの服を掴む。
泥で固くなった指先が、布をしっかりと捉える感触が伝わる。
(泥だらけのこの手は――)
脳裏に、自然とそんな言葉が生まれる。
(誰かの冬を、必死にかき集めようとしている手)
冷たく、荒れていて、決して美しいとは言えない。
貴族のサロンで交わされる優雅な握手とは、似ても似つかない。
それでも、その手を握った瞬間、わたくしにははっきりと感じられた。
(これは――“生きようとしている手”ですわ)
泥まみれでも、爪が欠けかけていても。
その小さな掌は、今日を越えるための木片を、明日の火になるかもしれない破片を、必死に掬おうとしていた。
この街で、村で、冬を越えるために。
王都の温かな灯りからは見えない場所で、ひっそりと、それでも確かに伸ばされている手。
わたくしは、少しだけ抱き寄せる腕に力を込める。
「さあ、行きましょう。
これ以上、冷たい風に当たっていては、風邪をひいてしまいますわ」
子どもは、まだ戸惑いを抱えた瞳のまま、こくりと小さく頷いた。
泥は、わたくしの手にも、裾にも、しっかりと残っている。
けれど、その汚れを見つめながら、わたくしの胸の内に浮かんでいるのは、もはや嫌悪ではなかった。
それは――自分が掴みたいものへ、ようやく手を伸ばし始めた証のように思えたから。
村はずれの小さな家の戸が、荒い息とともに開いた。
「こっちだ!」
誰かの声に押されるように、わたくしたちは泥だらけの子どもを抱えて中へ入る。
煙で煤けた天井と、囲炉裏の火の赤い色が目に飛び込んできた。
冷たい外気から一歩入っただけなのに、むっとするような暖かさだ。
けれど、その暖かさの中でも、腕に抱いた身体はまだ震えている。
「こ、こっちへ、こっちへ!」
奥から、荒い息を切らした女の人が飛び込んできた。
子どもの母親だろう。頬はこけ、手は荒れ、それでも今は何よりもその目が、必死で子どもだけを追っている。
「ごめんなさい、本当に……! 目を離してる間に、こんな……!」
わたくしが抱えていた子どもを、母親が震える腕で受け取る。
囲炉裏のそばに敷いた薄い敷物の上にそっと座らせると、その肩に古い毛布をかけた。
「すぐ火のそばで温めてやってくれ」
家の主らしき男が薪をくべる。火のはぜる音が、ぱちり、と一際大きく鳴った。
母親は、毛布の端を握りしめたまま、何度も何度も頭を下げる。
「すみません、本当に……こんな泥だらけの子を……。
川まで行ってるなんて知らなくて……!」
わたくしは首を横に振る。
「いいえ。わたくしのほうこそ、もっと早く気づいていれば……
冷たい思いをさせずに済んだかもしれませんわ」
言いながら、自分の手を見る。
指の関節の間まで泥が入り込み、爪の中はすっかり茶色に染まっている。
裾にもまだ乾ききらない泥が重く張りついていた。
その視線を追うように、母親がはっと息を呑む。
「……あの、その……」
おそるおそる、わたくしの裾と手を見比べる視線。
何か言いたいのに言葉が見つからない、といったふうに、口元が何度も揺れる。
「でも、その……お召し物が……。
貴族様の服を、こんな――」
“貴族様”。
その言葉には、恐縮と、戸惑いと、わずかな恐れが混じっていた。
わたくしは、ふっと息を吐き、微笑んだ。
「この街では、わたくしは“リリア”と呼ばれておりますの」
母親が目を瞬く。囲炉裏の向こうで、村の大人たちが顔を見合わせた。
「……リリア、さん?」
「はい」
返事とともに、意識して背筋の力を少し抜く。
王都のサロンで使うような完璧な微笑みではなく、ここで震えていた小さな背中に向けるのと同じ、柔らかな笑みを。
「“服が汚れるから手を伸ばせない人”ではなく――」
一度、泥のついた自分の手を見下ろし、指先をそっと擦り合わせる。
乾きかけた泥が、ぽろりと小さなかたまりになって落ちた。
「“泥だらけでも手を伸ばしたい人”でいたいと、今は思っています」
囲炉裏の火が、ぱち、とまた音を立てる。
その音に紛れるように、誰かが小さく息をのむ気配がした。
母親は、しばらく言葉を失っていた。
視線が、わたくしの手と、毛布にくるまれた子どもとを何度も往復する。
「……そんなことを、言ってくださる方が」
かすれた声が、ようやくこぼれ落ちる。
「貴族様の服は、汚しちゃいけないものだとばかり……。
わたしたちみたいなのが触ったら、叱られるんだって……そう思ってました」
その言葉に、家の隅にいた年長の子が、顔をそむけるようにして膝を抱えた。
その表情に浮かんだのは、驚きと戸惑いと、少しの悔しさ。
ミラが、囲炉裏のそばに腰を下ろしながら、ぼそりと呟く。
「まあ、たいていの貴族様は、汚れる前に誰かにやらせますからね」
皮肉まじりの言い方なのに、その目はどこか安心した色をしていた。
村の男が、火ばさみを握った手を止め、じっとこちらを見る。
「あんた……本当に、いいのかい? そんなふうに汚れちまって」
「洗えば落ちますわ」
即答する。
「手も、裾も。
でも、この子の震えは、今ここでしか止めてさしあげられませんもの」
囲炉裏の火が、わたくしの泥だらけの手を照らす。
その光の中で、泥の筋も、小さな擦り傷も、鮮やかに浮かび上がる。
母親は、ほうっと長い息を吐いた。
それは諦めではなく、胸の奥につかえていた何かが、少しだけほどけたときに出る種類の息。
「……こんな貴族様も、いらっしゃるんですね」
小さな声だった。
けれど、その言葉に、部屋の空気がわずかに揺らぐのがわかる。
「いえ、わたくしは“リリア”ですわ」
ゆっくりと首を振る。
「街の名も、配給の帳簿の隅に書かれる数字も、
村の名前さえ、王都の地図からこぼれ落ちてしまうことがあると、ここに来て初めて知りました」
焚き火の赤が、土壁に揺れる影を描き出す。
「それでも――」
毛布の上から、そっと子どもの背を撫でる。
まだかすかに震えているが、先ほどのような強ばりは少しずつ和らいでいた。
「そこに、泥だらけでも、冷たくても、必死に伸ばされている手があるなら。
わたくしは、その手を掴める人間でありたいのです」
村の大人たちは、すぐには答えなかった。
ただ、囲炉裏の火の音と、外を吹き抜ける風のうなりだけが、しばらくのあいだ耳に届く。
やがて、火のそばに座っていた年長の子が、ごく小さな声でぽつりと言った。
「……さっき、川で見ました。
ほんとに、泥だらけの手、掴んでました」
その言葉に、母親が驚いたように子どもを振り返る。
男も、わずかに目を細めた。
「わたしたちは、これまで――
“遠くから見て、何か決めていく人たち”しか知りませんでした」
母親が、毛布の端を握ったまま、ぽつりぽつりと続ける。
「でも……手を汚してまで、うちの子を抱き上げてくれた人のことを、
全部同じだって決めつけてしまうのは、きっと違うんですね」
その言葉は、わたくしに向けられているようでいて、
同時に、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
わたくしは、静かに頭を下げる。
「ここに来るまでのわたくしも、“貴族は皆同じだ”と見られることを、どこかで受け入れておりました。
誇りの裏側にある、重たくて融けない塊のようなものとして」
顔を上げる。
「けれど、もし――
“汚れることを恐れない貴族もいるのかもしれない”と、
ほんの少しでも思っていただけるのなら」
胸の奥で、ことり、と何かが鳴った。
「それだけで、この泥は、洗い流してしまうのが惜しいくらい、価値のある汚れになりますわ」
ミラが、ふっと噴き出す。
「……それ、洗濯係の人が聞いたら、泣きますよ」
「洗いますわよ、ちゃんと」
わたくしもつられて笑う。
「でも、今日ついたこの汚れのことは――
きっと、簡単には忘れませんわ」
泥だらけの手が、わたくしの手を汚した。
けれど、その感触が、まるで反対に、わたくしの心のどこかを洗い流していくような気がしていた。
村の大人たちの視線が、焼けた鉄を水に浸すように、ゆっくりと冷めていく。
疑いの熱ではなく、慎重に温度を測るような眼差しへと変わっていく。
(そう――揺らいでいるのですわね)
“貴族”という言葉に貼り付いていた、冷たい輪郭が。
その輪郭のどこかに、小さなひびが入り始めている。
子どもの頬に、うっすらと赤みが戻ってきた。
その様子に安堵しながら、わたくしはそっと息をつく。
(泥だらけの手が教えてくれることは――
きっと、まだこれだけではありませんわ)
あの冷たさと重みを、わたくしは一生、忘れたくないと静かに思った。
その夜の宿は、街よりも少し高台にあった。
薄い壁一枚向こうから、風がうなる音がかすかに伝わってくる。
洗面場と呼ぶにはあまりにも簡素な一角――
石をくり抜いたような浅い洗い桶の上に、吊るされた小さなランプがひとつ。
そこに灯る光の中で、わたくしは、両の手を静かに見下ろしていた。
爪の間に入り込んだ、黒ずんだ泥。
指先には、慣れない冷たさと重さに擦れた、小さな赤い傷がいくつか。
昼間、川辺のぬかるみで転びかけた時についたのだろう、泥の筋がまだ薄く残っている。
(……本当に、泥だらけですわね)
苦笑ともため息ともつかない息が、自然と漏れる。
桶の中には、汲み置きの水が半分ほど。
外気に晒されて冷え切った水面は、ランプの光を震えながら映していた。
そっと、指先を水に沈める。
じん、と刺すような冷たさが、皮膚から骨の内側へと滑り込んでくる。
思わず肩がすくみそうになるのをこらえながら、わたくしは指をゆっくりと動かし始めた。
爪の間、指と指の隙間、手の甲の筋。
擦れば擦るほど、泥が水の中へと溶け出していく。
(泥は、水で洗えば落ちますわ)
指先で、爪の裏をそっとこする。
黒ずんでいたところから、白い部分が少しずつ顔を出す。
(けれど――)
昼間、わたくしの手を掴んだ、小さな手の感触が蘇る。
冷たくて、荒れていて、泥と小石が張りついた掌。
(わたくしの心にこびりついていた
“綺麗な場所だけを見ていたい”という甘さは――)
桶の水が、ゆっくりとにごり始める。
透明だった水に、細かな泥の粒が漂い、薄く茶色く染まっていく。
(あの小さな手を握った瞬間に、
少しだけ剥がれ落ちた気がいたしますわ)
王都の灯り、暖かなサロンの暖炉、磨き上げられた大理石。
「冬は厳しい」と言葉では知りながら、わたくしの足は、
ずっと“泥のつかない場所”だけを選んで歩いてきたのだと、今さらながらに思い知らされる。
桶の中で、泥は底のほうへ沈み、上のほうの水は少しずつまた澄み始める。
ランプの光が、水の表面に揺れ、にごりと澄みの境目を淡く照らした。
「汚れることを恐れて、手を伸ばさないでいるほうが――」
思わず、声に出していた。
「よほど、心には汚れを溜めてしまうのかもしれませんわね」
誰に聞かせるともなく零れた言葉が、狭い洗面場にふわりと漂う。
汚れていない手。
何も掴まないままの、綺麗な指先。
それを誇りに思っていた時期が、たしかにあった。
けれど今は――泥をすくい上げたこの手のほうが、
どこか、すがすがしく感じられる。
桶の水を替えるため、片手を引き上げる。
濡れた指先から、ぽたぽたと雫が床に落ちる。
さきほどまで黒ずんでいた爪が、
いくつかの小さな傷を抱えながらも、元の白さを取り戻しつつあるのが見えた。
新しい水を足し、もう片方の手も同じように洗う。
今度は、指先の動きがさっきより少しだけ慎重になる。
(あの泥は――
あの子の冬を必死にかき集めていた証でしたもの)
ごしごしと乱暴に擦り落としてしまうのが、
なぜだか少し惜しいような気もしてしまう。
それでも、冷たさに歯を鳴らしながら、
わたくしは丁寧に、指の一本一本を洗い清めた。
やがて、水は再びうっすらとにごり、それでもさっきよりは早く澄んでいく。
底に沈んだ泥は、もう動かない。
桶から手を引き上げると、指先は赤くなっていた。
指の節々が、かすかにひりひりと痛む。
用意されていた粗い布で、水気を拭き取る。
擦るたびに、小さなささくれが布に引っかかり、短い痛みが走った。
洗面場の隅に置かれた小さな火皿に手をかざすと、
火の温もりがじんわりと皮膚に戻ってくる。
白かった指は、ほんのり赤味を帯び、
ところどころに小さな傷と硬くなりかけた皮膚が浮かび上がる。
(この赤みも、小さな傷も――)
火に照らされた自分の手を、わたくしはゆっくりと眺める。
(今のわたくしが、どこに手を伸ばしているかを教えてくれる印ですわ)
王都で磨かれた「公爵令嬢の手」は、
今、街の泥と村の風と、子どもたちの体温を覚え始めている。
外側の泥は、こうして落とせる。
けれど、今日、この手で掴んだ震えと重みは、
どれほど水を替えても、きっと心からは消えないだろう。
それで良い、と今は思う。
桶の中の水は、最後にはほとんど澄んでいた。
底に沈んだ薄い泥の層だけが、今日一日の印のようにそこに残っている。
わたくしは火皿の炎に、もう一度手をかざした。
赤くなった指先が、少しだけ誇らしく思えた。
「……明日も、汚れるのでしょうね」
独りごちて、そっと笑う。
「でしたら、また洗えばよろしいのですわ。
そのたびに、少しずつ――わたくしの心の水も、澄んでいけばいいのですもの」
白い息が、洗面場の冷えた空気の中にふっと広がった。
それを目で追いながら、わたくしは静かに灯りを落とし、
まだほんのりと火照った両の手を胸元で重ねた。
翌朝の村は、薄い雲越しの陽が、雪混じりの地面をぼんやりと照らしていた。
冷たさは相変わらずだが、昨日よりも、ほんの少しだけ空気がやわらいで感じられる。
村の小さな広場に、簡素な荷車と荷物がまとめられていく。
街へ戻る前の最終確認をしていると、裾のあたりが、くい、と軽く引かれた。
見下ろせば、昨日、川辺で尻もちをついたあの子が立っていた。
大きめの上着の袖に埋もれた両手で、なにやら小さな包みをぎゅっと握りしめている。
「……どうなさいました?」
しゃがみ込んで目線を合わせると、子どもは少しだけ唇を噛んでから、包みを差し出した。
「これ……きのう助けてくれたお礼……」
「まだちょっと泥ついてるかもだけど……」
差し出された小さな手には、まだ薄く泥の色が残っていた。
けれど、それは昨日のような、爪の間まで真っ黒な泥ではない。
水でこすって落とそうとしたのだろう、小さな指先のあちこちが赤くなっている。
布に包まれた中身は、村で分けてもらった干し芋と、固くなったパンの端切れ。
きっと、決して余裕のある家ではないはずだ。
それでも「お礼」として、今できる精一杯を差し出してくれている。
わたくしは、その包みだけでなく、差し出された手ごと、そっと両手で受け取った。
「ありがとうございます」
掌の中の小さなぬくもりを確かめるように、ほんの少しだけ指をかるく握り返す。
「わたくしにとっては――どんな宝石よりも、価値のある贈り物ですわ」
子どもの瞳が、きょとんと丸くなる。
自分の泥の残る手と、わたくしの上着の裾を交互に見て、それから、照れくさそうに、けれど確かに誇らしげに笑った。
「……そう? じゃあ、ちゃんと持ってってね」
「ええ。必ず」
包みを胸元に抱えながら、わたくしは改めて、その小さな手を見つめた。
(泥だらけの手で、薪を運び、川から木片を拾い集め――
寒さに抗うために、動き続ける手)
冷たくて、ささくれていて、決して綺麗だとは言えないかもしれない。
けれど、その一つ一つの傷とひび割れは、ここで生きるために必要だった「線」のようにも見えた。
(この手に触れたとき――)
昨日、ぬかるみに足を取られて倒れかけた小さな身体を支えた瞬間。
服の汚れよりも先に、伝わってきた震えと冷たさ。
(“貴族の冬”と、“ここで生きる冬”を、
同じ言葉で語ってはならないと、遅ればせながら思い知らされたのです)
暖かな室内から眺める雪景色と、
泥に足を取られながら、それでも外に出て木片を拾う冬は、
同じ「冬」というひと文字では到底括れない。
(そして同時に――)
わたくしは、ゆっくりと息を吸う。
(わたくしが“自由でいたい”と願うなら、
その自由は、“汚れることを恐れない心”と一緒でなくては、きっと意味がないのだと)
綺麗な場所だけに立ち続ける自由なら、
それはただのわがままに過ぎないのかもしれない。
泥だらけの手に、自分から触れにいくこと。
寒さと痛みの傍らに、自分の足で立ちに行くこと。
その覚悟を伴って初めて、「自由でいたい」という言葉は、空虚な響きから変わっていく。
「リリアー、そろそろ行きますよー!」
少し離れたところから、ミラの声が飛ぶ。
荷車の荷物を確認していた彼女が、大きく手を振っていた。
「はい、すぐ参りますわ!」
子どもに向き直り、わたくしは微笑む。
「あなたの冬が、少しでもあたたかくなるように。
わたくしも、わたくしにできることを探し続けますわね」
子どもは意味までは分からない様子だったが、それでも元気よく頷いた。
「また来る?」
「……ええ。きっと」
約束の言葉を軽々しく口にすることの重さを知りながら、
それでも今は、その一言を選ぶ。
小さな手が振られるのに合わせて、わたくしも泥の跡が残る自分の手を振り返した。
村を離れる道は、まだところどころぬかるんでいて、
雪解けの水が陽に鈍く光っている。
歩き出しながら、わたくしはふと、自分の指先に意識を向けた。
昨夜、丹念に洗い落としたはずの泥は、もうどこにも残ってはいない。
けれど――あの泥だらけの小さな手が、さきほど握り返してくれた温もりは、
皮膚の内側に、まだはっきりと残っていた。
それは、“綺麗な場所から見下ろすだけの貴族”だった頃のわたくしの心を、
静かに、けれど確かに洗い流していく感覚だった。
――汚れることを恐れずに伸ばしたその手の先で、
わたくしは初めて、本当の意味で“誰かの冬”に触れ始めたのだ。
そう気づきながら、振り返れば、村の小さな家々が、白い息の向こうに霞んで見える。
広場の端で、先ほどの子どもがまだこちらに手を振っているのが、小さく見えた。
わたくしは胸元の包みをそっと押さえ、
雪を踏みしめる音を確かめるように、一歩、また一歩と足を運ぶ。
泥だらけの手が握らせてくれた温もりを抱いたまま、
リリアは村を後にして、また雪の街へと歩き出した。




